WISEのビジネスパワーブログ「(多分)98%が偽物で、2%くらいしか本物はいない、ということにまず気づくということ②」
InfiniteChange株式会社のWISEです。
弊社は、「己の志、信念を持ち、真っ当に生きることができる社会」を目指し、「起業・フリーランスの独立支援企業として、人間性をもって一線を画すこと」を目標にしています。
弊社に関わるクライアント、協力・支援企業の方々には、「自分の道を知り、歩み、本気で生きる喜びと、それを通して社会貢献する達成感」を提供させていただきます。
そのために、知識・実績のみならず、精神性を大事とし、尊敬、目標とされる人物になることを一同目指します。
まずは、本気で生きる、本質を自分に持つことから、「自分自身の人生が始まる」ことを提唱するため、本ブログを開設し、代表である私自身が、本気で自分の中の本質について模索、語らせていただきます。
これからの日本、世界が、50年、100年後、心から生きることを楽しむ人がもっと増えることを願って!(^O^)
(多分)98%が偽物で、2%くらいしか本物はいない、ということにまず気づくこと
オリンピックももうそろそろ終盤ですね。
前回も少し触れましたが、体操の内村航平選手は、素晴らしかったですね。
今でも感動が残っています。
特に勝利後のコメント。
「出し切っての結果なので、嬉しいというより、幸せ。」
例えば宝くじが当たったら、「嬉しい」でしょうが、内村選手の言う「幸せ」に到達できるでしょうか?
幸せは自分が感じること、というのはよく言われることですし、私もそう言いますが、こういう感覚は、あのレベルに行かなければ、内村選手だからこそ感じられる「幸せ」なのだろう、と。
私って、今幸せだな、と思うことはいつでもできるのですが、それとはまた少し別のように感じます。
自分が好きになれることを見つけ、それをやることができ、それで結果が少しずつ出て、周りに応援してもらって、自分がもっと頑張り、それを大舞台、たった一度の失敗も許されない世界で、自分の満足のいく演技をすることが出来た。その結果、金メダル、世界一の称号が取れた。
確かに、もう、幸せ、ですね。
それは、世界を超えて、時代を超えて、愛される「精神」です。
私は、以前「哲学なんか勉強しても、なんの意味もない、価値もないのに」と何度も言われたことがあります。(最近は私の出会う人の質が変わったのか、むしろ面白がってくれる方が増えましたが(笑))
でも、なら「サッカーやスポーツって、それをやって何かそこまで価値や意味、いいことありますか?」と。
お医者さんになるのでもなく、サッカーやっていたって人の命を救えるわけではありませんよね。
サッカーやって、どうやって人の役に立つのですか?
そういうと、ものすごく怒られるんです。
お前はあのスーパースターを知らないのか!?その努力も知らないで!とか、
スポーツを見て感動しないのか!?夢や希望を与えるんだぞ!とか、
スポーツは健全な精神や協調性を育てるために必要だ!とか、
私はそれらを否定するつもりはないですし、むしろスポーツを見て感動しますが、
スポーツをやるように、スポーツを見るのと同じように、哲学者の書いた本を読めば読むほど考えれば考えるほど、一流選手のスーパープレーをみたときのような「感動」を覚えるのです。
まっすぐに、曇りなき眼で自分の人生と向かっていたら、必ず、哲学者に出会うはずです。
哲学者だって皆努力しているし、素晴らしい考えや論法を生み出した人もいるし、
それで私は感動するし、人々に夢や希望を与えたし、
健全な精神を育てるためにはそれこそ哲学抜きには語れないと思います。
哲学を学んでも、お金にならないよ、というのと、サッカーのスーパープレーヤーになれば、ものすごくお金が稼げるよ、というのは、この世界の資本主義経済のたった一時代の一部を切り取った価値観に過ぎないと思います。
スポーツのスーパープレーヤーになって、お金稼いで病院作ったり、有名になってボランティアでお金集めたりして人々を助けることができるのも、現実的に素晴らしいことですが、そのお金もらえる根拠、有名になれる理由、ファンができるのは、なぜか。
勿論そのスポーツ自身の面白さもありますが、そのスポーツを通した「精神性」が見えるからのはずです。それに「価値」を感じるからだと。
だからこそ、プロスポーツ選手には「人格」が求められるのです。
ノーベル文学賞を取った、日本では「車輪の下」で有名な「ヘルマン・ヘッセ」の、その受賞作品は「ガラス玉演技」でした。
これは、私の解釈では、一種のファンタジーで、数百年、数千年後の人間世界において、哲学や文学、数学、音楽、美術、スポーツ、ありとあらゆる人間の才能の全てが融合した何か=ガラス玉演技、という種目、学問?なのか、ちょっと区分が難しいのですが、それが世界でもっと高い価値に置かれており、その演技を互いに高め合う世界、という設定です。
もし、そんな世界になったとしたら、ある意味哲学的スーパープレーヤーが社会的地位の最上位に位置しますし、その世界では「お金」の尺度はそこまで重要ではないはずです。
スポーツより哲学が素晴らしい、とかその逆とか、そういうお話ではなく、どちらにしろ、結局は精神性がそれらを通して育ち、その精神こそが人に感動を与え、残るもの=本当の価値のあるもの、になると私は思います。
前回のお話の続きにつなげます。
「本物」「良い物」「価値のあるもの」とは何か?
伝説の営業マンが私に言ってくれたヒントであり、答えは、
「人々に長く「良い物」「本物」「価値」とされてきているもの」でした。
この「長く」というのがポイントだと私は思います。
ヴァチカン美術館、ウフィツィ美術館、見たときに、もちろん「有名だから」「歴史があるから」より「価値」が増すのかもしれませんが、
でも、やっぱり見て思いました。
今の時代、これからARやVRが当たり前になって、正直ヴァチカン美術館などの作品よりも、きれいなものは、映画館の映像でだって見れてしまうかもしれないし、簡単に作れてしまうようになるのかもしれません。
ヴァチカン美術館、ウフィツィ美術館の作品なんかより、こっちの方がいいや、なくてもいいじゃん、なんて時代、あってもおかしくないかもしれません。
そもそも、当時の人たちの感動に比べたら、私の感動は少ないかもしれません。
それでも、当時、これだけのものを作った人々の「精神」が、私たちに、じゃぁ、こんなもの大したものではないじゃないか、とは思わせてくれないだろう、と私は思います。
長く人に「良い」と思われるもの、「本物」「価値がある」とされるものは、
どれだけ高い精神性が具現化しているか?だと、私は思います。
なぜ、聖書や仏教が未だに現役で残るのか?
政治利用の側面もあったかと思いますが、それでも、「イエス」「ブッダ」の精神性の高さゆえです。
長く残る良い物=死んでもなお続くもの=決してお金や地位・名誉ではなく、精神の結果です。
吉田松陰は、自分が死んで、7度生まれ変わって初めて自分をほめる、と書き残しています。
これは吉田松陰の魂観からくるもので、自分は偉人のお墓の前で涙がでるのは、偉人の魂が自分に働きかけるからであって、その時、その偉人の魂は自分の中で新しく「よみがえる」のだと。
自分も死んで、人々の心、魂に働きかけられるだけの生き方をすることが出来れば、自分はそのたび魂がよみがえることになる、それが7度起きたら自分をほめてやろう、という一説なのです。
生きている間のことなんか、眼中にない!!!
(この考え、志を戦中の教育で武士道精神や愛国心とで兵隊を教育してぐちゃぐちゃにしたおかげで、一部でタブー視されているのですが)
私は、常に本質を意識しているタイプの人間だと思います(もちろん見誤ることもたくさんありますが)。
日本におけるパスカルの第一研究者であった三木清さんの書いた「人生論ノート」には「死というものが確実で、生きているということの方が不安定な曖昧なもの」と書かれています。
だから「全ての観念は「死の観念」から始まる」と。
私は、自分は死ぬ、だから死んで残ったものが、自分の「本質的な人生」なんだと考えます。
生きているうちの、生きているからこその面白いこと、楽しいこと、それは十分味わいつつも、自分の本質的な「生」は、死んでから見えるものだと思います。自分の人生とは、なんだったのか。
「お金を残せて三流。組織(会社)を残せて二流。人物を残せて一流。」と、私を育ててくださった経営者の方がよく仰っていました。
精神性を磨き、それを生きているうちに社会に具現化し、人に伝えて残していけるか?が、本来の人々の真っ当な生き方の方向性と私は思っています。
そこで大事なのは、この「精神性を磨く」ことだと思います。
そのためにこそ、ここで、「偽物」「悪い物」が必要になってくるのです。
この世に嘘っぱち、表面ばかりなものが多いことを嘆く必要はないのです。
むしろ、それらを見極めること=自分の精神を磨くことでもあるからです。
この世に完璧な、良いものだけが存在していては、それが本当に良い物かどうか、本物かどうかを見極めることができなくなってしまいます。
だから、偽物、悪い物は、なければいけないのです。
さらにその先に、よりよいものどうしの切磋琢磨があります。
芸大の学長が、ほんの一握りの才能のある学生の才能をさらに、磨くために、そのほかの学生がいる、とお話されたことがあります。
その努力の過程がきっと喜びであり、その結果というのが、内村航平選手のいう「幸せ」につながるのではないでしょうか。
WISEのビジネスパワーブログ「(多分)98%が偽物で、2%くらいしか本物はいない、ということにまず気づくということ①」
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まずは、本気で生きる、本質を自分に持つことから、「自分自身の人生が始まる」ことを提唱するため、本ブログを開設し、代表である私自身が、本気で自分の中の本質について模索、語らせていただきます。
これからの日本、世界が、50年、100年後、心から生きることを楽しむ人がもっと増えることを願って!(^O^)
(多分)98%が偽物で、2%くらいしか本物はいない、ということにまず気づくこと
まずは、何をもってして「本物」というのかということ自体が難しいことですが。
オリンピック盛り上がっていますね!内村選手と錦織選手のメダル、試合は涙腺崩壊するかと思いました。
まさに昨日、ビジネスの打ち合わせをしながら、まさに題名の話になりました。
私が大学生の時、伝説の営業マンという方とお会いしたことがあります。
その人はフリーの営業マンで、その人が担当する商品は必ず売れるので、年収2000万が固定給だとのこと。
その人との出会いも変わっていました。
少し長いのですが面白いので話させてください。m(__)m
女性が女医さんのコスプレをして道端で呼び込みをしていました。
そこに酔っぱらったおじさんがやってきて、大きな声で「お前は医者か!?」と聞いていました。
私はたまたま地元の駅だったので通りがかったのですが、そこまで遅い時間でもないのに、泥酔しているおじさんが少し目立ったので、「女の子絡まれてかわいそうだな~」と思いながら通りすぎるところでした。
すると、二人が二言三言会話を交わしたと思ったら、いきなり女性が首を絞められだしたのです。
私は驚いて、周りを見回したのですが、周りは気づいていないのか、見て見ぬふりなのか、とにかく誰も助けようとしません。
とっさに「大丈夫ですか!?」とそのおじさんを後ろから羽交い絞めにして、引き離して、女性に「逃げてください!」といいました。
当時私も、怖い物知らずだったんですね。
それでそのおじさんが女性を追いかけようとするので引き留めて、「どうしたんですか?なにがあったんですか?」と注意を引こうと話を聞いたところ、
どうも、そのおじさんは、おじさんの「医者か?」という質問に女性が(冗談で)「そうだ」と言ったそうで、
「なんで医者がこんな呼び込みしてるんだっ!?」と聞いたら、
女性が「それは嘘で・・・」と言うので、
「俺に嘘を言ったのか!!??」と怒ったそうなのです。
そうですか、嘘はよくないですよね、と言いながら、酔っているようですがおうちはどこですか、帰れますか?と、タクシーにでも乗せて帰ってもらおうとしているところ、
サラリーマン風の男性が、「どうかしたんですか、お兄さん酔ってるけど大丈夫?」と声をかけてきました。
なんとなく私とおじさんの間に入ってくれたので、内心私はほっとして、見守ることにしました。
するとすぐに先ほどの女性と、その方のお店の男性らしい方が戻ってきて、警察呼んで、私と社会人男性の役目は終わったかな、となりました。
もうお気づきでしょうが、その社会人男性というのが、伝説の営業マンなのです。
ちなみに、警察が来る前に私たちはその場を去ったのですが、女性が心配だったので、「大丈夫でしたか?」と聞いたら、「実は私は元婦人警官なので、首しめられた時、相手の肋骨思いっきり殴ってたくらいだし大丈夫!多分むしろあの酔っ払いの方が酔いが覚めたら怪我に気付くんじゃないかな?」とのこと。
世の中にはいろんな方がいらっしゃいますね。
御礼を言っていただき、私が帰ろうとすると、伝説の営業マンに呼び止められます。
「君、こういうのは危ないから気を付けて!自分で解決しようとしたら危険だよ。周りに助けを求めた方がいいよ」
と言われます。その方は女性が首絞められているところは気づかなかったそうなのですが、私がなにやら酔っぱらいに絡まれているだけだと思って声をかけてくださったそうで、実はそんな事件だったとはと驚いていたそうです。
「警察もくるようだし、目撃者で呼ばれるかもしれないから連絡先を交換しておこう」
と、今思えばまんまと連絡先を聞かれていたのですが(笑)、
世間知らずの私はとても堂々としたその人の雰囲気に圧倒されて、メールアドレスを教えるのでした。
名刺もいただき、「自分は主にデパートやネットショップなどに商品を紹介している仕事をしています」と言われました。
その後、特に連絡などなかったのですが、私が数か月後、ネットショップをやってみたい!と思い始め、あ、あの人に聞いてみよう、とこれも今思えば本当に怖い物知らずですが、連絡してみたのです(笑)。
お会いしたい旨の説明をすると、その時から有名になっていた某ネットショップさんで月商1千万売り上げているオーナーさんをご紹介すると言ってくださり、ご一緒に飲みの席を用意してくださいました。
この時の情報のおかげで私の起業の第一歩にもつながるのですが、人生面白いですよね。
その時初めて、その方が知る人ぞ知る、営業するとその会社の業績が10倍以上になるという伝説の営業マンと知ることになるのでした。
なぜ、固定給2000万なのか?営業マンなら売れたら売れただけもらえるのではないか?と聞いたところ、
「僕は歩合ではもらわないことにしてるんだ。でも商品が売れる前に固定給契約をしてもらうから、大体相手には最初しぶられるし、歩合で儲かったらいくらでも出すって言われるんだけど。」
「自分がその会社の商品売るときはもちろん2000万もらう以上の結果は今までずっと出してきたから、本当は歩合の方が儲かるんだけど、それ以上の利益は、会社のその商品を作ってくれた社員に還元してもらうようにお願いしているんだよね」
なんだか、面白い、自分のポリシーがある人なんだな、と思いました。
今となっては色んな方にお会いさせていただけるのですが、当時はそういう方とお会いするのは本当に新鮮でした。
訪問販売やキャンペーンのバイトしていたので、営業にも興味があった私は、
「良い営業マン、売れる営業マンってどうしたらなれますか?」と聞いてみたのです。
すると、
「良いものを見極められるかどうかだね」
と返されます。
「え、営業って、お客様と話して、自分を売って、買ってもらうんじゃないんですか・・・?」
「商品を無理やり自分の力で売ろうとするのには無理が出るからね。それに自分の力には限界があるから。
結局、良い営業、商品を売れる人になるのには、本当に良い物を見抜いて、それを必要とする良い人に紹介する。
すると良い人はまた良い人を紹介してくれる。そうすると商品はどんどん売れるようになるね。
それによく言われる人としてまず信頼してもらって、というのもの、良い商品そのものが、僕の代わりにお客様との信頼を作ってくれるんだ。
良い営業マンは営業しない人だと思うよ。
自分の仕事は、良い商品と良い人を見抜くこと、だと思ってるよ。」
当時の私には衝撃的、目から鱗でした。
「・・・。良い物はどうやったら見抜けるようになりますか?」
「良い物をたくさん見ることだね」
「良い物を見るって何を見たらいいですか?どうしたらいいですか?」
「おすすめは美術館に行くこと。長年、人が普遍的に良いと思うものの感覚を磨くといいよ。」
その時は、いまいちピンと来ていなかったのですが、そこで私は早速、大学の夏休みを利用して、イタリアのヴァチカン美術館とウフィツィ美術館に行きました。
作品はどれも素晴らしく、これは神様信じてしまうな・・・と感動したものです。
でも、自分が「良い物を見抜けるようになった」とは思えませんでした。
それでも、美術館は日本でもちょくちょく行くようにしていました。
数年後、美大にいた友人の卒業展があるとのことで、行ってみると、なるほどと。
大賞を取っているものと、無冠の作品の違いは、なんとなくその賞の文字が見えなくても、わかるようになっていました。
本物≒多くの人が長年、「良い」と思うもの、それを感じられるようになっていると、
すでに良い物として並べられているものは良い物としてそのまま受け入れるけれど、
「そうじゃないもの」があると、それが分かるようになっていたのです。
良い物を見抜く=そうじゃないものを見抜く、ということなのです。
少なくとも、自分なりに「良い」と思うものの軸が出来上がっていました。
また、お世話になった経営者さんがいつも信じられないくらい高いお酒をごちそうしてくださいました(※料金は勿論自分たちも払いますが、お金だせば飲めるものではないレベルのものです)。
学生達になんでこんなに高い良いお酒を飲ませてくれるのか?といつも不思議だったのですが、
「若い時ほど、お酒がわからない時こそ、良いお酒を飲むこと。
安くて悪いお酒しか知らないと、良いお酒が分からなくなるからね。
どうせ一本開けても自分で飲みきれないから、せっかくなら若い人にお酒を知ってもらいたいんだよ」
回り回って、このお二方の教えてくださっていたことが、つながるということに気付きました。
まずは、「良い物」を知ること。そして初めて、「そうじゃないもの」に気付くのです。
例えば、全身とあるブランドで固めた人がいるとします。
そのブランド品を買ったことがない人は、それが偽物か、本物かはわかりません。
ブランドのロゴマークだけを見て、この人はお金持ちなんだ、すごい人なんだ、と思うかもしれません。
でも、一つでも本物を買ったことがある人は、あれ?と気づくことが出来ます。
なにかおかしいな?と。
まずは、良い物を知る、本物を知ること。
確かに、一体何が本物なのか、かわかりにくく、
私も本当にわかっているかどうか怪しいかもしれませんが、
お酒も、美術品も、人も、なんだかうまく言えないのですが、良い物、良い人は、「同じ雰囲気」を感じさせるんですよね。
そう思うと、あの「美術品をたくさん見ること」という当時は明後日の方向だと思ったアドバイスが、今になって、こういうことか!!!!!と合点がいったのです。
私は今のところ、「ついていく人を間違えない」と自分では思っていて、多分その明確な基準も、理屈も理論もないのですが、「本物」を感じるかどうか、かもしれないと思っています。
これは、今まで本物に触れるという意識を持ち続けたokageかなと。
さて、無駄な過去話のせいで長くなってしまったので、今回はこの辺で。
次回はたぶん、芸大の学長先生のお話と、「自分が本物になる道」について、お話しできればいいなと思います。m(__)m
WISEのマインドブログ「可愛いだけじゃ、ダメかしら?可愛いだけじゃ、損じゃない?」
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まずは、本気で生きる、本質を自分に持つことから、「自分自身の人生が始まる」ことを提唱するため、本ブログを開設し、代表である私自身が、本気で自分の中の本質について模索、語らせていただきます。
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可愛いだけじゃ、ダメかしら?可愛いだけじゃ、損じゃない?
女性で、綺麗な方、可愛い方を見ると、確かにそれだけで幸せな気持ちになります。
WISEのビジネスマインドブログ「この時代、日本において、「失敗」した時のたった一つの対処法」
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この時代、日本において、「失敗」した時のたった一つの対処法
実は、私のブログは、というより文章は、あえて「読みにくく」しているつもりです。
起承転結もすっ飛ばし、話もとっちらかり、結論や補足説明も曖昧で、逆に多すぎることも。
でも、あえてそうしているのは、わかりやすい文章だけが心に残るわけではないと考えているからです。
わかりやすいと、なんか、「正しそう」じゃないですか。
私は、自分の意見に納得してほしいのではなく、自分で考えてもらうために読んでほしいと思っています。
正しいことのようだけど、間違ってもいる気がするし、本当に?なんかひっかかる、なんかよく分からない、ん?が頭の中に残る。
そうすることで、頭が自然と動き出す。
そうやってあえて「疑ってほしい」=「考えてみてほしい」です。
だから、「あれってどういうこと?」って聞いてもらえると嬉しいです。
そう、実はあえて端折っているところがあります。
正直、理路整然と書く方が、書き手としてはは気持ちがいいのですが、あえてしていないつもりです。
意地悪だと思いますよね(笑)。というより、できないんでしょ?そんな文章書けないんでしょ?もっと、丁寧にでもこ書きなよ、というご意見もごもっとも。
本来、私もそうすべきなのか、そうしたい気持ちもあります。
というのも、こちらも不安なんです。バカだと思われるとか、嘘だとか、適当なことを書いていると思われてしまうことが。
ただ、私は自分の経験上、「親切は人のためにならないばかりか、自分の信頼も失う」ことを知っています。
今まで人にいろいろ伝えよう、と自分なりに努力してきたつもりです。
その時の私の失敗は、最初に正しい(うまく行く方法という意味での)ことを全て相手に伝えてしまうことでした。
それをすると、相手は「私の言いなりになる」か「私の間違いさがしをする」しかなくなってしまいます。
以前、私はよかれと思ってある女性のサポートをしていたのですが、裏で彼女は「私はWISEさんに利用されてる」とこぼしていました。
彼女がやりたいことをどうにかかなえようと自分なりに全てやったつもりでしたが、それが「間違い」なのでした。
サポートとリーダーシップは別物で、さらには私が考える事は、「相手を主役」にすること。
これは当たり前なのですが、全ての人は、自分自身にとって「主役」「主人公」です。
主人公とはどういう存在でしょう?
漫画やアニメ、小説として考えると、サポート役の人物とは、主人公が困っているときに初めて手を差し伸べるものであり、
主人公が自分で苦悩したり努力したりせず、師匠みたいな人があれこれ先回りして指示出して、それの言いなりになっている主人公のストーリーはつまらないですよね。
だから私は相手の「失敗」や「苦悩」を嫌うことをやめました。
昔は怖かったです。自分の失敗だけならまだしも、誰かを失敗させるなんて、と。
確かに人生狂うほどの失敗や、私の致命的な落ち度のせいならば一生後悔するのかもしれませんが、
それでも、相手の人生が輝くためには、本人自身が悩んだり苦しんだり、それを乗り越えなければ「幸せ」な「満足」する人生は歩めないようになっていると、確信できるようになりました。
だから「恨まれるかも」「憎まれるかも」「嫌われるかも」「バカにされるかも」と思いながらも、以前のように全てを言うのではなく、たとえ相手が失敗するのが目に見えていても、「自分でとにかくやらせる」=「失敗させる」、それで帰ってこれないほどの失敗にならないよう見守るようにしています。
苦しい時に助ける、死ぬ前に助ける、または迷惑や相手の失敗を許す、ここで、初めて、人との強い信頼関係が築けます。
私は相手が苦しむ前にいろいろやってしまいすぎて、そうすると相手との信頼関係が築けるどころか、本当!?と、「疑い」を受けるということを学びました。信頼関係が結べないのです。
「苦しみ」も「努力」も本人、主人公にはかけがえのない物です。
苦しみや努力のない主人公の漫画や物語は一つもないのではないかと私は思います。
それを奪うことは、相手の「主人公の座を奪うことに等しい」と。
良いコーチとは、ある意味、「相手を適切に苦しませることが出来る人」なのかもしれません。
というわけで、今回のお話は「失敗」についてです。
やりたいことがない方、チャレンジしない方、今のままでいいと思っている方、強い物、大きい物にまかれようとしている方、自分の判断を他人に任せている方、等など、
意識無意識関係なく、そういう自分が「どこか」に「一部」でもいる方はいます。
その方々がそうなる理由の一つは、多分、「失敗が怖い」からだと思います。
もう一つは、「方法が分からない」なのではないかと。
でも、方法が分からなくても、挑戦していけば、自分なりの方法を見つけ出すことは可能なので、やはり「方法が分からない」ことも、結局は「失敗が怖い」ということになります。
そもそも、チャレンジしたいことがない、という人には、
ホリエモンさんが、「やりたいことがない、んじゃなくて、できそうなことの中でやりたいことを探そうとするから、やりたいことが見つからないだけで、できるできない関係なく、やれたらいいなと思うことはいくらでもあるはず」と仰っていました。
結局、「失敗しそうなことはやりたくない」から、「やりたいことがない」ということになるということです。
この「失敗への恐怖」がどれだけ多くの人の心をゆがませていることか、と思います。
私も、失敗もまたかけがえのないもの、と言いつつも、失敗は恐怖です。
たまに、「やってしまった」と思うと、夜も眠れなくなるほどの小心者です。(とはいえ、切り替えて寝ることにしていますが)
なるべくなら、失敗なんかしたくないです。
周りに迷惑もかけたくないです。
できれば、うまくいって、周りに褒められたいし、さすがと言われたいし。
失敗して馬鹿にされるのも嫌です。
私が以前、失敗してしまって落ち込んでいるときに、それを相談したところ、友人はこう言ってくれました。
「失敗は、周りは案外気にしてないもんだよ」
と。
つまり、多分自分は完全無欠の失敗なんて一つもしない優秀な人間だ、なんて思っているのは自分だけで、周りはそんな失敗したくらいで、へー、と、騒ぎ立てたりなんかしないということです。
そして、また違う方はこうおっしゃいました。
「今の日本は、昔なら殺されちゃうことでも、ごめんなさいっていえばそれで全部済むのに、
みんな、ごめんなさいが言いたくない、
言えない人が多いよね。」
開き直りともとれますが、でも、そうだな、と思います。
やりきったら、あとは何かなったら、最後はごめんなさい、しかないんですよね。
だからといって、ペコペコへりくだる必要もありません。
だって、相手だって、自分ではできないから他人(私)に任せたんですから。
絶対大丈夫です!といって失敗したのなら、問題ですが、相手だって、信頼して任せたのであれば、任せた責任があるのです。
(もちろんどんな依頼でどんな失敗だったのかはまた個別な問題かとは思いますが。)
だから、私は失敗というのは最終的には、迷惑かけた人に、ごめんなさい、と言うことであり、
失敗して情けない自分というのは、自分なんかそもそもそんなにすごい人間なんかじゃないってことを覚悟しておけばよいと考えます。
先日人工知能のお話をしていて、ロボットと、人間の最大の違いはなにか?といったら、
決定に責任を持つこと、つまり謝罪することができること、なんじゃないかと。
ロボットに、ごめんなさいと言われても、なんだか謝罪とは思えないですよね。
変な感覚ですが、人間、生身の人間だからこそ、その人に謝ってもらうことに、意味があり、責任とはそういうことなのではないでしょうか。
失敗したら、自分はこんなもんなんだ、ここからまたやろう、と思えばいいだけのこと。
周りに迷惑懸けたら、心からごめんなさいという。
この覚悟を持つと、すっと気楽になれます。
不思議ですよね、覚悟した方が、気楽になるのです。
最悪、自分がたいしたことないことが世間にしられるだけ、でもそれは真実、事実なんだから、今外に出てないだけで本質的には同じこと。
そして、周りにはごめんなさい、それしかできません。
私は何度も何度も失敗して、しかも下らない失敗を沢山して、なんとかごめんなさいをして、周りが許してくれた時、心から反省して、次に進めました。
許してくれた人たちも
また、多くの方から許してもらってそこに到達した方々なのだと思います。
そう思った時、自分は他人のことを許してこなかったと気づきました。
自分なら許さないから、相手も許さないだろう、と思い込んでいたのです。
ごめんなさい、と言えばいい、というのは、開き直りというよりも、
結局、もしうまくいかなかったら、それしか自分にはできない、ということでもあります。
そんな、失敗したらごめんなさいしか言えないような自分に、それでもやらせてくれる、チャンスをくれる周りに感謝して、精一杯挑戦することが、うまくいく一つの大きなポイントなのではないかと思います。
そもそもこの世に生きてること、しかも日本に生きていること、全てに感謝すれば、この限られた時間で、挑戦しながら一生懸命生きる方が、
失敗を怖がり、失敗しないという幸せよりも、全然幸せだと思います。
三木清さんが、死ぬことは当たり前だけど、生きてることの方が夢のようなこと、とかかれています。
私もそうだと思います。
生きてるって不思議です。意味があるのか、ないのか。
どう生きてもいいんですが、もし自分の心の中に、実は、挑戦したい!という気持ちが少しでもあるなら、それに懸けてみてもいいんじゃないか、と私は思います。
世の中の社会的評価なんて、あるような、ないような、よくわからないものなんですから。
最終的に、自分にチャンスをくれた人たちに、頭を下げるしかないという覚悟を持つ。
ぺこぺこすることではなく、頭を下げる価値のある人になること、そのためには真摯にことに望み、周りに尊敬されるくらいまでやることです。
多分、その覚悟を持った人にこを、チャンスはめぐってくるし、成功も近づいてくるのだろうと思います。
WISEのビジネスマインドブログ「自分の人生を生きるために必要は「能力」とは」
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そのために、知識・実績のみならず、精神性を大事とし、尊敬、目標とされる人物になることを一同目指します。
まずは、本気で生きる、本質を自分に持つことから、「自分自身の人生が始まる」ことを提唱するため、本ブログを開設し、代表である私自身が、本気で自分の中の本質について模索、語らせていただきます。
これからの日本、世界が、50年、100年後、心から生きることを楽しむ人がもっと増えることを願って!(^O^)
自分の人生を生きるために必要は「能力」とは
私は蜂の話が好きで、どこでなぜ聞いたのか忘れてしまったのですが、蜂一匹の個体を観察し、それを分析したとしても、虫としての体の分析はできても、その機能、習性を研究しつくすことはできず、「蜂」の種、組織としての存在も分析しなければ理解することができない、というお話です。
蟻でも言われることですが、一部の蜂や蟻は、巣から出て餌を集めてくる働き蜂、働き蟻という者たちがいて、
女王蜂や、巣の中でだらだら何もしない個体も一部いると。
しかし、そのだらだらしている個体だけを集めて巣をつくらせると、その中から働く個体が一定量同じ割合で出てくる、という実験があります。
そう考えると、働く、働かない、というのは個体としての個性というよりは、集団における機能としての働きをしていると考えられ、種(組織)の中での役割です。
それを人間に当てはめて、私の感覚でいうと、完全に独立した個人の「私」でありながら、種としての「人間」が同時に成立するということになります。
もっと言えば、「私」という存在すらも、多くの細胞達によって構成されており、それらに「意志」がないとしても、無数の役割や機能を持ったばらばらの細胞が、「私」という存在を成立させているのです。
怠けている細胞もいれば勤勉な細胞もいるかもしれません。
私を構成する細胞達にはそれぞれ寿命があり、日々生まれ変わり、変化していきます。
それら細胞達には、もしかしたら「自我」やなにかしらの「意志」があるかもしれませんが、彼らは言語を持たないので、私という意識とコミュニケーションすることはありません。
でも完全に、彼らの存在によって、「私」の自我や肉体は成立しています。
そう思うと、自分といいながらも、この肉体というものに不思議な他人感を覚えます。
いうなれば、勤勉であり怠けものな社員(=肉体)を束ねて経営する社長が自分の「意志」(理性)という感覚です。
理性というものは哲学においてもとても面白い議題です。
神から与えられたとする人もいますし、人間しか持たないと考える人もいます。
例えばウィトゲンシュタインによる、
蟻の足跡をたどると、難しい数学の公式になったとして、その蟻はその式の意味を理解していると言えるかどうか?
という思考実験があります。
さてどうでしょう?
もし、蟻にそれがあると考えるとしたら、その「理性」は、「そう考える本人の理性によってもたらされる」のです。
相手が理性的かどうか、判断するのは、その判断する自身の「理性」です。
となると、他者の理性の証明を考えると、自身の理性の証明に他ならないわけで、その自分自身の理性は「直観」によって知ることができる、といったのは確かデカルトです。
つまり、「客観的な証明不能」ということ。「あるものはある」ということになります。
だって、こうやって文章を書いている私自身は、私にとっては紛れもない「私」の思考であって、それが「たまたまつむぎだされた蟻の足跡≒ロボットがランダムに打ち込んだ文章のようなもの」ではない、と断言できます。
この「私」が「理性」を使って、「私」の「肉体」を動かし、この文章を書いているのが少なくとも、私にとっては事実ですから。
でも、一人で私が書いている以上、「他人」にとっては、それは「事実かどうかは分からない」ですね。
これを理性をもった生きている生身の人間が本当に書いているのかどうか、そう感じるかどうかはその人の「理性」によるところです。
ここまで何の話をしているのだ、となりますが、「理性とは」その「理性の機能とはなにか」というお話をしたいのです。
これこそが、まさに「自分の人生を生きる」ためによりどころとするものだからです。
なぜか多くの人が、自分が「すごい!」と認める人、というわけではなく、曖昧に「社会的に評価が高い人」を意識しています。
正直、社会的評価が高い人の中にも本当に素晴らしい人と、そうでない人はいます。
勿論、社会的評価というのも一つの評価軸として素晴らしい物ですが、
社会的評価だけでなく、「自分軸の評価」を持って人を見ることが大切です。
「確実な根拠となる理性的判断」は、「自分自身しか持っていない」からです。
他人の理性や、他人の判断に任せる、依存することは、自分自身が持つ「理性」という人間としての最も素晴らしい重要な才能の放棄です。
私の知人の素晴らしい、それこそ社会的評価の高い経営者の方が先日FBで素敵なことを書いてくださいました。
「自分はお金のあるなしじゃなくて、相手の「愛のあるなし」で人を判断する。」
まさに!と思いませんか?
理性というのは「客観的」という意味でなく、「ものごとの根源的証明の根拠」です。
相手にお金があるかどうか、は通帳や納税証明書を見ればわかります。ただの「数字」です。
だからロボットでも判断することが出来ます(※いくらからお金持ちと言う基準は別ですが)。
でも、「愛」は自身の理性によって判断しなければなりません。
確かにこの資本主義社会においての成功者というのはお金で評価することが出来ます。
ですが、それは「資本主義社会」という土台においてのみの評価。
これは蜂が集団としての機能があるのと同様に、人間はこういった社会構造を現在作り出し、そこで機能しているためにおこることです。
例えばスポーツにおける選手としての優劣であり、
例えば清原選手などのように、人としてどうか?ということは別の問題です。
(一般的にはスポーツ選手として素晴らしい方は人格者でもあることがほとんどですが。例外もいるということです。)
この方のいう愛のあるお金持ちは、愛によってお金を得た人です。その人はまた愛をもってお金を使います。
私は愛のないお金持ちの人を何人か見たことがありますが、愛のないお金持ちの人ははたから見ると残酷です。近寄ると不幸になる気がするくらいです。
なぜなら、この人はお金を稼げば稼ぐほど、周りに嫌われるからです。
人から横取り、損をさせて自分が得をし、多少騙しても気づかれなければよいと思って、さらにその罪を他人に押しつけても平気。
そして、周りに嫌われるから、一人になり、今度はそれをお金で埋めようとします。
しかし、お金を使って、人にいうことを聞かせようとするので、相手は表面的にはにこにこしていても、内心ではどんどん嫌われていきます。
お金を稼いでも嫌われ、お金を使っても嫌われる。
最悪の構造だと思いませんか?
そんなお金持ちも存在するのです。
それは表面的にはわかりにくいです。
お金で周りに人がいるのか、愛で周りに人がいるのか。
ただのお金持ち、成功者といっても中身が違うんです。
これを見抜くのが「理性」であり、どういう人間になりたいのか決めるのも「理性」であり、それを使いこなすことができるのは「自分だけ」なのです。
理性的になる、というのは冷静になるというだけでなく、「自身で判断する」ということだと私は思います。
以前とても頭のいいかたが、「周りの人がほとんどうまく行っていないのなら、自分もうまく行かないだろうと思う」と仰っていたのですが、これは理性的な判断ではないのです。
それは客観的、冷静に判断しているようで、外のデータばかりに気を取られ、バランスが悪くなっています。
「理由はいらない。理屈をこねろ!」
と私の最も尊敬する経営者さんが仰っていました。
そこで、「理由と理屈の差はなんですか?と聞いたら、
「理由は客観的、理屈は自分が確信がもてる根拠」と教えていただきました。
自分が確信持てるまで考える、それが「理性の最大の有効利用」だと私は思っています。
そして、その自身の理性を最大に活用し、理屈をこねること、が「自分の人生を生きる」だと考えています。
WISEのビジネスマインドブログ「最強のコミュニケーション能力特訓法」
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ビジネスは世界を変えられる。高い志のある人、本気で社会をより良くしたい人のお役に立ちたいです。
そのために私も本気で!話します。
最強のコミュニケーション能力特訓法
最近、海外の方と英語で話せるといいな、という場面が多く、英会話の勉強を少しずつしています。
簡単な、単純な英語でよいので言いたいことを英語の短文に瞬発で置き換える、そんな練習を日々しています。
道のりはまだまだですが、継続は力なりということでのんびりと(*^▽^*)
先日、私がコンサルしている方から
「営業力やコミュニケーション能力にあまり自信がないので、それについてのWISEさんの話を聞いてみたい」
とのご相談をいただきました。
その方にもお伝えしたのですが、このような場合、コミュニケーション能力とは何か?ということを自分なりに定義づけることが大切です。
初対面の方ともなんでもない日常会話を適当に話す、のがコミュニケーション能力なら、
雑談用のテーマ、質問内容、雑学などを日々仕入れておいて、使ってみて、ウケたものをいくつか残して鉄板ネタにしていけば、すぐ目標はクリアできると思います。
私は昔、営業をやっている時は「ウケる技術」を自分なりに研究しました(笑)
ウケたい、笑いを取りたいなら結構方法はあります。
「急に大きな声でいう」とか、「たとえ、比喩で大げさに表現する」とか。
また以前私が女子大生向けに開催していたワークのテーマは「会話美人になる」でした。
会話美人は、「褒める」のが基本です。案外褒めるのが苦手と思っている女子大生は多かったですね。
どうしたら褒めるのがうまくなるでしょうか?
それは、実は、
「たくさん褒められること」です。
褒められて、自分がうれしい、喜べる、それを素直になってたくさん感じること。
これは案外盲点なのですが、褒めるのが苦手な人は、実は褒められるのも苦手な人が多いです。
褒められて、素直に「ありがとうございます」と言えない、感じられないのです。
かえってプレッシャーになるとか、お世辞では?嘘では?裏があるのでは?と疑うとか、
褒められることを嬉しい、と思っていないと、相手を褒めるのも臆病、卑屈になります。
私が相手を褒めても喜ばないだろう、偉そうと思われるのでは?と。
なので沢山褒められて、気持ちよく褒め言葉を受け取れるようになると、相手に自分が素直になったことになります。
そのうえで、相手に自分が素直に思うことを言うのです。
この、「お世辞ではない、素直に思ったことを言う」ことが、本当の褒め言葉になります。
無理に良いところを探すのではなく、素直に感じたことを言う。
これが大事です。
でも、この「人に素直になる」はなかなかメンタルブロックがかかりますね。怖いです。
勿論、初対面でもそうじゃなくても、だれにでも素直になることは危険です。なのですぐ素直になることはやめておいた方が良いでしょう。
たまに誰にでも「素直ないい子」が癖になっている優等生タイプの方がいますが、それはただ「誰からも、嫌われもしないけど、好かれてもいない」だけであって、「好かれてる」のとは違う関係です。
好かれてないコミュニケーション、それってコミュニケーション能力が高いとは思えないですよね。
私は個人的には「目には目を」な人です。
人は素直なところがあっても、日常的に嘘もつくのが当たり前な存在だとおもうので、
素直に言ってくれる人には、自分も素直に。
悪気はなくても、本当のことを言ってないな、自分にも他人にも無意識に嘘をついているな、という人には、私も、嘘を言う、適当なことを言っておく、本当のことは言いません。
意地悪をしているわけではなく、本当のことを言うのがいつでも正しいわけではないと考えています。
すぐ誰にでも素直に相手を疑わずに本音を言って傷ついている人もいますが、それって自衛が甘いのです。
傷つきやすいってわかってるならちゃんと装備して生活しないと。
そもそも、「本音を言って、認められなくて傷つく」というのは、「本音なんて誰にも分ってもらう必要はない」ことを忘れているのです。
本音というのは、結局、自分だけが分かっていればよいのです。
自分の本音を人に認められる、人にわかってもらう必要がありますか?
多分、人にわかってほしい、認められたい人の「本音」は、「嘘」です。(笑)
というより、その人の本音は、「認められたい・褒めてほしい」とか「慰めてほしい・同情してほしい」とかです。(笑)
本音といっている言葉の部分はフェイクですね。
自分の「本当の思い」「本気の考え」がしっかり確立した人ほど、他人の共感・理解を必要としません。
人になんと思われようと、多少は気にするでしょうが、最終的にはそんなのはどうでもいい、それこそが「自分の本当の思い」です。
ただこれが逆説的なのですが、「誰からも分かってもらわなくてよい。自分の本音はこれだ」という考えは、基本的に「シンプル」で「首尾一貫している」ものに落ち着きます。
そうすると、飛躍的に「人に伝わりやすくなる」のです。
自分の思いを伝えられるようになる、できれば人に好かれるコミュニケーションにしたいなら、
「自分の本音」を持つことから始まります。
この自分の本音が確立すると、相手の考えもよりクリアにわかるようになります。
自分の中がごちゃごちゃ、もやもやしているからこそ、他人の考えがよくわからなくなるのです。
「自分の本音」がすっきりすれば、一石二鳥、三鳥でコミュニケーション能力が大幅にレベルアップ!というのが、私のおすすめするシンプルな特訓法です。
営業力というのも、私は以前、営業の神様と言われている方とお話したときに聞いたのですが、
最強の営業力とはなんでしょうか??
世の中にはいろんな心理テクニックが氾濫していますし、それらは営業の「マスで見た売り上げの結果」自体にはやはり効果があるのでしょう。
しかし、最も大切なことは?と聞いたところ、その神様は、
「良いものを見抜く目利き」と仰いました。
営業マンの仕事は、良いものをお客様にお伝えすること、ならば一番大事なのは「良い物」を見極めることができるかどうか、だそうです。
お客様にとって何が良い物かは人それぞれでしょうから、それらをきちっと理解して、そのうえで良い商品、価値のあるものを見極めること、が最も大切なのだと思いました。
所謂、口達者な人が営業力、コミュニケーション能力があるのではないのです。
表面上はあるかもしれませんが、それはあくまで「飾り」で、人に信頼されること、好かれること、それらがより本質的な営業力であり、コミュニケーション能力だと思います。
口下手コミュニケーション、上等です!(笑)
言いたいこと、自分の思いがはっきりしていることの方が、数百倍も価値があります!
私の経営者の大先輩はマレーシアに行って「I want to meet a prince!」とだけひたすら言っていたら(マレーシアは王政なので、一番お金持っているのが王族)、本当にお会いできたそうです!(笑)
言語の壁も、自分の思いがはっきりしていれば超えられるのだと思います(^O^)
次回はまたどんな話にしましょうか。お楽しみに(^▽^)/
WISEのビジネスパワーブログ「世の中とお金の、当たり前すぎて見えない仕組みと仕掛け」
無料ビジネスセミナーブログ!!!
女子大生の時から起業しているWISEが、ビジネスについて熱く語るブログです!
IQ180の私が培ってきた経験を通して発見したビジネス法則をフリーで提供しようじゃぁないか!(/・ω・)/
これからの日本の50年、いや100年がめちゃくちゃ面白くなりますように!
ビジネスは世界を変えられる。高い志のある人、本気で社会をより良くしたい人のお役に立ちたいです。
そのために私も本気で!話します。
世の中とお金の、当たり前すぎて見えない仕組みと仕掛け
先日グッチのファミリーセールに行ってきました。
いつもよりも人が多くて、入れ替え制でもらった番号が1600番代だったので、一日で2000人ほど来ていたのだと思います。
レジに並ぶと、大体みなさん、2,3個以上は商品を持っています。
一つ平均50000円はしたので、少なくとも来場者全員が買ってないにしても、平均10万円ほど支払っていると考えられます。
となると・・・・・。
一日で、庶民は考えたくないほどの売り上げがでますね(笑)
計算してみてください。
2000人×10万円=
2億。(笑)
それを四日間やっているそうで、初日だから人が多かったとしても、一回のイベントで5億から8億くらいはいってるのですね。すごい、うらやましい(笑)
そのためにブランドマーケティング代が凄まじいのでしょうが。
というわけで、今回は、仕組みと仕掛けのお話をします。
いきなりですが、今無職だとして、あなたがお金が欲しいと思ったらどうしますか?
とりあえず、アルバイトに応募したり、就職しようとしたりしますよね。
今無職でも、そこそこお金がたくさんある人は、株や投資をしてお金を増やすようにするかもしれません。
これ、なんでお金がもらえるのか、理由わかりますか?
例えば、家族と一緒に住んでいて、家族のために料理を作っても、お給料は入りませんが、
飲食店でアルバイトすれば、同じ作業をしていても、お給料が発生します。
友達にお金を貸しても、増えてかえってくることはあまりないですね。感謝はしてもらえますが。あとラーメン一杯くらいはおごってくれるかも。
でも株をかえばお金でリターンがあります。リスクもありますが。
やっていることは同じでも、お金がもらえることと、もらえないこと、お金が増えることと、増えないことがあります。
というのは、実は当たり前なのですが、
当たり前過ぎて見えないけれど、仕組みと仕掛けが存在するからです。
お金は、対価そのものに対して支払われるのではなく、その対価に対する仕組みがあってはじめて、もらえるようになっているのです。
そして、その仕組みが作動するために、仕掛けがあるのです。
AKB48は、握手するだけでお金が発生するのですが、
握手でお金もらえるなら、私だって駅前に立って、段ボールに握手500円って書いて立ちます(笑)
もしかしたら、お金出して握手してくれる人いるかもしれないですけど(笑)
1時間に二人握手してくれるなら、時給1000円のアルバイトよりは稼げそうですね。
、、、、、やろうかな( ・∇・)(笑)
多分、自分でいうのもなんですが、柏木ゆきに似ているとよく言われるので、AKBのコスプレをしてアキバの駅前で立ってたら、ウケると思うんですよね(笑)
相当稼げるんじゃないかな?(笑)
そして、その稼いだ資金で新規プロジェクト立ち上げに使います!としたらそこそこな話題に・・・・!?クラウドファウンディングならぬ、路上握手ファウンディング!(笑)
っとヨコシマな冗談は置いといて、
AKBは握手で稼げて、一般人は握手では稼げない理由。
それは、そういう仕組みがあるかないか?です。
握手券というものを作り、それを販売し、会場を作り、女性を用意、宣伝します。
これが仕組みです。
その女性のプロデュースをして、認知度を上げ、商品価値を上げ、握手したくなるように、握手券を買いたくなるようにする、
これが仕掛けです。
仕組みを作るだけでなく、その仕組みが利用されるようにする仕掛けも用意する。
これがビジネスプランだと私は思います。
最近大学生にお会いするとみなさん就活のお話などしてくださるのですが、なんで大学卒業後に就職するかというと、そういう仕組みになっているからです。
なんでみんな働かなきゃいけないかというと、日本に住んでいる限り、働かないと(納税義務とか)いけないですし、働いてお金を稼がないと、生活できない仕組みになっているからです。
フィリピンかどこかでは、労働者のモチベーションが低く、すぐ辞めてしまうそうで、
というのも彼らは家がなくても食べ物がなくても、地べたで寝ればよく、川で体を洗えばよく、食べ物も一年中できているその辺にあるバナナを食べていれば死なないそうで、それが一般的で普通だから、働かなくてもいいから、だそうです。
日本では地べたで寝たら不衛生ですし家がないと不便ですし、食べ物も困りますよね。その辺にできてる柿とか食べたらどろぼうになっちゃいますし。なにより夏はまだよくでも冬場は寒し命が危ない。
基本的にお金があって当たり前の生活をしているので、お金がないのは不安でしょうがないのです。
日本はお金がないと生きていけない仕組み(路上で寝られないとか食べ物がないとか)がほぼ徹底されているので、みんな働かなくてはいけない、お金を稼がなければいけない、だから就職しなくちゃ、という仕掛けが作動するのです。
国が近代化、都市化するというのは、便利である一方、お金がないと生活できなくなってしまうという不便さも実は内包していて、どっちがいいか?というのは一長一短だと思います。
お金がないと死ぬ、という仕組み、ある意味不便ですよね。だから最近、ベーシックインカムのお話とかが出てきているのだと思います。
時給制度や社員制度などはそういう仕組みが一般的にあるから当たり前に見えますが、これも社会の一つの仕組みです。
選挙などもそうですね。間接民主制という仕組みが現在取り入れられています。
仕組み・仕掛けは、構造、と言ってもいいかもしれないです。
社会はそういう構造として構築されている。
でも別にそれは「社会の真理・真実」ではありません。
誰かがちょっと前に作った「仕組み・仕掛け」「構造」に過ぎないのです。
今の時代はたまたま、「お金を持っている人が得をする構造」になっています。
そうしたのは、勿論、「お金を作った人たち」「お金を増やせる人たち」です。
所謂、自作自演乙!です。
その構造をひっくり返してもいいし、その構造をうまく「利用して」自分が得することができるようにすることも可能です。
( 構造をひっくり返す可能性があるのは今のところ、たぶん≪仮想通貨≫です。)
ちなみに、私がもし本当に、路上でゆきりん物まね路上握手会をやってうまくいくとしたら、AKBの握手会の仕組み・仕掛けを「利用」したということになります。
すでにある仕組み・仕掛けは「利用すること」ができるのです。
とりあえず日本でビジネスをしたいならば、日本にはどういう構造、仕組み、仕掛けが存在するのか、それをどう利用して、自分にお金が入る仕組み・仕掛けを作るか。
ビジネスプランを作成するというのは、世の中の仕組み・仕掛けを利用しつつ、
自分にお金が入ってくるような仕組み・仕掛けを構築すること、だと私は考えています。
そう考えると冒頭の「グッチのファミリーセール」はどんな仕組み・仕掛けでしょうか?
普段通常で売っているグッチのお店、日本の全店舗でいくら売れているのでしょうね?
実はファミリーセールでの売り上げがもしかしたら収支の大多数を占めている、なんてことも予想することができます。
ということは、普段店頭で売っているのは、ただのブランディングで、商品価値、商品価格を上げるための「仕掛け」で、実際の売り上げはファミリーセールで出すという「仕組み」になっているのかもしれませんね。
では、次回は「コミュニケーション能力」について、お話します。
ご質問、お問い合わせお待ちしています!(^▽^)/