歴史の謎に誘われて

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1866317
サイト名称
歴史の謎に誘われて
URL
http://historical-story.blog.jp/
紹介文
過去から現在、そして未来へと続く社会の歩みを怪説するBLOG。
カテゴリ
  • 世界史 (100%) - 20 / 54人中
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※最新の記事

  • ナポレオンの恋には不可能が多かった(2)〜デジレ・クラリーの恋〜
    フランス革命戦争(1792年4月20日〜1802年3月25日)は、ナポレオンを、イタリア方面軍司令官として大活躍させ、その後の彼の人生を大きく変えるきっかけとなりました。 ところでナポレオン自身は、フランス革命(1787年〜1799年)が始…12月13日 20時00分
  • ナポレオンの恋には不可能が多かった(1)〜ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネの男達〜
    「歴史とは、嘘ばかりのゴミの山」。誰の言葉で何の本の紹介文で読んだのか忘れたのですが、好く言い当てた言葉だと思います。 不可能という言葉は無いと豪語したナポレオン・ボナパルトの語録の中にも歴史に関しての言葉が幾つもあります。その中でも有名な…12月12日 21時11分
  • ヒッタイト(20)END〜帝国化への曲折〜
    王位継承法を主とする法典(=『テリピヌ法典』)を制定したテリピヌ王は、王統史を編纂します。国内秩序の回復に努め、辺境地被征服民に対しては高圧的とならずに平和協定を結び争わない姿勢を一貫して次々と平和協定を結んだ。平和協定はエジプト第18王朝…12月11日 23時53分
  • ヒッタイト(19)〜起死回生の法典誕生〜
    ムルシリ1世が弟ハンティリ1世に暗殺され、ヒッタイト王国は混乱に陥った。それに乗じてトーラス山脈の森林部族(ハッティ人の部族)を率いていたパリジャワトリは、ヒッタイトに寡占されていた銀鉱山を奪還(元々はパリジャワトリの一族のものだった?)。…12月10日 13時36分
  • ヒッタイト(18)〜ウガリット・1〜
    1928年の或る日。現在のシリア・アラブ共和国西部の都市ラス・シャムラの一農民が振り下ろした鍬が何やら固いものに当たった。それは墓石であり、それを掘り起こすと中からは得体の知れない陶磁器のようなものが出て来た。その農民は、それが何かは分から…12月09日 19時55分
  • ヒッタイト(17)〜寛容でなければ生きていけないオリエント〜
    ユーフラテス河が大きく湾曲する地点、アレッポとラッカの中間にある現シリアのテル・メスケネからは、多くの建造物の遺跡とともに楔形文字の書かれた粘土板文書多数が発見された。それによって、この地が、ウガリット、マリ、エブラと並ぶ古代シリアの重要都…12月08日 07時14分
  • ヒッタイト(16)〜ムルシリ1世退場による衰退〜
    ヒッタイトのムルシリ1世が、何故にバビロニアへ攻め込んだのか、その理由や目的のようなものは明らかになっていません。が、紀元前1595年にヒッタイトがバビロニアへ遠征し、バビロン第一王朝のサムスディタナ王を敗死させた。バビロン第一王朝は滅亡へ…12月07日 21時33分
  • ヒッタイト(15)〜ムルシリ1世登場〜
    古代シリアに一時代を築いたヤムハドは、アムール人とフルリ人が混在した国家です。しかし、国家は二分される事無く結束していた。アムールとフルリを「ヤムハド人」として一つにまとめあげる原動力となったのは、アムール人からはハダド(※アッカド語ではア…12月06日 22時51分
  • ヒッタイト(14)〜アナトリアとメソポタミアの変遷〜
    紀元前1781年、アッシリア王シャムシ・アダド1世が崩御。このことは、エシュヌンナやバビロニア、イシン・ラルサ、更にエラム、そしてザグロス山脈一帯の山岳部族を大いに刺激します。アッシリアの四方八方が不穏な動きを見せる中、先ずは国内諸都市が独…12月05日 22時57分
  • 戯言
    歴史とは嘘ばかりのゴミの山。しかし、その数え切れない無限のゴミは、どれもこれも事実であるかのように磨きに磨かれたものであり、眩しく光り輝き、真実を突き詰めようとする者達の目を眩ませてしまう。太陽のように眩しく輝く嘘の光を見つめ続け、ただ一点…12月04日 21時29分
  • アッシリア(12)〜古アッシリア王国崩壊〜
    エシュヌンナの史料(テル・ハルマル遺跡から出土した粘土板文書)から、「(アッシリア王)シャムシ・アダドが死んだ年」は、エシュヌンナ王イバル・ピ・エル2世の治世第4年(紀元前1781年)に当たることが分かっています。エシュヌンナという名の知れ…12月03日 22時58分
  • アッシリア(11)〜シャムシ・アダド1世の死〜
    バビロン第一王朝に第6代王ハンムラビが即位したのは、紀元前1781年にアッシリア王シャムシ・アダド1世がこの世を去る11年前の紀元前1792年とされる。つまり、ハンムラビのバビロン第一王朝は、どんなに短くとも11年間はアッシリアに臣従してい…11月30日 22時42分
  • アッシリア(10)〜エンリルとアッシュル〜
    シャムシ・アダド1世が成した"領域国家"は、チグリス河の東側地帯から、西はバリーフ川に至り、国号を「アッシリア」と名乗りました。 神アッシュル=土地アッシュル=都市国家アッシュルが、神アッシリア=土地アッシリア=領域国家アッシリアとなったわ…11月29日 22時24分
  • アッシリア(9)〜遊牧部族との関係〜
    紀元前2千年紀のメソポタミア遊牧民の様子は、マリ(テル・ハリリ遺跡)で発見された2万枚を優に超える粘土板文書で凡その事を知ることが出来ます(=マリ文書)。 マリ文書は、遊牧民のこと以外にも政治・社会的な状況を明らかにしてくれる史料であり、北…11月28日 19時31分
  • アッシリア(8)〜アッシリア商人は遊牧の王の子孫たち?〜
    バビロン第一王朝を確固たる地位へ押し上げた功績に於いて、尚且つ、偶然スーサで発掘された法典に於いて、ハンムラビ1世は古代メソポタミアで最も有名な王の一人となっています。が、バビロン第一王朝が脚光を浴び、ハンムラビ1世が偉大な王と呼ばれたのは…11月27日 21時44分
  • 上杉謙信を女性説に基づき語る(21)〜鬼神の登場〜
    鎌倉〜室町幕府時代の越後は、国主(守護職)と言えども名ばかりで、何の統一感もない有力国人(豪族)が各地に割拠していた。何か事ある毎にすぐに争乱が起こる、和解しても束の間、またすぐに争乱が起こる、その繰り返しであった。それをどうにかこうにか守…11月26日 16時05分
  • アッシリア(7)〜カールムとアッシリア商人〜
    古アッシリア時代の情報は、中央アナトリア・キュルテペのカールム?層(紀元前1974年から紀元前1863年。第33代エリシュム1世から第36代のプズル・アッシュル2世の時代に当たる)と、第39代シャムシ・アダド1世の在位期間(紀元前1813年…11月25日 09時10分
  • 上杉謙信を女性説に基づき語る(20)〜第二次川中島の戦いの謎〜
    武田晴信の諜略により北条高広(きたじょう・たかひろ)が謀反を起こしたのは天文23年暮れ。最初の上洛から約1年経っていた。上洛で、朝廷及び幕府と強い信頼関係を築けて、越後の政治も安定したかに見えた矢先のこと。 越後北条家は、本家の毛利家と共に…11月24日 22時54分
  • アッシリア(6)〜アッシュル神の謎〜
    アッシュル(都市アッシュル、土地アッシュル、神アッシュル)のように、都市とその神が同名であることはメソポタミアでは他に例がない。例がないのだから殆ど全ての歴史学者にも不可解なことであったらしい。神アッシュルは、決してシュメール語風に「ニン・…11月23日 20時02分
  • ヒッタイト(13)〜メソポタミアの位置関係〜
    イシン、ラルサ、バビロンの王朝は、ともにセム語系アムール人によって創建された。また、早くからアムール人が国家を成していた北部メソポタミアのチグリス河畔のエシュヌンナ、ユーフラテス河中流域のマリなども勢力を拡大。更にはアッシリアが大国化するな…11月21日 09時05分
  • ヒッタイト(12)〜バビロン第一王朝の衰退〜
    以前、 「シュメール文明を怪説(3)〜世界最古の国家〜 」という駄文を書いた時、ヴィア・ゴードン・チャイルド氏が定義した"文明の特徴"を紹介しました。(効果的な食料生産、大きな人口、職業と階級の分化、都市、冶金術、文字、記念碑的公共建造物、…11月20日 22時15分
  • 上杉謙信を女性説に基づき語る(19)〜柿崎と宇佐美の関係〜
    常陸の大掾職が源氏から平氏へ譲られたのは、当時の大掾・源護の娘が平国香の妻となったことに因る。 真壁郡(現在の桜川市の一部)に小領を有していただけの源護(嵯峨源氏とされるが出自不詳)に大掾職が任ぜられた時期は分かりませんが、真壁郡の他に、新…11月19日 18時47分
  • ヒッタイト(11)〜貴族〜
    9世紀に興ったキエフ大公国以来18世紀まで、ロシアに興亡した殆ど全ての国家政治を支えたのが「貴族議会」(ロシア語では「ボヤールスカヤ・ドゥーマ」)。君主(公・王)は、貴族会議の意志を尊重しなければならないという暗黙の了解(建前)の下に治世を…11月19日 10時31分
  • ヒッタイト(10)〜鉄の大国〜
    ハッティ人が鉄を製造していたらしいこと、ヒッタイトが製鉄技術によって台頭していったことは有名です。 ボアズカレ(旧名ボアズキョイ=ハットゥシャ)の北、約35キロくらいに位置するらしいアラジャホユック遺跡(=宗教都市アリンナと目される)からは…11月18日 21時59分
  • デニソワ
    ホモ・サピエンス(・サピエンス)に最も近い人類と言えば?と問われたら、多くの人たちが「ネアンデルタール人」という名前を即答していた時代に生まれ育った此方は、「デニソワ人」という名を聞いても正直ピンと来ない。でも、2008年にロシア・アルタイ…11月17日 15時45分
  • ヒッタイト(9)〜古王国初期〜
    ハットゥシャを征服したとされるアニッタ王の軍隊は、前回書きましたように現代からは"大軍勢"には見えない。しかし、その当時の1400名と戦車(=戦闘用馬車=チャリオット)40両は大軍勢であったのかもしれない。人ひとり(兵1名)の命の重さは、現…11月16日 14時32分
  • ヒッタイト(8)〜ヒッタイト建国期〜
    歴史を研究することを本職としている全ての学者(歴史学者、人類学者、考古学者、民俗学者、宗教学者、哲学者、物理学者、生物学者・・・) は、人類が、身体の諸機能を変化させることなく様々な環境への適応を達成出来ることを知っている。環境が変われば、…11月15日 15時32分
  • ヒッタイト(7)〜信仰から見えるハッティ人=フルリ人〜
    ヒッタイトの信仰はフルリ人の信仰と類似していたが、古代史上の学術表現では、「互いの宗教は融合していった」ということに留め置かれています。学者という立場で責任を負う人々は、「そのように思います」なんてことは言えないですからね・・・ 対して、無…11月14日 19時20分
  • 上杉謙信を女性説に基づき語る(18)〜上杉と長尾の関係〜
    初めて「上杉」の姓を名乗った上杉重房の生・没年は不明。だが、この人が生きた時代は分かっている。 後鳥羽天皇(在位=寿永2年(1183年9月8日)〜建久9年(1198年2月18日))の治世時に、藤原北家・勧修寺流の藤原清房の次男として生まれた…11月13日 13時13分
  • フルリ(9)END〜ヒッタイト〜
    フルリ人の冶金技術は、近隣部族・国家から高い評価を得ていました。例えば、シュメール語で銅を意味する言葉は、元々フルリ語の銅を指す単語を借用したものであったことが分かっています。 銅はアナトリアの高地からメソポタミアへと運ばれ取引されるのです…11月12日 11時12分
  • フルリ(8)〜ガウラ〜
    フルリ人は優れた陶芸家であったと云われ、その製品は主にメソポタミアとユーフラテス川の西で発見されます(例えば、ヌジ、タイデ、アララクなど)。そして、新王国時代のエジプトに於いてもフリル人の陶芸品は高く評価された。 フルリ人が、轆轤を使って製…11月11日 09時04分
  • フルリ(7)〜命の木〜
    前回、フルリ人の文化について触れようとしたところが、アララクの戦史で終えてしまったので、今回あらためて文化について知られていることを怪説します。 フルリ人の王家と見做されるミタンニ王家の"情報"は、精緻に彫られている(王家の)円筒印章(=ス…11月10日 22時59分
  • フルリ(6)〜アララクの支配者変遷〜
    ミタンニ王国の版図はコーカサスよりはだいぶん南、現在のシリア北部辺りを中心としたそれほど広くはない範囲、せいぜい現在のトルコに少しかかるくらいとイラク北部くらいまでの領域だった。という説が一般的です。フルリ人=ミタンニ王国民だと思っている此…11月09日 13時58分
  • フルリ(5)〜ミタンニ初期〜
    当タイトルの(1)〜(4)でずっと繰り返した通り、フルリ人の正体はまだ謎に満ちています。尤も、古代の"何々人"に関しては全て謎と言って言い過ぎではない。文書(粘土板)も本当に正しいものかどうか分からないし、発掘当時の現代の社会政治情勢に都合…11月08日 05時00分
  • フルリ(4)〜ホラズム〜
    モンゴル帝国によって滅ぼされるまでの1077年(建国年とされる)から1231年(滅亡年)の間、8代に渡って中央アジアからイラン高原に至る広大な領域を支配したことで知られる、数あるイスラム王朝の中でも最も真面目な人たちの国家と言えばホラズム・…11月07日 06時30分
  • 上杉謙信を女性説に基づき語る(17)〜絵と金銀〜
    朝廷、幕府、公家、寺社、その他、京の多くの人たちの人気を博した長尾景虎ですが、それほどの大スターなら、絵に残したいと思う実力者もいたでしょうけど、景虎に限らず、多くの武将や天皇でも、若い頃の絵を残した人は殆どいない。それは、絵を画いた後に長…11月07日 00時30分
  • フルリ(3)〜コーカサス〜
    現在のジョージア(=グルジア)・クヴェモ=カルトリ州ドマニシの洞窟から、180万年〜160万年前頃の原人タイプの化石人骨(ホモ=エレクトゥス=ゲオルギクス)が1991年から2005年にかけての発掘調査で発見された。"エレクトゥス型"の原人は…11月06日 06時26分
  • 上杉謙信を女性説に基づき語る(16)〜高野山参詣の謎〜
    仏教公伝以降、我が国にも"僧侶"が誕生しますが、当初の仏教は、識字率の高いエリート達にしか触れることが不可能な分野だった。(字が読めなきゃ始まらない)。が、エリートの家系に生まれ育った彼らは、子孫を残すことも重要な役目であり、不婬戒が受け入…11月05日 18時34分
  • フルリ(2)〜フルリを解く鍵?〜
    現在のシリア・アラブ共和国およびレバノン、ヨルダン、パレスチナ、イスラエルを含む地域の歴史的な呼称は、その通りに「歴史的シリア」、或いは「大シリア」、単に「シリア地方」とも云われます。それを東西南北位置で言うなら、西は地中海に面し、北は現在…11月05日 09時30分
  • フルリ(1)〜何処から来て何処へ消えた?〜
    フルリ人の怪説を書かないと、途中になっているヒッタイトやアッシリアの続きがぼやけます。なので何回になるか分かりませんが、改めてフルリ人を怪説します。フルリはフリでも通じるらしいけど、当BLOGではフルリで通します。 「エデンの園」伝説を持つ…11月04日 18時45分
  • 上杉謙信を女性説に基づき語る(15)〜黒幕・近衛植家〜
    前回、内容を分岐させ過ぎてまとめにもならなかったので、今回も引き続き景虎の上洛に纏わる部分を中心に空想怪説致します。 時の帝・後奈良天皇は謁見した景虎をお気に召され、御自らの手で直に、天盃と御剣を下賜された。そして異例の綸旨を授けられた。そ…11月04日 10時58分
  • 上杉謙信を女性説に基づき語る(14)〜最初の上洛と近衛家の娘たちの謎〜
    景虎が上洛を果たす少し前の同年秋、村上義清(文亀元年1501年3月11日生)が正式に長尾の家臣となります。村上義清の村上氏は、元を正せば信濃・村上源氏直系。村上家臣団には、平氏の長尾家の臣下になることに不満を持つ旧い体質の者もあったという。…11月04日 00時30分
  • 上杉謙信を女性説に基づき語る(番外編)〜一向一揆とは何かの怪説〜
    長尾景虎の上洛にも影響を与えた一向一揆とは何であったのか・・・ それを今回は番外編として怪説してみます。怪説ですから、間違っている部分が多々あると思いますので、正しく知っている人の血圧を急上昇させたらごめんなさいね。 一向一揆は、共に延応元…11月03日 13時59分
  • 上杉謙信を女性説に基づき語る(13)〜越中は上洛行軍を通さない?〜
    (応仁の乱の一因となった畠山氏(畠山総州家と畠山尾州家の争い)は、全国各地に系列氏族を持つ我が国きっての大家です。 畠山のそもそもの出自も、複数の源氏(清和源氏、河内源氏、他)と言われたり複数の平氏(高望王流、良文流、他)と言われたり、それ…11月02日 20時10分
  • 上杉謙信を女性説に基づき語る(12)〜越中・神保家〜
    長尾景虎が、越後から日本海側を陸路で上洛を果たそうとした場合、避けては通れないのが西の隣国越中です。その頃の越中の名目上の領主は能登、加賀、紀伊なども領していた守護・畠山氏ですが、実際に越中を牛耳っていたには越後長尾とは犬猿の仲となっていた…11月01日 21時48分