日本百名城の旅

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日本百名城の旅
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http://piglet01.blog109.fc2.com/
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日本の城郭と戦国武将が大好きです! バイクで日本一周を達成しましたので、今度は100名城登城にチャレンジです。
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  • 歴史 (100%) - 6 / 438人中
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※最新の記事

  • 「小田原後家(督姫)の割り込み先」 その9
    『円満に収まった池田家』富子の側の忠継の後を継いだのは、淡路に6万余石を与えられた忠雄で、忠継の遺領38万石のうち、播州分の10万石を弟の輝澄、正綱、輝興に分与10月20日 01時00分
  • 「小田原後家(督姫)の割り込み先」 その8
    『池田家ではなく督姫系譜』その後の先妻・糸子の池田利隆家と富子(督姫)の池田忠継家がどうなったのか触れてみたいと思います。まず、池田利隆家では、利隆もまた義母や10月19日 06時00分
  • 「小田原後家(督姫)の割り込み先」 その7
    pigletとお別れしていましたので、督姫の記事がお休みになっていました。通常ブログに戻りたいと思いますので、よろしくお願いします。『富子の計略』糸子も池田輝政に遅れ10月18日 06時00分
  • pigletを偲んで その10
    『お別れです』pigletとのお別れを偲んで、お付き合いしていただきましたが、pigletとお別れの時がきました。pigletの最後の誕生日祝いになってしまいました。(2017.10月16日 06時00分
  • 『女城主・井伊直虎』 その39
    『長篠の戦い』虎松(万千代)が家康の御眼鏡にかなって浜松城に上がり、小姓となった3ヶ月後、家康は信長に援軍を頼み、長篠城に出陣した。家康が武田から奪回した長篠城10月15日 06時00分
  • pigletを偲んで その9
    『いざ、関ケ原へ』ずっと行きたかった九十九里浜の初日の出、千葉に引っ越しましたので行ってきました。(2016.1.1))家に帰ってからは、pigletとsakuraのがっち10月13日 06時00分
  • pigletを偲んで その8
    『PETER RABBIT』美味しそうでしょう! piglet恵方巻 (20150201)無防備で爆睡昼寝です。(2015.2.15)Piglet 6歳の誕生祝い (2015.3.1)10月11日 06時00分
  • pigletを偲んで その7
    『』さくら咲く時期から、代官山ラビランははじまります。(2014.4.6)キミは、うさぎですか。飛行機を見に成田空港にやってきました。(2014.4.14)pigl10月09日 06時00分
  • pigletを偲んで その6
    『はじめてのラビラン』piglrtは家族を代表して自分たちの食料は自分で調達していました。おやつの選定が大事です。うさぎクンにもあいさつです。sakuraは、ここで見つけ出10月07日 12時07分
  • pigletを偲んで その5
    『外出大好きなpiglet』中秋の名月で、piglet一家が跳ね回っていないか見上げてましたけど、残念ながら関東地方は雲がかかっていました。昨夜は満月でなく、10月6日(金10月05日 06時00分
  • pigletを偲んで その4
    『piglet城廻り開始』2011年を迎えpigletも3歳となり、本格的な旅うさぎと活動を開始しました。あけましておめでとうございます。(2011.1.1)昨秋の横浜うさ10月03日 06時00分
  • pigletを偲んで その3
    『外出が多くなり始めた2010年』旅うさぎの頭角が出始めた2010年、piglet2歳です。うさーずたちのペレットを買いに行くときは、いつも同行しおやつを吟味します。10月02日 06時00分
  • pigletを偲んで その2
    『写真が少ない2009年』2009年はビデオでの記録が多かったので、画像が殆ど残っておりません。子供たちを連れて赤塚公園へ(2009年2月15日)1号も美人さん10月01日 06時00分
  • 生後21日でやってきました
    『sa-ko嬢のお婿さん』pigletはsa-ko嬢のお婿さんとして、生後3週間で浜松のブリーダーさんからやってきました。ボクの戸籍謄本で、ネザーランドアーフと表記されています09月30日 06時00分
  • pigletがお月さんに帰ってしまいました
    『可愛がって戴きありがとうございました』当ブログの管理人pigletが27日早朝に逝ってしまいました。今年5月に妻のsa-ko嬢に先立たれ、ずっと元気がなかったので心配し09月28日 06時00分
  • 「小田原後家(督姫)の割り込み先」 その6
    『相続問題』池田輝政は慶長18年に50歳で没する。輝政も晩年には富子(督姫)への遠慮もかなぐり捨てたようで、数人の女に手をつけ、女、女、男、男とさらに4人の子を09月26日 06時00分
  • 「小田原後家(督姫)の割り込み先」 その5
    『富子(督姫)のねだり』家康は思案に思案をかさね、思い切って富子の子・忠継に備前に28万石を与えた。関ケ原の戦いの3年後の慶長8年(1603年)のことで、とはい09月25日 06時00分
  • 『女城主・井伊直虎』 その38
    『龍潭寺炎上』鈴木重好主従を追って来た、武田氏の山県昌景勢と井平城を出てここを決戦の場としてみた井平方が、仏坂でぶつかる。両者は激しい戦闘になったが、兵力に勝る09月24日 06時00分
  • 「水曜どうでしょう」DODESYO CARAVAN2017 千葉
    『「水曜どうでしょう」DODESYO CARAVAN2017 千葉』昨日、「水曜どうでしょう」DODESYO CARAVANに参加してきました。これまで、東北・北関東だけのDODESYO CARAVANで09月23日 06時00分
  • 「小田原後家(督姫)の割り込み先」 その4
    『姫路城主』関ケ原の戦いは家康側(東軍)が圧勝して終わった。論功行賞が行われ、15万2千石の三州吉田の城主だった池田輝政は、なんと播州一国52万石が与えられ、姫09月22日 06時00分
  • 「水曜どうでしょう」DODESYO CARAVAN2017
    『集え! 藩士』千葉会場は、9月22日(金)会場:サンライズ九十九里 (千葉県山武郡九十九真亀4908)時間:11:00〜16:00HP:「こちら」です。千葉会場09月20日 10時13分
  • 「小田原後家(督姫)の割り込み先」 その3
    『輝政の妻は実家へ』池田輝政は家康の提案を受け入れると、心も妻の糸子から離れる。ある日、輝政は糸子に持ちかけた。「別れてくれぬか」糸子には驚天動地の申し入れです09月19日 06時00分
  • 「小田原後家(督姫)の割り込み先」 その2
    『正妻を捨て督姫を』富子は永禄8年生まれで、天正18年でまだ26歳。女としては熟れごろ、このまま後家にしておくのは哀れ。こう思っていた家康は、思案に思案を重ねて09月18日 06時00分
  • 『女城主・井伊直虎』 その37
    『信玄の南下』信玄は信長と同盟する徳川家康を目前の敵とした。その家康VS信玄の三方ヶ原の戦いの2ヵ月前の元亀3年10月22日、井伊家の分家である井平氏の支配地、09月17日 06時00分
  • 「小田原後家(督姫)の割り込み先」 その1
    『狙われた池田輝政』小牧・長久手の戦いは、織田信雄が中途半端に秀吉と和解したため、徳川家康は信雄に頼まれて秀吉と争っているだけで、戦いを続ける理由がなくなったと09月16日 06時00分
  • ユソン さん
    『清楚さが人気のユソンさん』ご覧になっていますか。 韓国ドラマの「馬医」やがて最終回を迎えようとしていますが、女医長のチャン・インジュを演じられているユソンさん09月14日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その39
    『鹿の子の振袖で』俗謡にこんな歌があります。吉田通れば二階から招く しかも鹿の子の振袖で千姫(1597−1666年)「しかも鹿の子の振袖で」というのは、姥桜のく09月12日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その38
    『千姫の幸と不幸』千姫が姫路に住むようになってから5ヵ月が経った元和4年2月1日、千姫(この時、22歳)は女子を生んだ。名は曽祖父・忠勝から一字をとって「勝」と09月11日 06時00分
  • 『女城主・井伊直虎』 その36
    『虎松を保護』虎松の母と松下清景(源太郎)はお互いに連れ合いを亡くしての再婚で、清景には一人娘がいた。いつ再婚したのかは定かでないが、清景は伊那谷から帰国した直09月10日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その37
    『千姫、姫路へ』三州吉田で15万2千石をとるに過ぎなかった池田輝政は妻・糸子を離縁し、小田原後家といわれた家康の娘・富子を後妻に迎え、富子の威光と後押しとねだり09月09日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その36
    『千姫騒動の直盛は犬死』奉書が届いて、家老・坂崎勘兵衛らは坂崎直盛(出羽守)に自裁を勧めた。出羽守はきかない。勘兵衛らは隙を見て、直盛の首を掻き切り、公儀に差し09月08日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その35
    『本多正純の正論』出羽守(坂崎直盛)に自裁するように勧める奉書を家老に送り、出羽守が聞き入れなければ出羽守の首を討って差し出せと命じことに、本多正純が反発して聞09月07日 11時08分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その34
    『老中の評議』本多正純、酒井忠世、土井利勝、安藤重信、酒井忠利ら老中(年寄衆)は集まって対応を評議し、その席に秀忠も顔を出して言った。「出羽守(直盛)が恨みに思09月06日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その33
    『狂い始めた直盛』殿(津和野城主・坂崎直盛)はそれでも意地を果たしたということにもなるかもしれない。おれらはどうなる?世は平和となり、分捕り合戦はもう二度とやっ09月05日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その32
    『津和野城主・坂崎直盛』江戸時代の初期、江戸のどこに誰が住んでいたのかの確認は難しいといわれるが、津和野城主・坂崎直盛の屋敷は神田の柳原にあり、周囲は大名や旗本09月04日 06時00分
  • 『女城主・井伊直虎』 その35
    『堀川城の戦い』当時、奥浜名湖地方の土豪、地侍、農民のすべてが家康を歓迎していたわけではなかった。家康の遠江侵攻を喜ばないものも少なくなかったのです。獄門畷碑家09月03日 06時00分
  • 「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その31
    『千姫は本多家へ入輿』あらためて「ちよぼ」に手紙を送って確かめると、千姫は忠刻なら嫁いでいいという。そこで急遽、桑名から忠刻と母・熊姫を駿府に呼び寄せた。本多忠09月02日 06時00分