旦那は亡くなる二日前、私たちが目を離したちょっとの隙に、一人で態勢を変えようとした時に「お腹がピキッとして、それから痛くなってきた・・・」と言っていました
そして「今日は痛いから少し早く眠る薬で眠りたい・・・」と言いました
そして、次の日薬を止めていつものように目覚めるのを待っていましたが、そのまま目を覚ます事はありませんでした
主治医にエコーでお腹を見て頂きましたが、異常はなくて、今でもあれは膵がんの痛みだったのか、筋肉痛だったのか、私たちには分かりません
旦那は最後、二回大きく息をしてそのままスーッと静かに旅立ちました
旦那は自分のパソコンに子供達と私に言葉を残していました
そして自分のお葬式の焼香順序、さらに友人に自分の別れの挨拶まで託して行きました
彼らしいです
家族の私達は悲しくはありますが、不思議とやりきった感と言いますか・・・、最後までしっかり見守る事ができたといいますか・・・
心は穏やかにすっきりしています
このブログを書いていて冷静になる事もできましたし、時々愚痴も言わせて頂きました
そしてなにより励ましの言葉も頂きました
本当にありがとうございました
少しでもお役に立つ事があればと思いまして、このブログは暫く、このままにさせて頂きます
本当にありがとうございました
まだまだ思い出すたび熱いものが込み上がると思いますが・・・
すい臓癌が大きくなってゴルフボール以上に大きくなり胃の内部や周辺の臓器にも癒着し、それがハガレて出血したときのピキだったかもしれませんね。かなりの痛みだったと思います。
家の場合もまったく同じでした。最後は吐血して一息したのが最後でした。
もうすぐ1年ですが、なかなか心の穴は埋められません。
すい臓がんでした。
はっきりとした病名を告げられてからわずか5ヶ月。
母に会いたいです。
お母様、わずか5ヶ月で亡くなられたんですね
淋しいですね
自分も旦那がしていたテレビの録画予約がいっぱいなったのを見ると、なんだか旦那に見せてあげたい気持ちでいっぱいになります
そして、消せないでいます
少しずつ、前にすすんでいきましょうね
もう読んでないかもしれませんが・・・
何のピキッ、だったんでしょうね・・・
すい臓がんの患者の最後は、吐血とかの症状に出る場合と、全身症状として出る場合との二通りがある・・・とホスピス病棟の医師が言っていました
旦那は後者の方だったようです
旦那、まだ夢にも出てこないんですよね・・・
つぶやきみたいなコメントに返信ありがとうございます。
「なんでこの病気は母を選んだんだろう」
病名を宣告されてから、そして亡くなった今もずっと考えてます。
晩年を謳歌しようしていたこれからって時に…
母の無念さを考えると胸が張り裂けそうです。
数日前から日常に戻り、家事や仕事、小さな子供たちのお世話などで忙しい日々。
そうこうしてるうちに少しずつ悲しみも癒されて行くのでしょうか。
夢でも良いから、私も母に会いたいです。