皆さ~ん。
佐久間象山を知ってますか??
私は、名前は知って居たのですが…
JINにも出てきたし
でも…長野県出身とは知らなかったのです((>д<))
八重の桜で頻繁に登場していたので旦那と
その話になったのですが、
「松代に記念館あるよ?」と言われ
えぇ~( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
wikiで調べたら、松代藩だった…
不覚…(>_<)
これは、行かずにはいられない!!
早速、旦那の休みの日に連れてって貰いました
しか~し、
なんてタイミングの悪い…
調度 休館日でした~
残念でしたが
近くに象山神社があると調べていたので
今日はそちらに。
駐車場から少し歩いて到着~
立派な鳥居?です。
よ~く見ると「下馬」という看板が…
何!?馬で来て良いのですか(笑)
象山先生も馬に乗ってらっしゃいます~
こちら「煙雨亭」象山が元治元年、凶刃に倒れるまでの2ヶ月間を過ごした煙雨楼の遺構で、煙雨楼の茶室を移築。移築保存にあたり、煙雨亭と命名された。煙雨楼は2階家で京都木屋町の鴨川畔にあった。
佐久間象山生誕の地~
象山は2度目の江戸留学となる天保10年(1839年)まで、この地で過ごした。父国善が卜伝流剣術の達人で道場を開いていたため、比較的裕福な幼少時代を過ごしたらしい。しかし、元治元年(1864年)、佐久間象山が京都において凶刃に倒れると佐久間家は断絶となり、ほどなく屋敷も破壊された。現在は敷地内に井戸が残るのみとなっている。
安政元年(1854年)象山は吉田松陰の渡航事件に連座し、9年間国元蟄居を命ぜられ、松代藩御安町にある江戸詰家老望月主水の下屋敷に住まうことになった。 その屋敷を聚遠楼と称していたが、その一角にあった別棟を書斎として客間に当てていたのが高義亭である。 幕末、多くの明治維新の志士たちが訪れるとしばしばこの二階の七畳半の間で対談し、国家の時勢を論じた由緒深い建物である。昭和53年(1978年)現在地に移した。長野市指定文化財である。
万延元年九月長州の高杉晋作は吉田松陰の書を持参して象山先生と豪談したと誌されている。更に文久年間には長州藩の久坂玄瑞、山形半蔵、土佐藩の中岡慎太郎等が次々と来訪したときに使われた対談の間を当時の姿のまま見ることができる。
(HPより解説でした。)
そう~ここは
あの高杉さんも訪れた建物なんですって
他にも有名な方が( ´艸`)
テンションあがりますね!!
誰も居なかったので、中の様子は分かりませんでしたが
ここも、機会があれば
あがってみたいなぁ~。
上機嫌で帰りにトイレに寄ったら
こんな物が貼ってありました。
風…うんうん。
林…うんうん。
火…うん?
山…!!!!
最後の「山」で
やっとこれが、
「トイレを綺麗に使いましょう。」の
張り紙だった事に気が付きました(笑)
誰も居ないトイレで1人…
笑ってしまいました。
そんな2月の出来事。後半へ続く…