活かして生きる 〜山里の寺便り〜

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1711323
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活かして生きる 〜山里の寺便り〜
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http://blog.goo.ne.jp/cotou
紹介文
娑婆世界を生きる智慧~おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと
カテゴリ
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※最新の記事

  • 道中2
    ですから、職場にいる時は坐禅のことも、法のことも、悟らなければ ならないことも、落ち着かなければならないということも、一切忘れて 仕事三昧(仕事の鬼)になっていただきたいと思います。 ? 今すでに「道中」というその人なのです。 自分でそれが…11月18日 00時00分
  • 道中1
    「自己本道中(じこもとどうちゅう)にあって迷惑せず、 顚倒(てんどう)せず、増減なく誤謬(ごびゅう)なし」 ? という、道元禅師のお示しがあります。 ? 迷は「まよい」です。 惑は「思惑(しわく)」の惑です。 ? ですから、「迷惑せず」とは…11月17日 00時00分
  • 仏教における方便
    「方便」というものは仏教語です。 ? 広辞苑に拠れば、 ?「衆生を導く巧みな手段、真理に誘い入れるために仮に設けた教え」 ?「目的のために利用する便宜の手段」 と記されています。 ? 本来、仏教における「方便」というのは、「その人(その人の…11月16日 00時00分
  • 悟りの道・迷いの道3
    誰でも真面目に「道(法)」を求めておられるに違いありません。 それだから、その求め方というものは、考え方で、とにかく 自分の考えでどうにかしようとすることを行ってはいけないのです。 ? 道元禅師はこういうことを云って居られます。 ? 「自分…11月15日 00時00分
  • 悟りの道・迷いの道2
    「真実」といってどこかへ求めていくから、そういう「追いかける心」を 止めなさいと言われているのです。 ? ただ「此の物(自分自身)」が「此の物(自分自身)」であるのです。 ? そういうことを、おシャカ様や歴代の覚者は教えているのです。 他へ…11月14日 00時00分
  • 悟りの道・迷いの道1
    覚者曰く、「真を求ることを用いざれ、ただすべからく 見(けん)を息(や)むべし」と。 ? しかし、みんな「真実」を求めたいのではないでしょうか。 「真実」を求めたいから「修行」しているのではないでしょうか。 ? それなのに、「真を求めるな」…11月13日 00時00分
  • 求心9
    ものの考え方というものは非常に微妙なものです。 「安心」という状態が分からないのに、「こういう状態に ならなければ安心ではなかろう」と、自分で作っているのです。 ? だから、一所懸命に「安心しよう、不安をなくそう」と思うのです。 ? 不安さ…11月12日 00時00分
  • 求心8
    これは「悟り」でも、「坐禅」でも同じことが言えると思います。 しかし、「不安」が無くなれば「安心」も無くなるのです。 ? それだけなのです。 ? ですから、「不安」がなくなって「安心」だけが残るということは 絶対に有り得ないことなのです。11月11日 00時00分
  • 求心7
    「こういう状態になりたい、こういう坐禅がしたい」という 「潜在的な求め心」はなかなか取れにくいものです。 ? 「煩悩(貪顚痴・とんじんち)」の「貪(むさぼる)」という ことになってくるわけです。 ? どういうことかというと、「不安」があると…11月10日 00時00分
  • 求心6
    「何かやはりひとつ目標があって、たどり着くべき場所」 ? というふうな考え方を潜在的にも顕在的にも持ってしまうと 「そこまで到達しないと中途半端だ、尽くさないんだ、 徹底が足りないんだ」ということになります。 ? 自分でもそういう状態を認め…11月09日 00時00分
  • 求心5
    もし指導者が修行僧に「徹底しなさい」、「尽くしなさい」、 「中途半端だ」という言葉を使うと、それを聞いた修行僧は 「ああ、私はやっぱりまだ徹底していない、尽くしていない、 中途半端だな」と思ってしまうものです。 ? それは「求心」があるから…11月08日 00時00分
  • 求心4
    ですから、そういう結果に「いかに自分が素直に自分というものを 変えずに受け取れるか」ということです。 ? 自分というものを変えるから、「何かすっきりしない状態」 というものが「もっとすっきりした状態に変わらなければならない」 という思いが出…11月07日 00時00分
  • 求心3
    何かすっきりした状態にならないと「坐禅」ではないように 思う人がいます。 ? しかし、そうではありません。 「落ち着かないままに任せる」ということです。 ? 「その状態のままに成り潰れていかなければならない」 ということです。 ? 「坐禅は…11月06日 00時00分
  • 求心2
    必ず原因があるはずです。 ? ですから、素直に原因をそのまま認めされすれば因果の道理から いっても「落ち着かないままに成る」ということが可能です。 ? それが、「悟り」ではありませんか。 ? 一所懸命に修行してすっきりした状態に成ろうとすれ…11月05日 00時00分
  • 求心1
    「迷いを悟りに変えよう」としても、それは出来ません。 「迷いが迷いに成った時」それを「悟り」というのです。 ? よく指導者が「求心(ぐしん)を止めなさい」と言いますが、 それは「求め心を止めなさい」ということです。 ? 「今の事実」のほかに…11月04日 00時00分
  • 疑煩悩4
    信じれば信じる度合いが強いほど、「疑煩悩(疑いの煩悩)」 というものは同じように、信じることと同じ量だけ疑いという ものも残るわけです。 ? ですから、それを坐禅の功夫によってきれいに消滅して しまわないといけないのです。 ? これは容易な…11月03日 00時00分
  • 疑煩悩3
    「疑煩悩」は「疑いの煩悩」ともいいます。 ? 摩訶迦葉尊者 曰く、「密語却って汝が辺に有り」と。 「密語」というのは、分からない阿難尊者が不思議に思っている ことです。 ? 「そういうことはお前の中にあるんだ」ということです。 ? 阿難尊者…11月02日 00時00分
  • 疑煩悩2
    ある時、阿難尊者は恐る恐る摩訶迦葉尊者に尋ねられたのです。 「私は長い間、おシャカ様からあなた様に”法”が伝えられたことを よく知って居ります。しかも、その証拠として授けれられたものを 私は手に取るようにして、貴方様に渡しましたから、それも…11月01日 00時00分
  • 疑煩悩1
    阿難尊者(あなんそんじゃ)というお方は二十年間おシャカ様に お仕えになったお方ですから「おシャカ様の生まれ変わり」くらいに 言われておりました。 ? おシャカ様のお言葉は全部自分のものにして修行されていたのです。 しかし、二十年おシャカ様の…10月31日 00時00分
  • 疑いそのまま2
    仏法から見れば一切の生物(有形、無形を問わず)は 「そのまま成仏」しているのです。 ? そこのところを天桂禅師は、 「汝ガ心ノ白糸ハ、本ヨリ結ビテモナケレバ 解ケタルニモアラズ」 と。 ? 「思惑がとれた時が解脱」です。 ほどけたというのは…10月30日 00時00分
  • 疑いそのまま1
    「アー分からない」という思想があると思います。 その「アー分からない」というものは一体何であるか、 何ものがあるか、「アー分からない」という「疑いそのまま」に 徹底するのです。 ? これを分かる方が少ないのです。 「大疑の下に大悟あり」です…10月29日 00時00分
  • 煩い悩む6
    考え方を整理するには、どんなことが出て来ても、どういうことが あっても六根の機能の、機能としての作用のみに任せることです。 ? 「止める」ということは、「六根まかせにする」ということです。 ? 「私」というものが、「六根」を使わないことです…10月28日 00時00分
  • 煩い悩む5
    考え方を離れてすべての物は、あったりなかったりするのです。 始めからあったりなかったり「自然(じねん)」に、そういうふうに 出来ていること自体、最初から「人間(にんげん)」の考え方のような 存在ではない「事実」で構成されているということなの…10月27日 00時00分
  • 煩い悩む4
    何故そういうことが言えるのかというと、「此の物(自分自身)」は 最初に発生したことを「知らない(識らない)」からです。 ? 「知らず識らずに出て来たものが、知らず識らずに今こうして 存在しているのです」 ? 「不知不識生」なのです。 ? 「…10月26日 00時00分
  • 煩い悩む3
    この「自我」というものが、一般には「ある」と誰もが思って いますが、「ある」のではないのです。 ? 「子供の時分(物心が付いた時分)」に、不知不識に「私」と 思えたのです。 ? 自分で「私」と思えた「自覚」がないにもかかわらず、 「自然(し…10月25日 00時00分
  • 煩い悩む2
    「今」は「目標(対象)」がないのですから、どうしようもない のではないでしょうか。 ? その目標も対象も何もかも全ていっぺんに御破算にするのです。 別の言葉で言えば、「自我」をなくせば「煩悩」というものは 「自然(じねん)」に消滅するのです…10月24日 00時00分
  • 煩い悩む1
    「煩い悩む」とは文字通りに「煩悩(ぼんのう)」という ことですが、そういうことが何処から起きるかというと (私は今、机に向かって原稿を書いていますが) 「これ(机)」なら「これ(机)」に向かった時に、ただ それだけだったら「悩む」ものがない…10月23日 00時00分
  • 不生4
    蜀山人の歌に、 「この世をば どりゃお暇(いとま)に 線香の 煙と共に ハイ左様なら」 と死ぬことを一向に頓着しない模様が何処までも偉いと思います。 ? 滞らないのが仏です。 凝ったら駄目なのです。 ? 生きている処に凝っていないから何時で…10月22日 00時00分
  • 不生3
    仏教語に「八不中道(はちふちゅうどう」というお示しがあります。 八つの「不」ということです。 ? その中に「不生不滅」があります。 ? 不は絶体ですから、生まれる時は宇宙皆生まれるものなのです。 死ぬ時は宇宙悉く(ことごとく)死ぬということ…10月21日 00時00分
  • 不生2
    死んだものが生まれたのではありません。 生まれる時は生まれる世界なのです。 ? 死の分子は少しもないのです。 堂々たる生まれ方です。 何もついていないのです。 ? つまり、生まれるものは「今の不生」です。 「不生」というものは、絶対的なもの…10月20日 00時00分
  • 不生1
    生まれた世界ですから「生まれた因縁生」です。 生まれたものが死ぬのです。 ? 死ぬ時は死ぬ世界です。 ? 「滅」というのは、「生(しょう」に対する「滅」です。 ? 私たち衆生は死ぬ時は死ぬ世界ですので、死ぬ時は生まれる という分子は少しもな…10月19日 00時00分
  • 「生きている」ということ4
    不満足だという感じを受けるものも、本当に満足したという 感じを受けるものも、こちら側(自分自身)で受け取るものは 「同じところのもの(心意識)」です。 ? しかし、そういうことになかなか気づかないために、「迷い」 というものを生じさせている…10月18日 00時00分
  • 「生きている」ということ3
    人間にはどうしても「煩悩」があって、いくら「事実のまま」 と言われても満足(納得)出来ないのです。 ? ですから、どのようにしたら今のこの働きのままの自分(事実このまま) というものを、満足(納得)させることが出来るだろうかという 生き方を…10月17日 00時00分
  • 「生きている」ということ2
    私たち衆生が「生きている」ということは、「説明」なのです。 ? 説明するにはものの実体というものがなければなりません。 ? その実体というのは何かというと「此の物」です。 説明のために自分自身を指し示せば、こういうもの(此の物)です。 ? …10月16日 00時00分
  • 「生きている」ということ1
    「生と死」の区別はどこでつけるのでしょうか。 これは大問題だと思います。 ? 今までも仏教以外では「生と死」の区別をつけているものは ありません。 ? 私たち衆生は、お父さんお母さんの因縁を借りて現実にこのように ありますが、こういう状態を…10月15日 00時00分
  • 今の教育4
    旧稿「自然(しぜん)と自然(じねん)」〈2015/04/06〉 でも論考しましたが、「今の教育」で「自然(じねん)」を 教えて頂きたいのです。 ? そして、「差別(しゃべつ)と差別(さべつ)」の違いを 教えて頂きたいのです。 ? そうしない…10月14日 00時00分
  • 今の教育3
    人間(にんげん)が「人間(じんかん)”人の世、世間”」で 「人間(にんげん)」を「観念的な自己」として「個(自我観)」を 育てることが「教育」だと思っているのです。 ? 「人間到処有青山(じんかん いたるところ せいざんあり)」 「人間万事…10月13日 00時00分
  • 今の教育2
    ですから、「今の教育」は人間(にんげん)を本当に造る「教育」 ではないということです。 ? 極論すれば、「人間を混乱させる教育」なのです。 ? 「個人(自我観)」を盛んに、「私(わたくし)」という観念を 育てていくから世の中騒動が起きるのが…10月12日 00時00分
  • 今の教育1
    「眼(まなこ)」は訓練したのではないけれど、違っている物は、 違ったままちゃんと誰でも分かります。 ? 考えなくても、「教育」したからでもありません。 ? 「眼」は無教育でもそういうふうに働くように出来ています。 「六根全体」はそういう「事…10月11日 00時00分
  • 迷悟について4
    本当に「功夫だけに成った時が即ち身心脱落の時」です。 ですから、功夫だけに成り切れないために、結果として身心脱落が 出て来ないのです。 ? 本当に真剣に「ただに成る、ただに成った時に、求めるとか求めない とかにかかわらず無所悟無所得のその今…10月10日 00時00分
  • 迷悟について3
    迷いとか悟りとかいいますが、「もともと迷っていなかったんだ」 ということに気が付く、それだけのことです。 ? 迷っていなければ悟りというものがあるはずがないのです。 ? ですから、「迷いも悟りもない」のが今の私たち衆生の 「本当の様子(状態…10月09日 00時00分
  • 迷悟について2
    「金剛座に坐す」というお示しがありますが、過去の諸仏は 必ず坐禅をする時分には「金剛座」に坐したのです。 ? 「金剛座」ということは、永久に変わらない、変化のない 坐禅です。 ? どこへどのように坐っている時も、立っている時も、寝ている 時…10月08日 00時00分
  • 迷悟について1
    迷いや悟りということを問題にするということは、現在の自分の 気持ちに乱れがあり、その気持ちに乱れがあるということを問題 にしているからです。 ? 考え方をああでもない、こうでもないと言えばきりがないのです。 ですから、そんなものを一切問題に…10月07日 00時00分
  • 不安と安心2
    「困っている状態がなくなれば、安心だとか、悟りだとか、 満足というものがあるだろう」と思うこと。 考え方としては分かりますが、「実際にはどんなものが、 そういうものであるか」ということは分からないわけです。 ? おシャカ様を始めとして歴代の…10月06日 00時00分
  • 不安と安心1
    おシャカ様を始め、歴代の覚者と言われる方々でも、不安や苦しみ、 悩みというものは、おありになったと思います。 ? 「不安を除けば安心というものがあるだろう」と思うこと。 これは、「想像」です。 ? 「安心というものがどういうものであるか」と…10月05日 00時00分
  • 迷い・不安について2
    別の言い方をすれば、自分というものがあり、それが迷いや不安を 生じさせているのだから、自己を明らめさえすれば、迷いや不安が なくなるであろうと思うことは間違いなのです。 ? 「自己の正体を見極める」ということを、自分さえなくなりさえすればと…10月04日 00時00分
  • 迷い・不安について1
    「ものがある」ということは、「もの」があるのではありません。 自分があるということなのです。 ? 迷いや不安は、自分以外のところにあって、それを自分が 認めているものではありません。 ? 迷いとか不安というもの自体、それが自分なのです。 ?…10月03日 00時00分
  • 不安2
    どうなるかわからない、ただやるだけだったのです。 「正しい悟りを得なければ、この坐を立たない」という その決意が「一見明星(いっけん みょうじょう)」に成って 実現したということです。 ですから、「おシャカ様も一見明星なさるまでは、今の自分…10月02日 00時48分
  • 不安
    「道」を得た人というのは、「悟り」とはどんなものだろうか、 あるいは出来るだろうか、どうだろうか、という皆そういう 「不安」を持って始めは出発したものです。 それがなくなってきて、坐禅三昧、功夫三昧になったおかげで 「道」を得られたというこ…10月01日 00時27分