活かして生きる 〜山里の寺便り〜

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1711323
サイト名称
活かして生きる 〜山里の寺便り〜
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http://blog.goo.ne.jp/cotou
紹介文
娑婆世界を生きる智慧~おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと
カテゴリ
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※最新の記事

  • 父母未生以前について2
    「無始」(無の始、始めのない始め)ということが仏教ではよく使われます。 自分は何処から来たのか「本当に元(本)があるのか」ということを 参究してみる必要があるわけです。 ? 本当に何も無いという「無いもの」が残りやすいのです。 よく「無い」…01月22日 00時00分
  • 父母未生以前について1
    私たち衆生は今、本来の自分とか元に帰るということをよくいいますが、 果たして「自分の元(本)」というのは何かということを考えてみる 必要があるのではないでしょうか。 ? 禅語に、「父母未生以前(ふぼ みしょう いぜん)」というお示しがありま…01月21日 00時00分
  • 衆生(しゅじょう)について5
    そこに問題があるのです。 だから、手が付けられなかったのです。 ? それをおシャカ様が始めて本当に手を付けて「解明」されたのです。 ? そういう「本来一つのものであるのにそれに私(わたくし)が起き、 そしてこの自分の本質に任せないから「衆生…01月20日 00時00分
  • 衆生(しゅじょう)について4
    「衆生」というのも、今のように分からないものが分からないなりに 生まれて来たというのがすべてなのです。 ? それでそれが大きく成ったのです。 ですから、内容としては「仏」と同じものなのです。 ? 内容としては同じものなのですが、「物心が付い…01月19日 00時00分
  • 衆生(しゅじょう)について3
    「心仏及衆生是三無差別(しんぶつぎゅうしゅじょう? ぜさん むしゃべつ)」 というお言葉があります。 ? 心も仏も衆生も一つなのです。 ? 「心」といわれるものは、私たちが何もその発生すら知(識)らないほど 分からない作用を起こします。 ?…01月18日 00時00分
  • 衆生(しゅじょう)について2
    有名なお言葉を紹介します。 ”衆生本来仏なり” ? 私たち衆生は本来、「仏そのもの」であり、それは「今の自分自身である」 ということです。 ? ですから、もっと大きく「活かして生きなさい」と言っているのです。 ? おシャカ様の教えの中で言う…01月17日 00時00分
  • 衆生(しゅじょう)について1
    衆生(しゅじょう)とは仏教語で、広辞苑に拠れば、 「いのちあるもの、生きとし生けるもの、一切の生物、一切の人類や動物、 六道を輪廻する存在、有情(うじょう)」と記されています。 ? 私たちは元々一つの種が有(在)って、それから生まれて来たも…01月16日 00時00分
  • 「自然(しぜん・じねん)」について2
    あたかも自分の名付けたものに因って自分が混乱をさせられているように 思うことがありますが、それは全くの間違いです。 ? その問題を生じさせているのは「自分自身」なのです。 ? 「おシャカ様の教え(無我の教え)」の「自然(じねん)」と 「六道…01月15日 00時00分
  • 「自然(しぜん・じねん)」について1
    人が生じる以前に森羅万象は既に在りました。 人が生じることに因って、その森羅万象を「認識の対象」としたのです。 ? そして人が認めることに因って、森羅万象の様子を「自然(しぜん)」と 名付けたのです。 ? 「山川草木それ自体」は、しぜん(し…01月14日 00時00分
  • 諦めると明らめる3
    「自己の正体を見極める」とは「自己の正体を諦める」ことに他なりません。 これをおシャカ様のお示しでは「一大事因縁」といいます。 ? 「大事」とは広辞苑に拠れば「大事?」で、一大事の略、「出家して悟りを開くこと」 と、はっきり記載されています…01月13日 00時00分
  • 諦めると明らめる2
    「明らめる」の語源は、四聖諦の最初の「苦しみの原因を明らかにする」 に由来するものです。 ? その原因は、「無明(むみょう)」即ち「人間(にんげん)が真理を 知(識)らないこと」と説かれたのです。 ? この頃つくづく思うことは、「諦める」と…01月12日 00時00分
  • 諦めると明らめる1
    広辞苑には ?諦める(「明らめる」?の意から)思い切る、仕方がないと 断念したり、悪い状態を受け入れたりする ? ?明らめる ?明るくさせる ?事情などをはっきりさせる と、記載されています。 ? 「諦める」の語源は今から約二千五百年以上前…01月11日 00時00分
  • 人間(にんげん)と人間(じんかん)3
    私たち衆生は「六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)の働き」そのものが有(在)る ということだけなのです。 ? 「六根の働き」は此の物の機能ではありません。 動植物と同じように、働きそのものの状態だけが有(在)るということです。 ? ですから、私た…01月10日 00時00分
  • 人間(にんげん)と人間(じんかん)2
    私たちは元元、一つの種が有(在)ってそこから生まれて来たものでは ありません。 ものの実体というのは、色々なものが縁に因って集まって出来たもの ですから元元有(在)るはずがないのです。 ? 私たちの実体は「此の物」というのが、一番適切な表現…01月09日 00時00分
  • 人間(にんげん)と人間(じんかん)1
    広辞苑に拠ると「人間(にんげん)」の項で、?「人の住む所、世の中、世間じんかん」 と記載されています。 ? 又、新字源には「人間」?じんかん「人の世、世間」と記載されており、更に 「漢文では原則として人の意と区別して(じんかん)と読む」と記…01月08日 00時00分
  • 人権2
    仏教の精神である「十界、六道輪廻」の理(ことわり)がわからないと、 本当の意味での平等とか差別(しゃべつ)とか人権ということはわかりません。 ? 人の為に何か善いことをしなければならないような気持ちを起こしている人を 「菩薩」と呼び、どんな…01月07日 00時00分
  • 人権1
    「人権」という問題が大きく叫ばれております。 「これが人間(にんげん)だ」と、規定するものは何にもありません。 ? 仏教には、天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄という 「六道(りくどう)」があります。 ? さらに、一応迷いがなくなった人を、…01月06日 00時00分
  • 象徴
    私たち衆生はいつのまにか知らず識らずに、 「此の物」を自分だと認識(誤認)してきました。 ? しかし、「此の物」は自分ではありません。 「衆生(しゅじょう)」なのです。 ? 「衆生」とは「六道(りくどう)を輪廻する存在」なのです。 ? 此の…01月05日 00時00分
  • 本当によく信じる
    おシャカ様は「我と有情(うじょう)と同時に成道す」ということを 今から二千五百年前にはっきり宣言しておられます。 ? 「一つに成った」ということです。 こういうことが「今の私たち衆生の様子」なのです。 ? これからではないのです。 自分と大…01月04日 00時00分
  • 丸呑み3
    「坐禅は坐禅なり」とは、坐禅はもとより結果にして、手段・目的 ではありません。 ? 即ち、「坐禅が坐禅を教えてくれるのです」。 ? 坐禅に師なし。 坐禅の真師は坐禅なのです。 ? しかし、最初から「丸呑み」をしてはいけません。 その間多少の…01月03日 00時00分
  • 丸呑み2
    「特別なことをしても何の利益にもなりませんよ」と、 お示しをなされたお方が居られます。 ? それを聞いた修行者が正直に受け取ってしまい、 「皆が休むから、いっしょに休もう」と理解してしまいました。 ? しかし、お示しを発したお方は、三年間も…01月02日 00時00分
  • 丸呑み1
    「他人の学説を丸呑みにする」という言葉があります。 ? ある有名な「覚者」は、「つまるところ、道とはどういうことですか」 という質問に対して、「ただ、あるべきように」と答えました。 ? それを聞いた修行者が「ただ、あるべきように」が道の究極…01月01日 00時00分
  • 「二つの考え」を論ず2
    仏教には「煩悩即菩提」というお示しがあります。 ? 普通に考えると「菩提」とは、「悟りだ仏だ」ということになり、 「煩悩」というと様々な思いが乱れてどうのこうのということですが、 仏教の世界というのは比べようがない世界です。 ? 本来の自己…12月31日 00時00分
  • 「二つの考え」を論ず1
    思ったものはそのまま、真実でも真実でもないものでもありません。 「思いは思いのままの事実」しかあり得ないということです。 ? 「二つの考え」を同時に自分の心の中に入れることは不可能です。 ? 例えば、「心の中で二つの考えを同時(一緒)に考え…12月30日 00時00分
  • 「既知の知」を考える2
    何故、自ら気が付くかというと、みんな「信じる信じない」ということから 入って来ているからです。 ? 「信じる信じない」というのは、途中から作り上げたものです。 信じたからものが見える、信じないからものが見えないというものでは ありません。 …12月29日 00時00分
  • 「既知の知」を考える1
    仏教の道理というようなことは、皆さんよく御存じです。 そして、「道(法)」というのはこういうものだ、仏教の教えというのは こういうものだと、「教えの中でわかったとか、わからないということで 終始している」と思います。 ? しかし、それではい…12月28日 00時00分
  • 「問題の本質」を考える4
    そういうと「実体、究極(今の事実)というものが有(在)るのか」 ということになりますが、何時でも「実体、究極(今の事実)」だけなのです。 ? 今、今の連続だけなのです。 ? そもそも私たち衆生は、「思考の次元にはいないという事実」に気が付か…12月27日 00時00分
  • 「問題の本質」を考える3
    「のど」が乾く時に「水、水」と言っても決して「のど」の渇きは いやされません。 ? 又、「火、火」と言っても、唇が火傷することはありません。 そのくらい「事実と自分の観念との間」には相違が有(在)るのです。 ? ですから、どうしても「自分の…12月26日 00時00分
  • 「問題の本質」を考える2
    「問題の本質」は、他の知識によって育て上げられた自分だと思っている 自分と、本当の自分との間に問題が生じていることに気が付いて頂かなければ なりません。 ? そうしないと、「いつまでたっても相対的なものの見方や考え方しか出来ない」 というこ…12月25日 00時00分
  • 「問題の本質」を考える1
    自分という者は如何にして、何時から自分に成ったのか。 自分で自分に問いかけても分かりません。 ? 何故でしょうか。 それは、「人間(じんかん)※」によってそのように教えられたからです。 ? 私たち衆生は「人間(じんかん)」によって育て上げら…12月24日 00時00分
  • 「本覚思想批判」を考える2
    そのように、「仏法」というひとつのものに対して論を積み重ねていくと 最後に「私」という自我意識が残ります。 ? どんなにしても「自我意識(私)が仏法と別なものにしか思えないのです。 ? どうか、おシャカ様の道を借り、歴代の覚者の法を借りて、…12月23日 00時00分
  • 「本覚思想批判」を考える1
    「ものがどんどん移り変わっていく」というようなことを聞くと、 「悟りや見性」というのは、今はそうだけどやがて又変わっていくのでは ないかと、考えられがちです。 ? 現に、「本覚思想批判」といって、 「道元禅師の教えは、お若い時分に言われたこ…12月22日 00時00分
  • 凡聖の違い4
    「不思善 不思悪」というお言葉がありますが、善をも思わず、 悪をも思わず、人の考えにそれがふさわしいとも、ふさわしくないとも、 そういうことはどちらでもよいのです。 ? そういうことをあまり重視しすぎると「道」をあやまります。 ? ですから…12月21日 00時00分
  • 凡聖の違い3
    名は後から付けたものです。 名はいつでも後からのもので、それ以前にそうした「真理」 というものがきちんと自分のところで行われているのです。 ? 今が身心脱落の状態です。 私たち衆生はそれを知(識)らないのです。 ? 人の知(識)る以前に「道…12月20日 00時00分
  • 凡聖の違い2
    「本地の風光」といっても「本来の面目」といっても、 言葉が違うだけで内容というものは同じことです。 ? これを「異名同体(いみょうどうたい)」といいます。 ? どれだけ違うというのでしょうか。 凡夫が唱えてみても、星人が唱えてみても違いよう…12月19日 00時00分
  • 凡聖の違い1
    従来の悪習慣があって、どうしても自分の考え方を、 「法」のようにしようとするものです。 ? それだけすでに立脚地がちがうというのです。 「凡聖(ぼんしょう)の違い」があるということです。 ? 「事実は同じ生活をしている」のに、それに迷う凡夫…12月18日 00時00分
  • 子供に成る2
    「道」を知(識)れば、みんなその通りに出来ているのを、 考えで間違えていただけだということを知(識)ることが出来ます。 ? それを「自覚」すれば「本当の修行(生活)」が始められるのです。 ? 「懺悔(さんげ)」に因って方向が決まったから、 …12月17日 00時00分
  • 子供に成る1
    指導者はよく「子供に成ってしまいなさい」といいます。 ? 「子供に成る」というのは、六根を六根のまんまに純粋になって 自分の力で六根を使わずにその六根の機能のまんまにしておきなさい ということです。 ? 人生における最大の問題は、「此の物の…12月16日 00時00分
  • 四病2
    第三に「任病」といって、「意に任せて浮沈する」ことです。 吾今生死を断ぜず、涅槃をもとめず、修行などもしなくても よろしい、迷ったら迷ったで捨てて置く、妄想が起こったら 起こったで構わないというふうに放任することです。 ? 第四に「滅病」と…12月15日 00時00分
  • 四病1
    円覚経の普覚菩薩の章の中に「四病」を離れなければならないと 説いています。 ? 第一に、「作病」といって「心を生じて造作する」ことです。 その意味は本心において種々の行を為して円覚を求めようとすることです。 ? 坐禅をしたら悟れるだろうかと…12月14日 00時00分
  • 始めて知る衆生本来成仏なることを2
    多くの人の修行は「おシャカ様や歴代の覚者の言葉の中の修行、 あるいは、事実を認識(認めた)した上での修行」なのです。 ? それでは、「本当の修行(本證妙修、修證不二)」にはなりません。 ? 私たち衆生の日常生活そのものが、おシャカ様や歴代の…12月13日 00時00分
  • 始めて知る衆生本来成仏なることを1
    円覚経の中に、 「始めて知る衆生本来成仏なることを、生死涅槃猶昨夢の如し」 という一文があります。 ? 「始めて知る」とは、始めに自らが「道(法)」其の物に成って、 はじめて「自分」と「道(法)」との「隔て(距離)」が解消するのです。 ? …12月12日 00時00分
  • 懺悔(さんげ)9
    道元禅師は「仏道の為に仏道を修す」といっておられます。 ? 大きく懺悔をみれば、自分の罪ばかりか、すべての罪が「法」と なって現われて自他の罪業は清浄無垢(しょうじょうむく)と 成るのです。 ? 自分の為にする懺悔はもとより、善悪なのです。…12月11日 00時00分
  • 懺悔(さんげ)8
    懺悔について気が付かなければならないのに、多くの人は うっかりして罪を増すものです。 ? 懺悔は自分の為にすると思っている人がほとんどではないでしょうか。 ? 凡そ我らが「一言一行(いちげんいちぎょう)」は宇宙の為に 他ならないのです。 ?…12月10日 00時00分
  • 懺悔(さんげ)7
    「敵を愛しなさい」というときの、相手(敵)というのは 認められないのです。 ? 「あいつは敵だ」というものは、最初から認めないということです。 ? それが仏教でいうところの大きな愛(慈愛)というものです。 ですから、自己を忘じることによって…12月09日 00時00分
  • 懺悔(さんげ)6
    懺悔というのは自分が無くなることです。 ? 自分の取り計らいによって、 「私はこういうことをしました、ああいうことをしました」 というのは、「告白する」ということですから、自分がまだ残って いるのです。 ? 仏教でいう懺悔というのは、自分を…12月08日 00時00分
  • 懺悔(さんげ)5
    「衆罪は霜露のごとく、慧日能く消除す」とは、懺悔というのは 智慧の光によってきれいになくなることです。 ? 仏教では「なくなる」というのは「同化する」という意味です。 「同化する」とは、融合するとか、溶け合うとか、ひとつに成る ことであって…12月07日 00時00分
  • 懺悔(さんげ)4
    悪いことだけが懺悔出来て、善いことだけが残っているというのは、 ありえないことです。 ? ですから、悪いと言われることだけが懺悔だということになると、 「実相は無相である」ということからいえば、本当の意味の無相 にはなりません。 ? 「端坐…12月06日 00時00分
  • 懺悔(さんげ)3
    「真に坐禅をするということは、自他の見をなくした人の仏行である」 といえます。 「人若し懺悔せんと欲せば」とは、これは自分が過去において 作ってきた一般的にいうもろもろの悪いことだけを懺悔するのでは ありません。 善いことも悪いことも懺悔す…12月05日 00時00分
  • 懺悔(さんげ)2
    「普賢経(ふげんきょう)というお経の中に、 「人若し懺悔(さんげ)せんと欲せば、端坐して実相を思え、 衆罪(しゅざい)は霜露のごとく慧日(えにち)能く消除す」 というお言葉があります。 ? 仏道というのは懺悔から始まって懺悔に終わるというこ…12月04日 00時00分
  • 懺悔(さんげ)1
    仏教では「懺悔(さんげ)」と読みます。 「懺悔」とは仏様に懺悔するのではありません。 仏様の教えにしたがって自分が自分に向かって懺悔をするということです。 「私は昔、いろいろな事をしました。貪りと愚かしさと怒りから様々な 煩悩が出て来ました…12月03日 00時00分
  • 煩悶
    ある僧問う。 「煩悶はどのようにしたら取り除くことができるでしょうか」と。 師、答えて曰く、 「煩悶は煩悶の天地ではないか、どこへも行きようがないではないか」と。 どういうことかというと、満身も満天地も皆、煩悶に成れば 煩悶の相手がないから…12月02日 00時00分
  • 随他去3
    どうしても「相対的認識」から脱し切れない方は、「随他去」の 「他」を「自他の他」に考えてしまうのです。 ここでいう「他」というのは「その物、それ自体」ということです。 それに、沿って行きさえすれば一つのものです。 実に「平和」です。 「涅槃…12月01日 00時00分