拝啓、空の彼方のあなたへ

きっと、空に近い場所にいるあなたへ伝えたいこと。手紙、時々、コトバ。    <夫と死別したemiのブログ>

一度も使ったことのない言葉

あなたへ

 

テレビを見つめたまま、思わず釘付けになってしまったのは、

画面の向こう側から聞こえた言葉が妙に気になったからでした。

 

テレビから聞こえて来たのは、ご主人のことを、うちの、と呼ぶ声。

 

うちのが帰って来たら、聞いてみますね

例えばこんな感じで、ご主人を、うちのと呼んでいたのでした。

 

私が一度も使ったことのなかった言葉を反芻してみれば、

ふと蘇ったのは、あなたの声でした。

 

うちのがまだ仕事から帰って来てないのでって、説明してくれれば大丈夫だから

 

これは、私たちが家族になってから、まだ間もない頃のあなたの言葉。

あの時の私は、うちのという言葉にこっそりと反応し、

あなたと私は家族になったのだと、改めて実感したりもしたのでした。

でも、あなたのことをうちのと呼ぶのがなんだか恥ずかしくて、

まだ慣れない主人という言葉を使ったことをよく覚えています。

 

テレビから聞こえる言葉が妙に気になって、思わず釘付けになってしまったのは、

私が一度も使うことのなかった言葉が、

特別な言葉であるように思えたからなのかも知れません。

 

画面の向こう側にいたのは、

私たちよりも、ずっと長く連れ添ったご夫婦でした。

夫婦が長く一緒にいることは、やがて、

相手の呼び方にも変化があるものなのかも知れません。

 

もしも、あの夏の運命が違っていたのなら、今頃の私は、

あなたのことを、うちのと呼んでいたのでしょうか。

 

もうすぐ、うちのが帰って来ますから

とか、

うちのが帰ってきたら、相談してみますねって、

あなたと家族になったばかりだった頃の私にとっては、

なんだか恥ずかしくて使えなかった言葉も、

当たり前に使えるようになっていたのかも知れませんね。

 

それは、家族としての絆がより深まり、

そして、家族であることが、

より当たり前となった証拠でもあるのかも知れません。

 

あなたが何処かで、私をうちのと呼んでいる姿をこっそりと見てみたいし、

私もあなたのことを、うちのって呼んでみたいな

 

テレビ画面から目を離すことが出来ないままに、

私の中に見つけたのは、こんな気持ちでした。

 

それならこれは、自分との今度の約束にしよう。

 

あなたを見送ってからの私は、

あなたとの今度の約束を、たくさん見つけて来たけれど、

思えば、自分との今度の約束を見つけることが出来たのは、これが初めてです。

 

テレビ画面の向こう側にいたご夫婦は、

私に初めて、自分との今度の約束を見つけさせてくれました。

 

きっとね、次にこの世界であなたと共に人生を歩む私も、

こっそりと、うちのという言葉に反応しながらも、

なかなか口には出来ないままに、時間を重ねて行くのでしょう。

 

そんな私に、やがてあなたをうちのと呼ぶ瞬間が訪れるのは、きっと、

今の私が経験できなかった域まで、

この世界での夫婦としての絆が深まった時なのだと思います。

 

その時の私の中には、どんな気持ちが溢れ出すのでしょうか。

 

今の私がまだ知らない気持ちを感じられら日を楽しみに、

初めて見つけた自分との今度の約束を、この胸の中へと大切に仕舞いました。

 

ねぇ、あなたは、

外では私をどんなふうに呼んでいましたか。

 

私のことを、うちのと呼んだことはありますか。

もしもあるのなら、

その時のあなたは、どんな気持ちを感じていましたか。