フクシマ・エモーションズ

                長井 景維子

      一

 

 大岡美寿々は、会津第一高校の英語教師だった。教師という仕事は天職だったし、教え子たちは本当に可愛い。あの事故が起こる前は、結婚願望も多少はあった。結婚はただ単にしそびれた。南相馬市にいる年老いた両親は、一人娘の婚期が遅れるのを、気が気ではない様子だったが、美寿々にとっては仕事が何よりも優先順位が高くて、そこいらのよく知らない男とデートなんてしている暇は、本当に探しても見つからなかった。気がつくと四十を超えていた。

 会津第一高校は、会津磐梯山の麓の風光明媚な土地に校舎がある。春になると、磐梯山の雪解け水を水車がかき混ぜ、菜の花が一面に咲き乱れている畔に、モンシロチョウやアゲハチョウが乱れ飛ぶ。雪解け水をたっぷり使った田んぼで育った米は、冷飯で食べても粘り気があって、それはそれは甘みのある旨い米だ。酒もこの米を使った美酒が特産だ。

 真っ青に澄み切った空のもと、青々とした田んぼの稲に、心地よい風が渡る。収穫を待っている桃の果実が、ほんのりと色づいた頃を、大岡美寿々は会津の一番良い季節だと思う。じんわりと汗ばむこの頃の陽気が美寿々は好きだった。寒いのは嫌だ。東北人の割に、寒さに弱い美寿々だった。

 美寿々は肌が抜けるように白く、髪はひっつめにしているが、やや茶色がかっている。色素が生まれつき薄いのだ。そのせいで、留学先のイギリスではハーフに間違えられた。顔の造作は日本人そのものであるが、茶色い髪と白い肌は、西洋人との混血に見られることが多かったのだ。ヨーロッパを若い時期に見ておいたことは、幸いだった。日本が逆立ちしても敵わない社会がそこにはあった。相違している、というだけではないように思えた。明らかに優劣があり、欧州は優、日本はそれに対して劣勢であると思い知る経験を重ねた。

 寒いのが苦手なのは、ロンドンでも災いした。底冷えのする冬のロンドンで、故郷を遠く離れて、慣れないイギリスの食事、冷めたローストビーフ・サンドウィッチをパクつきながら、故郷の旨い白い飯を思い出し、涙したこともある。英語の勉強に来たのだし、そのための渡航費やら、高い学費を負担してくれている両親に申し訳なくて、一心に徹夜勉強した。友達もちらほら帰国前には出来た。

 一年の留学だったが、十分にクイーンズ・イングリッシュを吸収した。

 日本の大学の単位を取り終えて卒業し、教員資格を取って高校教師となった。福島県内の高校を二、三校まわって、会津第一高校に落ち着いた。

 美寿々が四十一歳の時に、東日本大震災が起こった。二〇一一年三月十一日午後二時四十六分十八秒、美寿々はもうじき始まる春休みを控えて、クラス中の生徒達に学年末テストの答案の答え合わせをしている時だった。ものすごい揺れが来て、生徒達は悲鳴をあげ、美寿々も体のバランスを失って、教壇から床に倒れ込んだ。

「机の下に隠れなさい、頭を隠しなさい。」

そう大きな声で叫んだ。

「動いちゃダメよ、じっとしてて、収まるまで。」

大地震はなかなか収まらず、生徒達は悲鳴を上げ続けた。学生鞄を頭に乗せる者、泣き出す者、机の下でガタガタと恐怖のあまり震える者。

 美寿々は思い立って、急いで教室の扉を開けた。扉が開かなくなって、教室内に閉じ込められたら困ると思ったのだった。壁掛け時計が音を立てて壁から落ちて割れた。ロッカーの荷物も次から次へと床に打ち付けられた。窓ガラスが軋んで割れて、床に割れたガラスが散らばり、生徒がきゃーっと大きな声で叫ぶ。天井の照明が揺れている。

 やがて、揺れが収まった。

「まだ、じっとしていて。余震が来るからね。」

美寿々は生徒達にこう呼びかけたが、生徒達は、我先にと教室から飛び出して行ってしまった。美寿々は電気が点くかどうか試しに照明をつけてみたが、停電していた。

「先生、断水してます。」

女生徒の一人がこう報告に来た。

 その後、生徒達と校庭へ逃げ、整列して全員無事であることがわかり、その夜は避難所へと逃げた。そして、生徒達は携帯電話で親元に連絡を取ろうとしていたが、一様に連絡がつかなかった。電波がおかしくなっているようだった。

 美寿々も南相馬市の両親に連絡をするが、繋がらなかった。しかし、両親は無事だった。家も壊れず、家の中は家具が倒れたりしたが、両親は怪我もなく、無事であり、近くの公民館へ逃げていることがわかった。

 そして、数日後に福島原発事故である。避難所で、災害用のトランジスタラジオで情報は得た。暖房も不十分で、毛布をかぶって震えている人がほとんどだった。

「お父さんとお母さんが放射能を浴びるんじゃないか。」

美寿々は心配した。そして、その心配通りになった。

      二

 美寿々の両親は、南相馬市で畜産を営んでいた。しかし、自宅も牛舎も年間五十ミリシーベルト以上の帰還困難地域に指定された。牛を避難させることはできず、また放射能を浴びているため、不本意だとしても潰して肉にすることもできない。かわいそうだが、飢え死にしないで生き延びてくれ、と祈りながら、裏山に逃した。そして、両親は会津の美寿々のマンションにやって来た。2LDKの狭い部屋だが、なんとか三人でしばらく住むことになった。

 父は目立って元気がなかった。牛を失って、仕事がなくなったこと、長く住んできた居心地の良い住まいがこれから先、もうどうなるか見通しが立たないこと、いつまで一人娘の狭いマンションに間借りしなければならないか、不甲斐なくて仕方ないこと。それら、負の感情に押し潰されそうになりながら、必死に明るく振る舞ってくれていた。美寿々は父の気持ちが痛いほどわかるだけに、辛くて辛くて、よく泣いた。父はやがて深酒をするようになり、それがたたって体を壊した。美寿々は内科の医師にみせると、医師は、酒が元凶だし、全てはあの原発事故が原因だと思うと言い、精神科を薦めてくれた。精神的なダメージを立証できれば、東京電力との訴訟にもなると言っていた。訴えるべきか、悩んだ。

 精神科医は、断酒プログラムを薦めてくれたが、酒以外に逃げ道のない父は、余計に苦しむようになった。美寿々は、

「お父さん、お酒は私と一緒に楽しく飲もうよ。」

と言ってみたが、父は、

「お前と楽しくなんて呑めるか。俺が呑んでる酒は、ヤケ酒だ。」

と突っぱね、俯いていた。アルコール依存症で、指が震えていた。

 母は、毎朝、学校へ行く美寿々に、甲斐甲斐しく弁当を作ってくれたり、マンションを綺麗に隅々まで掃除してくれたり、また、近所のスーパーに出かけては、買い物ついでに、道すがら出会った人と親しくなり、社交的になって明るかった。こういう時に、父も母みたいにしてくれるといいのに、と美寿々は思った。母が元気にしてくれていることは、美寿々に取って救いだった。一方で、父はそんな母を疎ましく思い、ますます酒が手放せなくなっていった。そして、精神科に通院し、精神科医に悩みを相談することも躊躇しなくなった。これは良いことだった。父にも悩みを聞いてくれる専門家がいることが、美寿々にとっては有り難かった。

「お父さんに何か趣味でももってもらいたいんだけど。」

美寿々はある日、母にこう言った。

「無理よ。牛以外に何も興味のない人だもの。牛が可愛くてしょうがないのよ。あんな事故で、家を手放し、牛を捨ててしまって、きっと自分を責めているのよ。」

「だって、お父さんのせいじゃないもん。仕方なかったのよ。牛だってわかってくれてるよ。」

「一回、見に行ければなあ、と思うよ、私も。家の様子も見て来たい。牛が生きてるか死んでるか、見たいし。」

美寿々も母も黙って俯いた。じっと掌を見つめる母は、手相でも見ているのだろうか。

「東京電力と訴訟になるから、そうしたら、お父さん、元気になるさ。喧嘩は好きな人だからね。喧嘩だけは負けない人だよ、お父さんって。見てなさい。」

母は、父の気持ちを誰よりもわかっていた。そして、母自身も父の気持ちを共有していた。しかし、女らしく割り切って、状況で打算を働かせて、適当なところで自分を納得させて、美寿々はいかにも母らしいと思うのだが、今できることで自分の幸せを手に入れようと我慢しているのだった。南相馬の友達の話も、家に置いてきた多くの宝物の話も、母は一切しなかった。会津で出会った新しい知り合いと、母なりに新しい付き合いを始め、新しい生活に馴染もうと努力していたのだった。

 喧嘩だけは負けない人。それが父。そうだった。昔から曲がったことが大嫌いで、道理にかなわないことに目を瞑ることはできない人だった。そのDNAを美寿々は大なり小なり受け継いでいるようだった。

 そして、あるうだるように暑い日、エアコンの効いた美寿々のマンションの風呂場で父は命を絶った。手首の動脈を出刃包丁で切って、出血多量で倒れていた。母は下の階に住んでいる主婦らと茶飲み会をしていて留守だった。美寿々が学校から帰ると、母が茫然とリビングに立ち尽くしていた。

「お父さん、死んじゃった。お風呂で血い出して倒れてる。」

「え?救急車、呼んだ?」

「私、わからない。どうすればいい?」

美寿々は風呂場に駆け込み、倒れている父を発見すると、電話に飛びつき、救急車を呼んだ。

     三

 父の葬儀を済ませ、初七日が過ぎる頃、美寿々は思った。

お父さん、喧嘩だけは負けない人じゃなかったの?まだ、東電と喧嘩してないよ。喧嘩しないうちに自分だけ逃げてずるいよ。

 母は、父に死なれたショックから、少し恍惚としていた。救急車の呼び方がわからなかったので、美寿々は母のことも気になっていた。母は父を診てくれていた精神科医に通うことになり、しばらくして、その医者から、初期の認知症であることを告げられた。

「お父様を亡くされたショックも大きいです。その時に、今まで少し無理をして我慢して来たものが、たがが外れたように洪水のように、お母様の心の中に押し寄せて、一気に爆発したのでしょう。お母様は、明るい方ですが、うちに秘めていらした悲しみや不安は、とてつもなく大きかったのだと思います。」

 ストレスが主因の認知症のようだ、ということだった。

「お母様のご病気も、難しいケースではありますが、原発事故に起因しているので、東京電力に訴訟を持ちかけられるのであれば、協力させていただきます。」

 医師はそう付け加えた。美寿々は、わずかに頷いたが、流石に母の認知症まで訴える気にはならなかった。

 その頃、新聞やテレビのニュースでは、脱原発というフレーズをよく耳にするようになった。フクシマから学べ、と脱原発に賛同する人々は口をそろえた。

 一方で、政府自民党は、再稼働の必要性を強く説き、避難経路もままならない休止中の原発の再稼働を、地域の住民の安全を省みることなく、小手先で法律を変えて、裁判で次々に勝訴し、再稼働に踏み切っていく動きが多く見られた。美寿々は強い憤りを感じた。この政府は福島原発事故から何も学んでいない。学ぼうともしない。なんと愚かなことか。

 ドイツのメルケル首相が来日したときに、安倍総理に脱原発を呼びかけたと言う。ドイツはフクシマの悲惨さを見て、そこから学び、脱原発にシフトを切ったのだった。自国で出た核のゴミは、自国の土地の地下五百メートルの深さまでトンネルを掘り、コンクリート詰めにして処理していた。それにかかる苦労も、膨大な金額も経験しているメルケル首相の日本への脱原発への勧めは、親切心からのものだった。再生エネルギーでゆこうと誘ったつもりだったのだろう。

 しかし、安倍総理は、そんなメルケル首相の親切心を鼻で笑って、耳を傾けようとしなかった。安倍総理は、国産の原子力発電施設の輸出を、政府主導のビジネスとして旗を振っており、国内の主要メーカーに呼びかけて、原発を作り、海外に売るように指示していた。そしてもちろん、国内の主要なエネルギー源として、原発はなくてはならないものだったのだ。

 この安倍総理の態度に美寿々は違和感を覚えた。フクシマで悲惨な思いをした原発を、どうして外国に売ろうとするのだろう。世界中に安倍総理こそが脱原発を勧める第一人者となっても良いはずなのに。そして、同じように、唯一の原子爆弾による被爆国である日本は、核禁止条約に賛成票を投じなくて、世界の国々から失望されていたのだった。フクシマのメッセージも生かせるチャンスだったのに。

 小泉元首相は、その頃、脱原発を訴えるようになった。もともとは原発推進派だった小泉氏だが、福島原発事故の教訓を生かし、脱原発こそが将来の子供たちのために、今の大人たちのするべきことだ、と訴えていた。小泉氏の言うとおりだと美寿々は思った。

 どうして日本人は懲りないんだろう。私たち福島県民の思いと、日本政府の方策とには、大きな乖離がある。美寿々は悲しかった。父の無念を思うと、今の自分には何もできないことが悔しかった。

 母の認知症は、日に日に症状が著しいものになっていった。今では、せっかくできた友達に会うこともなく、一日中マンションに引きこもっていた。そして、物忘れも激しくなり、朝食を食べたすぐ後に、また同じようにもう一度食事をしたり、掃除もあまりできなくなり、買い物も億劫で出かけなくなっていった。

 そして、ある時、失禁してしまい、本人も精神的に参ってしまった。美寿々は勤めを辞めるわけにもいかず、母を昼間、一人で家に置いていくのが不安になってきた。介護の入所施設を探すことにした。精神科医も施設への入所を勧めた。

 マンションから車で二十分ほどの距離にある、グループホームに空きが見つかった。美寿々は早速入所の手続きを取った。

 母はグループホームに入所した、原発事故から五年が経っていた。

 原発事故は、福島県の美味しい米、牛肉、桃、野菜、魚介、キノコその他、主要な農作物をことごとく風評被害で痛めつけた。実際に放射能の数値は高く、美寿々たち福島県民も、県外で作られた農作物、採れた魚介などを買い求めていたし、県内の農家や漁師は転業する者も多くいた。東電や国からの補償は、十分とは言えなかった。

「あの事故さえなければ。両親も今頃幸せに牛を育てていただろうに。」

美寿々は重苦しい思いに苛まされていた。原発の再稼働を推進する自民党って一体なんだろうか。福島県民の思いを踏みにじってはいないか。

      四

 美寿々は夕飯によく行く近所のハンバーグ屋があり、毎週、金曜日の夜にそこで100パーセントビーフのハンバーグ定食を食べるのを楽しみにしていた。カウンターの定席に座ると、今年還暦を迎えたばかりのマスターが疲れた美寿々を思いやって、レモンスライスを一枚入れた冷たい氷水をくれる。まずはこのレモンウォーターをゴクっと一口飲むと、レモンのビタミンCが溜まった疲れをほぐしてくれる。

「美寿々ちゃん、いつものでいいね。」

「うん。ありがとう。」

 車の運転のため、酒の飲めない美寿々だったが、このマスターとの会話は、まるで酒を飲みながらのような気分で気持ちよく、軽く言葉を紡ぎ出して、食事を供する者と、それを食べる者という垣根を超えて、お互いに非常に楽しいものだった。

「美寿々ちゃん、お母さんは元気かい?」

マスターは、挽き肉を両手で手際よく丸めながら訊いた。

「うん。先週の日曜日に会いに行ったら、食べ物が美味しくないって文句言うの。一回、外食させてあげようかな。」

マスターは、

「もしよかったら、うちに連れておいで。貸切にしてあげるよ。」

「本当?お言葉に甘えようかな。すごく喜ぶと思う。」

「うん。是非是非。」

 フライパンから勢いよく炎が立ち昇る。肉の焦げる香ばしい香りがする。

「はい。お待ち~。」

マスターは湯気の出るハンバーグとスープ、ライス、そして小さなサラダのセットをお盆に乗せて、美寿々の前に置いてくれた。空腹なので、美寿々は黙って食べ始めた。

 マスターはフライパンを洗いながら、

「だけど、あれだよね。政府は本当におかしいね。」

美寿々は肉を噛みながら、顔を上げてマスターの方を見た。

「え?」

マスターは、続けた。

「復興五輪だってやたら派手に騒いでるけど、それは東京さんの受け止め方で、僕ら東北の被災者は遠くに置き去りにされてるよね。アンダーコントロールってなんのこと?僕は耳を疑ったよ。」

美寿々も、

「本当にそうだね。原発だって、あんな危なっかしいもの、再稼働したり、海外に売ろうとしてるなんて。日本ってどういう国だって、良識ある外国人なら思うと思う。」

マスターは、

「それに原発なんて、もう流行らないと思うよ、正直。コストが安いって思われてるけど、決して安くないよ。フクシマがその証拠。それに、核のゴミの処理は、明後日の宿題にして、いわゆるトイレのないマンションを次々に建てるようなもんだから。」

美寿々も相槌を打った。

「そうそう。なんでも次の世代に押し付けて、美味しい思いだけ先取りにしようとするのは、日本人の悪い癖よね。」

マスターは、

「僕はもちろん脱原発に賛成だよ。小泉元首相はよく言ったね。応援してるんだよ、実は。」

美寿々も、

「私もよ。私、子供はいないけど、教え子と接してて、いつも思う。この子たちに原発のない、安全な日本を残して行きたいって。」

「そうだよなあ。」

美寿々はスープを飲みながら、

「マスターだって、今までは福島の牛肉使ってたよね。美味しかった。今でもマスターの焼くハンバーグは美味しいけど、やっぱり寂しいでしょ?」

「そりゃそうだよ。福島の和牛は美味しいからね。」

「うちの父の自慢の黒毛和牛、今もう、餌ももらえず、のたれ死んだかも知れない。かわいそうだった。裏山に逃して来たのよ。」

マスターは、皿を拭く手を休めて、頷きながら、深くため息をついた。

「全く、ひどい事故だったね。東電を潰さないのは、納得がいかないよ。」

「そうだわね。」

「あのお偉いさん方が、みんな刑務所に入ってくれれば、少しは落ち着くなあ。」

「うちの父の無念なんて、安倍首相は何にも判っちゃいないわね。呑気にアンダーコントロールって言って、復興オリンピックを東京でって騒いで、バンザイして、何がお・も・て・な・しだよね。」

美寿々は続けた。

「原発の周辺の地域は死んだのよ。ゴーストタウンよ。こんな犠牲を払っているのに、なぜ、日本人は懲りないんだろうね。」

「全くだなあ。」

二人は揃ってため息をつき、美寿々はライスを頬張った。マスターは、

「コーヒー、サービスするから。」

と言って、ブルーマウンテンを淹れてくれた。

      五

 江戸川浩文部科学大臣は、今日は核融合のシンポジウムで、幕張メッセに来ていた。核融合というのは、未来のエネルギーとしてまさに注目されている技術だ。日本を始め、アメリカ、中国、ヨーロッパ諸国、ロシア、韓国、インドなどの諸国が共同で研究を進めている。

 核融合は、環境を汚さない技術として期待されている。二酸化炭素を出さないし、温室効果ガスも出ない。少なくとも原発よりも安全である。原料は重水素と三重水素で、共に海水の中に豊富に存在する。三重水素はリチウムからとる。一グラムの重水素から、石油六トン分のエネルギーを得られるので、エネルギー効率が大変良い。

 しかし、三重水素は放射性物質であるから危険である。炉の中は放射線に晒され、放射能を浴びる。これは、原発と同じ危険性である。そして、低レベル放射能廃棄物として処理するべき核のゴミもでる。これが難点であった。

 しかし、日本では湯川秀樹博士が発起人となり、その時代から研究が進んでいたものであるので、日本にも核融合は研究の地盤が十分に育っており、将来の実用化への期待も大きい。江戸川文科大臣は、将来生かされるべき大切な研究として扱っているのだった。

 幕張メッセでシンポジウムに参加している者の中に、脱原発推進派の日本共産党の国会議員がいた。そして、そのシンポジウムの中継動画を、たまたま美寿々がインターネットで見ていた。

 美寿々は初めて核融合について詳しい説明を受けた。そして、核反応による発電に変わりないこと、反応には放射能が出ることなどを知り、原発に取って代わる安全な技術とは言えないと思った。

 そして、動画を見ていて思ったのは、やはり再生可能エネルギーの良さだった。核融合よりも再生可能エネルギーにシフトして欲しいと思った。

 共産党の国会議員の意見も核融合の危険な面を憂慮して、そんなにエネルギー効率が良くなくても、安全性を優先して、再生可能エネルギーの方は将来性があるという者だった。美寿々は彼に同感だった。

 江戸川文科大臣は、共産党の議員の意見に耳を傾けながらも、これからますます増大するエネルギー需要には、再生可能エネルギーだけでは足りないと言った。エネルギー効果、採算、原発よりも安全性は高いこと、などを挙げ、核融合発電のポテンシャルの高さを訴えた。

 核融合というのは太陽を地球上に作るようなものだという。地球上で太陽が発熱する仕組みを人工的に作り出すのが、核融合だという。膨大なエネルギーを生むことができるものだ。

 美寿々は、このテーマは、教え子たちも興味を持つだろうと思った。そこで、この動画を見るように教え子たちにホームルームで言った。福島の子供達ならどんな意見を持つだろうか、と興味もあった。そして、一週間後にホームルームで動画を見た感想を持ち寄った。

 生徒達の意見は大きく二つに分かれた。新しい技術に期待したいというもの。地上に太陽を作るということに、ロマンを感じる生徒も少なからずいた。しかし、大半は、共産党議員に同調するもので、第二のフクシマは避けねばならず、原発に近い危険性を孕むものなら、避けるべきで、再生可能エネルギーにシフトして、脱原発、というのが理想だと思うと語った。

「先生、私、来年から十八歳で選挙に投票できるけど、この議員さんの考え方、好きだった。共産党ってマイナーですか?」

美寿々は思わぬ難問に答えに窮したが、

「じっくり考えてください、あなた方一人ひとりが自分で。国会中継の動画がユーチューブにあるので、見てみるのもいいです。マイナーかメジャーかは、選挙結果で決まるんだけど、まさにそれが問題なのよ。あなたにとって、どこが一番妥当かで投票するんだと思うよ。あくまでも、自分本位でね。それが大切なことです。」

 脱原発の動きは、大きく、核融合か、それとも再生可能エネルギーかの、二つに分かれるように思えた。火力に頼る現在のエネルギー政策は、温暖化による異常気象や環境破壊を防ぐ意味で、もう限界であろうと思われた。異常気象による災害の復興に、十分な施策をしてこなかった政府にも、美寿々は不信感を持っていた。

 グレタ・トゥンベリさんのような高校生が、教え子の中から出てきてもおかしくない気がしていた。ここ、福島県立会津第一高校で。

       六

 美寿々は、母のグループホームを訪れていた。

「お母さん、来たわよ。」

「ああ、元気だったかい?」

「ええ。今日はお昼ご飯、外で食べよう。ハンバーグ好きでしょ。」

「ええ、いいわね。嬉しいわ。」

「じゃ、車で行こう。お店、貸切なのよ。」

「へえ。すごいわねえ。」

 母は上機嫌だった。認知症は日によってムラがある。良い日、悪い日がある。母の場合は、特に心因性のストレスに影響を受けやすいようだった。

 車を運転しながら美寿々は、

「お昼ご飯食べて、もし、お母さんが疲れてないようだったら、お父さんのお墓参りに行こうか。」

母は涙ぐんだ。病気のせいで、涙脆くなっているのかもしれない。黙って頷いた。

「お父さんにお花、買って行こうね、大好きなお酒もね。」

母は黙って頷いた。

 先祖代々の墓は、古くから住んでいた南相馬にあったのだが、帰還困難区域なので、美寿々が会津市内の寺に分骨して、父もその寺に納骨した。母と一緒に墓参りするのは、本当に久しぶりだった。

 ハンバーグ屋に着くと、マスターがにこやかに迎えてくれた。母は寛いで、食欲もあり、美寿々と同じ100パーセントビーフのハンバーグ定食を注文した。マスターは、母には特別に抹茶を点ててくれた。

「マスター、ありがとう。お母さん、お抹茶なんて、嬉しいねえ。」

「本当に。もうこんな贅沢なものは、死ぬまで飲めないと思ってたよ。」

と言って、微笑んだ。お茶碗を両手で囲むように持って静かに抹茶を啜り上げた。

「美味しい。結構なお手前です。」

 母は、ハンバーグ定食を美味しそうに食べながら、

「南相馬の友達に会いたい。死ぬまでに一度でいいから、南相馬の家で眠りたい。私はあの家で死にたかった。」

と感傷的なことを口にした。マスターは黙ってきいていた。美寿々は、

「お母さん、きっと私が連れて行ってあげるからね。大丈夫だよ。私だって、まだ一度も帰ってないんだから。」

と言った。すると、母は、

「うん、判った。」

と、物分かりよく頷いた。美寿々は、

「ねえ、マスター。ワインを小さなペットボトルに入れてくれる?父のお墓に供えたいの。」

 マスターは、

「もちろんだよ、判った。うちで一番おすすめのを入れとくよ。赤でもいい?」

「うん。赤がいい。」

 マスターはペットボトルに入ったワインを紙袋に入れてくれた。美寿々は、ハンバーグ屋の隣の花屋で、仏花を買い求めた。そして、車に戻り、母を乗せて、父の眠る墓のある寺まで向かった。

 母は、父の墓前で長いこと拝んでいた。美寿々は母の祈りが済むまで、ずっと待っていた。そうして、ふと思った。

 父の喧嘩、父がしたかった喧嘩を、私が代わりにしてあげようか。

                続く