古事記・日本書紀・万葉集を読む

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※最新の記事

  • 十握剣(とつかのつるぎ)を逆(さかしま)に立てる事
    十握剣(十掬剣)(とつかのつるぎ)が「逆(さかしま)」に立つ例は、次の3例である。はじめに、今日、ほぼ定訓とされている形で示す。 二(ふたはしら)の神、是に、出雲国の五十田狭(いたさ)の小汀(をはま)に降到(あまくだ)りて、則ち十握剣(とつ…08月16日 14時56分
  • 剣大刀(つるぎたち)について
    万葉集のなかで、ツルギタチの語があるのは、次の22例である。ツルギの字には、釼(13例)、剱(1例)、?(3例)、劔(2例)、また、仮名書きで、都流伎(2例)、都流藝(1例)と用いられている。枕詞とされている「剣大刀(つるぎたち)」として万…08月12日 20時02分
  • 「族(うがら)負けじ」について 其の二
    (承前) また、天秤棒の場合も、両側が釣り合うように荷や錘をかけている。荷を担ぐに際しては真ん中に人の肩がくる。鵜飼いの場合も、鵜籠を前と後ろに掛け、それぞれの籠に多ければ4羽ずつ鵜を入れて鵜舟へ運んでいる。この場合、必ず天秤棒の前と後ろに…08月11日 10時33分
  • 「族(うがら)負けじ」について 其の一
    族(うがら)という語は、親族の内でも限られた範囲を指すとされている。同じ「族」という字を用いても、ヤカラはかなり範囲の広い一族郎党のことを指す。では、ウガラという語はどのような結び付きを表しているのであろうか。 家族や一族があるのは、もとよ…08月08日 10時12分
  • 井戸への呪詛話
    雄略紀に、井戸(注1)を呪詛する話が載る。 是月、御馬皇子(みまのみこ)、曾(いむさき)より三輪君身狭(みわのきみむさ)に善(うるは)しかりしを以ての故に、慮(みこころ)遣(や)らむと思欲(おもほ)して往(い)でます。不意(おもひのほか)に…08月06日 17時36分
  • トーハクくんと滑石製刀子のこと
    トーハクくんはゆるキャラグランプリにエントリーしています。本日、8月1日から投票開始です。トーハクくんの本業は、ダンサーではなくて馬引きです。馬子(まご)とも言います。孫のようにかわいがってください。 さて、新指定の重要文化財、世田谷区の野…08月01日 21時15分
  • 吉備の反乱?(女相撲と闘鶏) 其の二
    (承前) 鳴鏑(頭部:ヤマグワ、七廻り鏡塚古墳、栃木県大平町、古墳時代後期、6世紀、山田昌久遍『考古資料大観 第八巻 弥生・古墳時代 木・繊維製品』小学館、2003年、14頁) 鏑矢作り(宮次男・角川源義偏『日本絵巻物全集23 遊行上人縁起…07月30日 22時17分
  • 吉備の反乱?(女相撲と闘鶏) 其の一
    雄略紀に、吉備勢力へのヤマト朝廷からの一連の弾圧と見られている記述に不思議なものがある。 八月に、官者(とねり)吉備弓削部虚空(きびのゆげべのおほぞら)、取急(あからさま)に家に帰る。吉備下道臣前津屋(きびのしもつみちのおみさきつや)〈或本…07月28日 10時10分
  • 呪詛に関するヤマトコトバ序説
    呪詛に関するヤマトコトバとしては、トゴフ、ノロフ、カシルといった語があげられる。それらの語彙の示すところは何か、どのように区別して使われているか、不分明である。日本書紀古訓にすでに複数訓をもって入り乱れており、了解されるに至っていない。ただ…07月24日 19時18分
  • 高校2年だったと思う
    自分で宿題を出して自分でやりました 漱石の、三四郎・それから・門を読む 充実した夏休みでした07月22日 22時28分
  • 角鹿の塩を呪詛忘れ 其の二
    (承前) (注1)記紀の話に角鹿(敦賀)が登場する個所を論ったものや、呪詛一般ならびにその言葉について、また、角鹿の塩と若狭の塩の関係を論じたものはいくつか見られる。 保坂達雄「「角鹿」というトポス」『神話の生成と折口学の射程』岩田書院、2…07月19日 21時32分
  • 角鹿の塩を呪詛忘れ 其の一
    日本書紀の武烈天皇条に、角鹿の塩の詛い忘れについての記述がある。武烈紀の研究は、そこに載る歌謡問答と、暴虐の君主像が考察の対象とされたものがほとんどである。「角鹿の塩」については、歴史学的なアプローチがあるが、詛い忘れに関する研究は見られな…07月16日 20時36分
  • 「椎の葉に盛る」考(万142番歌、有間皇子作歌)
    有間皇子の自傷歌は、万葉集の挽歌の初めを飾る名歌として古来名高い。しかし、その第2首目の、「椎の葉」にご飯を盛るのかについては疑問とされたままである。 有間皇子の自ら傷(いた)みて松が枝(え)を結ぶ歌二首 磐白(いはしろ)の 浜松が枝(え)…07月10日 11時07分
  • 中大兄の第一妃(嬪(みめ))、蘇我倉山田石川麻呂の娘、「造媛(遠智娘、美濃津子娘…
    (承前) 日本書紀に年齢記事には、「年○○」といった記述もあるが、ここでは「○○歳」をとりあげる。年齢をきちんと記すのはとても例外的で、あやしいものばかりである。「○○歳」記事ではないが、天智紀十年三月条のみ、年齢が主題になるため正確を期し…07月03日 21時20分
  • 中大兄の第一妃(嬪(みめ))、蘇我倉山田石川麻呂の娘、「造媛(遠智娘、美濃津子娘…
    大化改新後の政争において、大化五年(649年)、讒言によって左大臣蘇我倉山田石川麻呂が殺害された事件は、当時の政権の有り様を知る上で興味深いものがある。特にここでは、石川麻呂の娘で、中大兄に嫁いだ造媛(みやつこひめ)(遠智娘(をちのいらつめ…07月01日 09時42分