Tuesday, June 11, 2024

シアトルの初夏 生命の生命たるゆえんは絶え間ない向上にあります。

The essence of life lies in constant improvement.


「大霊は無限です。ですから創造の過程も永遠に続きます。不完全から完全へ、未熟から成熟へ向けて、無数の進化の階梯を通りながら千変万化の表現の中を進化していきます。それには“時間”というものはありません。初めもなく終わりもありません。無限だからです。無限の大霊の一部であり、それが人間的生命として、無数の発達段階で顕現しているのです。ですが、あなたのおっしゃる“新しい霊”とは、前に存在しなかったものという意味でしょうか」

「そうです」


「それは有り得ないことです。すべての生命にはそれに先立つ生命があるからです。生命が生命を生み、さまざまな形態での表現を絶え間なく続けております。地上の人間的生命は、それまで物質との接触がなかったが故に発現していなかった霊が、肉体という器官を通して表現するのです。その器官は霊の進化にとって大切な地上的教訓が得られるように、実にうまくでき上がっております。

ですから、地上的生命としては新しいといえますが、地上に誕生してくる前に霊として存在していなかったという意味で新しいということではありません。霊とは全生命が創り出される原料です。造化活動の根本的素材です。霊としてはずっと存在しており、これからも永遠に存在し続けます。

もちろん、いっそうの体験を求めて戻ってくる霊の場合は別です。しかし、そうした再生する霊は別として、初めて地上へ誕生してくる霊に限って言えば、そうした霊には地上での表現を始めるまでは個体性つまり人間的意識は所有しておりません。人間的意識は地上への誕生とともに始まります。霊が個的意識として自我を認識する上で決定的な媒体を提供してくれるのは物的身体です」

「地上へ誕生してくる者の中での“新しい霊”と“古い霊”との割合はどれくらいでしょうか」


「そういうご質問にはおよその数字すら出すことは不可能です。ですが、多分、ほぼ同じくらいの割合ではないでしょうか」

「となると、地上には常に進化の程度の高い霊と低い霊とがいることになりますね」


「当然そうなります。そうでなかったら進化が存在しないことになります。生命は生命であるが故に静止していられない――万が一静止したら、それは停滞を意味する、ということをよく理解してください。生命とは律動(リズム)です。運動です。進歩です。開発です。発達です。つまり完全へ向けての絶え間ない歩みです。もしも生命に規則的な階梯がなかったら、もしもはしごを一段一段と上がっていく規則的な旅がなかったら、生命は生命でなくなります。多種多様の発達段階での進化のバリエーションの中においてのみ、生命が生命で有り得るのです。

もしもすべての人間が同じ発達段階にあるとしたら――もしも完全性が成就されて、もうこれ以上の努力の必要性も新しい目標もより大きな顕現の余地もなくなったとしたら、生きようとする意欲、何かを成就せんとする意欲は途絶えてしまうでしょう。生命の生命たるゆえんは絶え間ない向上にあります。今の段階では手の届かないものを何とかして手に入れようと努力するところにあります。その努力――何かを征服せんとする努力、困難を克服せんとする努力の中でこそ霊は真実の自我を見出し、神性が働くようになるのです」

「進化の程度の低い魂が世の中の問題のタネとなり進歩を遅らせることになるのでしょうか」


「それはそうです。ただ、次のことを忘れないでください。あなたのおっしゃる“程度の低い魂”というのは、その魂より程度が高い魂に較べて低いというに過ぎません。あなた自身の判断の基準が高まれば、それまで高いと思われた人が高いとは思えなくなります。

地上世界の厄介な問題、および霊界の下層界の問題のすべてが、さまざまな形での利己主義、強欲、貪欲などの私利私欲によって引き起こされているというふうに考えればよろしい。原因はそれしかありません。

いつの時代にも、他に較べて程度の低い人間が存在することは当然の結果です。それ以外にどうあればよいというのでしょう。人類のすべてを同じ時点で同じ進化の段階に到達させればよいのでしょうか。一人の例外もなく、みんなが同じ時点で同じ進化の段階を歩むように、同じパターンにはめ込めばよいのでしょうか。すべての生命がまったく同じ進化の程度という単調な状態にしてしまえばよいのでしょうか。

光だけがあって影はない方がよいのでしょうか。晴天ばかりで雨の日はない方がよいのでしょうか。美徳ばかりで邪悪なものはない方がよいのでしょうか。笑いばかりで泣くことがない方がよいのでしょうか。無限の種類の表現があってこそ人生がうまく調整されていくのではないでしょうか」

これを聞いてオースティン氏が、進化にそうしたさまざまな段階がなければならないとすると、シルバーバーチがよく口にする“新しい世界”は楽観的すぎるように思うという意見を出した。

するとシルバーバーチが――


「いいえ、新しい世界はすでに生まれているのです。産みの苦しみと、涙と哀しみの洗礼を受けて生まれているのです。すでに存在するのです。その朝日が今地上の霧を通して射し始めております。

しかし、その新しい世界においても、何もかもが成就されるというわけではありません。修正しなければならないこと、改善しなければならないこと、強化しなければならないことが沢山あります。まだまだ未熟なところがあります。取り除かねばならない障害があります。しかし、人生の新しい規律がどんどん行きわたります。無用の悲劇、無用の残虐行為、無用の飢餓がなくなるでしょう。人生の基盤が変わります。利己主義が次第に影をひそめ、代わって互助の精神が行きわたることでしょう」

「でも結局は各自が受けるに足るものしか受けられないのではないでしょうか」


「その通りです。わたしたちが皆さんの協力を得ようとする努力を促進してくださる人が増えるか、それとも妨げる人が増えるかによって、新しい世界の秩序の到来が早くもなり遅くもなります。受けるに足るもの以上のものは得られませんし、それ以下のものも得られません。摂理の働きは完璧ですから、天秤は必ず平衡(つりあい)が保たれております。右にも左にも傾きません。

わたしが指摘しているのは、これから生じていく変化を今すでに操作している秩序、そしてこれ以後も操作しつづける新しい原理のことです。これから刈り取っていく収穫は、人類の福祉の促進のために捧げられた何世代にもわたる多くのパイオニア、理想主義者、改革者の犠牲の賜物(たまもの)であることを忘れてはなりません」

「同じく“新しい魂”として生まれてくるのに、あとから生まれてくる魂の方がずっと恵まれた環境に生まれてくるというのは、私には不公平に思えるのですが……」


「確かに恵まれた環境に生まれてくることになりますが、しかし、彼らには結果としてそれだけ多くのものが要請されることになります。先輩たちが苦闘しなければならなかったものが免除されるのですから……。要は比較上の問題です。

大霊の摂理をごまかせる者は一人もいない――受けるべきものを髪の毛一本ほども変えることはできない、ということを常に忘れないようにしてください。賞と罰とは各自の行為によってきちんと決められており、変えることはできないのです。えこひいきもありませんし、裏をかくこともできません。大霊の公正は完璧です。各自が受けるべきものは、かっきり受けるに足るものだけ――かけらほども多すぎず、かけらほども少なすぎることがありません」

「そうであってほしいと思うようにならないといけないのでしょうね?」


「勇気ある者ならば自らそうであることを求めるべきなのです。努力もせずに報酬を得ること、身に覚えのない罰を受けることを堂々と拒否すべきなのです。もちろん受けるべき罰は堂々と受けて耐え忍び、自ら生み出した責務は自らの肩に背負うべきです。バイブルにもこうあります――“自分を欺いてはいけません。しょせん神の目はごまかせないのです。自分で蒔いたタネは自分で刈り取るのです”と。わたしにはこれ以上うまく表現することができません。

人間のこしらえた法律は一部の者を不当に優遇したり、ある者を不必要に罰したりすることがあります。地位や肩書きや階級に物を言わせた特権というものも存在します。しかし霊界ではそういうことは絶対にないのです。あらゆる面が斟酌(しんしゃく)されます。地上生活によって到達した進化の程度が魂に刻み込まれています。それより高すぎもせず低すぎもしません。死があなたを別の世界へ誘いに来た時、あなたはそれまでに自らこしらえた自分をたずさえて、地上をあとにするのです」

「精神統一(瞑想)をしていると、霊的と思える示唆がいろいろと浮かんでくるのですが、これにはどう対処したらよいのでしょうか」


「いかに高級な霊でも、自分の教えを考察も熟考も吟味もせずに受け入れてくれることは望みません。言われたことを機械仕掛けのように行うロボットであっては欲しくないのです。むしろわたしたちの使命は、各自の責任感を増幅し、内部の神性を刺激して、理性的判断力が行使できるように指導することです。神性はあなたの霊を通して働くだけではありません。あなたの精神を通しても働きます。“神の御国は各自の中にある”という言葉は真実ですが、それは同時に精神の中にもある――そうあらねばならないのです。

理性が反発するものは決して行ってはなりません。理性を第一の指針とすることです。あなたの分別心が承服しないものを無理にも実行しなさいとは申しません。わたしたちの使命は協調態勢を基本にしているからです。

そのためにはまず霊に内在する無限の能力を自覚させることに努力します。その多くが居眠りをしていて、日常生活で発揮されていないのです。わたしたちは皆さんに本当の自分を見出してほしいのです。日常の生活の中で神性が発揮されるにはそれが第一条件だからです。

精神統一中に示唆を受けた時、たとえそれが何かのお告げのようなものであっても、あなたの良識が許さない時は実行に移してはなりません。統一中に浮かぶアイディアの中から“これぞ本物のインスピレーション”と直観できるのは、ある一定の霊格を身につけた人だけです。

しかし、そういう独自の判断力で行動するよりも、こうした形で交わることで皆さんがわたしたちを信頼してくださり、わたしたちの使命が皆さんに奉仕することによって人類に奉仕することであることを得心してくださった上で、わたしたちの道具となってくださる方が賢明です。

そこで、わたしたちはこれまで、わたしたちが霊的摂理に通じていること、目的としているのは霊的真理の豊かさを皆さんの手の届くところまでお持ちすることであることを立証しようと努力してまいりました。

“正真”の折り紙つきの知的存在と協力して仕事をする方が、何の導きもなしにただ一人で未知の世界へ突入していくよりも無難なのではないでしょうか」

シルバーバーチ

Monday, June 10, 2024

シアトルの初夏 文明の発達におけるスパイラル

Spiral in the development of civilization

一九一八年 三月十五日 金曜日

──今夜はどういう目的でいらしたのでしょうか。

 例の顕現で学んだ教訓についての叙述を続けたいと思います。


──例の類似性についてのお話の最後の部分がよく理解できませんでした。私には今一つ要領を得ない感じがしました。私は正しく受け止めていたでしょうか。

 結構でした。取り損ねられたのは応用についての部分です。あの時はすでに消耗が度を越していたようです。今夜はその補足説明しようと思います。

 さて、物的世界を支配する原理、すなわち物質の形態による外部への生命の顕現は霊的世界にも当てはまります。


 まずスパイラルですが、これはそれ自体まさしく霊的世界に見られる原理の物的類似物と言えます。それは当然のことで、物的原子のすべてが意念の操作による産物だからです。その意念の大根源が神です。その神から湧き出た動的意念が中間の界層を整然たる順序をへて降下し、物質の中に究極の表現を見出しているのです。

したがって物的世界に見られるものは、そうした中間層を通過してきたエネルギーの産物なのです。前の例ではそのエネルギーがスパイラル運動によって発せられているのが分かります。

これは、もしそのエネルギーが流れる霊的界層においてもスパイラルの原理が働いているからこそであって、もしそうでなかったら有り得ないことです。ではどういう具合に働いているかを述べてみたいと思います。

 実はヤシの葉状の王冠がそのスパイラルの原理の一つの象徴でした。スパイラル状に編まれておりましたし、例の顕現の中で王冠のまわりに集結した天使群も当然スパイラル状に整列しておりました。

それが彼らの仕事の象徴のようなもので、その位置の取り具合によって吾々に教訓を読み取らせる意図があったのです。

 では次にこれを動物的生命の創造に見てみましょう。

 そもそも〝感覚〟による動作が最初に見られるのは植物です。そしてそこにもスパイラルの原理がはっきりとした形で現れているのが分かります。

たとえば豆科の植物は他のつる科の植物もみなそうであるように、スパイラル状に伸びます。典型的なスパイラルを描くものもあれば、少し形の崩れたものもありますが・・・・・・

 樹液の流れも幹を上昇しながら直線から曲線へ移行しようとする傾向を見せます。巻きひげによって登って行く植物も、ひげをスパイラル状に巻き付けて支えています。空中を遠く飛び散る種子も同じような曲線を描きながら地面へ落下します。

こうしたことは全てスパイラルの原理の働きの結果で、太陽から送られるバイブレーションが地上の植物にまで届くのにもそれが作用しています。つまり虚空を通過してくる際にはミニチュアの形でスパイラル運動が生じ、みずから天体の回転を真似ているのです。

 さてこれを動物界に見てみると、やはり同じ原理が働いていることが分かります。たとえば、小鳥は空中を飛ぶのにも滑空するのにも決して一直線は描かずに曲線を描く傾向があり、長い距離を行くとやはりスパイラル運動をしていることが明らかになります。

同じことが海中の動物にも陸上の動物にも言えます。ただ、進化すると、高等なものほどそれが明確に認められなくなります。

自由意志が行使されるようになるからで、それが中心的原則から外れた行動を生むようになります。逆に自由意志が少なくなるほどその原則が明確に見られます。

たとえばカタツムリの殻をご覧になればよく分かります。海の動物の殻にも同じものが数多く見られます。自由意志に代って本能が作用しているからです。



 一方、人間に関して言えば、個々の人間の個性よりも各民族全体を指導する大精神(※)に関わる事象においてそれは顕著に見られます。たとえば文明は東から西へと進行し、幾度か地球を楯回(じゅんかい)しています。その地球は太陽を中心として動いている。

しかし太陽の子午線は赤道に沿って直線上に走っているわけではなく、地球がどちらかに傾くたびに北に振れたり南に振れたりしている。

こうした地球の動きは太古における地球の動きの名残りであり、同じスパイラル運動が支配している星雲から誕生したことを示しております。こうして現在は顕著なスパイラル運動はしていないとはいえ、地球上の文明の進路が続けて二度同じコースをたどることは決してありません。

文明の波が前と同じ経線のところまで戻ってきた時には地球自身の両極は何度か───北極が南へ、南極が北へ──傾いております。かくして太陽からの地球へのエネルギーの放射の角度が変わると、文明の進路も変化します。

こうしてその文明は言うなれば地球にとっての〝新たな発見〟という形を取っていくわけです。

(幻の大陸と言われている)レムリアとアトランティスの位置についての憶測を考えていただけば、私の言わんとするところがお分かり頂けるでしょう。(※地球の守護神のこと。これを人間的容姿を具えた神様のように想像してはならない。

地球の魂そのものであり、無形の霊的存在であり、前巻で述べた通り、これがキリストの地球的顕現である。人間はすべてその分霊を受けて生まれる。それを最も多くそして強力に体現したのがイエス・キリストということである──訳者)

 それだけではありません。この原理は文明のたどるコースだけでなく文明の産物そのものをも支配しています。これは説明がさらに困難です。

こちらの世界ではそれを鮮明に認識することができます。と言うのも、人類の精神的活動の様子が地上より生き生きと見えるだけでなく、広範囲の年代のことを一度に見ることが出来るからです。

そういう次第で私は、人類の歩みが着実に上へ向いていること、しかしそれは巨大なスパイラルを描いていると明言することができます。

 その意味を分かっていただくには、〝太陽の下に新しいものなし〟(旧約・伝道の書1・9)という言葉を思い出していただくのが一番良いでしょう。

これは文字通りの真理というわけではありませんが、ある程度は言い当てております。貴殿は、新しい発見が為されたあとでそれに似たものがすでに何千年も前に予測されていたということを聞かされたことがあるでしょう。

私は予測されていたという言い方は賛成できません。そうではなくて、このたびの新しい発見はそれに先立つ発見が為された時に科学が通過しつつあったスパイラル状の発達過程の位置のすぐ上の時期に当たるということです。

発明・発見のスパイラルはあくまでも上昇しながら楯回しているわけです。ですから発明・発見が〝新しい〟というのは、前回の楯回の時のものの新しい翻案という意味においてのみ言えることです。


──例を挙げていただけませんか。

 エーテル分子(※)の人類の福祉のための活用がそのよい例といえるでしょう。この分野の科学は実にゆっくりとした段階で研究されてきたことにお気づきでしょう。

とりあえず〝燃焼〟の段階から始めてみましょう。燃焼によって固体が気化されました。次に、これによって熱を発生させることを知り、さらに熱によって生産した蒸気を利用することを知りました。

続いて同じ気化熱を蒸気を媒介とせずに利用することを知り、さらに微細なバイブレーションを活用することを知り、今日では急速に蒸気が電気へと変わりつつあります。

が、さらに次の段階への一歩がすでに踏み出されており、いわゆる無線の時代へ移行しつつあります。

(※エーテルの存在はかつてオリバー・ロッジなどが主張していたが今日の科学では否定される傾向にある。

がこの通信霊アーネルは第三巻でも明らかにその存在を認めた説明をしている。〝エーテル〟といい〝霊〟といい、地上の人間がそう呼ぶから霊の方でもそう呼んでいるまでのことで、科学が存在を認めようと認めまいと、あるいは、たとえ認めてそれをどう呼ぼうと、霊の方は存在の事実そのものを目の当たりにした上で語っているのであるから、

現在の科学理論でもって通信の内容の是非を論じるのは主客転倒であろう。なおこの一節は過去一世紀間の科学の発達を念頭に置いてお読みいただけば理解がいくであろう──訳者)

 ところが実はこうした一連の発達は、完成の度合いこそ違え、現代の人間には殆ど神話の世界の話となっている遠い過去の文明の科学者によって為されたことがあるのです。

そしてさらに次の段階の発達も見えているのです。それは〝エーテルの活動〟に代わって〝精神の波動〟(※)の時代が来ているということです。

このことも実はすでに優れた先駆者の中にはその先見の明によって捉らえた人がいたのです。が、道徳的に十分に発達していない人間によって悪用されるといけないので、その発表を止められていたのです。

現代の人類でもまだ科学として与えられるにはもう少し霊的進化が必要でしょう。今の段階で与えられたら、益になるより害になる方が大きいでしょう。

(※エーテルの波動は言わば物的科学の原理ということであり、精神の波動は霊的科学の原理のことと解釈できるが、ただ最近見られる程度のもので超能力の威力を予測してはならない。まだまだ幼稚すぎるからである──訳者)

 それは別として、現段階の科学の発達は、同じ分野に関して、前回の周期(サイクル)の時にストップしたままの段階よりはさらに発達することでしょう。

前回のサイクルにおいて科学の発達が下降しはじめ、それまでに成就されたものが霊界側に吸収されて、次のサイクルが巡ってきた時点で、それまでの休息の時代に霊界で担当の霊によってさらに弾みをつけられたものが、受け入れるだけの用意の出来た人類に授けられることになります。

 霊界を内側と呼ぶならば地上界は外側ということになり、すでに述べたエーテル原子の動きと同じ原理が地上界に再現されていることになります。

 この問題にはまだまだ奥があるのですが、それを貴殿が理解できるように言語で述べることは不可能です。

要するにこれまで説明してきた原理が今私が例を挙げたような力学においてだけでなく、政治においても、植物及び動物の〝種〟の育成においても、天文学においても、化学においても働いていると理解していただけば結構です。


──占星術と錬金術とは現代の天文学と化学との関係と同じ類似性をもつものだったのでしょうか。

 それは違います。断じてそうではありません。

今夜の話は(人間の歴史の)世紀(センチュリー)を単位としたものではなくて(地球の歴史の)代(エオン)を単位としています。

占星術と錬金術はその二つの時代の科学の直接の生みの親であり、私のいう巨大なスパイラルの中の同じサイクルに属し、その距離はわずかしか離れておらず、すこし傾斜した同じ平面にあります。

 私のいう類似物とは違いますが、ただ、化学については一言だけ付け加えておきたいことがあります。それで今夜はおしまいにしましょう。

 化学というのは高級神霊が中心的大精神に発したバイブレーションが多様性と変異性とへ向けての流れを統御していく活動の中でも最も外的な表現であるということです。

すなわち神に発した生命の流れが霊の段階を通過して物質となって顕現する活動の中で、化学的物質が分化の過程によって細分化され、さらに分子となっていきます。

そして最低の次元に到達するとその衝動が今度は逆方向へ向かい、上方へ、内部へ、と進行します。分析化学に携わる人はその統一性から多様性へと向かう衝動に従っているわけです。

反対にそれを統合しようとする化学者はその流れに逆らっているわけですから、試行錯誤の多い、効率の悪い仕事に携わっていることになります。

多様性から統一性へと向かわせようとしているからです。言わば内部におけるコースがまだまだ外部へ向けてあくまでスパイラル状に行進を続けようとしているのに、その人だけは宇宙原子の一ばん外側のスパイラルで踵(きびす)を返してしまっているのです。

 この通信は前回の通信と照らし合わせて検討してください。
アーネル ±

Sunday, June 9, 2024

シアトルの初夏 スパイラルの原理

spiral principle




一九一八年 三月十一日  月曜日

──創造的活動にたずさわる天使の大群とともに例の大学の大ホールで体験されたことや学ばれたことについて語っていただけませんか。

 私が仲間の学徒とともに大学を見学することになってすぐさま気がついたことは、すべてが吾々の理解を促進する知識の収集に好都合に配置されていることでした。

すべてが整然と構成されているのです。巨大な造化の序列の間には向うの端が遠くかすんで見えるほどの長い巾広いもの (avenues とあるが並木道、本通り、通路等の訳語しか見当たらない──訳者)で仕切られています。

と言っても、序列のどれ一つとして他から隔離されたものではないので、それはただの〝仕切り〟division ではなく、横切って通るための〝路〟road でもなく、実はそれ自体が両隣りを融和させる機能を具えた〝部門〟department なのです。

 そこを見学しているうちに吾々は、創造活動において造化の天使が忠実に守っている基本原則が幾つかあることを知らされて感心しました。その原則は無機物にも植物にも動物にも本質的には同じものが適用されています。

しかし最も進化せる界層に顕現されている叡智と巧みさに満ちた豪華絢爛たる多様性も、原初におては単純な成分の結合に端を発し、永い進化の時を閲しながら単純なものから複雑なものへと発達し、ついに今日見るがごとき豪華な豊かさへと至っていることを思えば、その事実は当然のことと言えるでしょう。

 私が言わんとすることを例を挙げて説明してみましょう。

 その仕切りの一つを通って行くと、天体がいかにして誕生したかが分かるようになっていました。左側は神の思念が外部へ向けて振動し鼓動しつつ徐々に密度を増し、貴殿らのいうエーテルそのものとなっていく様子が分かるようになっていました。

それを見ると〝動き〟の本質が分かります。本質的には螺旋状(スパイラル)です。それが原子の外側を上昇して先端までくると、今度は同じくスパイラル状に、しかし今度は原子の内部を下降しはじめます(これが象徴的表現に過ぎないことをこの後述べている──訳者)。

空間が狭いために小さなスパイラルでも上昇時よりもスピードを増します。そして猛烈なスピードで原子の底部から出ると再び上昇スパイラルとなりますが、スピードは少しゆるやかになり、上昇しきると再びスピードを増しながら内部を下向していきます。

 原子は完全な円でなく、といって卵形でもなく、内部での絶え間ない動きの影響で長円形をしています。その推進力は外部からの動力作用で、もしその動力源をたどることができれば、きっと神の心に行き着くのではないかと私は考えています。

お気付きと思いますが、〝先端〟とか〝底部〟とか〝上昇〟とか〝下降〟という言い方は便宜上そう表現したまでのことです。エーテルの原子に上も下もありません。

 さて、エーテルの原子を例に挙げたのは、これを他のさらに密度の高い性分へとたどっていくためのモデルとしていただくためです。たとえば地上の大気のガス物質を構成する原子にまでたどっても、やはり同じ運動をしております。

エーテルの原子の運動とまったく同じ循環運動をしております。細かい相違点はあります。

同じスパイラルでも細長い形もあれば扁平なのもあります。スピードの速いのもあれば遅いのもあります。いずれにせよ原子の内側と外側のスパイラル運動であることに変わりはありません。

 鉱物の原子を見てもやはり同じ原理になっていることが分かります。また一つの原子について言えることは、原子の集合体についても言えます。たとえば太陽系の惑星の動きもスパイラルです。但し、惑星を構成する物質の鈍重さのせいで動きはずっとゆっくりしています。

 同じことが衛星の運動にも言えます。さらに銀河系の恒星をめぐる惑星集団、さらに銀河の中心をめぐる恒星集団についても言えます。

 ただし各原子の質量と密度の双方がスパイラル運動の速度に影響します。密度の高い原子から成る物質においては速度が遅くなります。しかしその場合でも原子の内部での速度の方が外部での速度より速いという原則は同じです。

内側の運動から外側の運動へと移る時は、動くのがおっくうそうな、ゆっくりとしたものになります。しかしあくまできちんと運動し、その運動は軸を中心としたスパイラルの形をとります。

月もいまだに軌道運動に関してその性則を維持しようとしています。地球を中心とするかつてのスパイラル運動をしようとしながら出来ずにいるかのごとく、みずからを持ち上げようとしては沈みます。地球も同じことを太陽の周りで行ってなっております。

完全な円運動ではなく、完全な平面上の円運動でもありません。地軸に対しても平面に対しても少しずつずれており、それで楕円運動となるのです。

 以上のようにエーテルの原子、地球のガス物質、および地球そのものについて言えることは太陽ならびに銀河の世界についても言えます。その運動は巨大なスパイラルで、恒星とその惑星が楕円を描きながら動いております。

 こうした情況を吾々はその巾広い通りの左側に見たのです。がその反対側には物的創造物の霊的側面を見ました。つまり両者は表裏一体の関係になっているのです。

そして吾々が位置している通りが両者を結びつける境界域となっているのです。地上生活から霊界へ入る時はそれに似た境界域を横切るのです。そしてやがてその〝部門〟から次の〝部門〟へと移行することになります。

横切る通りは言わば地球の人間と天界の人間とを隔てる境界ということになります。


──さっき述べられた原理すなわちスパイラル運動の原理の他にも何か観察されたのでしょうか。

 しました。あの原理を紹介したのは説明が簡単であり、同時に基本的なものでもあるから・・・・・・いや多分基本的だから単純なのでしょう。

 では、もう一つの原理を紹介しましょう。基本的段階を過ぎると複雑さを増し説明が困難となります。が、やってみましょう。

 吾々が知ったことは造化の神々は先に述べたエーテルの原子よりさらに遡った全存在の始源近くにおいて造化に着手されているということです。またエーテルの進化を担当するのも太古より存在する偉大なる神々であるということです。

そこで吾々はずっと下がって材質の密度が運動を鈍らせるに至る段階における思念のバイブレーションを学習することになりました。

そしてまず知ったことは、吾々学徒にとって最も困難なことの一つは、正しく思惟し正しく意志を働らかせることだということです。物質を創造していく上でまず第一にマスターしなければならないことはスパイラル状に思惟するということです。

これ以上の説明は私には出来ません。スパイラルに思惟する───これを習慣的に身につけるのは実に困難な業です。

 しかし貴殿は別の原理を要求しておられる。それでは感覚的創造物───植物的生命の創造を観てみましょう。

 例の〝通り〟の一つを進んでいくと片側に地球ならびに他の惑星上の植物的生命が展示され、反対側にその霊的裏面が展示されていました。

それを観察して知ったことは、植物界の一つ一つの種に類似したものが動物界にも存在するということでした。それにはれっきとした理由があります。

そしてそれは樹皮、枝、葉という外部へ顕現した部分よりもむしろ、その植物の魂に関連しております。が、それだけでなく、よく観察するとその外見と魂との関係にも動物と植物の関連性を垣間みることができます。


──どうもお話について行けないのですが・・・・・・もう少し説明していただけますか。

 では、いったん動物と植物の対比から離れて、それからもう一度その話に戻ってきましょう。その方が分かりやすいでしょう。

 天界はさまざまな発達段階の存在──権威において異なり、威力において異なり、性格において異なり、さらには各分野における能力において異なる存在がいます。

 このことは途上に関しても言えることです。

 従ってそれは動物界についても言えることであることがお分かりでしょう。動物は種類によって能力がさまざまです。それぞれに優れた能力を発揮する分野があります。性格的にそうなっているのです。馬は蛇よりも人間と仲良くなり易いですし、ハゲワシよりオウムの方が人間によく懐(なつ)きます。

 さて先程述べかけた類似に原理は、大ていの場合さほど明確でないにしても、植物界と動物界にも存在することが分かります。たとえば植物の代表としてカシの木を、動物の代表として小鳥を例にとって考えてみましょう。

カシの木は種子(どんぐり)を作って地上に落とします。これが土に埋もれて大地で温められ、内部の生命が殻を破って外部へと顕現します。

実はそのどんぐりと小鳥は構造においても発生のメカニズムにおいても本質的にはまったく同じなのです。

 この〝内部から外部へ〟という生命の営みは普遍的な法則であって、けっして敗れることはありません。それは又、現在の宇宙を生んだ根源的物質の奥深く遡っても同じです。エーテルの原子の説明を思い出してください。原子の最初の運動は内部に発します。

そこでは速度が加速され、運動量が集積されます。外部に出ると両方とも鈍ります。


 同じルールが他の分野についても言えることが分かりました。創造界の神々が順守すべき幾つかの統一的原理が確立されているということです。

そのうちの一つが、まず外皮があってその内部の美がそれを突き破って顕現し、その有用性に似合っただけの喜びが見る者の目を楽しませるということであり、また一つは二つの性──能動的と受動的──であり、循環器系でいえば樹液と血液であり、呼吸器系で言えば毛穴と気孔であり、その他にもいろいろと共通の原理があります。

 これ以上貴殿のエネルギーが続きそうにありません。これにて中止されたい。
                                アーネル ±


 訳者注──最後の部分がよく理解できないが、これは次の通信の冒頭でアーネル霊も指摘し、通信が正しく伝わっていないと言って、その補足説明を行っている。

しかし年代的にアーネル霊は中世の人間であり、オーエンは現代の人間であっても科学的には素人なので、内容の表現や用語に素人くささが出ている。

大巾な書き変えは許されないので原文のまま訳しておいたが、読者はその趣旨を読み取る程度にお読みいただきたい。

Saturday, June 8, 2024

シアトルの初夏 罰が当たるというようなことは、そちらの世界でもこちらの世界でもありません。

There is no such thing as punishment, neither in your world nor ours. Everything proceeds as a consequence of a cause. Punishment is the result of wrongdoing, the relationship between sowing and reaping.

 



シルバーバーチの新たなる啓示  一章 組織と綱領  

 スピリチュアリズム思想の真実性を信じている人のことを、便宜上、スピリチュアリストと呼ぶ。そのスピリチュアリストの英国最大の統一組織 SNU (Spiritualists National Union) が掲げる七つの綱領は、大部分の会員がそれを受け入れ、座右の信条としていることであろう。

 これは心霊誌 Two Worlds を創刊したビクトリア時代の女性霊媒エマ・ハーディング・ブリテンを通じて、霊界から霊言で届けられたものとされている。ある日の交霊会でその綱領についての評釈を求められたシルバーバーチは、建設的ではあるが非常に手厳しい評価を下している。


 訳者付記──折にふれて〝組織〟の弊害を戒めるシルバーバーチは、組織の代表を自分の交霊会に招くことは度々あったが、組織から招かれて講演したことは、私の知るかぎりでは皆無である。その最初となるべき一九八一年の世界スピリチュアリスト連盟の総会での特別講演が、その直前のバーバネルの急死によって実現しなかったのは皮肉だった。なお《サイキック・ニューズ》紙はいかなる組織からも独立した立場を取っている。


 1、神は全人類の父である。
「これは、用語が適切さを欠いております。神(ゴット)、私のいう大霊は、みなさんがお考えになるような意味での〝父〟ではありません。これでは、愛と叡智の無限の力、全生命の造化の大霊を、人間の父親、つまり男性とすることになります。かくしてそこに、偉大なる男性であるところの人間神というイメージができ上がります。

 大霊には男性と女性のすべての属性が含まれます。すべてを支配する霊である以上は、必然的に生命の全表現───父性的なもの・母性的なもの・同胞的なもの───を含むことになります。ありとあらゆる側面が大霊の支配下にあるのです」



 2、人間はみな兄弟である。

「ここでもまた用語が問題となります。〝人間〟を表わす英語の man は女性にも使えないことはありませんが、本来は男性中心の観念の強い用語です(女性は woman という)。 また、〝兄弟〟というのは〝姉妹〟に対する男性用語です。ですから、性別の観念を取り除いて、世界中の民族を一つの霊的家族とする観念を打ち出さないといけません」


 3、霊界と地上界との間に霊的交わりがあり、人類は天使の支配を受ける。

「またしても表現に問題があり、定義が必要となります。〝霊的交わり〟よりは〝霊的感応と通信〟とした方がよろしい。
 次の〝天使の支配〟も問題があります。〝天使〟とは一体何なのでしょう? 人間の形体をまとったことのない、翼のある存在のことでしょうか。地上の人間とは何の関係もない、まったく別個の存在なのでしょうか。この項目は表現がとても不適切です。

 霊的な支配は確かにあります。が、それは地上的な縁によってあなたと繋がっているスピリット、または特別な縁はなくても、あなたを通路として、地上に指導と支援と手助けと愛情を授けたいと願っているスピリットが行なっているのです」


 4、人間の魂は死後も存続する。

「この事実に例外はありません。人間の魂(個性)は大霊の一部であるがゆえに、地上で自我を表現するための道具だった物的身体がその役割を終えると同時に、そのままいっしょに滅んでしまうものではありません。魂は本質的に永遠不滅の存在なのです。だからこそ生き続けるのです」


 5、自分の行為には自分が責任を取らねばならない。

「これも、その通りです。議論の余地はありません。私たちが地上のみなさんに説き聞かせているあらゆる教えの中核に、この〝自己責任〟の概念があります。

原因と結果の法則、いわゆる因果律を、何か魔法でもかけたように欺くことができたり、自分の行為が招く結果をだれかに背負わせて利己主義が生み出す苦しみを自動的に消してしまうことができるかに説く教えは、すべてこの項目に違反します。

 スピリチュアリズムの教えの核心に、この〝各人各個の責任〟の観念があります。自分がこしらえた重荷は自分が背負わねばならないという、基本的原理を知らねばなりません。

それは、自分の人間的不完全さを取り除き、内部の神性をより大きく発揮させるためのチャンスであると受け取るべきだということです。いかなる神学的教義、いかなる信条、いかなる儀式典礼をもってしても、罪人を聖人に変えることはできません」


 6、地上での行為は、死後、善悪それぞれに報いが生じる。

「これまた用語の意味が問題です。人間の容姿をした神様が立派な玉座に腰かけていて、こいつには賞を、こいつには罰を、といった調子で裁いていくかに想像してはなりません。そんな子供騙しのものではありません。

 原因と結果の法則、タネ蒔きと刈り取りの原理が働くまでのことです。自動的であり機械的です。かならず法則どおりになっていくのです。あなたが行なったことが必然的にそれ相当の結果を生み出していくのです。報賞も罰も、あなたの行為が生み出す結果にほかなりません」



 7、いかなる人間にも永遠の向上進化の道が開かれている。

「生命は、霊的であるがゆえに永遠なのです。誰であろうと、何であろうと、どこにいようと、あるいは、現在すでに到達した進化の段階がどの程度であろうと、これから先にも、永遠へ向けての無限の階段が続いているのです。不完全さを無くするためには永遠の時が必要です。

完全というのは、どこまで行っても達成されません。どこまで行っても、その先にもまだ達成すべき進化の段階があることを認識することの連続です。無限に続くのです」

 続いて質疑応答に入る。

───あなたから見て、われわれ人間が心掛けるべき信条として一つだけ選ぶとしたら、どういうことを説かれますか。無理な注文かも知れませんが・・・・・・

「いえ、無理ではありません。実に簡単なことです。すでに何度も説いていることです。〝自分に為しうることを精いっぱい行なう〟───これです。転んでも、また起きればよろしい。最善を尽くすということ───これがあなた方人間に求められていることです。

 霊的真理の自覚が深まるほど、それだけあなたの責任も重くなります。自覚していながら、知らなかったとシラを切ってみても、無駄です」


───スピリチュアリズムの綱領の中には動物についての教えもあってよいはずだと思うのですが・・・・・・

「その通りです。私もそう思います。私だったらこう表現します───〝全人類は、地上で生活を共にしているあらゆる生物と隣人に対して責任がある〟と」


───ジャーナリストが霊媒やスピリチュアリズムを軽蔑する記事を書いたりした場合、そのジャーナリストはこの地上生活中に何らかの罰が当たるのでしょうか。

「罰が当たるというようなことは、そちらの世界でもこちらの世界でもありません。すべては 原因に対する結果という形で進行するだけです。罰は間違った行為の結果であり、タネ蒔きと刈り取りの関係です。

 問題は〝動機〟に帰着します。つまり、そのジャーナリストは自分の記事の内容を本当にそう信じて書いたのか、それとも正直とか公正とか真理探求といった高尚な問題の範疇に属さない、何か別の単純な動機から書いただけなのかといった要素が結果に影響します。蒔いたタネが実を結ぶのです。

 その結果がそちらの世界で出るかどうかの問題は、また別の問題です。出る場合もあれば出ない場合もあります。それに関わる霊的原理によって決められることです」

───台風のような自然災害によって死亡した場合、それは偶発事故による死ということになるのでしょうか。それともやはりそれがその人の運命だったのでしょうか。

「もしもその〝偶発事故〟という用語が、因果律のリズムの範囲外でたまたま発生したという意味でしたら、私はそういう用語は使いたくありません。事故にも、それに先立つ何らかの原因があって生じているのです。原因と結果とを切り離して考えてはなりません。

 圧倒的多数の人間の地上生活の寿命は、あらかじめ分かっております。ということは、予定されている、ないしは運命づけられている、ということです。同時に、自由意志によってその〝死期〟を延ばすことができるケースも沢山あります。

そうした複雑な要素の絡み合いの中で人生が営まれているのですが、基本的には自然の摂理によって規制されております」


───人間が動物の肉を食することは霊的に見て間違っているというのであれば、なぜ動物が動物を食い殺すことは許されているのでしょうか。なぜ神は肉を食べなくても済むようにしてくださらなかったのでしょうか。

「そういうご質問は私にでなく大霊にお尋ねになっていただけませんか。大霊の無限の叡知が全大宇宙のあらゆる側面に責任をもっております。人間は、身体的進化の点では、この地上における全創造物の頂点に立っています。他の創造物よりも進化しているということは、それらの創造物に対して先輩としての責任があるということです。

 進化の階梯において高い位置にあるということは、その事実に付随して生じるもろもろの意味あいを知的に、そして霊的に理解できるところまで進化しているということを意味します。

より高い者がより低い者を援助し、より高い者はさらにその上の者から援助を受ける───かくして、霊的発達というものは自己滅却(サービス)の精神と、思いやりと、慈しみを増すことであり、それが霊の属性なのです。

 人間は動物を食するために地上に置かれているのではありません。身体的構造をみてもそれが分かります。全体としてみて、人間は肉食動物ではありません。

 動物界にも進化の法則があります。歴史を遡ってごらんなさい。有史以前から地上に生息して今日まで生き延びている動物は、決して他の動物を食い荒らす種類のものではないことがお分かりになるはずです。

 ですから、これは人間の責任に関わる問題です。人間が進化して、その当然の結果として霊性が発揮されるようになれば、イザヤの言葉(旧約聖書・イザヤ書第十一章)が現実となります。すなわちオオカミが小ヒツジとともに寝そべり、仲良く安らかに暮らします。人間も、その霊的原理を実行に移せば、みんな仲良く平和に暮らせるようになるのです」


───核エネルギーも、それが善用されるか悪用されるかは、地上界の人間の責任ということになるのでしょうか。

「核エネルギーをどう利用するか───善用するか悪用するかは、もちろん深刻な問題です。戦争のための必要性に駆られて発明されたものが、実は霊的にはまだ正しく使いこなせない巨大なエネルギーだったことに、その深刻さの根があります。

 知的な発明品が霊的成長を追い越したということです。科学も、本当は霊的に、倫理的に、あるいは宗教的にチェックを受けるべきなのに、それが為されなかったところに、こうした途方もない問題が生じる原因があります。

人類は今まさに、莫大な恩恵をもたらすか、取り返しのつかない破壊行為に出るかの選択を迫られているのです。

 これはまた、自由意志の問題に戻ってまいります。これには逃れようにも逃れられない責任が伴います。大霊はその無限の叡知によって、地上の人間のすべてに、精神と霊と、モニターとしての道義心を賦与しておられます。もしも自由意志がなければ、人間はただのロボットであり、操り人形に過ぎないことになります。

 自分の行為への責任の履行なしには、神の恩恵は受けられません。その責任が課せられている人にしか解決できない問題というものがあるということです。

 核への恐怖が一種の戦争抑止力としての役割を果たしているという意見も出されるに相違ありません。たしかに物的観点からすればそうかも知れません。が、いずれにせよ、人間の為し得る破壊にも、限界というものがあります」


───責任の問題ですが、生まれつき知性が正常でない者の場合はどうなるのでしょうか。自分で物事が判断できない人の場合です。

 「道義心による警告に反応できない場合は、それだけ責任の程度が小さくなることは勿論です。脳の機能の異常による制約を受けているからです。神の公正は完璧です。そういう人にも向上進化の手段が用意されております。地上生活は、永遠の生命の旅路のホンの短いエピソード(語り草)にすぎないことを忘れてはなりません」


───自分の遺体を医学のために提供した場合に、何か霊的な影響がありますか。

「動機さえ正しければ、その提供者の霊には何ら影響は及びません」


───あなたはイエスのことを〝ナザレ人(ビト)〟とお呼びになります。別のサークルの指導霊のホワイトイーグル(※)はふつうに〝イエス〟と呼んでいるのですが、何か特別の理由があるのでしょうか。

※───シルバーバーチがバーバネルを霊媒として語り始める少し前から、女性霊媒グレイス・クックを使って語っていたインディアンで、クックが一九七九年に他界したあと、娘のジョーン・ホジソンを通して今なお語り続けている───訳者。

「同志の一人であるホワイトイーグルには彼なりの考えがあってのことでしょう。私はただ混乱を避けるために〝ナザレ人〟と呼んでいるまでのことです。

地上の人々は忘れてしまったか、あるいはご存知ないようですが、 Jesus (イエス)という名前は当時ではごく一般的な男性名で、たくさんのイエスがいたのです。そこで The Nazarene (ザ ナザレン) といえば〝あのナザレのイエス〟ということで、はっきりします。それでそう呼んでいるまでのことです」


───瞑想によって意識を高め、霊界の高い界層とコンタクトを取る方法があるのでしょうか。

「通常の意識では届かない界層と一時的に波動を合わせる瞑想法はいろいろとありますが、ご質問の意味が、通常の霊的意識の発達の過程を飛び越えて一気に最高級の程度まで霊格を高めることができるかというのであれば、それは不可能です。

 霊的進化はゆっくりとしたものです。それを加速する特別の方法というものはありません。段階を一つずつ上がっていくしかありません。途中の階段をいくつも飛び越えて近道をするというわけにはまいりません。成長というものはなだらかな段階を踏んでいくものです。そうでないと本来の進化の意味をなしません」


───三位一体説をどう思われますか。

「私は〝霊〟(スピリット)と〝精神〟(マインド)と〝身体〟(ボディ)による三位一体しか知りません。キリスト教神学でいうところの三位一体説───創造主が男性神つまり〝父〟で、その息子が贖い主としての特別の〝子〟で、それが、〝聖霊〟によって身ごもったとする説には根拠はありません」

───Witchcraft (ウィッチクラフト)(魔法・魔術・妖術)をどうお考えでしょうか。

「まず用語の定義をはっきりさせないといけません。一般の通念としては、相手の心身に危害を及ぼす目的をもって、不気味な手段によって邪悪なエネルギーを行使するということのようです。

 しかし語源をたどってみますと(witch は wise 〈賢い・知恵のある〉の女性形で、それが craft 〈術〉と結びついたもの)、けっきょくは、〝賢い術、およびそれを使う人〟という意味です。

それが〝魔法使い〟と呼ばれるようになったのですが、もともとは霊能者のことでした。形式はよほど原始的だったことでしょうが、その術には一種類ないしは複数の霊的能力が伴っておりました。

 当時は無知と迷信がはびこっておりましたから、次第に誤解されるようになりました。時には国家権力や宗教を覆す策謀があるのではないかとの嫌疑で罰せられたり、拷問にあったり、処刑されたりしました。しかし本来は霊的能力を使って病気治療や人生相談の相手をする人でした」


───死刑廃止論が多いようですが、何の罪もない人間を巻き添えにしたテロ行為が多発している現状を考えると、尋常な防止手段では効果がないように思えます。そうした罪もない犠牲者を出さないためにも、死刑という厳しい処罰も考慮すべきではないでしょうか。

「死刑制度のお蔭で一般の人々の生命が守られたという明確な証拠でもあれば、あなたのご意見も一理あることになるでしょうが、そういう事実があるとは私には思えません。原則として人間が人間の生命を奪うのは間違いです。なぜなら、人間には生命を創造する力はないからです。

 私は、死刑制度によって事態は少しも改善されないと信じます。殺人行為を平気で行なう者が、絞首刑その他の処刑手段に怯えて行為を思い止まるようなことは、まず有り得ないと考えます。いずれにせよ、死刑に処することは正義からではなく報復心に駆られているという意味において、間違いです。

 いかなる場合においても、生命の基本である霊的原理から外れないようにしなくてはなりません。殺人者を殺すことによって、殺された人は少しも救われません」


───これから犠牲者となるかも知れない罪なき人々を救うことにならないでしょうか。

「ならないと思います。これまでの永いあいだ同僚たちと話し合ってきた挙句の結論として私は、地上社会の司法と行政が、霊的存在としての最高の知識に基づいたものとなるべきであることを、ここで強く訴えるものです。国家による殺人では問題の解決にならないということです。

 生命は神聖なるものです。そのことをあらゆる機会に訴えないといけません。地上の人間としてはこれしかないと思えることも、全体像のごく一部としてしか見ていないものです。霊的にはちゃんとした埋め合わせと懲罰とがなされているのです。

大霊をごまかすことはできません。すなわち、無限の知性と無限の叡知から編み出された摂理が、無比の正確さをもって働くのです。

 そのことに十二分に得心がいくようになってはじめて、地上の社会組織が改められていきます。テロ活動を行なう者には、その間違いを思い知らせるような体験をさせられる仕組みになっているのです。それを野蛮な手段で片づけてはいけません。

地上的生命を奪うような手段は絶対に許されません。生命の絶対的原理に照らした手段に訴えないといけません」


 ───今の時代になぜ暴力沙汰が絶えないのでしょうか。

「振子と同じです。因襲的なものや伝統的なものに対する不満が、今の時代に至って爆発しているのです。それに加えて、物量第一主義の台頭が貪欲と強欲と自分中心主義を生み出しております。

 しかし、振子は大きく振れたあと、かならず元に戻ります。そして、前よりは進歩した形で調和をもたらします。物質中心の思考が人類の意識を支配しているかぎり、それが生み出す不快な結果が自動的に生じます」



Friday, June 7, 2024

シアトルの初夏 互いに扶助し合うということが生命の大原則だからです。

This is because helping each other is a fundamental principle of life.




わたしたちも大霊の使いです。

地上生活を終えたのちの永い体験によって地上人類としては他の霊に較べて少しばかり進化を遂げました。

そこで、その体験をたずさえて引き返してきたのです。

互いに扶助し合うということが生命の大原則だからです。

互助のないところには荒廃があるのみです。

互助のあるところには平和と幸福があります。

地上世界も互助の精神によって新しい秩序を生み出さないといけません。

いたって簡単なことなのです。

が、それを人間が難しくしているのです。

シルバーバーチ

Wednesday, June 5, 2024

シアトルの初夏 このように私たちは人間の霊的成長を促す分野に携わる者です。

In this way, we are involved in the field of promoting the spiritual growth of humans.



誤解を超える日

 神よ、私たちは、あなたの完璧な摂理の背後に秘められた完全なる愛を説き明かさんと努力している者でございます。人類はその太古より、あなたがいかなる存在であるかを想像しながらも、その概念はいつも人間的短所と限界と制約の上に築かれてまいりました。

宇宙の生命活動を律するその霊妙な叡智を、人間はかすかながら捉え、それを人間に理解できる言葉で説明せんとしてまいりました。

あなたの性格を人間のすべてに共通する弱点と欠点と感情を具えた一個の人間として想像しました。

気に入ったものには恩恵を与え、気に入らぬ者には憤怒(ふんぬ)を浴びせる人間味むき出しの神を想像いたしました。

その後の進化に伴って人間の知識も進歩いたしましたが、この大宇宙を創造した究極の存在について想像したものは真のあなたの姿には遠く及びません。

無限なる存在を有限なる言葉で表現することは所詮いかなる人間にも不可能なのでございます。

あなたの尊厳の神性、あなたの愛と叡智の永遠性は、五つの感覚のみの物質の世界に閉じ込められた人間が理解するのは不可能なのでございます。

そこで幸いにして実在の別の側面を体験させていただいた私たちは、あなたが定められた摂理の存在を説いているところです。

すべてを包含し、すべてを律する法則、不変不朽(ふへんふきゅう)の法則、無数の生命現象に満ちた宇宙における活動を一つとして見逃すことのない法則、すべての自然現象を律する法則、人間生活のすべてを経綸する摂理に目を向けさせようとしているところでございます。

 一宗一派に偏った神の概念を棄て、宇宙がいかなる法則によって支配されているかを理解することによって、そこに連続性と秩序とリズムと調和と完全なバランスの観念が生まれてまいります。

一人一人が無限なる組織の中の一部であり、自分一個の生命活動もあなたのご計画の中に組み入れられている事を自覚いたします。

私たちの仕事は人間の霊に宿されているところの、人生に輝きを与えるはずの資質、いまだに未知の分野でありながら莫大な可能性に満ち、その活用によって人間生活に豊かさと生き甲斐、荘厳さと気高さ、人生観を一変させてしまう広大なビジョンと精神的飛躍を与えるところの魂の秘奥を明かすことにあります。

それこそ人間を永遠なるものとつなぐものであり、それこそあなたがお授けくださった神聖なる属性であり、それを開発することが少しでもあなたに近づき、存在の意義を成就し、あなたの遺産を相続する事になるものと信じるのでございます。

このように私たちは人間の霊的成長を促す分野に携わる者です。

そこが人間が、これまで最も無知であった分野だからでございます。

その無知の暗黒を払いのけることによって初めて、あなたの真理の光が人類の水先案内人となりうるのです。

闇の存在はことごとく消え去り、あなたの御子たちは、あなたの意図されたとおりに自由に堂々と、神性を宿すものにふさわしい生き方に立ち帰ることでございましょう。

ここに、ひたすらに人類のためのみ願うあなたの僕の祈りを捧げます。


  <『シルバーバーチの霊訓(2)』14章より>

Tuesday, June 4, 2024

シアトルの初夏 魂の内奥に潜む実在を見出しているところでございます。

We are in the process of discovering the reality that lies deep within our souls.

ああ、真白き大霊よ。

あなたの無限性を物質に閉じ込められている子等にどう説明すればよろしいのでしょうか。

言語を超越しておられるあなた、いかなる尺度をもってしても計ることのできないあなた、その叡智は地上のいかなる智者の叡智をも超越し、その愛はかつて地上で示されたすべての愛をも凌ぐ無限なる存在にあらせられるあなたを、わたしはどう説き明かせばよろしいのでしょうか。

全生命の大源におわしますあなた、あらゆる存在を通してその霊性を顕現しておられるあなた、物質の世界と霊の世界の区別なく、生きとし生けるものすべてに見出すことのできるあなたを、わたしはいかに表現すればよろしいのでしょうか。

わたしは全大宇宙とそこに顕現せるものすべて――あらゆる活動の中に顕現している生命の律動(リズム)に目を向けさせます。

昇っては沈みゆく太陽、夜空にきらめく星座、心地よく屋根をうつ雨音、ささやくような小川のせせらぎ、のどかな蜜蜂の羽音、風に揺れる可憐な花々、そして轟く雷鳴と闇を切り裂く稲妻に目を向けさせます。

かくして生命のあらゆる現象に向けさせたあと、わたしはそれがあなたとあなたの摂理の表現であることを確信をもって明言いたします。

何となれば、あなたは摂理そのものにあらせられる――永遠にして不変の摂理として顕現されているからでございます。

その顕現の中でも、物質の世界よりも高度な次元に属するわたしたちは、その次元すなわち霊の世界において知れわたっている不変の因果律を教えるべく、こうして地上へもどってまいります。

わたしたちはあなたを有るがままの存在として啓示し、物質に対する霊の優位性を立証し、あなたとわたしたち子等との霊的な絆を教え、物質の子等もあなたの一部であり、あなたの霊性がすべての子等に宿り常に表現を求めている事実を理解させたいと願っております。

ああ、真白き大霊よ。

わたしたちはあなたの叡智のお蔭をもって、内奥のより高き自我を呼び覚まして生命の大源たるあなたとの調和をもとめることをお許しくだされたことに感謝の意を表します。

神性を帯びたあなたの遺産を求めそして我がものとし、魂の内奥に潜む実在を見出しているところでございます。

願わくばこの光の神殿(交霊会)において、これまで久しく忘れ去られながらも、あなたを求めた数少ない霊覚者にのみ明かされてきた霊的摂理のいくつかを立証することができますように。

ここに、人の役に立ち愛の摂理を立証することをのみ求める、あなたの僕
の祈りを捧げます。

シルバーバーチ