こういうの見るのも嫌という人は見ないでください。
このブログ右側にあるフォトチャンネル
スライドショーで壊滅した南三陸町の町の様子が分かります。
1枚目の写真は標高が高く海から離れた場所 国道沿いに津波が遡上してました。
ライフラインが寸断し鉄筋コンクリート造の建物がいくつか残るが廃墟になってます。
建物の裏側の林の中には行方不明者のご遺体があるので立ち入り禁止です。
被災者と各地から集まるボランティアさんの為に
セブンイレブンが配送トラックの荷台で営業してます。
2011年5月22日 2回目のボランティアに行った時に撮影。
最後の写真後方に映るシルバーのセレナは翌年「にゃんこはうす」に寄贈。
翌朝 父を救急搬送して35日後に亡くなり
納骨を済ませた9月に支援物資を届けた様子をまとめたのがこちらです↓
仮設プレハブでコンビニが営業してます。
グレー一色だった町に草が生えて緑色が加わった。
震災から半年が過ぎても何も変わらない。
避難所暮らしの住民が仮設住宅に移動してます。
その後の復興計画では海に近い町の中心部は居住禁止となったが
それを待たずに海沿いに工場を再建した製材所があります。
色々と批判も浴びながら復興の牽引役となりました。
当時うちの在庫品でもあった丸平木材さん。
寒さが厳しい東北の木材は成長が遅く時間をかけて育つので目が詰まってます。
製材技術も優れた丸平木材さんの木材を絶賛してた亡き父。
この製材所が復活する様子は町の復興の歴史そのものです。
木材市場を通じて仕入れてたので個人的には知らなかった小野寺社長。