今回紹介する本は、こちらです。
真珠の文化誌。
文化史ではなく、文化誌です。
この違いは何なのか?
私には、ぼんやりとしたイメージの差しかわかりませんが、おそらくは「真珠の歴史」を辿るのではなく、「真珠というものが歴史・文化の中でどう扱われてきたか」を辿ったものなのでしょう。
以前に紹介したこちらの真珠本とはまた違う、真珠に関する書き物。
(↑こっちは、どちらかというと天然&養殖真珠の歴史の本ですね)
今回は、そんな真珠の文化誌を紹介していきたいと思います。
「真珠の文化誌」は結構分厚い本
「真珠の文化誌」、実は結構前(昨年の夏頃)に購入した本です。
読み終わったのは、昨年の12月くらい。
仕事の合間に少しずつ読み進めていましたが、何しろ本文だけでも270頁。
注釈や参考文献まで加えると、300頁もあるハードカバー本。
読書スピードの遅い私は、読み終わるまでかなり時間をかけてしまいました。
時間がかかった理由は、二つ。
- 重い。とにかく重い。
- 外国人作家の書いた本の翻訳なので、言い回しが分かりにくい。
まあ、読書が遅いことに対する、ちょっとした言い訳ですね。
………ん?読み終わったのは去年なのに、今さら、本の紹介記事書いてるの?
…………………。
…………………。
…………………。
…………………。
…………………。
まあ、読むのも書くのも遅い、ということですね。
重いハードカバーを電車で読む効率的な方法
皆さまは、電車内など、移動中に紙製の「本」を読みますか?
私は電子書籍派ではないので、いつも現物の「本」を持ち歩きます。
でも300頁越えのハードカバーって、片手で持っていると二の腕がプルプルしますよね。
ほんの数駅で、腕の痙攣が止まらなくなります。
しかも、本ってどんなに丁寧に扱っていても、読んだり持ち運んでいるうちに汚れ・破れてしまうこともあります。
その上、真珠の文化誌のジャケットは真っ白!
汚したくないですよね。
そんな重めのハードカバーを、移動中に汚さずに読むにはどうすればいいか!?
………私は、1頁ずつ、スマホで撮影して読みます。
面倒だし、少し読みづらいですが、簡単に電子書籍が作れます。
そして何より、所有する本が汚れない!
電子書籍より紙の本が好き!でも本は汚したくない!
そんなワガママな私の辿り着いた、地味すぎるほど地味な解決方法です。
外国人作家の本は「言いたいこと」が理解しにくい
私は以前から、翻訳本というのは「作者の言いたいこと」が良く分からない、と感じています。
言語が違えば、文章の組み立て方が違うのも当然のことですよね。
文法が違う、文章の組み立て方が違う、物事の言い回し方が違う。
これらの言語の差の根底にある最も大きな問題、それは「文化が違う」こと。
言葉は、ただ文法や単語を学べば全て理解できる、というものではありません。
外国語の「本当の意味」を理解するには、言語だけではなく、その言語が生まれた文化、習慣、歴史、宗教、それらの全てが身に着いていなくてはいけない。
日本語だって、そうでしょう?
京都の独特の言い回しとして有名な、「ぶぶ漬けでもどうです?」
日本語としての意味は、誰でもわかります。
でも、そこに含まれた意味を理解できる人は本当に少ない。
これは、京都の文化、風習などを他地域の人が身に着いていないからですよね。
(私も京都の人じゃないけれど)
翻訳本と言っても、結局は外国の言葉を読みやすい日本語に変えただけのもの。
それは、どんな優れた翻訳家の方の訳であっても、同じです。
日本語で書かれているから字面だけはどんどん追えるけれど、あちらこちらで、「作者はこここで、何を言いたいんだろう?」的な場面に出くわすのです。
チンギス・ハンはつねに怒りに満ちていたという説は、戦いにおける死者の数が積み重なって生まれた。
いや、意味は分かります。
言いたいことも、多分、理解できたと思います。
でも何だか………何か、理解できていないニュアンスがあるような、言い回しが分かりにくいというか。
理解できたような気もするけど、出来なかったような気もする。
まあ、翻訳本なので仕方がないですよね。
日本語で読めるのは、有難いことだと思います。
外国視点での真珠の話
翻訳本の問題については、私の読解力・理解力の無さもあることですし、まあ良いとして。
真珠の文化誌が翻訳本である、ということは、つまり作者は海外の人。
つまりのつまり、この本は、「外国人視点での真珠のお話」なのです。
今回、真珠の文化誌を読んで最も興味深かったのは、この部分。
外国人視点で見た時の、真珠の存在とはどのようなものであるか?
特に、御木本幸吉と養殖真珠に関する内容は、本当に「外国人の視点」だなと実感できます。
唐突な例えですが。
1つの立体―-例えば円柱を、真正面から見た場合と上から見た場合では、全く異なる形になりますよね。
長方形に見える方向と、円に見える方向。
残念ながら人はそれぞれが「立場」というものを持っているので、世の中の事を俯瞰で全体を満遍なく見渡すことは出来ません。
だから私も、「私の立場」からしか物事を見ることが出来ない。
日本人で、真珠が好きで、真珠を扱う仕事をしていて――こういった私の立場からしか、物事は見えていません。
そんな私の立場とは全く異なる、「外国人の視点」での養殖真珠の話。
私が見てきた養殖真珠と、見ている角度が違うんだな、と感じさせる内容でした。
おそらく、あなたが「真珠の文化誌」を読んでも、「角度の差」を感じられるはずです。
自分の視点では見えなかった、新しい真珠の一面に気づかせてくれる本。
「真珠の文化誌」で、あなたの真珠の世界を広げてみてください。
「真珠の文化誌」
著者:フィオナ・リンゼイ・シェン
翻訳:甲斐理恵子
出版社:原書房