仁元堂の中村です。
仁元堂は、1999年から三重県津市で開業している「カウンセリング」「整体」「アロマテラピ~の教室」です。
こころのこと、健康のこと、からだのこと、本の話など、色々つぶやいておりますので、のぞいていただけると幸いです。
コメントや感想も、大歓迎です♡

よろしくお願いいたします(*^-^*)
 
仁元堂のつぶやきにようこそ。
 
少し間が空いていますが
いじめについての記事を
いくつか書いていました。
 
こに行ったのかわかりませんが

衝撃を受けました。

似たような記事が
ありました

 

 

「いじめた」と認定…。
なんて残酷な記事でしょう。

しかもこのケースでは、
認定されたという娘さんは、
納得がいかない
ようです。

学校は警察ではないし、
いじめは概ね特定の人がするんですが、
連帯責任だと私は思っています。

「いじめられた側」の方や、
ことの全容を知らないので
このケースについてのコメントはできませんが、
もう一度いじめについて
書いてみたいと思いました。

前回までの記事はこちら

いじめられた側の私からの立場で言うと、
「誰がやったのか」なんて、
どうでもよい話
だと思います。

実際
「いじめた人」が認定されて、
「謝りなさい」などという場面には
耐えられないし、

「ごめんなさい」と言われても、
許すことはできないし、
納得できません。


もしこれが
「金銭的・肉体的な被害」があった場合など、

であれば、
その人は
「加害者」となってしまうわけで、
そうなると犯人かもしれません。

こういうケースだと
「いじめたと認定」というレベルではなくなります。

しかも、金銭的・肉体的被害があれば、
それは犯罪だと思います。


もしこれが
「いじめを苦に自殺」だとすると、
本当にことは難しくなります。
 
よく裁判所などで争われている、
自殺といじめに因果関係があったかどうか、
という話になります。

いじめられたという経験のある方、
もし
「悪かった」と謝られたら、
どんな気持ちでしょうか?


いじめた経験のある方、
謝りたいですか?


実は、
整体の仕事をさせていただいているので、
患者さまにはいろいろな方がいらっしゃいます。

その中には、私の同級生もみえました。

私のほうは特にわだかまりも何もないのですが、
やはり私がいじめられていたことを
知っている方
でした。


そして
整体を受ける以外に
その方には目的があったようで、
私にこんな話をされました。

・あなたがいじめられていたことは知っていました。
  私は積極的に加担はしていませんでした。

・でも、あなたがいじめられなくなれば、
  ひょっとすると次は自分に回ってくるのではないか
  と思い、怖かった。

・自分には、当時知られると
  いじめにあう可能性のある秘密があった。

・あなたがターゲットになっている間は、
  自分は安心できた。

・なので、知っていても、見てみぬふりしかできなかった、 
  ごめんなさい。

その当時は
「そんな昔のこと、
もう忘れたし、
私にはもうどうでもよいことなので、
気にしないで」

その時には言いました。


あなたならどう答えますか?

大体いじめって複雑な構造をしています。

例えば、AさんとBさんの話として。

Aさんが直接Bさんをいじめている、

それはパワーバランスが対等であれば、
いじめではなく喧嘩です。

パワーバランスがうまく合わなくて
一方的にやられているのであれば、
ハラスメントです。


いじめというのは、

Aさんが「Bさんをいじめよう」と決めるのですが、
Bさんに直接手を下すのは、
その他大勢です


Aさんに
多くの人が賛同して起こる現象
です。

その賛同も、
もしそうしなければ自分がやられるから、とか、

Aさんと一緒にいることにメリットがあるか、

興味本位で何も考えていないか、です。


そして、賛同していない人も、
直接関わらないという、
遠巻きの賛同
をしています。

そして、いじめられていることに
周囲が気付いてあげることができるかどうか、
 
もしそこができないのであれば、
「いじめに加担している」とは言わないまでも、
構造の中の一つになってしまう可能性があります。

また、「いじめ」の内容も複雑です。

大勢で無視する、
積極的に言葉で攻撃する、
モノを隠したりいたずらする。

大勢での無視は、
誰がいじめたかなんてわかりません。

私の時代はこの程度でしたが、
今から20年くらい前には菊の花を机に置いて
「葬式ごっこ」などと言って、
生きてすらいないことにするなんて話もありました。

積極的に言葉で攻撃するのは、
誰が言ったかはすぐわかりますが、
 
Aさんはわざと
「お前らそんなこと言ったるとかわいそうやろ」
「そんな本当のこと言って」とか言って、
 
笑って肯定するケースもあります。

教科書を隠されたり、
靴を焼却炉に捨てられたり。
(今の時代は焼却炉ないですか(笑))

今では、ネット化してSNSなどで悪口を言う、
それを拡散するなんてものもあります。

以前にも書きましたが、
 
AさんもBさんをいじめることで、
生きていられているのです。

いじめをするAさんに
「いじめないように」いうことは
何の問題も解決しません。

Aさんにも、
Bさんをいじめなくても生きていける力が必要です。

Bさんに必要なのは、
 
Aさんからの謝罪ではなくて
一緒にそのことについて考えて、
頼ることができる第三者です。

謝罪してもらったところで、
現状が変わるとは思えません。

現に、
私は当時のことをそんな風に言ってもらいましたが、
そのことによって何かが変わることはなく、
 
かえってざわざわする嫌な思いだけが残りました。

「…そう思っているのなら、
 なぜ今そのことを伝えたのか。
 
 彼女は自分が楽になりたかっただけなのでは?」

そんなことまで考えました。

(金銭的・肉体的な問題は、
 謝罪だけでなく、
 きちんとそのことを償って補償することも必要です)。

いじめは、
被害者と犯人を分けて
特定することでは解決しません。

ましてや、
誰かを「いじめた」と認定した時点で、
その問題をあたかも解決したように感じているのでは、
 
お話しになりません。

以前いじめを交通事故に例えました。

交通事故も、
加害者と被害者だけではない、
複雑な構造をしています。

わざとではない場合もあります。
 
被害にあって血を流している方に
救急車も呼ばずに遠巻きに見ているだけでは、
加害者と同じです。

アルコールを摂取した後の交通事故では、
「逃げたもん勝ち」
今でも成立してしまっているようなところもあります。

事故の原因を考えないと、
事故は減りません。

そんなことを感じながら、この記事を読みました。
今回はこのあたりで、失礼いたします。
皆様のご意見やご感想などお待ちしております。
 

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