モンキー的映画のススメ

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主に新作映画について個人の感想、意見を述べた文才のない男の自己満ブログ

映画「ミッシング」感想ネタバレあり解説 失踪した少女、失った人間の心。

ミッシング

「さんかく」で大好きになった吉田恵輔監督。

圧倒的ユーモアの中に猛烈な毒を注ぐそのバランスに魅了されハマった一人ですが、実は計算された画づくりも魅力的なのが、彼の凄い所。

 

今回の作品は、娘が失踪した母親が、様々な問題によって暗闇の中に引きずり込まれていく姿を描くというお話。

表面的には、「神は見返りを求める」や「犬猿」といったタイプの笑いありきな作品ではなく、「空白」に近いシリアスさを感じる題材かと。

 

万引きした少女を追いかけたことで事故死させてしまったスーパーの店長と、乱暴ながらも娘を溺愛していた父親との対立、それを面白おかしく取り上げるマスコミの姿を描いた「空白」では、折り合いや赦しをテーマに、ストレートに描いた社会はエンタメでした。

 

本作もそれに近い何かを感じております。

早速鑑賞してまいりました!!

 

 

作品情報

「ヒメアノ~ル」、「BLUE」など、人間同士の衝突をユーモラス且つ激しく描くことで、緻密な人間関係や内面を抽出し物語を構築する吉田恵輔監督が、娘を持つ母親の物語を、産休から明けた石原さとみを主演に描く社会派ドラマ。

 

娘の失踪事件をきっかけに、情報の荒波に巻き込まれ翻弄されていく母の姿を描いていく。

事件をきっかけに崩壊する「日常」や、辛く悲しい現実に直面する母親とその家族たち、事件を「題材」として扱い、視聴率を獲るために「偏向報道」に舵を切るマスメディアの姿、野次馬的な心無い言葉が満ち溢れる現代社会の闇を鋭く映し出す。

 

「辛いことや耐えられないことがあったときに、人はいかに折り合いをつけるのか」というアイディアから物語を膨らませたという監督。

現代社会や現代人が作り上げてしまった「闇」の側面を、母親に注がれる災難を通じて炙り出していく。

 

主演には、監督作品に出演したいがために数年かけてアプローチしたという石原さとみ。

女優復帰作とは思えないほどの「壊れ具合」な熱演に注目だ。

 

その他のキャストは、「犯罪都市3」の青木崇高、「花束みたいな恋をした」の森優作、「騙し絵の牙」の中村倫也、「ハケンアニメ!」の小野花梨、「福田村事件」のカトウシンスケ、「モヒカン故郷に帰る」の美保純などが出演する。

 

監督曰く「自身のキャリアの中で最も覚悟のいる作品」と語る本作は、雑音溢れる世の中をリアルに、そして繊細に描き、そこに生きるわたしたちの心を激しく揺らす。

 

 

BLUE/ブルー

BLUE/ブルー

  • 松山ケンイチ
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あらすじ

 

とある街で起きた幼女の失踪事件。
あらゆる手を尽くすも、見つからないまま3ヶ月が過ぎていた。

 

娘・美羽(有田麗未)の帰りを待ち続けるも少しずつ世間の関心が薄れていくことに焦る母・沙織里(石原さとみ)は、夫・豊(青木崇高)との温度差から、夫婦喧嘩が絶えない。

唯一取材を続けてくれる地元テレビ局の記者・砂田(中村倫也)を頼る日々だった。

 

そんな中、娘の失踪時に沙織里が推しのアイドルのライブに足を運んでいたことが知られると、ネット上で“育児放棄の母”と誹謗中傷の標的となってしまう。

 

世の中に溢れる欺瞞や好奇の目に晒され続けたことで沙織里の言動は次第に過剰になり、いつしかメディアが求める“悲劇の母”を演じてしまうほど、心を失くしていく。

 

一方、砂田には局上層部の意向で視聴率獲得の為に、沙織里や、沙織里の弟・圭吾に対する世間の関心を煽るような取材の指示が下ってしまう。

 

それでも沙織里は「ただただ、娘に会いたい」という一心で、世の中にすがり続ける。

 

その先にある、光に—(HPより抜粋)

youtu.be

 

登場人物紹介

  • 沙織里(石原さとみ)・・・娘を持つ母親。娘が突如失踪してしまい、情報の荒波に巻き込まれる。娘が行方不明になった当時、好きなアイドルのライブに足を運んでいたことや、茶髪メッシュを入れた髪型ゆえにネット上で「ライブ狂いで育児放棄の母」という誹謗中傷を受ける。有力な情報がないまま時間が過ぎていくも、夫との温度差やマスコミの態度に翻弄され、いつしかメディアが求める“悲劇の母”を演じるようになるほど、心を失くしていく。

 

  • 豊(青木崇高)・・・沙織里の夫。一歩引いて事件に向き合っており、妻との温度差から夫婦喧嘩が絶えなくなる。
  • 砂田(中村倫也)・・・地元テレビ局の記者。娘が失踪した家族の取材を真摯に続ける。しかし、局上層部の意向で視聴率獲得の為に、世間の関心を煽るような取材の指示が下る。
  • 圭吾(森優作)・・・何を考えているのか分からない沙織里の弟。美羽が失踪する直前まで一緒にいたことと挙動不審な言動から誘拐犯の疑いをかけられ、世間の好奇の目に晒される。ミキサー車の運転手として働いている。
  • 三谷(小野花梨)・・・新人記者。キー局を受けるも全滅し、ローカル局に入社。
  • 不破(細川岳)・・・カメラマン。飄々とした態度で取材中も緊張感がない。「撮影する側の立場」として、時に砂田に意見する場面も。

(以上Fassion Pressより抜粋)

 

 

 

 

 

 

石原さとみとしては、「シン・ゴジラ」くらいしか「映画」としての代表作がないと思ってるんですけど、これが彼女の「映画女優」という肩書を知らしめるものになればと期待しております。

ここから観賞後の感想です!!

 

感想

相変わらず気か効いている吉田恵輔の作りっぷり。

事件の行方でなく、周囲に気を取られ過ぎていく母と、報道の在り方に目を向けることで見えてくる「いい人でいたい思い」と「悪意」。

監督にとっての「折り合い」ってある種の「希望」ってことなんだろうか。

益々監督が好きになる一作。

以下、ネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

終始胸が詰まる思い。

スターサンズ製作の吉田恵輔監督作品てことで、予想通り「ユーモア」性は薄く、終始緊張感のある作風に仕上がっておりました今回の「ミッシング」。

 

失踪した娘の安否に初っ端から気が狂っているほど情緒不安定な石原さとみ演じるお母さんの沙織里、それに「報道の力」を信じ事実を知らせるために尽力する地方テレビ局の砂田。

2人の心情と行方を軸に物語を進行することで見えてくる人間の悪意。

 

相変わらず恵輔ちゃんは、意地が悪いなぁ~と思いながらも、いつしか沙織里と一緒に苦しんだり思い悩んだり、自分だったらこんなときどうするか、見たいに考えながら見ておりました。

そんな間に挟まれ時に苛立ち困惑の表情を浮かべながらも夫としてしっかり寄り添う旦那の豊がこれまた素晴らしいんですわホント。

足並みそろえてこそ解決の道に近づくのに、なかなかそうはならない歪な夫婦関係にも拘らず、自分を押し殺してでも妻の言うことに従う姿、そして誰もいないところで娘の姿を追いかけ涙する豊かに、僕は一番心を動かされましたよ…。

 

 

さて本作は結局どんなことを伝えたいのかと考えたところ、「空白」に続く「折り合いの付け方」に着地した作品だったのではないかと思います。

 

「空白」では、女子高生が死んでしまうきっかけを作ってしまったスーパーの店長と、その子の父親が、この事故からやり場のない感情にどう折り合いをつけるかという部分へと向かっていく物語でした。

 

本作も沙織里が失踪した娘に執着するかと思いきや、報道されたことで群がる「匿名性だからこそ投げてしまう悪意と無意味な正しさ」によって本質を見失っていく姿、それと同時に「事実を伝える事」を信条に掲げた報道マンが、上層部の意向や同僚の手柄といった環境によってつい邪な思いを抱き、悪意と偏向的なモノへとすり替わってしまうことに動揺していく姿を映し出していく作品でした。

 

そこから歪んでしまった思いからどう脱却するか=折り合いをつけて希望を見出していくのかという作品だったように思えます。

 

だから本作の着地は「美羽ちゃんがどうなったのか」という部分ではなく、その事件に携わった者たちがどこへ向かうのかというお話なんですよね。

決してミステリーなんかではない人間模様を、恵輔ちゃんはホントによくわかってんなぁ~というほど、人間の良い面と悪い面の2面性を時に意地悪く、時に優しく映し出してくれるからホント好き。

 

中身はと言いますと、沙織里が切迫した思いでビラを配ったり、警察よりもTV局の人間の方がよっぽど頼りになると縋っている姿が、僕らから見ると「壊れてるんじゃないか?」と思ってしまうほど見ていて辛いんですね。

それが映画全体の空気を生み出していて、見ていてとにかく居心地が悪いw(もちろんいい意味で)。

 

それに反して夫の豊は真逆の反応をして沙織里を落ち着かせるんですけど、沙織里はその態度に噛みつくわけです。

もう見てるこっちとしては「八つ当たり」にも見えるし単なる「ヒステリックになってる」だけにしか見えない。

ネットの書き込みを見て怒りをぶちまける沙織里に「観なきゃいいじゃん」というのはめちゃめちゃ一般的な対応だと俺も思うんだけど、沙織里はそこにも噛みつく。

見たくないけど見ないと落ち着かない、そういう状況まで沙織里は追い込まれてることを重々理解しながらも、結局言われた側は「観なきゃいい」としか言えないんですよね。

 

何よりもTVの報道を見て、勝手な憶測や各々の正しさから「沙織里に原因がある」みたいな意見を、匿名でぶつけられるSNSを利用して好き勝手言えちゃうことが、「悪意」と捉えられてしまうわけです。

 

僕も普段SNSを利用しますが、ここ数年思うことがあります。

なぜ人は、いちいち自分の意見をつぶやかなくてはならないのか、と。

思ったことを書けば気持ちがいいのか、自分の正しさをぶつければそれで満足なのか。

一方的な報道やニュースを見て、さも分かったようなクチで言えば、人生豊かになれるのか。

じゃあお前はそんなことせずにSNSをやっているのかと言われると、絶対やってませんとは言えません。なぜならこの感想もそう捉えら兼ねないわけですから。

 

要はそういうことにいちいち口を出すことで、自分の日常で受けた嫌なことが消えると思ってやってるなら、それはおかしいぞと。

 

それこそ「引っ越しおばさん」が話題になったニュースがありましたよね。

もう20年くらい前の事件ですかね。各局ワイドショーでそんなネーミングをつけて、さも「引っ越しおばさん」が悪人のように小バカにしたり、あるいは悪人に見えるような偏向的な報道をやってました。

世間がそうだったように僕自身もそれを鵜呑みにしてましたけど、実際はそうではないってことが当時のネットの情報では溢れていたそうです。

一昔前の時代ですからネットの情報なんて世間に浸透しませんでしたし、TV局も扱ってはくれませんでした。

 

そうした偏った報道、数字至上主義故の歪んだ見方で伝える報道は果たして、報道として機能しているのかってのも本作は痛烈に映していたように思えます。

 

劇中では、美羽ちゃんが失踪する直前まで一緒だった沙織里の弟の供述に不審な点があること、実際供述したことと違う行動をとっていたことから、報道側は疑惑の目を向けていき、そこにフォーカスを当てた報道を使用という方針に変わっていくのですが、砂田はそれでは視聴者が誤った見方をしてしまうと反発します。

 

しかし同僚がスクープを取ったことや視聴率を求める「欲」が砂田に心境の変化を与え、その後の取材では「ビラを受け取ってもらえずに落ち込む姿」や「誕生日でもないのに誕生日ってことにして撮影しましょう」と、妙な演出を入れてくるわけです。

沙織里もノリノリで対応したりしますが、果たしてそんなことをして何になるんでしょう。

確かにそういう印象を視聴者に与えれば好感をもたれ、捜査が進展するかもしれない。

しかし実際のところ、そんなことをしたって美羽ちゃんが見つかる可能性なんてなく、ただ「お涙頂戴のドキュメンタリー」止まりにしかならないわけですよ。

 

しかも砂田は「事実を伝える」ことに執着してて、美羽ちゃんが見つかってほしいという肝心のところが抜け落ちてるキャラだったんですよね。

カメラマンから「どういう結果を求めてるのか」と問われた時にそんなことを答え、カメラマンにツッコまれた時のあのピリついた表情をカメラが抜いた瞬間は素晴らしかったですね。

 

やっぱり吉田恵輔が好き。

「さんかく」を見て以降彼が描く「人間のいやらしさ」や「人間の欲」、「人間の二面性や矛盾」、そして「人間の嫌な部分」を見事に炙り出しながらも、そんな人間て実は可愛かったりしない?優しく見てあげようよ、自分にもそういうところあるでしょ?だから人間ていいんじゃない?と、両極端な姿で揺さぶってくるドラマが本当に大好きなんですよ。

 

それでいて演出だったり構成、何より構図にもこだわってるから映画的な映画を作るなぁと毎回感心させられるんですよね。

 

彼の作品で絶対出てくるのが「ファミレスや喫茶店で二人が座って会話する」シーン。

大したことない監督がこのシーンを撮る場合、二者にクローズアップして会話を交互に見せるってのがあると思うんですけど、恵輔ちゃんの場合、必ず後ろまたは横に座ってるエキストラも映して見せるんですよね。

 

それによって背景に動きができるんで画として活気が生まれるし、何より自然なんですよ。

普通そんな場所で会話してるのに奥に誰もいないとか普通ありえないでしょ。

そして他の日常があること、さらには中心にいる2人が日常で溢れた社会の中にいることをちゃんと伝えてるんですよね。

 

今回も砂田との喫茶店のシーンで奥で座ってる人を入れながら映してます。

また、警察署や商店街のシーンでも、後ろで誰かが何かしてるんですよね。

警察署ではトラック運転手みたいな人が警察官と揉めている姿をセリフ付きで映してましたし、商店街ではちょっとあからさまではありましたが、歩きスマホを注意する人とぶつかってないんだから別に良いだろという男女のもめ事を映す一方で、沙織里は掲示板に張られた行方不明のビラにイタズラされてたのを直すシーンを映していました。

 

商店街のシーンは、明らかに意図的なやり取りでしたよね。

正しいことを正しいと思って注意する兄ちゃんと、別に被害を与えてないのだから問題ないだろ、という意見の食い違いが、どんどん容姿を攻撃するなど関係ない方向へ向かっていく口論へと発展。

これって正にSNSで行われているやり取りと変わらないわけで。

そんな中渦中の沙織里は泣き崩れるだけという。

 

こういうシーンを普通にぶっ根で来るのが吉田恵輔なんすわ、最高。

 

また、砂田や沙織里の弟がガラス越しに何か言ってるようなところを映してましたけど、まるで聞こえない。

恐らく行ってはいけないようなことを言ってるんでしょうけど、あれも人間の悪い所を捉えてるようで良かったですね。

 

ただ、今回、いやたまにやっちゃう構成だったりするんですけど、どこかでピークを迎えて以降の失速感は今回もありましたね。

これ以上場面が変わらないだろうなって所から、徐々にその後の展開を付け足していくような小出し感満載のエピソードはちょっと諄かったですね。

終盤、というか2年後の辺りからそれが如実に見え始めて、収集憑かないのかな、物語の落としどころが見えないのかなぁと思ってしまうんですよね、そういうのを見ちゃうと。

もちろん「窓から放たれた虹色の光を手で掴む」という演出が最後ズバっとくるので、お~し!!締まった!!って思うんですけど、それまでの流れにどうも落ち着きがないエピソードのつなぎ方で、あ~恵輔ちゃんの悪い所が出たなぁ…と思ってしまったり。

 

また今回説得に説得を重ね、準備万端で役作りをし、殻を破りたいと豪語した石原さとみの芝居が、これまでのキャリアを超えたかと思わせておいて、これが限界なんだなと思ってしまったり。

もちろん彼女の切迫した表情や態度に心動かされたわけですけど、どうも「芝居してる」感が強くて、ちょっと見てられないところもあって。

 

弟のアパートに怒鳴り込んだシーンなんかめちゃんこ恐かったですし、豊と口論になる辺りや、嘘の連絡をもらって喜びと怒りと放心状態になる演技は確かにすごいし、実際やってみると半端ない体力と精神力を要されるんだろうなと思うけど、え?石原さとみはこんなもんなのか?とも思えてしまう。

 

何というか全部足し算でやってやしねえか??と思えてしまうヒステリックぶりだったんですよね。

あと、多分ですけど過去作でそんな石原さとみをみたことがある。

新しさは本作からは見つけられない、そんな感じ。

素晴らしかったのは当たり前ですが、もっとすごいモノを見せてくれると思ってしまったまでです。

 

逆に男性陣はキャラクターの部分も含め良かったですね。

砂田演じた中村倫也は適役でしたね。表面的には正しいことをしてるつもりでも腹の中では欲が芽生えてる、それで躓いたとしてもしっかり反省し向き合っていくという好青年を熱演されてたように思います。

 

個人的には青木崇高が素晴らしかった。

狂気じみた妻を諭して冷静な立場で行動しながらも、やはり子供の親ですからしっかり地に足付けて行動し、感極まってしまうような心の脆さもちゃんと見せている。

それでいてついうっかり言ってはいけないことを口走ってしまうデリカシーの無さも見せていて、凄く人間味のある夫を熱演されてたように思います。

 

あの、女性に厳しく男性には甘い批評になってっますが、決して差別してませんので…。

要は石原さとみって映画で育った女優で無くてTVで育った女優さんなんですよ。

それが良いとか悪いではなく、映画には映画のTVにはTVの演技の仕方ってあると思うんですね。

だから映画でTV用の演技をされると、俺は違和感しかないってことなんですよ。

無論男性陣もどちからというとTVの方が多かったりするんですけど、本作はやはり「石原さとみの映画」なんですよ。

 

これが映画で育った女優がTVで演技すると同じ現象を受けるんですね、俺は。

やっぱり宮崎あおいがTVで演技してると、変に思えるんですよ。

それと同じことで、媒体が違うだけでこういう視点を持ってしまう俺の思考はどういうことなんだろうって話です。

 

そういう意味での期待と落胆て話です、はい。

 

 

最後に

柳ユーレイ演じる刑事が、砂田に対して言う言葉「事実だから、面白いんだよ」。

この言葉が全てを物語ってるなぁと。

なんでもかんでも事実だから伝えていいわけじゃないというか。

その事実がはたから見ると面白いと思われてしまうから、悪意は伝染してしまうんじゃないかと。

沙織里が当日ライブに言ってたことを報道して、結果何が生まれるって話ですよ。

何を視聴者に期待してるのか報道はって話。

 

明らかに「面白がってやってるじゃん」なんですよね。

そこにドラマは必要ないんですよ。ありのままを伝えればいいって話じゃない。

それが失踪した娘の行方と何の関係があるのか。

本作で扱う問題はそこにあるんじゃないのかと。

 

色々と惜しい部分がありつつも、時に涙を誘い、時に怒りを買う、ちょっぴりユーモアを挟む恵輔節は健在でした。

「なんでもないようなことが 幸せだったと思う」ってそりゃツッコんじゃいますよある程度の世代はw

 

時代がどんどん息苦しくなっていく状況の中、こうした題材を通じて、俺たちは「もう一度思いやりを取り戻さなくちゃいけない」と言われてるような気がします。

一度抱いた感情を誰かに向けるのではなく、まず一旦しまい込む強さを持ち、それを優しさに変えて他者に向ける事、それが「折り合いをつける」ことなんじゃないのかなぁと。

 

個人的には恵輔ちゃん映画は、もっとユーモアと毒に溢れた内容の作品の方が好きなんですけど、たまにはこういうクソまじめな映画もありですね。

というわけで以上!あざっしたっ!!

満足度☆☆☆☆☆☆★★★★6/10