東京都知事選(20日告示、7月7日投開票)に立候補を表明している立憲民主党の蓮舫参院議員の支援を共産党が呼びかけていることをめぐり、国民民主党の榛葉賀津也幹事長は7日の記者会見で、「ご一緒できない」と述べた。榛葉氏は会見で、共産が作成した蓮舫氏への支援を呼びかけるビラに言及したうえで、「共産党さんとガッツリやっておいて、(国民民主も)ご一緒に、と言ったってご一緒できない。これでは本当に『立憲共産党』だ」と発言。現状では蓮舫氏への支援は困難との認識を示した。(2024/06/07朝日新聞)
「政治屋」と呼ばれる人士の扱いはなかなか難しい。ご挨拶の順序が誰々の後だったか、先だったか、その順序が違ったりすると、「覆水は盆に返らず!」というわけらしいのだ。こういう状況を表す言葉に甲州弁や駿河弁では「おちんぶりを掻く」という。「おちんぶり」とは「拗ねる」というぐらいの意味。こんなことで「拗ねて」みても世の中はよくならないのだが、拗ねてみたくなるのが「人情」というものなのかもしれない。しかし、コトは「政治」だ、「おちんぶり」など「掻いて」いないで、どうすることが地域住民にとって「最善」でなくても「善」であるか?、という観点で考えてもらいたいものだ。
上記記事のつづきは「これに対し、直後に会見した共産の山添拓政策委員長は、『都政をどうするかが問われているときに、共産党の<きょ>の字が出るともう拒絶反応というあり方をそろそろ終わりにすべきではないか』と反論した」とあったが、こっちの方が大人の判断というものであろう。
上記記事の発言者(榛葉某)の心底には、政治を己の気分にとって良いか悪いかという「おちんぶりの内側」で行っている日常が有るのであろう。そしてこの小ささがトータルとしてこの国の政治の小ささの因となっているのではないか? 「小異を捨てて大道につけない」貧困さ! 小選挙区という制度を基本にしたシステムでは、「小異と大道」とを常に念頭に置いて判断しないとカオスに陥るだけだ。小選挙区制度を導入してからこの国の政治が手の付けられない品質低下に陥った最大の原因は、上の榛葉氏のような小異にこだわって大道を歩けない小人政治家の存在のためである。
他方、与党に結集する人士は、「カネと権勢のためなら<小異>に拘らない」という太っ腹ばかり。これが政治をどんどん悪化させる。これに一段と力をつけるのは、つまるところ「小異」に拘泥する野党が有るからだ。