黒田裕樹の歴史講座

登録ID
793403
サイト名称
黒田裕樹の歴史講座
URL
http://rocky96.blog10.fc2.com/
紹介文
現役高校教師による歴史ブログです。 本当の歴史のみが与えることが許される、素晴らしい感動を皆様へ―
カテゴリ
  • 日本史 (100%) - 7 / 131人中
  • ※表示されている順位は重複を含まないため実際の順位より低くなる場合があります。

※最新の記事

  • 室町時代の様々な外交 その3
    貿易における我が国からの輸出品は刀剣や鎧(よろい)などの武具、銅や硫黄(いおう)などの鉱産物、扇や屏風(びょうぶ)などの工芸品が中心であり、輸入品は銅銭(どうせん)が圧倒的に多く、その他には生糸(きいと)や高級織物などが輸入されました。なお…10月21日 12時00分
  • 室町時代の様々な外交 その2
    14世紀の半ば頃までには元の勢力は衰え、1368年に朱元璋(しゅげんしょう)によって明が建国されました。明はチャイナにとって伝統的な中華思想に基づいて、近隣諸国に対して朝貢外交を求めると、先述のとおり、足利義満がこれに応じるかたちになりまし…10月20日 12時00分
  • 室町時代の様々な外交 その1
    さて、13世紀に起きた元寇の後、元と我が国との間に正式な外交関係は存在しませんでしたが、私的な商船の往来が続けられていました。1325年には建長寺(けんちょうじ)の再建費用を得るために北条氏によって建長寺船が、1342年には天龍寺(てんりゅ…10月19日 12時00分
  • 日明貿易に秘められた義満の野望 その11
    なぜなら、義嗣が元服した直後の1408年に義満は病に倒れ、急死してしまったからです。それまで元気でいたのが急に体調が悪化したことから、義満が天皇を超える存在になることを恐れた朝廷などの関係者から暗殺されたのではないか、という説が唱えられてい…10月18日 12時00分
  • 日明貿易に秘められた義満の野望 その10
    こうして様々な手段で自身の地位を固めた義満は、妻である日野康子(ひのやすこ)を天皇の生母と同じ地位を与えられる准母(じゅんぼ)とするなど、身内にも皇室に近い待遇を与え始めました。さらに義満の子の足利義嗣(あしかがよしつぐ)が成人した際の儀式…10月17日 12時00分
  • 日明貿易に秘められた義満の野望 その9
    金閣寺の1階は寝殿造ですが、これは皇室や貴族などの朝廷をあらわしており、2階の武家造は室町幕府を意味しています。つまり、幕府が朝廷の上に存在するという意思を義満が明確に示しているという解釈が可能になるのです。さらにその上の3階の禅宗様は中国…10月16日 12時00分
  • 日明貿易に秘められた義満の野望 その8
    1399年、義満が建立(こんりゅう)させた相国寺(しょうこくじ)の七重大塔(しちじゅうだいとう)が完成して落慶法要(らっけいほうよう)が行われましたが、七重大塔の高さは約109mと我が国の仏塔(ぶっとう)で一番の高さを誇っていました。しかも…10月15日 12時00分
  • 日明貿易に秘められた義満の野望 その7
    義満は、母が皇室の血を引いていたこともあって、自身も出世街道を順調に歩んでいきました。1383年には臣下でありながら皇族同等の待遇となる准三后(じゅさんごう)となり、1394年には太政大臣(だじょうだいじん)にまで出世しました。また、義満は…10月14日 12時00分
  • 日明貿易に秘められた義満の野望 その6
    応永の乱で大内氏の勢力を抑えることに成功した義満は、それまで大内氏が独自に行っていた明との貿易を、幕府として正式に行う決意を固め、1401年に明に使者を送って国交を開くと、翌1402年には明の皇帝が義満を「日本国王」に封ずるとの返書をよこし…10月13日 12時00分
  • 日明貿易に秘められた義満の野望 その5
    南北朝の合一は長い間の動乱に終止符を打つ効果をもたらしましたが、これ以外にも義満は自らが本格的に政治を行い始めた前後から、内政面や軍事面においてその実力をいかんなく発揮していきました。1378年、義満は京都の室町に「花の御所」と後に呼ばれた…10月12日 12時00分
  • 日明貿易に秘められた義満の野望 その4
    南北朝の合一の条件のうち、まず皇位の継承の際の「譲国の儀式」は一切行われませんでした。後亀山・後小松の両天皇のご対面もなく、三種の神器が単に宮中(きゅうちゅう、ここでは朝廷の中という意味)に戻ったという形式となったのです。これでは北朝が「失…10月11日 12時00分
  • 日明貿易に秘められた義満の野望 その3
    南北朝の合一は、南朝の後亀山天皇が北朝の後小松(ごこまつ)天皇に三種の神器を渡されたうえでご譲位なされるという形式で行われましたが、そこには義満による巧妙な罠(わな)が仕掛けられていました。義満が南朝の後亀山天皇に出した和睦の条件は以下のと…10月10日 12時00分
  • 日明貿易に秘められた義満の野望 その2
    尊氏が亡くなった14世紀後半の頃から、南朝の勢力は時が流れるにつれて衰退していきましたが、三種の神器を有しておられるという正当性を持っていたため、幕府に反対する勢力に利用されて出兵するなど動乱がなかなか治まりませんでした。それもこれも、朝廷…10月09日 12時00分
  • 日明貿易に秘められた義満の野望 その1
    義満が将軍となったのは1368年でしたが、まだ11歳と若かったために、管領の細川頼之(ほそかわよりゆき)が政治を代行しており、1379年に頼之が追放されてから、義満独自の政治が行われるようになりました。義満は自分の思いどおりの政治を行うため…10月08日 12時00分
  • 室町幕府の誕生と南北朝の動乱 その11
    さらには、尊氏自身の資質にも問題がありました。尊氏は根っからの武人であったため、実際の政治は尊氏の弟である足利直義(あしかがただよし)が代行していましたが、その一方で武将にしては珍しく「優しくて良い人」だった尊氏は、功績のあった武将に気前良…10月07日 12時00分
  • 室町幕府の誕生と南北朝の動乱 その10
    後醍醐天皇は京都に幽閉(ゆうへい、閉じ込めて外に出さないこと)された後、尊氏との和睦(わぼく)に応じて、天皇であることを証明する「三種の神器(じんぎ)」を光明天皇に渡されましたが、その後に隙(すき)を見て京都を脱出され、奈良の吉野へ向かわれ…10月06日 12時00分
  • 室町幕府の誕生と南北朝の動乱 その9
    尊氏の謀反に激怒された後醍醐天皇は、新田義貞に尊氏の追討を命じられましたが、尊氏は義貞軍を打ち破ると、そのまま京都まで攻めのぼりました。しかし、奥州から北畠親房が入京すると、朝廷軍は勢いを盛り返し、敗れた尊氏は九州へ落ちのびました。都落ちし…10月05日 12時00分
  • 室町幕府の誕生と南北朝の動乱 その8
    鎌倉幕府を裏切って京都の六波羅探題を滅ぼした足利高氏に対して、後醍醐天皇はその勲功を称えてご自身の諱(いみな、名前のこと。天皇のような身分の高い人は本名で呼ぶことを避ける習慣があったので、忌み名=いみな、という意味も込められていた)である尊…10月04日 12時00分
  • 室町幕府の誕生と南北朝の動乱 その7
    しかし、後醍醐天皇に味方して幕府を倒すのに協力した武士たちは、勢力が衰えて政治を任せられなくなった幕府の代わりに、他の武士による新しい組織のもとで、これまでどおりの「武士による政治」を続けることを望んでいました。それなのに、後醍醐天皇は皇族…10月03日 12時00分
  • 室町幕府の誕生と南北朝の動乱 その6
    鎌倉幕府が倒れた後、直ちに京都へ戻られた後醍醐天皇は、光厳天皇のご即位を否定されたほか、摂政や関白を置かれずに、天皇親政のもとですべての土地の所有権の確認に天皇の綸旨(りんじ、側近が出す天皇の命令書のこと)を必要とさせるなど、天皇に権限を集…10月02日 12時00分
  • 室町幕府の誕生と南北朝の動乱 その5
    足利高氏は清和源氏の一族であった源義家(みなもとのよしいえ)の子孫であり、北条氏の御家人の中でも名門の出身でしたが、鎌倉幕府の威信が地に堕(お)ちた現実を見極めた高氏は、幕府に背いて謀叛(むほん)を起こすことを決断しました。高氏は他の反幕府…10月01日 12時00分
  • 室町幕府の誕生と南北朝の動乱 その4
    さて、後醍醐天皇が京都から追放されてしまわれたものの、子の護良(もりよし、または「もりなが」)親王が父の意志を継ぐべく諸国の兵を募(つの)って幕府に抵抗し続けたほか、幕府に対抗する武士団という意味の悪党(あくとう)の一人であった楠木正成(く…09月30日 12時00分
  • 室町幕府の誕生と南北朝の動乱 その3
    両統迭立が続くなか、対立状態を解消するとともに、我が国は天皇が国家統治の大権を持つという自明のことを武士たちに示し、政治の実権を幕府から取り戻すことをかねてより念願とされていた、大覚寺統の後醍醐(ごだいご)天皇は、北畠親房(きたばたけちかふ…09月29日 12時00分
  • 室町幕府の誕生と南北朝の動乱 その2
    「御恩」と「奉公」のシステムが崩壊して鎌倉幕府の将来に暗雲が立ち込めた頃、朝廷においても皇位の継承に関する大きな問題が起きていました。1246年、後嵯峨(ごさが)天皇が子の後深草(ごふかくさ)天皇に譲位されて院政を始められると、その後に後深…09月28日 12時00分
  • 室町幕府の誕生と南北朝の動乱 その1
    前回(第61回)の「日本外交史 その弐」で詳しく紹介した「元寇(げんこう)」が起きた当時は、鎌倉幕府と主従関係を結んでいた御家人(ごけにん)が、自己の所領を幕府に保証してもらうという「御恩(ごおん)」に報いるかたちで、幕府からの要請があれば…09月27日 12時00分
  • 第62回「黒田裕樹の歴史講座」大阪講演の報告
    9月24日に行いました第62回黒田裕樹の歴史講座「日本外交史 その参」(大阪講演)には、41名の皆様がご参加くださり、盛況となりました。足利義満と豊臣秀吉という二人の有名な歴史上の人物の対照的な足跡を振り返ることで、私たちは外交史という一面…09月25日 16時00分
  • ケインズよりも200年以上早く実践した経済学 その5
    さて、綱吉の治世を振り返れば振り返るほど、私たちは史実と一般的な風評との大きな違いに唖然(あぜん)とするばかりですが、その一方で、元禄時代の繁栄の真の理由を探ることもできます。最初に挙げられるのは、生類憐みの令を原因とする「治安の劇的な変化…09月25日 12時00分
  • 第62回「黒田裕樹の歴史講座」東京講演の報告と大阪講演のお知らせ
    9月17日に行いました第62回黒田裕樹の歴史講座「日本外交史 その参」(東京講演)には、台風が接近して雨が降りしきる中を、11名の皆様がお越しくださいました。足利義満の野望と豊臣秀吉の国家防衛には同じ国が深くかかわっているなど、長いスパンで…09月18日 21時52分
  • 「生類憐みの令」の背景とその真実 その2
    こうした伝染病を防止するためや、野犬化によって犬自身が被害を受ける前に保護しようという考えがあったからこそ、犬に関する様々な法令がつくられたのです。この他、生類憐みの令では、病気になった牛馬をきちんと療養させることや、捨て子の禁止、あるいは…09月18日 12時00分
  • 第62回「黒田裕樹の歴史講座」(東京&大阪講演)のお知らせ
    いつも「黒田裕樹の歴史講座」をご覧いただきまして有難うございます。ブログのもう一つの目玉である「本物の歴史講座」ですが、次回(第62回)は「日本外交史 その参」と題し、足利義満の日明貿易から豊臣秀吉による朝鮮出兵に至るまでの我が国の外交面に…09月01日 22時20分
  • 無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」発行のお知らせ(4月13日創刊・毎…
    いつも「黒田裕樹の歴史講座」をご覧いただきまして有難うございます。私は今春より、新たに大阪府内の公立高校で非常勤講師(社会科)を務めることになりましたが、これを機会に、これまで蓄積してきたブログにおける通史の内容を、「まぐまぐ!」様のシステ…09月01日 12時01分
  • 「百万人の歴史講座」開始のお知らせ(10,000円で永久会員です)
    (注:この記事は当分のあいだTOPに掲載します)※以下のサービスに関して、最新の講演「日本文明の誕生」のレジュメを、サンプルとして無料で配布しております。詳しくはこちらをご覧ください。いつも「黒田裕樹の歴史講座」をご覧いただきまして有難うご…09月01日 12時01分
  • 神風をもたらした「断固たる決意」 その3
    さて、外国による本格的な来襲という有史以来最大の危機を乗り越えた我が国でしたが、その背景に勇敢に戦った鎌倉武士の大きな功績があったのはまぎれもない事実です。元寇の時期がたまたま武家政権の鎌倉幕府の支配であったことも幸いしましたが、我が国の勝…09月01日 12時00分