薄 切 | ナベちゃんの徒然草

ナベちゃんの徒然草

還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

今日、命日を迎えるこの方・・・皆さんはご存知でしょうか?

 

 小池 和夫 氏

 

名前だけでピンッと来る方は、殆どいらっしゃらないかもしれません。

 

大多数の日本人は、この方の恩恵を受けているのに。

 

実は彼・・・『湖池屋』 の創業者にして、我が国にポテトチップスを広めた功労者なのです。

 

     ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

 

ポテチの発祥は、1853年。


アメリカ・リューヨーク州のレストランでシェフを務めていたジョージ・クラム氏が、「フライドポテトが厚すぎる」と何度もクレームをつけた客に業を煮やし、フォークで刺せないくらい薄切りにして揚げたものを出したところ、これが逆に大好評。


その店でサラトガ・チップスというメニューで定番化したのが始まりだとか。


一方、小池氏が湖池屋を設立したのは1958年。

 

(※社名を「小」ではなく「湖」にしたのは、小池氏の出身地である長野県諏訪市の名所・諏訪湖のように大きな会社に・・・という願いを込めたからだそうな。)

同社は当初、おつまみ菓子の製造販売をしていました。


その小池氏とポテトチップスの出会いは、とある飲み屋でのこと。

 

仕事仲間と飲みに行った時、出されたポテトチップスを初めて食べた彼は、


「世の中にこんな美味しいものがあったのか!」

 

と、いたく感動・・・これを世の中に広めたいと考え、ポテチの製造に着手。

 

早速開発に取り掛かりましたが、当初は完全なハンドメイドで出来上がりにムラがあり、しかも値段が現在の貨幣価値で一袋約1,000円という超高級品。

 

当然のことながら殆ど売れませんでした。

 

しかし小池氏はそれにメゲず開発を続け、日本人に馴染みのある 青海苔をまぶすことを思いつき、1962年に 〝コイケヤポテトチップス のり塩〟 を発売。

 

     

 

1967年には機械を導入し、日本で初めてポテチの量産化に成功しました。

 

何となく、チキンラーメンを開発した安藤百福氏の立志伝に似てますョネ。

 

2000年に黄綬褒章を受章した小池氏が82歳で逝去されたのは、2009(平成21)年5月3日。

 

残念ながら現在の国内ポテトチップス・シェアは、約50%を占めるカルビーがダントツの1位。 

老舗の湖池屋は約15%に甘んじています。

 

小池氏に敬意と感謝の気持ちを込めて、今日ポテチを買う方には是非湖池屋の〝のり塩〟をお願いしたいところ。

 

当然オマエも買うんだろうって?

 

実は私・・・ダイエットのために、もうポテチは食べてないんですョ。😅 オイオイ

 

 

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