坐禅と暮らし

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坐禅と暮らし
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西嶋先生(愚道和夫老師)の「正法眼蔵現代語訳」を紹介しています。道元禅師は只管打坐と繰り返し述べています。これを機会に自宅で密やかに坐禅を始めてみませんか。
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  • 仏教 (100%) - 3 / 67人中
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※最新の記事

  • 正法眼蔵 仏向上事 11
    洞山悟本大師と僧との問答について道元禅師が注釈されます。真実を得られた後も、さらに真実を求めて一生懸命に生きておられた方々は沢山いたけれども、洞山悟本大師こそは真実を得られた方々の中でもさらに優れた境地に達した人である。なぜそのように言うか…05月30日 17時09分
  • 正法眼蔵 仏向上事 10
    大先輩である洞山悟本大師が説示されて言う。我々は仏向上人(真実を得た後も、なお真実を求めて一所懸命生きていく人)があるという事を知らなければならない。そこで僧問うその仏向上人とは、一体どういう人を言うのでしょうか。洞山悟本大師言う。それは真…05月29日 17時11分
  • 正法眼蔵 仏向上事 9
    洞山悟本大師と僧の問答について道元禅師の注釈は続きます。洞山悟本大師が「わしの場合でも、しゃべらない時点が来た時に、初めて人の言葉が耳に入って来る」と言われている言葉の状況にこそ、まさに多少は話相手になるという力量がふくまれている。この様に…05月28日 17時06分
  • 正法眼蔵 仏向上事 8
    洞山悟本大師と僧の問答について道元禅師の注釈は続きます。そしてまた、人の言葉が耳に入る時は、日常会話から全くはずれて第三者的な立場にいるんだと言うふうな頭の中だけの捉え方でもない 。なぜかというと、人の話を聞いている時には一所懸命聞いている…05月27日 17時34分
  • 正法眼蔵 仏向上事 7
    洞山悟本大師と僧の問答について道元禅師の注釈は続きます。さらに僧侶が「和尚の様にすでに真実と一体になった方にとっては、話をしながら人の話も聞けると言う事があるんでしょうか」と質問したけれども、ここに言っている意味は和尚を問題の対象として「和…05月26日 17時18分
  • 正法眼蔵 仏向上事 6
    洞山悟本大師と僧の問答について道元禅師の注釈は続きます。この様な具体的な、舌や耳や眼や体や心とかいうものを素材にして我々の日常生活が行われているのであるから、人が話をしている時には、相手の話が耳に入らないと言うごく普通の日常会話があり得るの…05月25日 17時18分
  • 正法眼蔵 仏向上事 5
    洞山悟本大師と僧の問答について道元禅師の注釈は続きます。銘記せよ。日常生活における普通の会話を考えてみるならば、聞くとか聞かないと言う言葉にこだわる必要は少しもない。ごく自然に話をし、ごく自然に人の話を聞くという状態であって、聞くとか聞かな…05月24日 17時53分
  • 正法眼蔵 仏向上事 4
    洞山悟本大師と僧の問答について道元禅師の注釈は続きます。「仏向上事」というのは、誰が見てもわかるようなものではないし、何もかも押し隠してしまって誰にも見せないというものでもない。人に常にありありと見せているものではないし、人の持っているもの…05月23日 18時16分
  • 正法眼蔵 仏向上事 3
    洞山悟本大師と僧の問答について道元禅師が注釈されます。今ここでいうところの「仏向上事」に関する言葉は、洞山悟本大師が初めて言われたところである。そして、洞山悟本大師以外の真実を得られた方々はいずれも、洞山悟本大師の言葉を学ぶ事によって、真実…05月22日 17時07分
  • 正法眼蔵 仏向上事 2
    「仏向上事」の巻、本文に入ります。中国の筠州という地方におられた高祖洞山悟本大師(洞山良价禅師)は、潭州という地方におられた雲厳曇晟禅師の直接の正当な後継者である。釈尊以来三十八代の祖師方がいずれも真実を体得してその事をひけらかす事なく日常…05月21日 17時05分
  • 正法眼蔵 仏向上事 1
    「仏向上事」の巻、本文に入る前に西嶋先生の話です。「仏向上ノ事」というのはどういうことかというと、真実というものをつかまえた後も、やはり坐禅はしていかなければならんという事を言っておられるというふうにも理解することができます。よく仏教の中で…05月20日 17時14分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 50
    道元禅師がつくった「坐禅箴」は続きます。坐禅によってそこに現れてくるものは、きわめて自然な体験である。作為的にこうしよう、ああしようということで生まれてくるものではなくて、何の意図を持たなくても、ただ足を組み、手を組み、背骨を伸ばせばすぐに…05月19日 17時32分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 49
    自分(道元禅師)がつくった「坐禅箴」は次なようなものである。坐禅に関する戒めとして、仏教界において真実を得られた過去の先輩方や指導者の方々が大切にされていたところのものは、頭の中で考えない状態の中に姿を現わしており、何の複雑さと言うものもな…05月18日 18時39分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 48
    宏智正覚禅師が書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。人の価値を見抜くだけの眼力がある場合には、どの人が真実を得ているか承知する事が可能なはずである。宏智正覚禅師の優れた素質や優れた力と言うものを十分に承知しておられた天童如浄禅…05月17日 17時20分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 47
    宏智正覚禅師が書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。宏智正覚禅師のつくられた坐禅に対する戒めと言うものは以上の通りである。過去における様々な時代の長老の中で、宏智正覚禅師の様に坐禅というものの中身を的確に捉えておられる「坐禅箴…05月16日 17時14分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 46
    宏智正覚禅師が書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。鳥がこの空というものを飛ぶならば、空を飛ぶという事だけがある。しかも空を飛ぶということは、こういうものだと言葉では説明がつかない。鳥が空を飛ぶという事は宇宙そのものである。宇…05月15日 17時22分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 45
    宏智正覚禅師が書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。また坐禅の境地を譬えて言うならば、空が広くてこれという限界がないような状態であり、遠い空を悠々と鳥が飛んでいるような状態である。この場合の「空が広い」というのは、我々が住んで…05月14日 17時22分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 44
    宏智正覚禅師が書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。坐禅の中身は、結局その岸の上に立って測量する足場になる様な岸というものがあるわけではない。またそういう無限の世界というものが中に浮かんでいるような空間というものもない。そうい…05月13日 17時15分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 43
    宏智正覚禅師が書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。たとえば、川の底の砂や小石がすっかり見えるほど水が澄んでいる小川で魚が悠々と泳いでいる、そういう状態が坐禅の中身である。坐禅の形容としての水がきれいだという事の意味は、この世…05月12日 17時10分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 42
    宏智正覚禅師の書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。何らかの言葉の中に規則を見つけ出して、それに従って一所懸命行動してはならない、これらの形容は坐禅における自分自身で自分を照らしている坐禅の境地を言っているのである。坐禅の中身…05月11日 17時19分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 41
    宏智正覚禅師が書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。坐禅をして自分自身を照らしていたというその状態というものは、ああしたい、こうしたいと言う特別の作為はなかったけれども、それがきわめて素晴らしいものである。何か中身があって「ア…05月10日 17時33分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 40
    宏智正覚禅師の書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。坐禅という形を整えて仏という形を保つならば、すでに分別を経験し尽くした具体的な仏と言うものが坐禅の形でいまここに坐っている。分別の考えがないと言う事は、一切の智慧が具わってい…05月09日 17時30分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 39
    宏智正覚禅師が書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。我々がものを考えるという事と何かがわかるという事とは一つのものになっていて、人に教えられたからわかると言うものではなしに、考えるという事もわかるという事も乗り越えたところに、…05月08日 17時54分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 38
    宏智正覚禅師が書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。坐禅によって何かが分かると言う状態というものは、非常に微妙なものである。その内容というものを考えてみるならば、いまだかつてほんの僅かと言えども、物事を差別してこちらがいい、あ…05月07日 17時32分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 37
    宏智正覚禅師の書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。特別の環境に限定される事なく一切を照らすと言う場合の照らすとは、理屈の上で理解出来たと言う場合にはっきりとしたと言う事が照らすと言う事の意味ではない。また理屈ではなしに神秘的…05月06日 17時22分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 36
    宏智正覚禅師の書かれた「坐禅箴」について道元禅師の注釈は続きます。宏智正覚禅師が「様々の事柄に積極的に触れることなしに一切を知る」と言われているけれども、ここで言われている知るとは、頭で考えてわかったと言う意味での知るとは内容が違う。頭で考…05月05日 17時27分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 35
    代々の祖師方のかなめ。それは趙州禅師の弟子の鉄觜覚が法眼文益禅師に対して答えた「亡くなった趙州禅師は抽象的な言葉で坐禅について説明された事はありません」と言う一語に尽きている。祖師方が大切にして来たものは、抽象的な言葉で説明できるものではな…05月04日 17時25分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 34
    宏智正覚禅師の書かれた「坐禅箴」について道元禅師が注釈されます。この「坐禅箴」の中に書かれた坐禅に関する戒めの要点は、坐禅こそは偉大な機能が現に目の前にすでに現れている状態であり、それは耳で聞こえるとか目で見えるとかと言う感覚的に捉えられる…05月03日 17時50分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 33
    敕諡宏智正覚禅師の書かれた「坐禅箴」は続きます。何となくわかってくると言う事ははなはだ微妙であって、頭の中で考えて色々と区別すると言うものの考え方ではない。その様な考え方は入り込む余地がない。また体全体で、何となく周囲が明るくなってくると言…05月02日 18時36分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 32
    敕諡宏智正覚禅師の書かれた「坐禅箴」は次に述べるものである。仏教界の諸先輩が大切にされていたものが坐禅の中にある。それを説明してみよう。坐禅をしている時は様々の事柄に積極的に触れてはいないけれども、言葉では表現できない様な状態で何となく自分…05月01日 17時24分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 31
    それらの人々が書物に書き残したところを検討してみると、ただ本源に帰還することだと考えているようである。ただ単に思慮を停止したり、静寂に思いを凝らしたりという努力であって、天台宗で言う観想の坐禅、練磨の坐禅、薫育の坐禅、実習の坐禅というような…04月30日 17時24分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 30
    それぞれの寺院においては、本来、坐禅をする時間と言うものが定められている。そして住職以下たくさんの僧侶たちは、いずれも坐禅をする事を自分たちの本来の勤めとしている。また仏道を学びたいと言う人が来ると、坐禅を勧めて坐禅をする様にと忠告を与えて…04月29日 17時05分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 29
    釈尊の光に輝かされるという事は、この坐禅というものに努力し、この坐禅というものを勉強したことに他ならないと承知すべきである。愚かな人々は、釈尊の輝きというものは太陽や月の光と同じようなものであろうかとか、宝玉の光と同じようなものであろうとか…04月28日 15時05分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 28
    インドにおいても中国においても、釈尊の教えが伝わるという事は、例外なしに坐禅という形で真実を得た人が伝承していくことに他ならない。なぜならば、釈尊の教えにおいて最も大切な中心というものは坐禅の境地というものである。仮に釈尊の教えの伝えられな…04月27日 17時18分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 27
    道元禅師の注釈は続きます。南嶽懐譲禅師の指導していた教団には、この様な工夫があり努力があった。 また薬山惟儼禅師が指導していた教団には前に述べたような言葉が残されている。 銘記せよ。釈尊以来代々の祖師方が、一番大切なものとして代々受け継がれ…04月26日 17時05分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 26
    道元禅師の注釈は続きます。人が普通に坐っている姿というものは、坐った形での仏( 真実を得た人)に外見は似ており、あるいは仏が坐った状態に外見は似ているようではあるけれども、人間が仏になるという意識的な努力をしている場合もあり、すでに仏となっ…04月25日 17時56分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 25
    坐禅に関してまた別の言葉がある。「坐相(坐っているときの姿)に執着するならば、仏道の基本的な原則の全てに通達したことにならない」と。この言葉について道元禅師が注釈されます。坐相に執着するという事は、坐相はどうでもいいという考え方にとらわれて…04月24日 17時11分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 24
    馬祖道一禅師に南嶽懐譲禅師言う。「お前がもしも坐禅をしているならば、そのときの状態というものは、仏の境地を超越した状態である」と。 南嶽懐譲禅師の言葉について道元禅師の注釈です。南嶽懐譲禅師の言葉に従ってさらに坐禅と言うものを勉強していくと…04月23日 17時15分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 23
    また南嶽懐譲禅師言う。「仮に坐禅を実際に勉強した場合には、仏(真実を得た人)というものが、必ずしも固定した姿のものでないという事がわかってくる。南嶽懐譲禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。坐禅というのはどういうものかという事を言おうと…04月22日 17時17分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 22
    坐禅を表現した言葉として南嶽懐譲禅師言う。「坐禅を実際にやってみると、坐禅というもが日常生活の坐ったり寝たりという動作と全く同じものとは言えないという事がわかってくる」と。南嶽懐譲禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。南嶽懐譲禅師がこの…04月21日 17時13分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 21
    そこで南嶽懐譲禅師がさらに示して言う。「お前が坐禅を勉強しているという事は、実は坐った形で仏そのものになっていることだ」と。南嶽懐譲禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。南嶽懐譲禅師が言われた言葉を大いに勉強して、釈尊以来代々の祖師方に…04月20日 17時28分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 20
    南嶽懐譲禅師の「牛車が動かない場合に、車を打った方がよいか、牛を打った方がよいか」という質問に対して、馬祖道一禅師は答える事なく黙っていた。馬祖道一禅師の態度について道元禅師が注釈されます。馬祖道一禅師が返事をしないで黙っていたと言う事情を…04月19日 18時03分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 19
    南嶽懐譲禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。牛を打つ(心の問題として坐禅を考えていく)というやり方が世間一般の考え方としてあるけれども、釈尊の説かれた教えの中において、牛を打つとはどういうことかをさらに学んでみなければならない。それ…04月18日 18時24分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 18
    南嶽懐譲禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。また「牛車が動かない場合に、車を打った方がよいか、牛を打った方がよいか」と言われているところから見ると、車を打つという場合もあり、牛を打つという場合もあるということを勉強しなければならない…04月17日 20時27分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 17
    馬祖道一禅師の「それでは一体どうしたらいいのでしょうか」という問いに対して、南嶽懐譲禅師言う。「人が仮に牛車を走らせている場合に、車がどうしても前に進まなかったならば、車を打った方がよいか、あるいは牛を打った方がよいか」と。南嶽懐譲禅師の言…04月16日 17時17分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 16
    馬祖道一禅師の「敷瓦を磨いて鏡をつくる事ができるのでしょうか」という言葉に対して、南嶽懐譲禅師言う「瓦を磨いて鏡をつくる事ができないならば、坐禅をする事によって仏になるという事ができるかどうか」と。道元禅師の注釈です。この南嶽懐譲禅師の言葉…04月15日 17時06分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 15
    南嶽懐譲禅師が「敷瓦を磨いて鏡をつくろうと思っている」と答えたのに対して、馬祖道一禅師問う「瓦を磨いて鏡をつくる事が出来るのでしょうか」と。道元禅師の注釈です。敷瓦を磨いて一所懸命いいものを作ろうと努力する固い信念を持った人は、自分自身で一…04月14日 17時24分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 14
    南嶽懐譲禅師と馬祖道一禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。古鏡も明鏡も一所懸命に磨く事によっていいものが生まれてくる。どんな素質というものも、磨かなければ曇ってしまうし、どのような素質でも、磨けば光を増し、社会に通用し、社会から高…04月13日 17時11分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 13
    馬祖道一禅師の質問に南嶽懐譲禅師が答えて言う「自分は敷瓦を磨いて鏡をつくろうと思っている」と。南嶽懐譲禅師と馬祖道一禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。この言葉の意味をはっきりと理解しなければならない。南嶽懐譲禅師が「敷瓦を磨いて…04月12日 17時02分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 12
    南嶽懐譲禅師と馬祖道一禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。銘記せよ。我々の日常生活における人生に対する理解と言うものを考えて見るならば、仏教を勉強し、釈尊の教えを聞き、坐禅を勉強すると言うような様々の事があるけれども、そう言う様々…04月11日 19時38分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 11
    馬祖道一禅師が「自分は坐禅をして仏になりたいと思っています」と返事をしたので、とっさに南嶽懐譲禅師は一つの敷瓦を取り上げて石の上に押し当てその敷瓦を磨き始めた。師匠が何をしているのかよくわからないので「師匠、何をしておられるのですか」と馬祖…04月10日 17時15分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 10
    南嶽懐譲禅師と馬祖道一禅師との問答について道元禅師の注釈は続きます。銘記せよ。馬祖道一禅師の言われたところでは、坐禅というものは「必ず仏になりたい」と言う努力でやっているのが実情である。坐禅と言うものは、例外なしに仏になりたいと言う一心で一…04月09日 17時03分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 9
    南嶽懐譲禅師問う:お前は一所懸命坐禅をしている様だが、一体何をねらいにして坐禅をしているのか。馬祖道一禅師言う:仏になろうとして一所懸命努力しています。南嶽懐譲禅師と馬祖道一禅師との問答について道元禅師が注釈されます。馬祖道一禅師が言われた…04月08日 17時21分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 8
    南嶽懐譲禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。そして、彫刻された龍にも、本当の龍にもそれぞれ価値がある。木に彫った龍も本物の龍もそれぞれ雲に乗り、雨を呼ぶところの力というものは持っている。この事は勉強してみなければわからない。自分自身…04月07日 17時38分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 7
    馬祖道一禅師は南嶽懐譲禅師に仏道を学び、一対一で南嶽懐譲禅師から釈尊と同一の心境を伝承して以来、馬祖道一禅師は間断なく常に坐禅の修行を怠らなかった。ある時、馬祖道一禅師のところに行って南嶽懐譲禅師が質問した:お前は一所懸命坐禅をしている様だ…04月06日 21時06分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 6
    薬山惟厳禅師と弟子との問答について道元禅師の注釈は続きます。銘記せよ。釈尊の教えを勉強したいと思うならば、坐禅によって真実を得ると言う事が例外なしに行われるところである。そしてその基本的な考え方は仏になりたい、悟りたいと言う気持ちを持たない…04月05日 17時05分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 5
    薬山惟厳禅師と弟子との問答について道元禅師が注釈されます。また別の主張をする一群の人々がいて次のように言う。坐禅によって真実を究めるという事は、初心者や晩学者にとっては必要なものである。しかし坐禅の修行は必ずしも釈尊以来、誰でもが修行しなけ…04月04日 18時59分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 4
    薬山惟厳禅師と弟子との問答について道元禅師の注釈は続きます。したがって坐禅をしている際の境地というのは、釈尊がものを考えた境地と同じではない。宇宙大の大きさでものを考えるのか、あるいは宇宙の立場でものを考えるのかと言う言葉だけでも表現出来な…04月03日 21時01分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 3
    薬山惟厳禅師と弟子との問答について道元禅師の注釈は続きます。この僧の質問に対して、薬山惟厳禅師は「究極的には考える事ではない」と言われた。坐禅の境地を説明する場合に、この「考える事ではない」と言う言葉を使用する事は薬山禅師の明晰さの現れであ…04月02日 17時19分
  • 正法眼蔵 坐禅箴 2
    薬山惟厳禅師と弟子との問答について道元禅師が解説されます。薬山惟厳禅師の言葉がいま述べたようなことであることを実際に勉強して、それによって坐禅(動かずに坐っていること)の意味を学ぶべきである、それによって坐禅というものを正しく伝承すべきであ…04月01日 16時16分