さて、前回書いたように、今回は、タイトルの通り、先週、KYOTO GRAPHIE(京都国際写真祭)の開かれている京都に行ってきたので、そのことを書いておこうと思います。
とはいえ、KYOTO GRAPHIEの何たるかを語るほど、KYOTO GRAPHIEについて知っているわけではない…。
私は、京都自体には縁がありまして、ここ15年ほど、コロナ渦の2年間を除き、ほぼ毎年行っているのですが、記憶にある限り、GWに行ったのは今回で2度目。
KYOTO GRAPHIEを見るのは、初めてです。
京都は、GWに写真のイベントをやってるよね、というくらいの認識でした。
KYOTO GRAPHIE2024
というわけで、早速、感想を。
5月4日が自由行動ができたので、この日に回れるだけ回ろうと計画を立てました。
メインプログラムがNo.13まで、12会場で開かれているので、これを全部回ることは不可能。
結局、回れたのは、5展示4会場でした。
そして、GWの京都と言えば、春の古書大即売会という、古本市も開かれているのですね。これにもいかないと、本好き人間の名折れということで、5展示4会場+古本市というハードな1日となりました。
10時頃でて17時ごろまで、自転車での移動と鑑賞、そして本の品定めをすることに。
5,ヴィヴィアン・サッセン
まずいったのは、No.5ヴィヴィアン・サッセン「発光体:アート&ファッション 1990–2023」。
(会場内も撮影可能でしたが、あまり出すものでもないかなと思い、主に外からの写真のみで進めます。)
ヴィヴィアン・サッセン。
私は、ほぼ、知識はなく、初めて見るなと思いながら行ったのですが、説明を読んでみると何かで読んだことがあるぞ…しかも、最近、ということを思い出す…。
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後藤繫雄著「現代写真」。これの表紙の写真が、ヴィヴィアン・サッセンでした。
私はこの「現代写真」は、全部読んでないんですが、気になるところを斜め読みしていたんですね。この中に、確かに、アフリカを舞台に、写真を撮るオランダの写真家の話があったぞ、と。
この表紙の写真自体は、展示にはなかったですが、おそらく同じシリーズの写真は展示がありました。
クリアで強烈な光の中で撮られた、セットアップの写真。
奇妙で、不思議な感覚を覚えます。
「現代写真」から引用すると
強いオピニオンはいらないと考えています。作品を通して主張するのではなく、鑑賞者が作品を見て、独自のインタープリテーションを開いていけるイメージが好きです。
インタープリテーション…つまり、解釈は、そちらで自由にしてほしい、ということらしい。
ここの展示は、非常に凝っていて、京都新聞社のビルの地下での展示でした。どうやら、元は印刷工場らしいのですが、そこをほぼ真っ暗のまま使い、「発行体」の展示名の通り、ヴィヴィアン・サッセンのビビットな色彩の写真が並ぶという形。
さらに、奥の方で映像展示もやっていて、その効果音が、鼓動のように響いているという空間自体を体感する印象的な展示でした。
2,ジェームス・モリソン
2つ目の展示は、No.2のジェームス・モリソン「子どもたちの眠る場所」。
会場は、京都芸術センター。ここは、廃校舎(だと思う)をそのまま使った趣ある建物が特徴。
この展示は、世界中の様々な境遇の子どもたちのポートレートと寝室(ベッドルーム。それはある子どもたちにとっては、ルームではなく、路上であったり、家族と共同で使うスペースだったりする)を撮ったという非常にコンセプトのはっきりした展示でした。
子どもたちのおかれている格差ということは、確かに、あるわけです。ブラジルのストリートチルドレンから、大邸宅に住むアフリカ(どの国だったか…)の男の子まで、多様な境遇です。
格差を感じるのはもちろんなのですが、しかし、レジリエンスも感じる、子どもたちの可能性や強さ、また多様性も感じるというアンビバレントな印象を受けました。
9,イランの市民と写真家たち
ここは会場の写真がありません。撮るのを忘れた。というのも、入り口が分からなくて周辺をグルグルする羽目になり、焦ってしまったという。
余談ですが、京都市は、自転車は駐輪場(主に有料)に止めないといけないんですね。路上駐輪はほぼない…駐輪にも手間取りました。(一方で自動車はなぜか路肩駐車が横行している。なぜ?どんな倫理感なの……?)
イランの市民と写真家たち「あなたは死なない―もうひとつのイラン蜂起の物語―」。
2022年、ヒジャブの着用の仕方が不適切とされて、治安警察に拘留され、のち急死したクルド系イラン人の女性マフサ・ジーナ・アミニ(ジーナは愛称)。この事件が、「女性・生命・自由」をスローガンとするイラン全土を巻き込む抗議運動に発展し、政府側は実弾を含む苛烈な弾圧を持ってこれに応えることになります。
SNSで投稿された匿名のイラン市民の写真を使いながら、この抗議運動の一端を垣間見る展示でした。
これは、見ておきたくて、何とか、スケジュールに組み込みました。
街中でヒジャブをはずし座る、あるいは、抗議行動の前で自動車に登りアピールする勇気ある女性の行動。…必ずしも、この抗議行動自体が、体制を変えるなどの「成功」に至ったとはいえないのですが、しかし、行動なくして自由もまたないということを強く印象付ける展示でした。
「あなたは死なない」は、ジーナの墓に叔父がささげた一文からとられているようです。
親愛なるジーナ、あなたは死なない、あなたの名前はシンボルになる。
11,川田喜久治 12,川内倫子、潮田登久子
この3人(2展示)は、京セラ美術館(左のレトロモダンな建物)での展示でした。
ここに入る前に近くのみやこめっせという会場で、古本市がやっていたので、まずそちらに入ることに。
そして、本をゲットし、後顧の憂いをなくしておいて、私が巡れる最後のKYOTO GRAPHIE会場に向かいました。
どちらからでも入れるのですが、番号の若い順で行こうと、まず川田喜久治「見えない地図」から見ることに。
川田喜久治氏については、若干ながら予備知識がありました。1933年生まれ(つまり90歳超)ながら、現在もInstagramで精力的に作品を発表し続けるレジェンドですね。
写真作品は、モノクロのハードなものが多く、そういう意味では、後の川内+潮田の透明感を感じさせる展示とのコントラストがありました。
ここでは、映像展示として、おそらくはInstagramで公開した作品群(だと思う)が、不規則に明滅しながら映写されていました。
その速度と不規則さが、一つ一つの写真を解体し、意味をはぎ取り、見る者の受容を拒みながら、イメージそのものとして叩きつけてくるという写真体験…。
また、金環日食を撮ったモノクロの一枚もあったのですが、こちらがトートバックになっていて、欲しいけど、どうしようかな、と物販前でしばし迷ったのですが、最終的に買っていくことになりました。
そして、No.12の川内倫子「Cui Cui + as it is」、潮田登久子「冷蔵庫+マイハズバンド」。
まず、潮田展が先にあり、その後、川内展の会場に向かうという構成。
川内倫子氏が、今回の展示にあてて、相手役に潮田登久子氏を指名した対話的プログラムということでした。
潮田氏の展示は、冷蔵庫を定点で撮った写真群と、写真家である夫(島尾伸三氏)を自宅で撮った写真群。
川内氏(1972年生)と潮田氏(1940年生)は、ちょうど一世代、親子ほどの年齢の差ということで、写真表現としては、潮田氏がフロントランナーとして切り開いてきた、それを受け継いだ世代が川内氏ということになるだろうと思います。
対話的ということで、「暮らし」を実直にテーマとしている共通点、そして、潮田氏のモノクロを基調とし、また自然体というよりはどこか撮るということの非対称性に自覚的に見える写真群(マイハズバンドシリーズの島尾氏は、カメラの方に目線を投げかけている写真が多く、撮られていることを意識しており、それを潮田氏がチョイスして作品にしているということは、撮ることの「意味」を自覚しなければならなかったはず)と、その先に開けた写真表現の地平で、川内氏が、カラーかつ淡い色調のハイキーな写真で、「自然体」で家族を撮った写真が並びます。
川内氏の「自然体」というのは、おそらくは、写真がより身近に、より普遍的に、より平易に扱われるようになったちょうど一世代の時間の流れが反映されているのだろうと感じました。
川内氏の写真は、父親の死と娘の誕生を主軸にして、暮らしの中に移ろう生と死を、てらいなく捉えています。その中に挟まれるスイカの写真など食べるイメージも、生きることの表現なのでしょう。スイカの写真が、ポストカードになっていたので、ゲットをしてきました。
ということで。
駆け足のKYOTO GRAPHIEでしたが、それぞれ回った展示は印象深く残りました。
もっと時間がとれればなあ、と思いつつ、一日周れたので満足としておかねばなりますまい。
KYOTO GRAPHIEは今週末5/12(日)までということです。
(私にしては、明らかに頑張って本を控えめにした今回の入手品)
ではまた。
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