穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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志士の慷慨 ―不逞外人、跳梁す―

外国人に無用に気兼ねし、何かと腰が低いのは、日本政府の伝統である。 明治政府もそうだった。 昨今取り沙汰されると同様、日本人が相手なら些細なルール違反でもビシバシ取り締まるくせに、外国人の違法行為に対しては、遠慮というか妙な寛大さを発揮して…

南洋に夢を託して

小学校のカリキュラムにも地方色は反映される。 九州鹿児島枕崎といえば即ちカツオ漁。江戸時代に端を発する伝統を、維新、開国、文明開化と時代の刺戟を受けながら、倦まず弛まず発展させて、させ続け。昭和の御代を迎える頃にはフィリピン諸島や遠く南洋パ…

遊廓に 乳飲み児連れて 登楼る馬鹿

女房に先立たれてから後のこと。 文人・武野藤介は彼女の遺した乳飲み児をシッカと胸に抱きかかえ、遊里にあそぶを常とした。 誤字ではない。 遊里である。 (島原大門) 金を払って美人とたわむれる場所だ。 そこへ赤子連れで行く。 「こうすると芸妓(おん…

愛欲地獄

「未亡人が喪服を着ている時ほど色っぽいものはありません」――マルキ・ド・サドはよくよく真理を衝いている。獣欲の虜となった野郎とは、ことほど左様に見境のない生き物だ。修道服でも喪服でも、彼らの眼にはただの単なるコスチューム、より一層の興奮を煽…

完成された日本人

「印度海の暑とて日本の暑中よりも厳きことはなけれども、夜昼ともに同じ暑さにて、日本に居るときの如く、朝夕夜中の冷気に休息することの出来ざるゆへに、格別難渋なり」。いやいや先生、日本の夏も熱帯的になり申したぜ。ここ何年かは夜の夜中も熱気がこ…

日本の眠りが覚めた街

心に兆すところあり、浦賀を歩くことにした。 駅から出て暫くは、目前の大路、浦賀通りに添い、進む。左手側の空間を浦賀ドックの巨大な壁が圧している道だった。 ドックの壁にはこのように、 浦賀の歴史を象徴的に描き上げた看板が、幾つか掲げられていた。…

度し難き一族

「鳩山サンは冷血だ。とかく義理ってもんを欠く」 とは、彼の農地の小作らが、常々こぼした愚痴である。 この場合の鳩山は、憲政史上の恥さらし、生きた日本の汚点そのもの、ルーピー由紀夫にあらざれば、友達の友達がアルカイダのメンバーだった、逝いて久…

諭吉の預言 ―もはや地主は割には合わぬ、避難するなら今のうち―

また福澤が預言的な内容を『時事新報』に書いていた。 「田畑山林を人に貸すは、富人にありながら貧民を相手にして、貧乏人の銭を集めて富豪の庫に納る仕事にして、然かも貧富直接の関係なるが故に、人情として貧人の無理を許さゞるを得ず、之を許さゞれば怨…

リトマス試験紙、徳川氏

一種の「リトマス試験紙」だ。 明治の書物を手に取る場合、著者が旧幕体制を、ひいては徳川家康を、どのように評価していたかにより買うか否かを決めている。後ろ足で砂をかける無礼を犯しちゃいまいな? と、立ち読みしながら常に気を遣うポイントである。 …

大漁百萬燈

一網に百萬燈や蛍いか 富山に伝わる歌である。 詠み手は知らない。 名も無き地元の民草か、いつかの旅の数奇者か。 はっきりと断言できるのは、ご当地名物、ホタルイカ漁を題材にした代物であるということだ。 (Wikipediaより、ホタルイカの辛子酢味噌和え…

プロパガンダ ―ペンは一個の兵器也―

日露の仲が急速に殺気を孕みはじめた時分――。 二葉亭四迷は誰に頼まれたわけでもなしに、全然己一個の意志で単身シベリアへと渡り、彼の地に俄然集結中の帝政ロシアの軍の規模、兵装の質、統制如何、士気の充実はどうだのと、彼らについてのありとあらゆる情…

真宗五人娘たち

前回の補遺として添えておく。 かねてより報されていた通り、昭和六年九月十六日京都西本願寺にて得度式が行われ、真宗史上初となる女僧侶の集団がめでたく地上に現出(あらわ)れた。 (西本願寺) とち狂った男性優越原理主義者が金切り声を上げながらポン…

世に平穏のあらんことを

例の「真宗に山寺なし」も然りだが――。 仏門諸流多しといえど、どうも福澤先生は、浄土真宗を買っている。その傾向が大である。 「真宗は由来久しくして、国民の信心最も深く、且その宗義も能く民情に適したるや、凡そ日本国中に於て宗門の勢は真宗の右に出…

渡島篤農ものがたり

篤農家という単語自体が死語となりつつある現下、藤田市五郎の姓名を記憶している日本人が果たしてどれほどあるだろう。 北海道の農業を開拓したひとりだが、屯田兵ではないようだ。 それよりもずっと根が深い。 淵源は実に十八世紀、寛政元年時点にまで遡り…

Return to normalcy

筆者(わたし)の中でハーディングが、今、熱い。 左様、ウォレン・ハーディング。 第二十九代アメリカ合衆国大統領。 共和党所属。 魅力的な人物だ。 (Wikipediaより、ハーディング) 彼の演説、あるいは談話を発掘すればするほどに、否が応にも興奮募り、…

九州火の国熊本城下、良縁求めてえんやこら

集計が出た。 しめて一万二千四百十三件。この数字こそ1930年、元号にして昭和五年を通じての、九州火の国熊本一県下に於いて成立したる婚姻数に他ならぬ。 「減ったなァ」「ああ、去年と比較(くら)べて四百ばかりの減少だ」「不景気に歯止めがかからぬ以…

敵意の大地に種を蒔く

維新以後、大和島根に文明国家を建てるため、大日本帝国はドイツを大いに範とした。 なかんずく、医療と軍事の両面で、その傾向が顕著であった。 田代義徳、佐藤三吉、入沢達吉、長井長吉、金杉英五郎、朝倉文三、鶴見三三、大沢岳太郎、そしてもちろん北里…

毎度おなじみ旱天飢饉、餓鬼が地上を練り歩く

唐土に飢餓は稀有でない。 ぜんぜんまったくこれっぽっちも珍しからぬ現象だ。 定期的に発生(おこ)っては山の様な餓死体と流民の群れを作り出し、王朝の足下をグラつかせ、野心家に垂涎の機会を恵む。恒例行事の一環と看做すも可ではあるのだが、しかし192…

いつの間にやら、あと僅か

高須梅渓は繰り返し、健康の重要性を説く。 強靭な肉体の中でこそ、雄渾な思想が練り上げられると、そう信じていたようだった。 (大日本帝国海軍、甲板上の相撲) あるいは斯かる傾向は、「人間五十年」という決まり文句すら満たせずに中途死なざるを得なか…

独り身たるの罪深さ ―共和国家の「独身税」―

吉江喬松(たかまつ)。 早稲田大学に教鞭を執る仁である。 留学から帰ったばかりのこの人が、面白いことを言っていた。大正九年の秋に於いての御講義だ。 (Wikipediaより、昭和初頭の早稲田大学) テーマはズバリ、「フランスの人口政策について」。 その…

赤い津波に呑まれたる

大正三年十一月十六日に認可の下りた特許二六八四九號、『四季常用魚類乾燥装置』の明細書を紐解くと、一目で面白い事実に気付く。 発明者の名が、日本人のそれ(・・)でない。 ゲオルギー・イワノヴィッチ・ソコロフ。 帝政ロシアの民である。 (樺太にて…

灼かれた脳から滲み出す

脳を灼かれた。 ボロボロの校舎、 止まった時計、 やけにアナログな備品一式、 何故か外に出たがらない主人公。 勘の鋭い方ならば、これらの要素だけではや、何事かを察すであろう。 一連の画像は「夕暮れ時、廃校にて。」なるフリーゲームのスクリーンショ…

乃木将軍の膝元へ

春の終わりも近いころ、乃木神社を訪れた。 これまで散々ネタにさせてもらった手前、参拝し、礼を言わねば義理を欠く。そういう意識に背を押されてのことだった。 むしろ遅すぎたほどである。 心中密かに詫びながら、鳥居をくぐり境内へ。 立地は良い。地下…

腹に詰まりし九キロの

もうじき二十二歳を迎える未婚の娘の下腹部が、どうも最近、膨らみ気味だ。 月経も停止しているらしい。 (孕んだか) 両親は、造作もなく合点した。 事実、珍しい話ではない。 ここは大分、東国東(ひがしくにさき)郡に属する、とある山村、某農家。 (国…

動物園に巡る死は

日本で初めてゾウの解剖をやったのは、帝大農科大学教授、田中宏こそである。 明治二十六年の幕が開いて早々だった。新年いきなり、上野動物園に於いてはその「花形」を失った。寄生虫症の悪化によって、ゾウが一頭、死んだのである。石油缶に湯を注ぎ、藁を…

愛だの恋だのよく飽きもせず、満足いくまでやりゃいいさ

古い『読売新聞』にラブホテルの雛形めいたモノを見付けた。 昭和六年三月十二日である、記事が紙面に載ったのは――。 「最近『円宿ホテル』といふのが多数現はれ安っぽいコンクリートまがひのアパートにベッドを置いて、ホテル営業を表看板とし待合ともカフ…

敗戦国のみじめさよ ―そしてハーケンクロイツへ―

『読売新聞』は幸運だった。 大正十年、彼らは期するところあり、ちょっと特殊な展覧会を開催(ひら)くことに決めている。 特殊とは、むろん出展される品。 第一次世界大戦中に帝政ドイツが刷り出したプロパガンダ・ポスターである。戦意高揚、スパイ警戒、…

春畝を偲ぶ ―伊藤博文、その巨影―

偉人が語る偉人伝ほど興味深いモノはない。 「評するも人、評せらるるも人」の感慨をとっくり味わえるからだ。 福澤諭吉は『時事新報』の記事上で、伊藤博文を取り扱うに「国中稀に見る所の政治家」という、きらびやかな言を用いた。「政治上の技倆を云へば…

「幻華在目十四年」 ―秋田小町と犬養毅―

正岡子規とて身体が自由に動いた頃は遊里にふざけ散らしたものだ。 況や犬養に於いてをや。 明治十年代半ば、犬養毅は特に招かれ、東北地方の日刊紙、『秋田日報』の主筆として活動していた時期がある。「才気煥発、筆鋒峻峭、ふるゝ者みな破砕せり」とて衆…

どうせこの世は男と女、好いた惚れたとやかましい

デモクラシーの掛け声がさも勇ましく高潮する裏側で、人間世界の暗い業、望ましからぬ深淵も、密度を濃くしつつあった。 『読売新聞』の調査によれば、改元以来、日本に於ける離婚訴訟の件数は、年々増加するばかりとか。 大正四年時点では八百十三件を数え…