地図を楽しむ・古代史の謎

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1896387
サイト名称
地図を楽しむ・古代史の謎
URL
http://tizudesiru.exblog.jp/
紹介文
古代史を解くひとつの鍵に地図がある。地名や地形、古墳や寺社、道路や湖沼、みんな歴史を背負う。史書を片手に博物館をめぐる旅もなかなか楽しい。
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※最新の記事

  • 聖徳太子所縁の法隆寺・法起寺が語るまぼろしの寺院
    聖徳太子所縁の法隆寺の不思議 前回、法隆寺の7世紀の木彫仏像が、クスで造られていることを紹介しました。 樟材で造られていたのは仏像だけではなく、薬師如来像と釈迦三尊像の台座の彫刻部分もクスでした。 聖徳太子所縁の寺の釈迦三尊は金堂の御本尊(…12月16日 01時05分
  • 法隆寺は怨霊の寺なのか・隠された十字架再び!
    法隆寺・救世観音のモデルは阿毎タリシホコ! 救世観音も百済観音も、そのほかの法隆寺の明日香時代の木彫仏はクス材で造られています。これは、九州で造られてことを示していると思います。クスの北限は福岡市ですから。 「日本書紀」によると、天智九年(…12月13日 16時15分
  • 白村江敗戦後、橘寺は彷徨える仏たちを供養した
    飛鳥仏四十八体の悲運を受け止めた橘寺 昨日から注目している橘寺は、川原寺の南に位置し千数百年の歴史を刻んできた古刹です。元は尼寺で、聖徳太子誕生の地とされ、聖徳太子建立の七大寺に上げられています。(上宮法王帝説) 今日は、昔ここ橘寺に集めら…12月12日 00時58分
  • 蘇我馬子は飛鳥の大王だった
    蘇我馬子の墓は方墳・家形石棺 (石舞台古墳は約50mの方墳) (石舞台古墳・横穴式石室に家形石棺が置かれていた。馬子の石棺を復元したもの) 石舞台古墳石室に大量の石棺の破片が出土しています。家形石棺が破壊されたのだそうです。 方墳に石棺が蘇…12月10日 22時11分
  • 川原寺に残る万葉歌は、白村江敗戦を伝えるのではないか
    倭琴の面に書かれた二首川原寺の仏堂の内にある倭琴に書かれた歌 万葉集巻十六「世間の無常を厭ふ歌二首」 3849 生き死にの二つの海を厭(いと)はしみ 潮干(しほひ)の山をしのひつるかも 3850 世の中の繁き借廬(かりほ)に住み住みて 至ら…12月09日 15時30分
  • 天智天皇が戻った倭京は何処にあったのか
    天智天皇の倭京は何処にあったのか 大化改新後に、難波に都が遷りましたが、孝徳天皇を難波に置いて中大兄は倭京に戻りました。その倭京は何処にあったのでしょう。ヤマトヒメと同じく、倭京の場所も大きさも組織も分からないことが多いのです。が、天香具山…12月05日 21時06分
  • 倭姫を探せ
    倭姫は何処に?倭姫を探せ! 「倭姫命世記」の倭姫命モデルは持統天皇ではないか、と書きました。そして、持統天皇は「倭姫」という皇位継承者の妃になるべき立場に生れた女性だったとも書きました。推古帝も持統帝も元明帝も蘇我系の女性でした。日本書紀の…12月02日 01時12分
  • 「倭姫命世記」の倭姫命、聖地を求めて放浪す
    一昨日は、万葉集の不思議の一つ、高市皇子の挽歌についてお話しました。今日は、『倭姫命世記』についての話を少しさせていただきます。『倭姫命世紀』は特異な性格の書とされています。伊勢神道の経典として五部書が挙げられていますが、『天照坐伊勢二所皇…11月27日 13時19分
  • 倭姫
    高市皇子を助けたのは渡会の神? では、天照大神ではなく豊受大神だったというのですか? 十二年ほどまえ伊勢に入った時、下宮の傍のホテルに泊まりました。そこで自転車を借りて伊勢を廻ろうと思ったのですが、なかなかでした。その時、倭姫命神社に寄りま…11月23日 12時51分
  • 持統天皇の最後の行幸と伊勢神宮
    もうこの海を見ることもないだろう あの方の霊魂を鎮める最後の旅となるだろう 大宝元年の紀伊国行幸(秋九月、冬十月)は、万葉集の巻一、巻二、巻九に歌が乗せられています。大宝元年辛丑冬十月の紀伊国行幸は、女帝の心にあった永年の苦しみを払う行幸で…11月21日 00時10分
  • 倭姫皇后の運命を握った神とは有力氏族
    いつまでもお慕いいたします 人はよしおもひやむとも玉蘰 影に見えつつ忘らへぬかも 天智天皇の崩御後にヤマトヒメ皇后は詠みました。 149 人はよしたとえ大王を忘れてしまうことがあっても、わたしには大王の御姿がいつもいつも影のように見えていて…11月19日 00時12分
  • 倭姫皇后の運命を握った神は
    この一週間、トンデモ説を紹介しています 万葉集は妄想を誘う歌集です。中でも様々に妄想を膨らませてくれる不思議で魅力的な人は、倭姫皇后ですね。天智天皇の葬送儀礼の挽歌が残されているので実在の人には違いありません。今日は、その倭姫についてのお話…11月18日 10時06分
  • 「野守は見ずや」と、額田王は大海人皇子をたしなめた
    茜さす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 天武天皇は、額田王に袖を振ったのか? と、問われました。厄介なので避けたい質問でしたね。 この歌が詠まれたのは天武七年で、天智帝が即位した年の五月です。蒲生野は天皇の遊猟(みかり)が行われた地で…11月17日 00時49分
  • 持統天皇は天智帝と草壁皇子の皇統を守ると決意した
    持統天皇の御製歌の意味は… ずっと引き延ばしてきたこと、持統天皇がなぜ香久山を詠んだのか、このことについて書かなくてはなりませんね。前回の三輪朝臣高市麻呂の諫めが農繁期の「伊勢行幸」に対する抗議というより、「三輪山が見捨てられること、王朝の…11月16日 00時42分
  • 「中大兄三山歌」の畝傍山は倭姫を意味する
    持統天皇の祖先の山は三輪山ではない 昨日のブログでわたしはこのように言いました。もちろん、万葉集を読む中で導き出されたことです。 今日のテーマに入る前に、中大兄の三山歌を思い出してみましょう。この歌には、大事なヒントと意味があるのです。前回…11月15日 00時26分
  • 持統天皇と呼子鳥をめぐる謎
    続・持統天皇を呼び続ける呼子鳥 歴史書を無視した話になってしまいました? 持統天皇の出自について、前回のブログを見てびっくりですか? 確かに、無茶な展開でしょうね。 鵜野皇女は正史では蘇我石川麿右大臣の娘と天智天皇の間に生まれた皇女となって…11月13日 01時47分
  • 柿本人麻呂は宇治川に天智朝のはかなさを詠んだ
    近江の国より上り来る時に、宇治の川辺に至りて作る歌 人麻呂は近江の国を過ぎる時、十分に近江朝を偲びました。その帰り道、宇治川の川辺に到りました。当然、見て来たばかりの淡海の風景がよみがえり、あの都があった近江から流れてきた川なのだと思ったの…11月08日 00時14分
  • 柿本朝臣人麻呂・近江朝を偲ぶ
    もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波のゆくへ知らずも (電車で宇治川を渡る時の一枚) 宇治川を渡る時に思い出すのが、万葉集巻三の264番歌・柿本朝臣人麻呂の歌です。しかし、考えてみると、ちょっと違和感というか、変ですよね。 宇治川を見て…11月07日 00時43分
  • 沖ノ島は誰が祭祀したのか・ヒストリア謎の結論
    沖ノ島祭祀は誰がしていたか・NHKヒストリアが謎の結論 とても興味の湧くテーマなので、期待しました。 世界遺産になってしまった福岡県宗像市の宗像大社の辺津宮(土壇場でひっくり返り、当初は外されていた辺津宮が世界遺産になりました)。これで、観…11月04日 17時27分
  • 297鉄の副葬も甕棺墓の時代から
    鉄製品も甕棺墓の時代から製造していた 甕棺の中に鉄剣と鉄戈が副葬されていました。甕棺の中の鉄製品ですから、銅と鉄はほとんど同じ時期に倭国にもたらされていたのです。しかも、甕棺に副葬された大型鉄戈は国産です。鋳造の大型鉄戈は我が国にしか出土し…11月03日 20時00分
  • 幻住庵の虚白院に住んだ仙厓和尚のエピソード
    仙厓和尚は文化八年(1811)法席を湛元に譲って虚白院に隠退しました。62歳の楽隠居ではなく、これからは心のままに大いに教化に務めようと偈を作っておられたそうです。それからの二十年間が仙厓和尚らしい面目を発揮した時代だったようです。来るもの…11月02日 16時43分