自分が、攻撃された、傷つけられたと感じるとき、それに続く反応は攻撃しかないのではないでしょうか。
自分が悪いのか、相手が悪いのか。どちらも攻撃です。
自分が悪いのであれば、例えば自分が納得できるような理由を探し出しなんとかそれを飲み込もうとする。
相手が悪いのであれば、例えば自分が納得できるような対応や変化を相手に望む。
どちらも自分の考えが正しい、あるいは最善だと自分で決めています。
もしも、自分が、攻撃された、傷つけられたと感じたものに違った見方があるとしたらどうでしょう。
もしも、その違った見方には、まったく攻撃が含まれていなかったらどうでしょう。
もしも、その違った見方が、自分にとっての最善だとしたらどうでしょうか。
自分の考えが正しい、あるいは最善だと自分で決めた後は攻撃しかありません。
違った見方を望んだ後は最善の可能性が生まれます。
違った見方ができると、攻撃された感じや傷つけられた感じは消えてしまい、今本当にそこにあるものが見えます。
な~んだ、それなかったんだ。あ~よかった。と。
違った見方をする機会をくれてありがとうとさえ思います。
これが、自分を赦すということ、ひいては他者を赦すことにもなります。
巷に溢れる、今にいる、とはこういうことではないでしょうか。
自分で決める世界は、どこまでも緻密に綿密にコントロールされなければならない世界。その緻密さと綿密さがうまくいくこともあればいかないこともある。それでもそれが最善だと感じる緊張した不安定な世界に感じます。
赦しの世界は、責任や縛りなどの重圧感のないやわらかく、そして信頼に満ちた世界に感じます。
心がわずかにでも動揺したときに、すぐに違った見方を望むことで、目の前の世界がどんどん変わっていきます。
居心地の悪さから喜びへ、緊張から信頼へどんどん変わっていきます。
繊細な方ほど、より多くの変化の機会があるのではないでしょうか。
居心地の悪さから喜びへ、緊張から信頼へ。
必要なものは、違った見方を望むだけ。
それを望んだ瞬間に攻撃は放棄されています。
今、は、これの連続です。
あ~今日もいい日だった、と毎日言っていたいです。
お読みいただきありがとうございました。
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