『はつかいち』ぶらり

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446041
サイト名称
『はつかいち』ぶらり
URL
http://blog.goo.ne.jp/hera_001
紹介文
安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介 −独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。
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  • 広島県 (100%) - 12 / 155人中
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※最新の記事

  • 速谷神社拝殿の注連縄変遷
    十数年前の注連縄平成26年以前の注連縄平成26年の注連縄平成27年の注連縄平成28年の注連縄平成29年の注連縄 上画像は十数年前に拝殿に架けられていた注連縄で菰の編紐が見えないような手法であり、単独で製作されていたので誰も手法を習ってなく制…12月15日 08時13分
  • 速谷神社注連縄づくり
    昨日は速谷神社神社の注連縄づくりで社殿に参詣の後、注連柱、斉館、儀式殿、境内社の岩木神社、稲荷神社に架ける大小6本の注連縄と大小の飾り房など手分けして製作した。先日製作していた拝殿に架ける大注連縄は飾り房、吊下げ準備をして拝殿前に架け集合写…12月14日 07時59分
  • 注連縄の色々
    菅原神社出雲大社諏訪大社厳島神社・天満宮 このブログで何度か紹介しているが当ブログ主は注連縄づくりに関わっているので他神社の注連縄が気になる。今年訪れた各地の神社で特徴ある注連縄を紹介する。熊本県和水町のトンカラリン上にある菅原神社の注連縄…12月13日 07時37分
  • ワラキ割り
    先日、椎茸のホダ木用にクヌギの木を伐採したことを紹介したが、素人山師のすることで倒れ側に切れ目を入れていなかったので大きく裂けて3m位ホダ木に使用出来なくなった。裂けた部分はワラキ(薪木)とするために小割りにした。寒く時折り時雨もあったが家…12月12日 08時10分
  • 枯れ木にクソナバが??
    見晴し山に登っていると枯れ木の両側に白いクソナバがびっしりと生えていた。このキノコにも名前があるのだろうが名前が分からないキノコのことを当ブログ主はクソナバと称しているが・・・12月11日 07時44分
  • 見晴し山
    速谷神社の西側にある山の山字は堂垣内であるが、かつて見晴し山(矢印ケ所)と言われていた。明治初期に現在の速谷神社境内に上平良村の小学校があって、見晴し山頂が運動場であったようである。見晴し山頂の運動場は当時父兄や村人などが鍬やモッコなどで開…12月10日 08時14分
  • JR廿日市駅前広場の整備事業の今
    JR廿日市駅の駅舎工事や北口広場の整備が終わってから日数が経っているが南口の整備が遅々として進んでいなかった。現在、南口広場と接続する道路の整備事業が、多くの重機や作業員によって大がかりに行われていた。今年度内には整備完了するのではなかろう…12月09日 08時12分
  • ならず者御用だ??
    ? 当ブログ主や隣接の市民菜園の人達も猪被害には泣かされ防護のために出費させられたことを何度か紹介したことがある。有害鳥獣駆除の檻を設置してもらった場所がよかったのか、猪の絶対数が多すぎるのかこの場所での捕獲数はこの2匹で合計12匹というこ…12月07日 17時08分
  • 速谷神社の注連縄づくり−?
    ? 昨日紹介した拝殿に架ける大注連縄の作成が順調に進んだので、今まで長老が自宅で作成されていた前垂れ注連縄の作り方を習得するため手分けして作成した。前垂れ注連縄は神門前の参道に下画像のようにして架けられる。12月07日 07時46分
  • 速谷神社の注連縄づくり−?
    菰編み作業が終わったので昨日は藁芯を作る作業からはじめ藁束の太さを整えながらビニール紐で締めていき藁芯を3本作って菰を周囲に巻き付けて編み紐の端で縛り付けて綯う前の単体3本が出来上がる。菰巻きの単体2本を捩りながら綯っていくのであるが、太さ…12月06日 07時52分
  • 速谷神社の注連縄づくり−?
    ? 新春に向けて拝殿に架ける注連縄は菰巻きとするために準備作業が昨日から有志によって始まった。編み紐を「ツヅラコ」に巻いて菰編み台にセットし、アクタを取り除いた稲藁5〜6本づつを編み上げていくのである。(編み途中の画像は内側で藁の継ぎ目が多…12月05日 08時01分
  • 椎茸ホダ木の伐採
    自家用の椎茸栽培をしているが昨年補充しておらず古いホダ木が腐朽してきたので、補充用にと昨日クヌギの木を伐採した。大きな木であり周りの雑木でうまく倒れず伐採や運搬には一苦労した。伐採したホダ木は野積みにしておいて春になったら植菌して2年後くら…12月04日 08時02分
  • 遊びの菜園−廿日市13代目桜島大根・廿日市3代目切葉松本地大根
    ? 廿日市13代目桜島大根(手前)と廿日市3代目切葉松本地大根(向う側)の現在の生育状態で、桜島大根はどのように育っていくだろうか。切葉松本地大根を2本抜いてみるとこの大根の特長である根型が尻詰まり型でなく、1本は丸大根のようで煮付けにした…12月03日 08時04分
  • 金剛乗寺の石造山門・装飾古墳館
    熊本県には石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋などが沢山築造されているようで、昨日は厳島神社の石造アーチ橋を紹介したが、山鹿市豊前街道沿いにある金剛乗寺の石造山門は眼鏡橋の築造技術で文化元年(1804)に築造されているようである。また、同県に…12月02日 07時52分
  • 長坂厳島神社
    ? 当ブログ主は探訪地に祀られている厳島神社を参詣するようにしており、山鹿市長坂にある厳島神社を参詣した。この地にどのようにして勧請され祀られたのかは定かでない。HPをみると厳島神社では毎年3月上旬に変わったネーミングの市無形民俗文化財に指…12月01日 07時53分
  • 古代山城−基肄城跡探訪
    南水門跡 米倉跡東北門跡北帝門跡丸尾礎石群イモノガンギ 佐賀県基山町にある古代山城の基肄城跡を雨にもかかわらず強行探訪した。基肄城は天智4年(665)に築城された古代山城であり、今回の探訪目的の一つとしていたので雨具も準備していた。南水門跡…11月30日 08時20分
  • 謎の隧道遺跡−トンカラリン
    山鹿市まで来たのでと雨が降る中、隣接町の和水町にある面白いネーミングのトンカラリンを探訪した。石組み暗渠や石組み暗渠内に石段、石組み暗渠が直角に折れ曲がった部分、自然の地隙部分、地隙部分に石蓋を被せたトンネルなどが続いた不思議な遺構であり、…11月29日 08時18分
  • 山鹿傘
    山鹿市では大正期130戸で和傘が製作されていたようであるが一時途絶えたが、現在は1軒で伝統工芸の製作技術を継承して番傘、日傘、蛇の目傘、舞踊傘の4種類の「山鹿傘」が製作されているようである。傘の柄に取り付けられている開閉する仕掛けは轆轤とい…11月28日 07時52分
  • 山鹿芝居小屋−八千代座
    ? 旧豊前街道の街並みから少し入った所にある明治末期に建築された芝居小屋の八千代座(国重文)を見学した。丁度山鹿灯籠踊りが公演されており当地の小学生が現地学習で訪れていた。公演後、1階座席の枡席、桟敷席や舞台装置の廻り舞台やセリ、花道のスッ…11月27日 08時00分
  • 山鹿の灯籠
    山鹿灯籠は当地に行く前からチラッと知っていたので山鹿灯籠民芸館に行ってみた。豊前街道沿いにある山鹿灯籠民芸館は大正14年(1925)に安田銀行山鹿支店として建てられた建物のようである。金灯籠は真鍮製の物かと思っていたがすべて和紙で精巧に製作…11月26日 08時05分
  • 山鹿市街並みの町屋
    山鹿市の旧豊前街道沿いを散策すると平入りや妻入りの町屋がみられ画像のような平入りと妻入りの折衷のような町屋もみられた。街並みの中ほどには山鹿温泉元湯の「さくら湯」があり、江戸期は熊本藩主の御茶屋として明治期には市民温泉として利用されていた施…11月25日 07時56分
  • 墓地の小堂
    ? 昨日紹介した鞠智城跡の隣接地にある墓地の脇に小さな堂がみられ、ここの鞠智城跡に至る道中でも墓地の脇に小堂を見かけた。小堂は古い時代の物ではなくどのような祀り方がされているのであろうか。当地域では見かけないものであり当ブログ主は初めて見る…11月24日 07時57分
  • 鞠智城跡探訪
    ?古代山城の鞠智城跡は広大な山地に築かれて各所で遺構が確認されており遊歩道が巡らせてある。しかし、地形を生かした城づくりなどはマニアでないとなかなか理解しづらい。昨日紹介した八角形鼓楼や米倉、兵舎、板倉などは発掘調査の結果で復元されており、…11月23日 11時40分
  • 鞠智城探訪
    ? 昨日は熊本県山鹿市と菊地市にまたがって分布する古代山城の鞠智城跡を探訪した。以前にも紹介した屋島城、御所ヶ谷城、石城山城、鬼ノ城などと同じように広大な山に遺構が分布していた。鞠智城では八角形鼓楼などが復元されていた。 今日はどこに行こう…11月22日 06時05分
  • 舜青寺の龍彫刻欄間
    一昨日、法事のために下関市豊田町浮石にある舜青寺を参詣した。当寺の本堂は近年に新築されたようであり白木の部分があちらこちらにみられ、虹梁と天井梁の間(正式名称不明のため欄間と称す)に数多くの龍の彫刻がはめ込まれていた。これらの龍彫刻は先代住…11月21日 05時09分
  • 四十口径安式十五糎砲身
    ? 昨日紹介した旧平良村の忠魂碑(慰霊碑)脇にある大砲の砲身でかつての忠魂碑の上部に設置されていたが、再建整備の際に危険を伴うため慰霊碑脇におろされた。この砲身は筒口径15.2cm、砲身長さ6.34mで「四十口径安式十五糎砲身」と呼ばれる英…11月20日 07時49分
  • 平良村忠魂碑
    ?可愛川に架かる平良大橋西詰め下流の可愛公園内にある忠魂碑で、昭和44年(1969)9月に慰霊碑として再建整備されており戦没者が刻された銘板が設置されている。以前は忠魂碑と言っており昭和9年(1934)に建設の際、忠魂碑の外柵用に安式十二吋…11月19日 07時41分
  • 徳山サト之碑
    ? 新宮神社境内に建立されている徳山サト氏の顕彰碑で大正5年(1916)12月に平良村によって建立されている。徳山サト氏は大正4年(1915)に500円という大金を平良村の基本財産として寄贈、また数々の公共事業援助費などの寄附をされており、…11月18日 07時53分
  • 旧平良村戦役記念碑
    ? 新宮神社境内に建立されている旧平良村戦役記念碑で明治45年(1912)7月に建立されたもので、明治33年北清事変戦死者・従軍者、明治37・38年戦役戦死者・戦後病没者・戦役従軍者、明治27・28年戦役・明治33年北清事変・明治37・38…11月17日 07時49分
  • 新宮神社
    昨日、下平良地区にある新宮神社に参詣すると境内のイチョウの葉が黄色く綺麗に色づいていた。当神社は地誌によると古くは下平良村と廿日市の氏神であったようであるが天神山の天満宮に新宮社の神幣を勧請して廿日市の氏神としたために新宮社は下平良村の氏神…11月16日 07時49分
  • 立石巨夢の歌碑
    ? 国道2号線の本町三番交差点付近の街並みを散策していたら民家横に歌碑が建立されていた。歌碑には「真夜中の 月の碧さを 浴びてより 冷たく壁に はりつく我が影 巨夢」と刻されており、昭和54年(1979)に立石新一氏によって建立されたようで…11月15日 07時43分
  • 立善寺−不動明王・天部像
    先日紹介した原地区の立善寺経蔵「龍宮蔵」には不動明王像と天部像が安置され祀られており、これらの仏像は鎌倉時代の彫刻とされ県重文の指定がされている。かつて円光寺と称する禅宗寺があり慶長5年(1600)、時の住持によって真宗に改宗され寺号は立善…11月14日 08時12分
  • 米俵づくり−2
    ? ?米を詰めてコモの上端を折り曲げて他端と同じように紐で亀の甲状に編み上げていく。?胴部分の両端ケ所に横縄を二周回して男結びとする。?2本の縦縄を十の字として端部の編み上げ端を通し、横縄部分で一回りして他端中央で飾り縄に紐で結び、横縄を中…11月13日 07時50分
  • 米俵づくり−1
    今年の稲刈りには雨天に泣かされたがやっと秋の収穫が終わったので例年の如く米俵を作った。?稲藁の芯を使うためにアクタを取り除いて準備をする。藁のくずをアクタと親から聞いているが、地方によると藁すぼといわれ藁の芯を藁しべというそうである。?俵の…11月12日 07時46分
  • 立善寺の経堂
    ? 原地区にある立善寺の山門脇にある経堂で扁額には龍宮蔵と表示されており、この経堂の向拝部分はあまり見られないような造りである。向拝の屋根は銅版葺きの半円屋根で、向拝柱が石造であり弓型の装飾虹梁と獏の木鼻を石柱で受けている珍しいものである。11月11日 07時41分
  • 播州路探訪
    先日、地域グループの親睦旅行で岡山県備前市の旧閑谷学校と兵庫県赤穂市の赤穂城跡、姫路市の姫路城を観光した。何れの箇所も30〜40年ぶりに訪れたが時間的な関係でゆっくりと探訪することが出来なかった。平成の修理工事が終わった姫路城を単独で探訪し…11月10日 07時55分
  • 三段峡探訪
    ?紅葉が見たいと連れ添いの所望で芸北方面に向かっていると安芸太田町筒賀大歳神社の大イチョウ(目通り幹周9.85m)が黄色く色づいていた。当日は当神社の祭り日だったようで幟が沢山立てられており干しタコのような幟もあった。三段峡口に着いてみると…11月09日 07時39分
  • 十方山登山−瀬戸滝
    今回の十方山登山での最終地は雨中の瀬戸滝で比較的水量が多く豪快に流れ落ちていた。かつて瀬戸滝を迂回して瀬戸谷を遡りウシロヤマ谷からコノタのギシと言われる十方山登山道の7〜8合目くらいに出る(下画像の谷)ルートを探訪したことがあるがもう溯行出…11月08日 07時40分
  • 十方山登山−木馬道跡
    十方山登山口からしばらく登っていくと石積みの木馬道跡(上画像)がある。かつて瀬戸谷の奥地から木馬で木材を搬出していた跡でありこの道を進んで行くと瀬戸滝が見える上部に至る。登山道のカラ谷分岐から瀬戸滝に向かい下って行くと前述の瀬戸滝が見える木…11月07日 07時57分
  • 十方山登山−遭難碑
    伊藤四郎氏遭難碑永吉師通氏遭難碑 遭難碑? 十方山には2基の遭難碑が建立されておりもう1基遭難碑とみられる積み石がみられる。登山道の5合目表示があるところから左手に進むと三つ倉と言われる標高1030mの小ピーク山頂に昭和10年(1935)2…11月06日 07時43分
  • 十方山登山
    カラ谷の滝落ち葉のジュウタン 笹を喰ったサルノコシカケ 不明樹の紅葉 山頂 市域の高山である十方山(標高1318.9m)を久しぶりに挑戦したが、生憎の冬型で5合目頃から時雨となり山頂では風雨と霧で十方どころか全く展望が出来ずトンボ帰りとなっ…11月05日 07時49分
  • 益田市探訪−七尾城大手門門扉の戸車
    先日紹介した七尾城の大手門遺構で現在医光寺総門の門扉に木製の大きな戸車が付いていた。通常門扉は柱の肘金に門扉の肘壺をはめ込んで開閉をするのであるが門扉が撓んで開閉が難しくなるので戸車が取り付けられているものとみられる。当ブログ主はこのような…11月04日 07時27分
  • 益田市探訪−染羽天石勝神社
    弁天池背後の注連岩拝殿拝所・本殿 先日紹介した染羽大元神社がある染羽天石勝神社は看板表示によると社殿脇にある弁天池背後にある巨岩(注連岩)を石神とした自然崇拝が起源のようである。延喜式に美濃郡五座のひとつとして染羽天石勝神社がみえ、後に滝蔵…11月03日 07時36分
  • 益田市探訪−七尾城跡・三宅御土居跡
    七尾城二の壇跡から本丸跡を望む医光寺総門(七尾城大手門遺構) ?七尾城本丸跡から三宅御土居跡を望む(樹木林の間) 石見美術館で「石見の戦国武将」展を見学して益田氏の居城である七尾城跡と居館である三宅御土居跡を探訪した。七尾城跡は中世の山城で…11月02日 08時12分
  • 益田市探訪−高津柿本神社
    ? 益田市高津にある柿本神社の祭神は歌人の柿本人呂で江戸期に津和野藩主亀井氏によってこの地に移転再建されたようである。 鳥居、随身門をくぐって真っすぐの参詣石段を上ると拝殿の側面に至り通常の社殿配置と異なっている。看板表示によると社殿配置は…11月01日 05時25分