邪馬台国と日本書紀の界隈

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1910051
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邪馬台国と日本書紀の界隈
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http://ameblo.jp/yamatai-nihongi/
紹介文
邪馬台国熊本説にもとづく邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、一から始める日本書紀研究についてぼちぼちと綴っていきたいと思います。
カテゴリ
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※最新の記事

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    ここまで2回続けて、倭地調査と地図作成についてみてきました。 それに関連して、「魏志倭人伝」中の末盧国(まつらこく)の記述に興味深い部分があります。 草木茂盛行不見前人(草木が旺盛に茂って、前を行く人が見えないほどである) これはどんな状況…08月16日 18時02分
  • 「魏志倭人伝」の九州上陸地点〈4〉地図作成からみる唐津上陸
    前記事では、梯儁(ていしゅん)が帰国後に提出した報告書に地図が付されていたのではないかという新説について述べました。 「本当に当時、そんな地図があったのか?」と思われた方も多いと思います。今回はまず、当時、地図があったと考える根拠からみてい…08月12日 07時06分
  • 「魏志倭人伝」の九州上陸地点〈3〉倭地調査と地図に関する新説
    前記事では、危機回避という点から唐津上陸を考えました。 今回は、私が「リスクの最小化」よりも強く、唐津上陸の要因となったと考える「倭地の調査・報告」という視点から考えてみます。 梯儁(ていしゅん)一行の使命が、皇帝の下賜品を卑弥呼に届けるこ…08月09日 08時21分
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    今回は、唐津上陸説を「リスクの最小化」という視点から考えてみます。 梯儁(ていしゅん)一行というのは、いったいどのような特性を備えた集団だったのでしょうか。 最初にいえるのは、前記事で見たように、公孫氏滅亡により再開された魏と倭の交渉におい…08月06日 09時24分
  • 「魏志倭人伝」の九州上陸地点〈1〉唐津説の前提条件
    「魏志倭人伝」では、帯方郡(たいほうぐん)を出発した郡使一行は、朝鮮半島南部にあった狗邪韓国(くやかんこく)から海を渡り、対馬国、一大国(いちだいこく)を経て、ついに九州島にあった末盧国(まつらこく)に上陸したことが記されています。この上陸…08月03日 08時24分
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    用明(ようめい)天皇の治世は2年しかありません。加えて、2年目の4月には病で崩御されますから、事績が少ないのは仕方ないのですが、用明天皇紀は天皇自身が主体ではない記事がほとんどなのです。元年の大部分を占める記事は、崇峻天皇の項でも触れました…07月28日 09時09分
  • 永遠のテーマ? 「魏志倭人伝」の一里は何メートル?
    「魏志倭人伝」を読んで邪馬台国へたどり着こうと考える人は、必ずこの「一里問題(仮)」にぶつかります。例えば、書かれた行程をたどって九州島の末盧国(まつらこく)へ上陸したとします。次は、末盧国から500里のところに伊都国を探さなければなりませ…07月20日 08時50分
  • 狗邪韓国は倭地=卑弥呼を戴く女王国の一つか?
    「魏志倭人伝」の行程記述において、魏の帯方郡(たいほうぐん:中心は現在のソウル市付近にあったとされる)を出発した郡使一行が、七千余里の道程を経てたどり着くのが狗邪韓国(くやかんこく)とされています。 従郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 …07月13日 12時29分
  • 原日本紀の復元008 崇峻天皇〈2〉暗殺に関する新説/実年代と事績
    崇峻(すしゅん)天皇の暗殺については、さまざまな説がありますが、真相は闇の中です。あまりにも情報が少ないので検証しようがないのが主な原因と思われます。 しかし、ここでは記述に表れる事象の確認もかねて、私も一つの説を考えてみたいと思います。 …07月05日 08時37分