被災地入りした人の多くが「復興は進んでいない」と嘆くが
13年前、ボランティア活動をした南三陸町でも同じような状況だった。
個人的な理由で父を救急搬送してからボランティアを中断しており
葬儀やら納骨を済ませて震災から半年が経過した9月に支援物資を届けて来ましたよ。
津波で倒壊した建物はそのままだったし ただ道路を塞いでいた瓦礫が片付けられており
避難所から住民が居なくなり仮設プレハブでコンビニが営業していた。
街中には人の姿はなく震災の遺構の前で写真を撮る観光客をチラホラ見かける程度。
この時初めて国道45線を南下して石巻市内を通過して東京に帰りました。
ボランティア時は緊急自動車の通行を妨げぬよう南三陸町に向かうには
北側を大きく迂回する国道398号線を利用するように呼びかけがありました。
能登は国に見捨てられたなんて悲観的に考えるのはいかがなものでしょうか?
液状化被害が起きた千葉県浦安市では建物の被害は少ないが下水道が寸断されてしまい
水は出るのに下水が流せないから東京中央木材市場でも仮設トイレを設置してた。
水道機材や職人が東北に行ってしまい歩道の上に仮設の下水管を設置して仮復旧をして
道路を掘削して地中の下水管の復旧工事が完了したのは震災から2年後だったと思います。
それまでは道路のあちこちにマンホールが突き出たままです。
文句を言う人は皆無です。
日本人の国民性ですかね。
ひろゆきが能登訪問「今の景色は天災じゃなく人災」 震災から4カ月も変わらない街、進まぬ公費解体
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26日朝、能登空港にやってきたのは、ネット掲示板「2ちゃんねる」創設者のひろゆき氏。出迎えたのは、地元石川・丸井織物の宮本智行専務だ。ひろゆき氏は、同社が運営するオリジナルTシャツを販売するサービス「Up-T」のCMに出演。そのつながりで能登を訪れた。 【映像】震災後から変わらぬ街…ひろゆきが能登へ 「アベプラで現地の輪島塗の職人さんが『家が直らない』とか話しているのを見て、そこまでなの?と。さすがに4カ月も経っているから、普通になっているんじゃないのと思い込んでいたんですけど、どうやらそうじゃないらしいぞと」(ひろゆき氏) まず訪れたのは輪島朝市。正月に焼き尽くされた市場は当時のまま。再建のメドすら立っていない。ここ以外の場所も放置された状態で、街並みはほとんど変わっていない。
平日の午後にも関わらず、道行く人もまばらな輪島市。地元のテレビ局・北陸朝日放送の菅井智絵アナウンサーは「倒壊した7階建てのビルもそのまま。今は火災現場のほうに入れるようになった変化はあるんですけども、街の方はほとんど見かけない」と話す。 「こういう倒れ方って見たことない。なんで国が直せないんですかね」(ひろゆき氏) 「公費解体がかなり遅い。実際には申請は相当数あるらしい。ただ、聞いた話ではスタートが11月、12月とか。今進んでいる解体が1日当たり数件、数十件だ」(宮本氏)
壊れた建物を自治体が所有者の代わりに撤去する「公費解体」の遅れ。これが、復旧復興が進まない理由の1つだという。 「東日本の震災の時、福島に行ったんですよ。やっているお店もあって、生活している人もいて。確かに倒壊している家はあるけど、普通にご飯も食えるし、経済も回っているから、街としては生きているなって。ここ街として完全に死んでません? 徐々に良くなっていくという感じが全くしない。見捨てられているというか、東京側からすると見捨てているんですよね」(ひろゆき氏)
「街は死んでいると思います。1つの街に対してここまで冷たい態度を国がとったのは、初めてじゃないかなと感じます」(宮本氏) さらに、ボランティアの人たちからは、「県と国の道路は片付いているんですけど、輪島の市道はいっさい片付いていない」(古長谷鷹念さん)、「炊き出しの需要はあまりなく、どっちかというと地元にお金を落としてもらいたい。火事現場などを見に来るという観光ルートが、GWにはあるんじゃないかなと思う」(岩本良さん)と、進まない街の復旧、経済がストップしている現状が聞かれる。 次に訪れたのは輪島中学校。今も体育館は避難所になっているが、授業は再開。輪島中学校の生徒だけでなく、周りにある6つの小学校の子どもがここに通っている。