昨日はゴールデンウィーク最終日。

テレビの宣伝でみた、大吉原展をみに上野の芸大美術館まで行ってきた。

 

言わずと知れた、大遊郭の吉原は1618年に日本橋人形町に作られ、1647年に浅草に移転したそうだ。(今はその跡地は日本最大のソープランド街として知られているとのこと)

 

数千人の遊女が常駐し、出入り口は一つ。外側をお歯黒溝(おはぐろどぶ)という堀に囲まれていた。

前借金(将来支払われる賃金で返済する約束で使用者から借り入れる金銭)に縛られて遊女になる女性が多くいた。

その生活は厳しいものだったらしい。風呂には毎日入れるが、客の都合で深夜でも熟睡ができず睡眠時間は短かったらしい。食事も粗末だったようだ。そういった劣悪な待遇や激しい暴力に対する不満のはけ口として放火が挙げられる。幕末の吉原の火事の半数は遊女による放火だったとのこと。

吉原の中でも、切見世の遊女は一晩で何人もの客を相手にして稼がざるをえなかったり、客に病気をうつされたり、歳をとって行くあてがないなど、美人画として華やかに描かれている絵の世界とはかけ離れて悲惨だった。

 

娼妓解放令がペルー来航をきっかけに1872年10月に出された。人権無視の、遊女たちに対するひどい扱いが摘発されたという見方もあるかもしれないが、売春そのものを禁止していたわけではなく、吉原以外の行き先を失なった者たちは私娼になったりするだけでおかれた状態はあまり変わらなかったらしい。

 

当時の吉原の女性たちを描いた浮世絵画家に喜多川歌麿がいるが、海外に作品が流れたため、日本では名があまり知られていない、鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)という画家もいるとのこと。

浮世絵はそのスタイルのせいか、遊女たちの顔はみな、同じような表情。実際はいろんな顔をした、個性のある数多くの女性たちが働いていたでしょう。

 

以上でっす!

 

 

ついでのダイエット経過

昨日の朝より800グラム増。

やはりという感じ。

クロワッサンが効いたらしい。

詳しくは昨日のブログをご参照ください。