「予と同じ誕生日の者よ、出て来よ!」by信長 | ★織田信長の夢★ 鳴かぬなら 鳴ける世つくろう ほととぎす

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□■「予と同じ誕生日の者よ、出て来よ!」by信長■□


年代不明


今日紹介するエピソードは、信長が天下をほぼ手中に収めた頃、信長が清須に赴いた時、自らの領内に「自分と同じ誕生日の者がいるならば、出て来い!」という触れを出し、その該当者に実際会ってみたという話である。

「自分は天下人となったが、自分と同年同月日同時刻に生まれた人は、どのような境遇で、どのようなことをしている人物なのか」ということに興味津々の信長が描かれている。

その人物は、極貧の禅僧であった。

実際にその禅僧と対面してみる信長。

同じ誕生日なのに、何故こんなにも境遇が違うのか不思議がる信長に禅僧は、気の利いた返答をして彼を唸らせる。

簡単にまとめると、
「人生いつ何時、幸福や不幸が舞い込んでくるか分からない。
今は幸福でも、次の日には不幸になるかもしれないし、またその逆もありゆる。」

というようなことを述べている。

詳しくは、現代語訳をお読みいただければと思う。


ちなみにこのエピソードは、大正時代に書かれた『落葉の籠』という本に載っていた話だが、なかなか面白いので紹介することにした。

もっと古い書物が出典なのかもしれないが、今のところよく分からない。
見付け次第、追記しようと思う。



①現代語訳

「信長公と貧乏和尚」

信長公が尾張の清洲より出て、徐々に国内を攻略し、一時覇を天下に称して天晴れ名将軍となりすまし、大威張りであった頃、ある時自分の生まれ故郷、清洲に帰省された。
その時、領内に触れを出して言うには、「自分と同年同月同日同刻に生まれた者がいるならば、出て来い」ということであった。

広い領内に同月同日同時刻に生まれた者は、ただ一人の禅寺の老僧しかいなかった。
その老僧はまたとない極貧の和尚であるが、しかし御意とあるからには仕方がない。
当時、威力と権力が著しかった信長公の御前に罷り出ることになった。

信長公は、「さて、どんな男だろうか。天下の将軍は自分一人であるが、仮にも自分と同年同月同日同刻に生まれた者とあれば、少なくとも郡の役人か、又は庄屋くらいの身分ある者であろう。」と一人推量しておられたが、何はともあれ逢ってみると想像と違い、水鼻垂らした貧乏和尚であった。

信長公はこの者に引見するや、その和尚に言った。

おぉ、そなたが自分と同年同月同日同時刻に生まれた男か!
しかし見れば、うちくたびれた極貧の様子。
今自分は天下の将軍であるが、同じ年同じ月日、同じ時刻に生まれながらも、人にはこれ程の隔たりがあるものか
」と心中いささか不憫に思われた様子があった。

するとその和尚は少しも憂えた気配もなく、呵々(かか)と打ち笑って、「いかにも仰せはごもっともであるが、しかし、私とあなたとはわずかに一日違うのみです。」と言った。

「一日違う?」
信長公はさっぱり合点がいかないので、「それはまたどういう訳か?」とお訊ねになると、貧乏和尚が言うには、「あなたは今日では天下の大将軍であるから、幸福もこの上ありませぬが、しかし世の中は一寸先は暗闇であるから、明日の日になれば、またどんな不幸に遭うかもしれませぬ。
私も今日でこそ貧乏寺のすっからかんの貧乏僧でありますが、明日になれば棚から牡丹餅のどんな好運が向いて来ぬとも保証は出来ませぬ。
昨日までのことは、早済んだこと、嬉しかったというのも、辛かったというのも皆夢であります。
明日から後のことは、その日になってみなければ、分かりませぬ。

そうして見れば、将軍様というのも、乞食坊主というのも、わずか今日一日だけのことであって、詮じ詰めれば、わずかに一日だけの相違ではありませんか」と言った。

これを聞き終わった信長公は、手を打って感心し、「そなたは見掛けにも似合わぬ中々の味を言うわい。」と言って、大層称賛され、御褒美として佐和山の御手許金を頂戴したという話がある。

その後、信長公は光秀の殺虐に遭い、件の貧乏和尚は不意に大金にありついて、永く安楽なる余生を送ったということだ。

結局は、信長公よりこの貧乏和尚の方が幸福であった。


②原文

信長公が尾張の清洲より出でて、漸次(ぜんじ)国内を攻略し、一時覇を天下に称して天晴名将軍となりすまし、大威張であつた頃、或時自分の生まれ故郷清洲に帰省された。

其時領内に布令を出して曰く、自分と同年同月同日同刻に生れた者があるならば出て来い」と云ふことであったが、広い領内にて同月同日同時刻に生まれた者とては唯一人の禅寺の老僧しかない、その老僧は又となき極貧の和尚であるが、併(しか)し御意とあるからには仕方がない、当時威権赫々(いけんかっかく)たる信長公の御前にまかり出ることになった。

公はさてどんな男か知ら、天下の将軍とては自分一人であるが、苟(いやし)くも自分と同年同月同日同刻に生まれた者とあれば、、少くとも郡の役人か又庄屋位の身分あるものであろうと獨(ひとり)推量しておられたが、何がさて逢って見れば、案に相違の水洟(みずはな)垂らした貧乏和尚である。

信長公は之を引見するや其の和尚に言って曰く、
「オオ、其方が自分と同年同月同日同時刻に生まれた男か、然(しか)し見れば、尾羽打ち枯らした極貧の様子、今自分は天下の将軍であるが、同じ年同じ月日、同じ時刻に生まれながらも、人にはこれ程の隔たりがあるか喃(のう)」と心中聊(いささ)か不憫に思はれた様子があった。

然るに其の和尚は少しも悄(う)れたる気色なく、呵々(かか)と打ち笑って、「いかにも仰せ御尤(もっと)もであるが、併(しか)し、私とアナタとは僅かに一日違ふのみです」といふ。

一日違う?
信長公は薩張(さっぱり)合点がゆかないので、「それは又何ういふ譯(わけ)か?」お訊ねになる、

貧乏和尚曰く「アナタは今日では天下の大将軍であるから、幸福も此の上ありませぬが併し世の中は一寸先は暗闇であるから、明日の日になれば、又どんな不幸に遭ふかも知れませぬ、私も今日でこそ貧乏寺の素寒僧でありますが、明日になれば棚から牡丹餅のどんな好運が向いて来ぬとも保証は出来ませぬ。
昨日までのことは、早済んだ事、嬉しかったといふのも、辛かったといふのも皆夢であります。
明日から後の事は、その日に成て見なければ分かりませぬ。

シテ見れば、将軍様といふのも、乞食坊主といふのも僅か今日一日丈の事であって、詮じ詰めれば僅かに一日だけの相違ではありませんか」と云った。

之を聞き終った信長公は、手を拍って感心し、「其方は見かけにも似合わぬ中々の味をいふわいと言って、大層称賛され、御褒美として澤山の御手許金を頂戴したという話がある、

其後、信長公は光秀の殺虐に遭い、件の貧乏和尚は不意に大金に有りついて、永く安楽なる余生を送ったといふことだ。

結局は信長公よりこの貧乏和尚の方が幸福であった。

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参考文献

・『落葉の籠』 円山賢詳 編、1926年

 

 

 

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