日本百名城の旅

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日本百名城の旅
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日本の城郭と戦国武将が大好きです! バイクで日本一周を達成しましたので、今度は100名城登城にチャレンジです。
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  • 歴史 (100%) - 6 / 420人中
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※最新の記事

  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その24
    『信長の戦勝』信長は逃げる敵を追わず、ただちに軍勢を大沢村近くの間米山に結集し、義元の首実験をすませ、午後4時ころ、その首を馬の先に掲げ、意気揚々と引き揚げた。02月25日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その23
    『貴族大名・今川義元の最後』大雨が少しおさまりかけたとき、信長は「かかれ!目指すは今川義元ひとりであるぞよ。他の首は捨てておけ」と、叫び、2千の軍勢に突撃の命令02月24日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その22
    『情報網』信長にしても、梁田広正の忍者情報がなければ、義元が方向転換したことを知るよしもなく、そのまま相原の方向へ進んで行ったなら、完全に肩透かしを食わされ、織02月23日 06時00分
  • 新しい家族
    『トイプーがやって来ました!』新しい家族として、赤毛のトイ・プードルがやって来ました。簡単に彼を紹介します。生年月日:2017年11月15日セックス:♂出身地:02月21日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その21
    『義元の運のつき』『桶狭間合戦記』によると、「桶狭間の山の中間、田楽狭間」と記されているから、田楽狭間の戦いを、桶狭間の戦いといったらしい。桶狭間の戦い進軍図*02月20日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その20
    『田楽狭間』織田勢は相原付近を前進すると、そのとき新たな情報を得た。梁田広正が沓掛方面に遣わしていた忍びの者の報告によれば、今川義元の旗本は、なぜか桶狭間の方へ02月19日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その19
    『鷲津・丸根砦の陥落』信長の軍勢が熱田神宮を南に進むと、はるかに、鷲津・丸根の方向に黒煙が立ち上るのが見えた。不吉な予感が信長の脳裡をかすめた。鷲津砦跡海沿いに02月18日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その18
    『敦盛』信長が夜半を過ぎた頃、ガバッと起き上がった。信長はすばやく鎧具足を身につけ、宿直の者に出陣を命じ、立ったまま湯漬をかきこみ、床机に腰掛け、小鼓をとりよせ02月17日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その17
    『信長の戦略』今川の布陣を見渡せば、確かに堂々とした大軍です。遭遇戦になれば、織田勢の潰滅は免れない。沓掛城址しかし、主力大軍の態勢は大高城を中心にして、鳴海城02月16日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その16
    『信長は若干の自信があった?』今川は駿・遠・三にまたがる大国です。信長の方から先制攻撃をしかけるわけにもいかない。そんなことをすれば、かえって敵中に深入りする危02月15日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その15
    『籠城策を聞かぬ信長』血気にはやった青年武将が、歴戦の古老の忠言を容れずに失敗するのは、よくあることですが信長も断固としてきかなかった。譜代の老臣をはじめ、多く02月14日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その14
    『作戦会議』今川義元の本隊がすでに沓掛まで侵入し、明日には丸根・鷲津の砦を攻撃するらしいという情報が、信長の居城清洲に伝えられたのは、5月18日の夜のことだった02月13日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その13
    『義元の進軍』百姓が田植えに忙しくなる頃、駿府の城下では軍馬の往来が俄かに激しくなった。西上の準備を完了した今川義元が、いよいよ制覇の旗を京都に打ち立てんとして02月12日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その12
    『貧乏クジを引かされる元康』実際、元康が率いる松平軍には、いつも貧乏クジがまわってきていた。困難な分の悪い役は、必ずやらされたのです。それもただ働き同然であった02月10日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その11
    『松平元康』義元は織田領の侵攻を開始した。今川軍の先鋒には、いつも白地に群青の三葉葵の紋を染めぬいた三河の松平軍の旗がみえた。大高城かつての竹千代は、今や17、02月09日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その10
    『信長を甘く見ていた義元』今川義元が尾張に侵入し始めた頃、織田氏は信康の死後、非凡の成年武将・上総介信長が後を継ぎ、不平分子や同族の離反を巧みに押さえ、数年の間02月08日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その9
    『戦国大名の夢』上洛を狙うのは、今川義元だけではなく、実はこの時、上洛の行動を起こすのに、一番恵まれていたのが、今川だったということです。実力のある戦国大名なら02月07日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その8
    『婚姻政略』天文21年(1552年)10月、今川義元は後顧の憂いをなくするために、甲斐の武田信玄の長男・義信に、娘を嫁がせた。元来、義元の妻は武田信虎(信玄の父02月06日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その7
    『竹千代と安祥城の交換』織田信秀と松平広忠が死んで、義元には尾張も三河も赤子の手をひねるよりも容易に征服できるように思えた。そこで直ちに三河一国を支配下に入れて02月05日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その6
    『尾張の抵抗』今川義元の夢を実現させるきっかけとなったのが、織田信秀(信長の父)と松平広忠(家康の父)の死であった。信秀は、天正18年(1549年)3月3日に、02月04日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その5
    『足利一門の実力者は我なり』そもそも今川家の領地は、駿河・遠江・三河の3ヵ国、それに尾張の一部をあわせて百万石にものぼり、駿府の城はあたかも室町御所をそのまま移02月03日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その3
    『東海の戦国武将の雄』今川氏は、もともと足利氏の一族で南北朝時代から駿河、遠江の守護職を世襲した名門であり、すでに義元の父・氏親の頃から戦国大名として頭角をあら02月02日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その4
    『織田信秀』三河の岡崎を根城とする松平氏は、早くから今川の属国も同様となっていたから、東海地方の勢力争いは、やはり今川氏とその領土を接し、義元上洛の際に第一の障01月31日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その2
    『京に旗を』各地で、血で血を洗う戦いが繰り広げられる中にも、青雲の志をいだき天下をわが物に狙う群雄が数々いた。上杉謙信(1530−1578年)(春日山城登場記は01月30日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「桶狭間の戦い」 その1
    『下克上の時代』一世の風雲児といわれる織田信長が、2千ばかりの小勢で2万5千にものぼる今川義元の大軍を桶狭間に迎え、その本陣を急襲し、義元の首を落としたのは1501月29日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「戦国乱世」 その14
    『桶狭間の戦い』今川義元は、北条・武田両氏から西上の隙を突かれるのを恐れ、この対策に手を打った。そして1569年(永禄3年)に駿遠両国の兵を主力として2万5千の01月28日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「戦国乱世」 その13
    『今川義元の上洛』将軍家は、細川家らの傀儡(かいらい)となったのにはじまり、細川・三好・六角および大内の諸氏がその勢力消長のままにその擁立をくり返したが、天文末01月27日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「戦国乱世」 その12
    『新興大名の発展』有力大名らはいぜん本国を着実に固め、そのうえでその勢力を縄張りの中にある領国にまで及ぼそうとした。しかし、この有力新興大名の発展を見て、旧大名01月26日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「戦国乱世」 その11
    『群雄割拠』天文末年頃から、隣国の吸収を進めて境を接した有力大名の争いが起こった。歴史を飾る戦国武将の決戦がここに始まるわけですが、群雄割拠というのもこれからの01月25日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「戦国乱世」 その10
    『戦国大名の体力』撫民政策も富国強兵の増強に役立てるものにほかならないし、平和も、戦勝でもたらされるというものだった。国内で威令を高めるためには外へも威を輝かす01月24日 00時06分
  • 戦国時代の合戦「戦国乱世」 その9
    『富国強兵』天下静謐のため公家や武家の活動が活発になってきた。尾張の国衆のひとりである織田信秀が1542年に皇室築地塀修理料を献金したことなど、これに促されたも01月23日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「戦国乱世」 その8
    『平和楽土』戦国大名の成立は戦国乱世の第一期から第二期への進展だった。全国いちようではないが、天文年間(1532−1555年)にその訪れがあった。20数年におよ01月21日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「戦国乱世」 その7
    『郷土愛』国衆が成立しても、いわば乱立ですから、守護代らがむしろ躍進し、応仁の乱で無疵だった大名らが発展してきた。この大名らは実力をつけてきた国衆を家臣とし、あ01月20日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「戦国乱世」 その5
    『匹夫の狙いは国衆』国衆は厳密にいえば小名ですが、大名といえる実力を持ったものもいる。尾張の織田氏にしても、摂津でその下郡を三分した池田・伊丹・河原林の三氏など01月19日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「戦国乱世」 その4
    『国衆の進化』戦国乱世の第一期は大小大名になりつつあった国衆らの一国制覇の争いであり、第二期は一国制覇の大名らの地方の制覇の争い、第三期は地方制覇の大名らの天下01月18日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「戦国乱世」 その3
    『戦国乱世のはじまり』加賀では富樫氏の総領争いに漁夫の利を占めた一向一揆が、1488年、守護・富樫正親を倒して宗教王国の体制を布き始めた。蓮如上人正親に起用され01月17日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「戦国乱世」 その2
    『関東での台頭』関東においては、1438年の永亨の乱で関東公方が滅んだあと、結城合戦で捕らえられ京都に拉致された持氏の遺児の成氏が許されたが、関東管領・上杉氏と01月16日 06時00分
  • 戦国時代の合戦「戦国乱世」 その1
    2017年は「おんな城主・直虎」にちなみ、戦国時代を生きた女性にスポットをあててみましたが、女性に関する資料が少なく、女性にスポットをあてるというより彼女らの01月15日 06時00分
  • 鉄甲船で毛利水軍を打ち破った忍者大名「滝川一益」
    『本能寺の変』を境に運命が急変滝川一益の出目については諸説がありますが、近江国甲賀の土豪・滝川資清の次男として生まれたのというのが通説のようです。一益は当初六角01月14日 06時00分
  • 家康の過酷な命を受けた千世姫 その33「最終回」
    『千世と忠隆の別れ』2人は祖父母の居候となり、肩身の狭い思いをして暮らし始めた。やがて男の子が生まれた。だが、哀れにもその子は5歳で亡くなった。それがきっかけで01月13日 06時00分
  • 家康の過酷な命を受けた千世姫 その32
    『安住の地がない二人』兄・前田利勝(利長)にとっても、家康の世の今となっては、縁者振りを断たされている細川家の廃嫡された嫡男と、たとえ妹ではあれその妻に来られる01月12日 06時00分
  • 家康の過酷な命を受けた千世姫 その31
    『見捨てられた忠隆』細川忠興は大坂に入って家康に面会した。忠興の妻が自害して、諸将を奮い立たせかつ安堵させた。さらには父・幽斎が弱兵500で田辺に50日も籠城し01月11日 06時00分
  • 家康の過酷な命を受けた千世姫 その30
    『夫・忠隆との再会』千世は旅慣れていないうえに、山また山を分け入らなければならない。足の豆を何度も潰し、棒のようになった足を引きずりながら、ようやく河守の城につ01月10日 06時00分
  • 家康の過酷な命を受けた千世姫 その29
    『千世も窮地』お光こと光千代は、秀忠に従って宇都宮までやってきた。誰が見てもわかるように、光千代は秀忠に気に入られていた。これからの天下を握った徳川家との関係を01月08日 06時00分
  • 家康の過酷な命を受けた千世姫 その28
    おんな城主・直虎の拡大版「井伊直政」を勉強していましたので、千代姫がおきざりになっていましたので、先に進めたいと思います。『忠隆の窮地』福知山城は要害堅固な山城01月07日 06時00分
  • スマートいじり その8
    『smartクンは手がかかる』smartクンがわが家へやって来て半年、車本体は元気に走ってくれていますが、部品の供給はすべて輸入になりますので、パーツの交換に時間がかかり01月05日 06時00分
  • 正月には富士山を
    『富士山じゃなくて夕日』正月にはおめでたい富士山を撮ろうと、いつもの夕日写真スポット「袖ケ浦海浜公園」へ途中、富士山方向には雲がかかっているのが確認できましたが01月03日 06時00分
  • 新年のご挨拶 2018
    『2018 新年のご挨拶』みなさん、あけましておめでとうございます。新しい年が明けましたね。ボクやワタシたち全員、それとウサギ全羽にそれぞれの夢があります。夢を01月01日 06時00分