黒田裕樹の歴史講座

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793403
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黒田裕樹の歴史講座
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http://rocky96.blog10.fc2.com/
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現役高校教師による歴史ブログです。 本当の歴史のみが与えることが許される、素晴らしい感動を皆様へ―
カテゴリ
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※最新の記事

  • 鑑真の渡日と刀伊の入寇 その7
    我が国最初の勅撰(ちょくせん、天皇や上皇の命令で歌集などを編さんすること)和歌集である古今(こきん)和歌集の冒頭の序文に「仮名序(かなじょ)」というのがありますが、その一節にこんな文章があります。「力の一つも入れずに天地の神々を動かし、目に…08月19日 12時00分
  • 鑑真の渡日と刀伊の入寇 その6
    1019年3月、「刀伊(とい)」と呼ばれ、後に金(きん)を建国した女真族(じょしんぞく)を中心とする海賊の船団が、突如として我が国の対馬(つしま)に来襲しました。海賊はその後も壱岐(いき)から北九州へと移動して、各地で多数の住民を殺害し、あ…08月18日 12時00分
  • 鑑真の渡日と刀伊の入寇 その5
    先述のとおり、現代の満州(または「中国東北部」)を拠点(きょてん)として我が国にしばしば使節を派遣し、友好的な関係が続いていた渤海(ぼっかい)でしたが、926年に遼(りょう)によって滅ぼされました。遼は「契丹(きったん)」とも呼ばれ、満州か…08月17日 12時00分
  • 鑑真の渡日と刀伊の入寇 その4
    その後、我が国が平安時代に入ると、9世紀には弘仁(こうにん)・貞観(じょうがん)文化が栄えるなど、唐風の文化に対する貴族の関心は高いものがありました。しかし、唐自体が8世紀に起きた安史(あんし)の乱の頃から衰えを見せ始めると、多大の出費と航…08月16日 12時00分
  • 鑑真の渡日と刀伊の入寇 その3
    鑑真は我が国に戒律の他に彫刻や薬草の知識を伝え、唐招提寺(とうしょうだいじ)を創建して我が国に留まり、763年に76歳の生涯を終えました。ちなみに、彼の死後に造られた彫像(ちょうぞう)は、我が国最初の肖像彫刻(しょうぞうちょうこく)とされて…08月15日 12時00分
  • 鑑真の渡日と刀伊の入寇 その2
    ところで、阿倍仲麻呂が帰国しようとして失敗に終わった際に、別の船に乗っていたため、無事に我が国にたどりついた唐の高僧がいました。鑑真(がんじん)のことです。仏教を学ぶ際に重要であった戒律(かいりつ)を日本に広めるために、我が国の留学僧が鑑真…08月14日 12時00分
  • 鑑真の渡日と刀伊の入寇 その1
    630年に舒明天皇が始められた遣唐使(けんとうし)は、一時期の中断を経て702年に復活すると、894年に菅原道真(すがわらのみちざね)の進言によって廃止されるまで、長く続けられました。大陸の政治制度や文化を学ぶために、多くの留学生が唐へ渡り…08月13日 12時00分
  • 遣唐使のはじまりとその後の中断 その11
    ところで、我が国の「日本」という国号は、689年につくられた飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)によって正式に定められたと考えられていますが、それから約1300年以上を経た現代まで、この国名は全く変わることなく使われ続けています。チャイナ…08月12日 12時00分
  • 遣唐使のはじまりとその後の中断 その10
    天智天皇の崩御後は、大友皇子が政治の実権を握られましたが、まだ24歳と若い後継者は、父ほどの器量をお持ちでおられず、政情不安が尽きませんでした。様子を見ていた大海人皇子は、672年6月に吉野を出立して美濃へ逃れ、近江朝廷に対して反旗を翻(ひ…08月11日 12時00分
  • 遣唐使のはじまりとその後の中断 その9
    我が国とかかわりの深い任那や百済を滅ぼした新羅は確かに憎いですが、その新羅が朝鮮半島を統一しようとする勢いである現状を考えれば、我が国の唐に対する防波堤の意味も込めて、一切のしがらみを捨てて新羅と「大人の関係」を結ぼうというのがその真意でし…08月10日 12時00分
  • 遣唐使のはじまりとその後の中断 その8
    この当時、朝廷では中大兄皇子が都を飛鳥(あすか)から近江の大津に遷(うつ)したうえで、668年正月に天智(てんじ)天皇として即位されましたが、その儀式は決してスムーズに行われたわけではありませんでした。同じ年に、新羅の僧である道行(どうぎょ…08月09日 12時00分
  • 遣唐使のはじまりとその後の中断 その7
    島国である我が国は、朝鮮半島に大陸の属国ではない、強力な独立国が存在している間は、大陸からの侵略を受けずに済んできたのですが、今回の例も、まさにその原則どおりとなりました。我が国が原則どおりに行動できた背景の一つに、新羅との友好関係の構築が…08月08日 12時00分
  • 遣唐使のはじまりとその後の中断 その6
    新羅は旧百済領を唐と争ってこれを奪い、旧高句麗領の南半分とともに自領として朝鮮半島の統一に成功すると、その後は唐に対して謝罪外交と小競り合いを繰り返すなど、唐と交戦状態に入ってからも和戦をうまく使い、巧妙な外交を展開しました。その後、旧高句…08月07日 12時00分
  • 遣唐使のはじまりとその後の中断 その5
    我が国と旧百済の軍勢は海を渡り、663年に朝鮮半島の白村江(はくすきのえ、または「はくそんこう」)で唐・新羅の連合軍と激突しましたが、戦いは我が国側の大敗で終わりました。百済の復興は夢と消え、我が国も朝鮮半島への足がかりを完全に失ってしまい…08月06日 12時00分
  • 遣唐使のはじまりとその後の中断 その4
    さて、生き残りのために自国の文化をすべてチャイナ風に改めた新羅には、独立国としての面影が全く存在しませんでしたが、たとえ「唐のコピー」となることがどれだけ屈辱的であろうが、国が滅びては意味がありません。まさになりふりかまわぬ究極の策といえま…08月05日 12時00分
  • 遣唐使のはじまりとその後の中断 その3
    新羅は自国の滅亡を免れるために、敢えて唐と同盟を結びました。しかし、それは表向き「唐の属国」となることを意味していたのです。新羅は属国であることをアピールするために、自国の文化をかなぐり捨て、唐の真似をすることを始めました。つまり、民族の風…08月04日 12時00分
  • 遣唐使のはじまりとその後の中断 その1
    前回(第60回)の「日本外交史 その壱」で詳しく紹介したように、我が国の内政・外交ともに大活躍を見せた聖徳太子(しょうとくたいし)でしたが、622年に49歳でこの世を去ると、彼の後ろ盾となっておられた推古(すいこ)天皇も、628年に75歳で…08月02日 12時00分
  • 第61回「黒田裕樹の歴史講座」大阪講演の報告
    7月22日に行いました第61回黒田裕樹の歴史講座「日本外交史 その弐」(大阪講演)には、41名の皆様がご参加くださり、盛況となりました。「刀伊の入寇」や「元寇」に秘められた真実や、鎌倉武士などの気概が我が国を救ったこと、そんな「元寇」が聖徳…07月25日 20時21分
  • 行政機関の整備 その2
    次に政府は、議会政治における上院(じょういん)に相当する機関の創設を視野に入れましたが、まずはその母体となるべき華族(かぞく)の範囲を広げて、より多くの人材を求めるべきであると考えました。そこで、明治17(1884)年に華族令を定め、従来の…07月25日 12時00分
  • 行政機関の整備 その1
    さて、ここまで「自由民権運動の真実」について詳しく紹介しましたが、せっかくの機会ですので、大日本帝国憲法(=明治憲法)発布までの行政機関の整備や、初期の帝国議会の動きなども取り上げたいと思います。明治14(1881)年に公布した国会開設の勅…07月24日 12時00分
  • 自由民権運動に関する政府の条例の覚え方 その2
    その後、自由民権運動の拡大によって多くの国民が憲法制定や議会政治に関心を持つようになりました。知識を高めた国民の中からは「実際に集会に行って話を聞いてみたい」と考える人々も決して少なくありませんが、そう思って出掛けた集会で民権派が反政府的な…07月23日 12時00分
  • 第61回「黒田裕樹の歴史講座」東京講演の報告と大阪講演のお知らせ
    7月16日に行いました第61回黒田裕樹の歴史講座「日本外交史 その弐」(東京講演)には、13名の皆様がお越しくださいました。遣唐使から元寇までをまとめた今回の講演ですが、11世紀に起きた「刀伊の入寇」に関しては詳しく知らない人も多く、この事…07月17日 22時46分
  • 「百万人の歴史講座」開始のお知らせ(10,000円で永久会員です)
    (注:この記事は当分のあいだTOPに掲載します)※以下のサービスに関して、最新の講演「日本文明の誕生」のレジュメを、サンプルとして無料で配布しております。詳しくはこちらをご覧ください。いつも「黒田裕樹の歴史講座」をご覧いただきまして有難うご…07月01日 12時01分
  • 第61回「黒田裕樹の歴史講座」(東京&大阪講演)のお知らせ
    いつも「黒田裕樹の歴史講座」をご覧いただきまして有難うございます。ブログのもう一つの目玉である「本物の歴史講座」ですが、次回(第61回)は「日本外交史 その弐」と題し、遣唐使から元寇に至るまでの、我が国の外交面における様々な歴史を振り返りま…07月01日 12時01分
  • 無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」発行のお知らせ(4月13日創刊・毎…
    いつも「黒田裕樹の歴史講座」をご覧いただきまして有難うございます。私は今春より、新たに大阪府内の公立高校で非常勤講師(社会科)を務めることになりましたが、これを機会に、これまで蓄積してきたブログにおける通史の内容を、「まぐまぐ!」様のシステ…07月01日 12時01分