家庭内での役割と介護予防の話

 介護予防とは?

改めて説明することでもありませんが、中高年になると日常生活の過ごし方がその後の暮らしに影響を与えます。

病いや事故などを除いて、適度な運動や計算、記憶力アップなどの習慣があると、複合的な状況判断にも役立つと思います。

高齢者の傾向として、若い人と単体での作業はわずかでも、複合的で同時に行くつもタイミングを考えるような作業では、明確に違いが起こると言われてます。

実際、「待つ」という動作は、じっとしているということではなく、「行こう」と高ぶる気持ちを冷静に沈め、今がそのタイミングなのかを判断しなければいけません。

車の運転をしていて、細い道で行き違うような場面で、どこですれ違うと互いに負担が少ないかという冷静な判断は、どうしても高齢者ほど苦手になりやすいとも言えます。

とにかく行けるところまで進み、どうにもならない時に考えるという思考パターンには、「待つ」という判断がありません。

ある日、狭い道で対向車と鉢合わせになり、何となくの目配せで行き違うポイントが決まったと思った時に、さらに先から別の車が一時停止することもなく割り込んでしまうという場面を見ました。

もしも3番目の車が来なければ、至ってよくある譲り合いの場面ですが、その車がタイミングを見出してしまったことで、片方の車はさらに狭い道をバックし、譲るべきポイントを変えなければいけなくなったのです。

ここで何が言いたいのかというと、「加齢による影響」とは身体的な老化現象ばかりではなく、特に日常生活の複合的な判断に弱くなることで、何でもないことが難しくなり、結果的に困難なことになってしまいます。

日常生活を見直すこと

これまでの生活スタイルは、何らかの選択を繰り返しながら作られたものとも言えます。

まだ判断力も対応力もあった年代なら、そんなライフスタイルでも構わなかったものが、判断力や処理能力が低下した年代になると継続ができないということも起こり得ます。

そんな時には「日常生活の見直し」が欠かせないのですが、例えば運動習慣を取り入れるなど、特に誰かからアドバイスを受けなくても改善点は思いつくものです。

こみち自身も脳トレアプリを一年くらい前から続けていますが、計算力など知らぬ間に低下していた作業が少しずつ改善されているのを感じます。

こみちがこのアプリを始めたキッカケは、両親の認知予防のためで、実際に自分で試して良かったら勧めようと思ったからです。

それで両親に勧めたアプリは続きませんでしたし、書店で買ったドリルも使ってはくれませんでした。

「まだ大丈夫だ!」

そんな風に二人とも言っているのです。

「大丈夫」というのは、「待つ」という苦手な動作から考えると、「行けるところまで行こう」という思考パターンと同じで、なぜ脳トレのようなことが必要で、少しでも予防をすることでこの先の暮らしが変わると言われても、「待てない人」になっているのです。

つまり、自分のタイミングで何かするのはできても、「予定の時間が来たら作業を中止する」とか、「何時になってから出掛ける」ということが段々とできなくなって、「今すぐ」とか「思い立ったら」で行動してしまいます。

例えば父親は午前中に病院に行くのですが、自分の中で出掛ける時刻があるらしく、その準備をしたらテレビを見て待っています。

その意味では「待つ」ことができているとも言えるのですが、母親が父親の分も含めて洗い物や洗濯物を干すなどしていても、関わろうとはしません。

なぜなら、それらをすると予定通りにならないと思っているからです。

「待つ」と言えば、それ以外全てを放置するのでは、結局は「一つだけ」しかできていないことになります。

そうではなくて、動作を複合的に進行させる生活スタイルが介護予防にも必要なのです。

お風呂のお湯が溜まるまで、洗濯物を畳むというような同時進行を若い頃同様に続けることで、高齢者に起こりがちな「苦手作業」を軽減することが大切です。

しかし、両親の反応でもそうですが、「〇〇だから、始めてみたら?」と勧めても、それを理解し行動に移すことができません。

一個だけ残ったものを使ってから新しいものを使うということができなくて、使いっぱなしの半端な残りものがとにかく多いのです。

こみち家で言えば、ドレッシングなどがそうで、まだ3分の1くらい残っていても、新しいものが開封されて誰かが使っています。

焼き肉のタレが冷蔵庫に2本もあったりと、準備がいいのか、忘れているのか、とにかく「何でこんなにあるの?」と思うほど、スマートではありません。

こみちも妻に言わせればかなりズボラな生活なので、こみちが「コレは…」と思うレベルはかなりの状況です。

母親の料理は家事の分野、それとも介護予防!?

昨日、母親が野菜炒めを作ってくれました。

少し食べたのですが、ちょっと考えてしまいます。

というのも、焼き肉のタレで味付けしたのでしょう。

それなりに味はついています。

でも、例えば豚肉の臭みを消すために日本酒を少し使ったり、塩コショウを振ったり、肉が硬くなってしまうまでに加熱を終えたり、当たり前というか、それを気にしない母親の料理は「…」な感じです。

もちろん、食べられますし、それでいいと言ってしまえば特に不満に感じない人もいるはずです。

「作ってもらう」という母親としての役割という意味では尊重したいですし、介護予防の一環としてできることを少しでも長く続けて欲しいという意味でも、残しておきたい母親の役割です。

しかし、「昔からこんな感じだったのか?」と思うほど、毎回というか段々と下手になっている気がします。

つまり、料理もタイミングなので、その時に何をするべきという判断が鈍って来ているのでしょう。

「もう作らなくてもいい」と言ってしまうと、母親としてのやりがいを奪ってしまうことにもなりますし、そうなった原因が「老化」にあるとすりなら、母親にとっても寂しく感じるでしょう。

だからこそ、脳トレアプリを始めて欲しかったということなのですが、それを意識して行動することができないので、なるようにしかならないという状況です。

その内、塩コショウもやめて、全く味付けしていない料理が出て来るかもしれません。

その時は、母親だけで作るのではなく、一緒に作業するというような方法で、介護予防をしなければいけないでしょう。

たまに母親の手伝いをしますが、手伝うと母親はその場から離れて、別のことを始めます。

作っている料理以外の料理を始めたり、お茶を入れて座って話続けたり、気を使っているのかもしれませんが、ペースが狂ってしまうことが嫌なのかもしれません。

できなくなってしまうことを察して、自分なりに対策や生活の見直しをできるといいのですが、別の誰かが手を出すとどうしてもペースは乱してしまいます。

全体を見渡して行動してと言われも、段々とそれが苦手になって行くのが加齢現象なので、準備のタイミングが遅れてしまうと後追いになってしまいます。

「できなくなって」というタイミングになり、介護予防ではなく、介護そのものになってしまうのです。

高齢者になって考える話というよりも、中高年と呼ばれる年代になったら、「今」だけではなく「できなくなる」という中でも生きられる方法に目を向けて考えなければいけません。