日本百名城の旅

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日本百名城の旅
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日本の城郭と戦国武将が大好きです! バイクで日本一周を達成しましたので、今度は100名城登城にチャレンジです。
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  • 歴史 (100%) - 7 / 449人中
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※最新の記事

  • お隣はUSA
    『外房・長生村の盆踊り』長生村観光協会主催の盆踊りですから、村長さんが見えていました。「お隣はアメリカですから、聞こえるように元気よく・・・」と、挨拶をされてい08月16日 06時00分
  • 板橋の盆踊り
    『富士見町盆踊り』今年、2回目の盆踊りは、板橋への遠征でした。この日は雨が確実に降る予報でしたが、幸いにも車から傘を持って降りなくても大丈夫でした。かなり遅れて08月14日 06時00分
  • 『女城主・井伊直虎』 その30
    『徳川四天王』徳川四天王とは、徳川家康の側近として仕えて江戸幕府の樹立に功績を立てた酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政の4人の武将を顕彰した呼称です。本多忠08月13日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その22
    『千姫出城』3万石というと家来を5、6百人はいたのでしょう。この時もそのくらいを従えていたのでしょう。二ノ丸に立つ秀吉公5、6百人の家来を引き連れ、三ノ丸から二08月12日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その21
    『坂崎直盛はおじいちゃん』坂崎直盛の年齢は諸説があって、よくわかりません。宇喜多秀家は直家が44歳のときに遅く生まれた子で、このとき八丈島で奇しくも父親とおなじ08月11日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その19
    『津和野城主・坂崎直盛』秀家の従兄弟にあたる宇喜多直盛というのがいて、重臣として秀家に仕えていたが、直盛は反対派でかつ日蓮宗徒派の急先鋒となり、大坂での自身の屋08月09日 06時00分
  • 東京ドイツ村花火
    『今年はじめての夏花火』今年は花火撮影に出かけるタイミングを失い、先週の週末に初めて行ってきました。場所は「東京ドイツ村」冬のイルミネーションで有名な場所です。08月07日 06時00分
  • 『女城主・井伊直虎』 その29
    『虎松が家康の家臣になるまで』永禄4年(1561年)2月19日、今川氏の家臣である井伊直親の嫡男として、遠江国井伊谷近くの祝田で生まれる。母は奥山朝利の娘・おひよ、幼名08月06日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その18
    『五大老宇喜多秀家』南北朝時代以降の播磨の守護代・赤松氏の被官から身を起こした宇喜多氏は、これまた戦国の梟雄といわれている直家の代になってついに主家・浦上氏を滅08月05日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その17
    『千姫に託す』代々、熊野新宮別当職の任にあった堀内氏善なる者がいて、紀州新宮で2万7千石を領していたが、関ケ原の戦いのとき石田方(西軍)に与して所領を没収された08月04日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その16
    『大坂夏の陣』7日、徳川方に内通していた三ノ丸の台所頭が厨房に火をつけ、燃え上がる炎のなか徳川方は三ノ丸に突入。三ノ丸から二ノ丸の大蔵卿のせがれ大野長治邸に火矢08月03日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その15
    『大坂の陣はじまる』秀頼が20歳に、千姫が16歳になった慶長17年6月16日、千姫は鬢そぎの儀式を行った。男子の元服に似た儀式で、秀頼があまりに大きかったからで08月02日 06時00分
  • 2017 地元の夏祭り
    『結構盛大な地元の夏祭り』気が付けば、もう7月も終わりです。今年最初の盆踊りは、地元の夏祭りに行ってきました。今年はチョット早めに会場につきましたが、子供神輿か07月31日 06時00分
  • 『女城主・井伊直虎』 その28
    『今川氏真』今川氏真は天文7年(1538年)、今川義元と定恵院(武田信虎の娘)との間に嫡子として生まれる。天文23年(1554年)、北条氏康の長女・早川殿と結婚07月30日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その14
    『秀頼は大男』秀頼が17歳の時、おなじ女がまた子を生む。今度は女の子で、その子がのちに千姫の養女となって鎌倉の駆け込み寺・東慶寺に入り、尼となって一生を送ってい07月29日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その13
    『秀頼に長子生まれる』15歳というと生殖器が機能しはじめる時期だが、室の千姫は11歳。まだ女になっていない。秀頼は男になっているので、成田助直の娘に手をつけ、翌07月28日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その12
    『秀頼15歳にして、江戸への反感?』家康は征夷大将軍となると、2年後の慶長10年4月に征夷大将軍職を秀忠に譲り、秀忠が征夷大将軍になった。豊臣秀頼(1953−107月27日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その11
    『結婚式は新郎が主役』この時代、新婦の両親は嫁ぎ先に出向きません。むろん結婚式にも顔を出すことはありません。現代の結婚式は新婦が主役ですが、戦国時代は新郎が主役07月26日 06時00分
  • クルージング披露宴
    『クルージング披露宴』竹芝での結婚式の案内を頂いていましたので、久しぶりのシンフォニーかと思いつつ行ってきました。当日、冷静に考えてみると、シンフォニーは日の出07月24日 06時00分
  • 『女城主・井伊直虎』 その27
    『信玄と家康の密約』永禄3年(1560年)6月の桶狭間で今川義元が織田信長に敗死し、今川領国では三河で松平元康が独立するなど動揺が見られていた。武田信玄(15207月23日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その10
    『伏見城で入輿の準備』千姫が生まれた伏見城は、関ケ原の戦いの前に西軍から攻められて焼け落ちた。それから3年、家康は伏見城を修復し、他にも京の二条に城を建て、上方07月22日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その9
    『千姫の夢と希望』入輿の日は慶長8年7月28日。千姫7歳。満で6歳と3ヵ月余、今なら小学校の一年生です。分別はないようであり、あるようでないという歳。千姫(1507月21日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その8
    『家康の思量』千姫を秀頼に入輿させる時点で、家康は豊臣恩顧の武将のことなどなんとも思っていない。では、どんな訳があって千姫を秀頼に嫁がせたのでしょう。徳川家康(07月20日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その7
    『城を高くして池を深くして、余が攻めるのを待て』はたしてそうだったのでしょうか。秀吉が死ぬとすぐ家康は四大老五奉行をさかんに挑発し、揺さぶりをかけて、なんだかん07月19日 06時00分
  • スマートいじり その5
    『リアクォーターウインドの透明化』先日の雨漏り対策をしていて、リアクォーターウィンドが、経年劣化でくすんでいることに気が付きました。リアクォーターウィンドはプラ07月17日 06時00分
  • 『女城主・井伊直虎』 その26
    『寿桂尼(じゅけいに)』寿桂尼は戦国大名今川氏親の正室で、藤原北家、勧修寺流の中御門家(公家)の出自で、父は権大納言中御門宣胤。夫・氏親の死後剃髪して瑞光院寿桂07月16日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その6
    『政略結婚』疑問を抱いた人は、こう考える人が多いのでしょうか。関ケ原の戦いでは徳川の主力軍を率いていた秀忠が遅参したばかりか、戦場で働いたのが豊臣恩顧の武将が主07月15日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その5
    『千姫の入輿』城の工事が始まると人夫が必要になり、3万、4万と人夫が集まれば宿屋や飯屋や一杯飲み屋ができて、彼らを目当てに女もやってくる。江戸は次第に、ハエの飛07月14日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その4
    『征夷大将軍』家康はその後兵を返して、石田三成が糾合した西軍と関ケ原で戦い、圧勝する。9月15日のことで、家康はここに天下の覇権を握った。徳川家康(1543−107月13日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その3
    『田舎臭い江戸城』江戸は日比谷の入江が江戸城近くまで入り込んでいて、台地は現在の有楽町駅周辺から北に広がっているにすぎず、城の西は殆どが沼沢地という漁村にすぎな07月12日 06時00分
  • SMARTいじり その4
    『オイル交換』先週のSMARTいじりは、オイル交換でした。SMARTを購入した際に、ショップにオイル交換を依頼するも、上抜き用の道具がないとかでオイル交換が終わってません07月10日 06時00分
  • 『女城主・井伊直虎』 その25
    『妙雲寺』龍潭寺の北側に井伊直虎の菩提寺の妙雲寺があります。直虎の死後に建立され、直虎の法名・妙雲院から妙雲寺と名付けられています。直虎の墓は龍潭寺にありますの07月09日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その2
    『千姫、江戸にくだる』家康が動き始めます。伊達政宗、蜂須賀至鎮、福島正則の3大名と縁談をまとめ、それは秀吉の遺命に反すると四大老五奉行を相手に、家康は揺さぶりを07月08日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その1
    『秀吉の没』みなさん良くご存知のように「千姫」は豊臣秀頼の正室です。彼女の数奇な運命について記事にしてみたいと思います。女の子が生まれたら、ぜひ我がせがれの嫁に07月07日 06時00分
  • SMARTいじり その3
    『リアクウォータウィンドの雨もり修理』ごたぶんに漏れずわが家のスマートくんも、リアクウォターウインドから雨漏りがしていました。非常に多いトラブルのようで、先輩方07月05日 06時00分
  • 公園の花たち
    『あやめ』梅雨のこの時期、東京時代は毎年、埼玉行田の古代ハスを撮りに行っていましたが、千葉からはちょっと遠くて、行田に足を運ぶことはできません。じゃ、ということ07月03日 06時00分
  • 『女城主・井伊直虎』 その24
    『井伊共保出生の井戸』ドラマの方は、まだ停滞しているようですから、井伊谷の名所めぐりをしてみたいと思います。龍潭寺から歩いて数分の田んぼの中に、井伊家の初代当主07月02日 06時00分
  • 「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その29
    『長重への愛を貫きとおした於長』於長はその後、秀吉の目から逃げるように、家来に伴われて父・忠興の所領地、丹後に落ちて幽居しています。中津城戦国の女はある意味たく07月01日 06時00分