Sunny DayeによるPixabayからの画像
どうも皆さん、
キンジです。
影響力がある人、即ち、
有名人とか成功者にとって、
何よりも気掛かりな問題の一つに、
影響力があるが故の、
人々に影響力を発揮したが故の、
「自分自身のマネジメントの難しさ。」ってものが、
存在しているのでは無いでしょうか・・・・・??
それ即ち、
自分自身にとって、
相性が合う人にばかり、影響力を発揮出来れば、
それは、
所謂、
良い影響力となり、
良い循環のスパイラルとなり、
それが回り回って、
「良いことづくし。」なライフスタイルとはなるのでしょうが、
その逆の、
自分自身にとって、
相性が悪い人にばかり、影響力を発揮してしまえば、
それだけで、
悪い影響ばかりとは言いませんが・・・・、
その影響力の結果によって、
自分自身の人生の舵取りの方向性のマネジメントを、
想定していた方向に舵取りして行く事が、
難しくなったり、
そもそもとして・・・・・、
「全く興味を持てない分野。」にまで、
参入せざるを得ない状況にも、
陥ったりする可能性も、
勿論、存在している事でしょう・・・・・。
それはまぁ、
所謂、
「新しい分野。」に、手を出したが故の、
投資の失敗とか、そ〜いう事を言うのでしょうが、
それって言うのも、
そもそもとして、
相性が悪い人に、
影響力を強く発揮したが故に、
そのように、
現実が展開して行くからでもあり・・・・・、
現代のような、
情報過多の状態であるが故に、
情報を選別するのは勿論の事、
もっと言えば、
自分自身の発信、もしくは、
スキルを行使する際に、
影響力を行使する相手ってものを、
具体的と言うよりかは・・・・・、
「より、都合良く。」、
「ご都合主義的に。」、
明確化して行く必要性がある・・・・・って事でもあるのでしょう・・・・・!!
「より、都合良く。」、
「ご都合主義的に。」とは、
即ち、
理想主義から始めるものでもあり、
その理想から真逆の属性の人、
もしくは、
真逆の対応をする人を、
仮想敵どころか・・・・、
敵とし、戦い合うって事でもあります。
・・・・・が、
まぁ、
こちらとしては、
理想を明確化し、
それを推し進めて行けば良いものでもあり、
それによって、
便宜的に、
ケースバイケースに、
明確化され、特定されて行く人と、
理想を持ってして、
戦えば良いものとはなる事でしょう・・・・・!!
それは、
結局は、
「価値を提供する。」スタイル、
そのもののプロセスとはなるでしょうから、
自分自身の理想と、
それに価値観を見出してくれる人々が存在しているが故に、
その敵対化した相手を叩きのめす事には、
なんの躊躇もいらないものとはなるでしょうし、
もっと言えば、
明確化された理想が存在していれば、
無双状態となって行くものだろうし、
ある意味、
その無双状態を持ってして、
日々の情報発信なり、
スキルの行使に活用し、
仕事をする上での、モチベーションとして行くのが、
宜しいのでしょうね。
またそれは、
ある意味、
潜伏能力、忍術・・・・・では無く、
戦国武将の如く、
戦果を上げて行く必要性が出てくるものとはなる事でしょう・・・・・!!
要するに、
別に、
「騙し討ち。」とか、
「奇策。」とかをする必要すらなく、
堂々と正面から攻撃する・・・・ってニュアンスでしょうか。
先手とか、後手とかじゃあ無く、
敵を叩く、攻撃する事自体が、
「日々のルーティーンを回す事に繋がる。」ってイメージでしょうね。
まぁ、
その為にも、
理想ってものが必要となるだろうし、
その理想は、
人生のゴール設定をも視野に入れて、
抽象度高く、
ある意味、
現時点ではどう考えても達成不可能な領域まで、
高めておく事が肝要だし、
現時点で具体的に見える理想ってものは、
理想ですら無く、
ある意味、
攻撃するのに、丁度良い抽象度と化してしまうものではあります・・・・。
この、
ゴール設定と、
抽象度の高さってものは、
勿論、
敵にとって、攻撃し易いし難い如何の問題も存在するでしょうが、
より具体的に、
メリットを上げて行くと・・・・、
睡眠の質にも関連してくるものではなかろうかと。
要するに、
中途半端な抽象度の思考状態であれば、
睡眠の質が低下し、
そもそもとして、
寝付けない状態が増えて行くものでもあり・・・・、
正味の意味での肉体的限界(筋肉痛が酷いとか、体力を使い果たした状態)が、
近くならない限り、
マトモに寝付けなくなるものであり、
これと逆に、
思考の抽象度が、
充分な高さに達していれば、
睡眠の質が高まり、
寝付きも早くなって行くものでもあるのです・・・・!!
また別のケースを上げてみると、
頭の良さ=IQって考え見ると、
IQの高さには、
抽象度の高い思考が、
付き物とはなる事でしょう。
それをもっと分解して行くと・・・・・、
IQってものは、
基本的に、
思考の範囲を広くすればするほど、
下がって行くものでもあり・・・・・、
それ即ち、
人混みの中とかで、
ワチャワチャ感に揉みしだかれたり・・・・、
もっと言えば、
コミュニケーションにおいても、
人が多い状況で、複数とコミュニケーションを取る必要がある状況等であればあるほど、
IQってものは下がって行くものでもあり、
それを回避する為にも、
自分自身専用の、
個人的な段取りってものが必要になるものでもあり、
その段取りを持ってして、
「まずは自分自身から。」、
IQが低くなり過ぎないように、
調節して行く必要性があると。
まぁ、
段取りによって、
IQの調節が出来るが故に、
その段取り自体の要領が悪いと、
逆に、
「IQが低くなる。」って事が起こる訳ではありまして・・・・、
だからが故に、
そのIQってものを、
高くなり過ぎず、低くなり過ぎずって状態を、
保つマネジメントってものが、
必須にはなるであろうと。
・・・・・と言うのも、
「IQが高い。」ってのは、
それだけで、良い事尽しのようにも見えますが、
実は、
「IQが高い。」ってのも、
コミュ症の条件ではあるからなのです。
もっと言えば、
人の理解を得る為には、
「IQが高い。」ってのもNGだし、
「IQが低い。」ってのも勿論NGだからなのです。
これはどちらかと言えば・・・・、
「IQが高い。」よりも、
「IQが低い。」方が、
人の理解を得る為には、有利なのかも知れません。
だから、
真の意味で賢い人は、
「IQが低い。」表現を駆使して、
人の理解でもあり、共感を集めるものではありますが、
その上で、
自分自身は、IQの調整をして、
決して、
「IQが低い。」状態のままでは居ないと。
また、
四面楚歌の如く、
周りが敵だらけの状況においては、
逆に、
自分の段取りを調節し、
「IQが高い。」状態を保つことによって、
その敵からの理解とか、共感を回避するって事も、
必要にはなってくるのでは無いでしょうか・・・・・??
上記で、
敵、敵とは言いましたが・・・・・、
敵は基本的には、
素人のアンチであるものでもあり、
何かのプロフェッショナルの場合だと、
逆に、
味方であろうが、敵であろうが、
どちらでも良いものでもあり、
味方なら、そのまんま心強いものであり、
敵でもプロフェッショナルであれば、
一周回って、なんか助かったって事が、
起こってくるものではある事を、
断らさせて頂きます。
また、
目が悪いって事が、
頭が悪いって意見も存在するのでしょうが、
僕が思うに・・・・、
目が悪い=視力が悪いでしょう・・・・・(笑)。
要するに、
目が良ければ、
出たとこ勝負に強くなり、
自信が出てきて、
メンタル的に強くなると。
目が悪ければ、
出たとこ勝負に弱くなりガチでもあり、
予習でもあり、
下準備をある程度しておかない事には、
自信が無く、メンタル的にも雑魚に見えてしまうと。
まぁ逆に言えば、
予習と下準備の達人になれば、
目の悪さの影響は、
出なくなるどころか・・・・、
逆に、
予習と下準備のプロフェッショナル感を、
和らげる効果を期待出来ると。
何故ならば、
プロフェッショナル感とか、
専門家を語るってことは、
大抵、
メッキが外れたりする条件になっていたりするので、
素人感ってものは、
逆に、
仕掛け側にとっても、
無くてはならないものにはなるのでしょう。
即ち、
目が良い人にとっては、
出たとこ勝負ってもの自体が、
素人感を引き出すものとなり、
目が悪い人にとっては、
予習や下準備ってものが自体が、
玄人感を演出するものとなるって感じでしょうか。
まぁ、
両方とも、
どちらも必要になるものではありますが・・・・、
目が良すぎる人とか、
目が悪すぎる人には、
注意が必要になるものでもあり、
目が良すぎる人は、
予習や下準備をし過ぎる事自体が、
逆効果になってしまうものでもあり、
目が悪すぎる人にとっては、
出たとこ勝負し過ぎるって事が、
逆効果になってしまい、
人の理解や共感を得難い人となってしまうと。
ちなみに、
僕自身の視力は、
ギリギリ運転免許がとおるくらいの・・・・、
0,6か0,7くらいでしょうか。
まぁ、
普通かちょいワルくらいですね。
だからこそ、
出たとこ勝負だけだと、
ちと分が悪いと・・・・(苦笑)。
また、
思考の抽象度、ゴール設定の話に戻しますが、
思考の抽象度、ゴール設定ってものが、
高く設定されていない事には、
その思考に包括される、
具体的案に、制限でもあり、
ブロックがかかるって事を、
意味するものでもある事でしょう・・・・。
それって言うのも・・・・、
「小さく始める。」って事が、
何事にも(特にビジネスにおいて)推奨される訳ではありますが・・・・、
思考の抽象度でもあり、ゴール設定ってものが、
小さく低ければ、
それだけで、
自分自身が行う行動の可能性自体も、
小さく低くなってしまうものであり・・・・・、
正しくは、
「抽象度高く、手頃に始める。」って表現になってくるのでは無いでしょうか・・・・・??
または、
「抽象度高く、実際に始める。」とか、
「抽象度は高く、手の届く範囲で兎にも角にも始める。」でしょうか。
まぁ、
抽象度を高くするって意識の元であれば、
兎にも角にもとは言うてみたところで、
出たとこ勝負ばかりにもならない事でしょうが・・・・・。
目が良過ぎる人にとっては、
それで、
「丁度良い。」のでしょう。
また、
影響力が高まるって事は、
結局は、
周りの結果が出るって事でもあり、
環境の結果が出るって事でもある事でしょう・・・・・・!!
それ即ち、
他力本願なのですよ。
他力本願=自分以上の力が働くものでもあり、
その、
周りの結果でもあり、
環境の結果を受け取るのに、
相応しい自分であり続けるってことが、
重要って事でしょうし、
それは、受け取る力を蓄えるって事なのでしょう・・・・・!!
その上で、
他力本願でもあり、
運の世界観でもあるから、
その、
周りの結果でもあり、
環境の結果に一々、
振り回されない程度には、
日々のルーティーン的な、
自分磨きの習慣ってものが必要でもあり、
それは・・・・・、
良いも悪いも・・・・・では無く、
嘘も本当も必要だと言う事だし、
それによって、
当たり前感が出てくる事により、
抽象度の高いマインドセットとなって行くのです。
上記で、
良いも悪いもでは無く、
嘘も本当もと言いましたが、
これって結局は、
「本質的。」って表現そのものでは無いでしょうか・・・・??
よく巷で、
良いも悪いもが、
「本質的。」と言われたりもしますが、
それだと、
プラマイ0的になっちゃって、
結局、
「やらないのが正義。」みたいな価値観になり、
なんだか腑に落ちなかったんですよね・・・・・・。
嘘も本当もの方が、
すごい納得しません・・・・・??
それを行ったことによる、
事実も嘘=理想も、
はたまた・・・・、
嘘=エンターテイメントも、
手に入るといった感じでしょうか・・・・(笑)。
まぁそれって言うのも、
僕自身が、
音楽活動をしているからでもあるのでしょうし、
歌ってものが、
結局は、
本質的である・・・・・って事なのでしょうね。
また、
曲って概念で言いますと・・・・・、
曲は、
歌、リズム、コードで成り立っているものではありますし、
その中で、
コードって言いますと、
音楽にはABCDEFGの7つの根本的コードが存在しており、
全ての音楽はその7つの根本的コードによって出来上がっている・・・・・と、
単純明快に言えば、
言えてしまうものでしょう・・・・・!!
が、しかし、
実は、
コードにも、
これまた大まかに分けて、
メジャーコード、マイナーコードってものが存在し、
尚且つ、
それ以外にも、sus4、7th、9th、11th等々・・・・・etc、
根本的な7つのコード一つ一つに、
響きの違うコードの種類が存在しており、
さらに、
流行っている曲とか、
キャッチーに聞こえるコード進行には、
ある一定のパターンってものが存在しているんだけれども、
同じコード進行の流れだけれども、
キーが違っていたり、
もしくは、
全く同じコード進行でも、
あらゆるメロディーラインの可能性ってものが存在するのです。
し、
コード進行だけで曲が語れるのは・・・・・、
ある種の、
ポップスとかフォークソングくらいでもあり、
それは、
個人的に言えば、
真面なアレンジが為されているとは言い難い楽曲でもあるのですが・・・・・、
流行りのコード進行ってものは存在し、
使い回されてはいるし、
そのコード進行に沿ったアレンジってものは、
シンプルではあるけど、
実は・・・・、
その流行りのコード進行自体が、
結構複雑なコード進行の類ではあるし、
だからこそ、
コードだけでも成立する感じではありますね。
だからこそ、
敢えて、
コード進行だけってアプローチはあるんだけれども。
まぁ、
コードってものが、
理論としてはそもそもとして・・・・・、
単純化し、抽象度を高めて、
共有する為のものではありますが。
また、
もう一方のリズム的な話をすれば、
前乗り後ろ乗りは、
筋トレで言えば、
前乗り的な演奏が、
スピードを意識した運動となり、
後ろ乗り的な演奏が、
所謂、
ネガティブ動作を意識した運動を意識しています。
一応、補足としては・・・・、
ネガティブ動作とは、
僕自身の見解としては、
返しの動きを意識し、
そこでの負荷を感じることによって、
より「やっている感。」を出す為でもあり、
自己認識的な負荷を増やすことによって、
負荷の掛け具合によって、
筋トレの質でもあり、強度を、
自己認識して行く為の動作であります。
スピードを意識した動作も、
そのスピード感によって、
上記のネガティブ動作と同じ効果を担うとは言えるのですが、
如何せん、
初心者とか、マネジメントが下手な人にとっては、
フォームが崩れて、
筋をいわして、怪我をしやすい側面もあるし、
楽器初心者のような・・・・・、
所謂、
リズム感が無い人は、
どんどんどんどん・・・・・・、
リズム隊を置いて、
突っ走ってしまって、
曲に聞こえなくなりガチだし、
そりゃ他に、
応用・流用すれば、
「危険が危ない。」、
事故を呼ぶようなツキが無い人たちにも写るものでしょうね・・・・・。
まぁ、
後ろ乗りの場合も、
リズム隊に置いてかれた場合は、
つじつま合わせ的に、
ここぞの決めのフレーズで、
また、入り直す事を繰り返す必要があるし、
もしくは、
ここぞで、
スピードアップして、
リズム隊に追いつく必要もあるのだけれども。
また、
僕自身の音源の話にはなりますが・・・・・、
打ち込みのドラム、ベースに乗るって事が、
楽しむコツではある事でしょう・・・・・!!
し、
リズムに乗って体が動くって事が即ち、
ある意味、
仕掛け側の視点となり、
ジャストのタイミングじゃあ無くなるって事でもあります。
車の運転等は、
そう考えると・・・・、
ジャストのリズムじゃあ無いと言えるし、
ジャストじゃあ無いと無理な操作って言うのは、
結局は、
人には無理な反応が出てくるものでもあり、
その運転者の責任を追及する為に、
都合が良い理論と言う・・・・、
嫌〜〜〜な結論になっちゃう事でしょう。
・・・・って事は、
結局は、
打ち込みのリズムに乗った、
人の演奏等の方が、
あきらかに、
リズム感の感じない演奏で無い限りは、
安心、安全ではあるって事です。
まぁ、
全部、自分で踊ったり、
自分で楽器を演奏したり、
自分で歌う場合は、
打ち込みのリズムを中心に聴いていけば良いとは言えるけど、
その上で、
前乗り、後ろ乗りを意識した方が、
やり易くなり、
細かい部分=どない仕様も無い領域から、
フォーカスを外して、
自分でどうにか出来得る領域に、
フォーカスを当てる事が可能になるのです。
勿論、
一発どりでもあり、
ライブ感のある演奏なり、
踊りなり、歌の観点のお話でもあり、
局所、局所で、
バラバラに取り直す前提の話では無いですが、
ま、
それでも使える考え方ではありますね。
また、
原理原則的に言えば、
見るよりも、
聞くの方が能動的だし、
自分で再現するとか、
コミュニケーションを取る際にも、
結局は、
リズムを合わせるって事が、
まず最初に必要だし、
話していても、
聞き手のリズムがずれていると、
話を聴いていないって印象になり、
もっと言えば、
実際、理解力が低いものでしょうから、
リズムとりとか、オリジナルダンスに長けるって事は、
コミュニケーションにも使える!!・・・・と(笑)。
それらを踏まえて、
実は、
過去に掘り下げておいた記事は、下記から・・・・・。
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