皆さん、お元気ですか?かなり、投稿間隔が空いてしまいました。私はちょっと長い抑鬱状態なのか、何事もするのが、億劫だったり、ある方に最近、話す言葉がどもりが多いのではと言われたり、ちょっと気になることがあったりしました。かかりつけ医や、精神科の主治医に相談しました。加齢によるところがあるのではと、一応、気を付けながら、何かあれば、いつでもすぐに診察に来るようにと言われました。全くの健康体ではありませんが、家事等でちょっと溜め込むことはありますが、なんとか生活は出来ています。


今の私は全く飲酒欲求がありません。月に一回から二回位に、知り合いがやっているスナックにカラオケを友人などと行く機会があります。「酔ってるみたい」と言われるほど、唄う時に手振りなどして、なりきりだったり、オーバーな振り付けで歌い自分も回りも楽しい感じの場になります。お客さんの中には、酒を上手に付き合っている方も多くいます。アル中の私達には、決して出来ないことです。中々、断酒に踏み切れない人達の中に、このもしかして、酒量をコントロール出来るかもという儚い夢を捨てきれない見続けてしまってる人は多いと思います。本当はそんなことは出来ないことは解っているけれど、自分がアルコール依存症であることを認めたくないという深層心理が働いているのだと思います。お客の中には酒に飲まれ、人に迷惑をかけるような飲み方をしている方も勿論います。その姿はみっともないなと感じたり、哀れだなと思うこともあります。酒なしでも、そんな場で楽しめたり、日頃のストレス解消になっています。一応、歌の上手いTAKAさんと言われることがあり、嬉しくなります。


私は13年前に、3週間位かな妻と3人の子供と住んでいた家から逃げ、酒を飲み続けました。ほとんど食べずにあまり眠ることもなく、でも、酒量は半端なかったのですが、酔った感覚もありませんでした。死にたいと思っていましたが、死ねない自分も知っています。サラ金や銀行ローンで借りたお金があったので、昼間はパチンコ、当然時々酒を飲んで、夜は居酒屋にちょっと寄り、それから行き当たりばったりのスナックなどで飲み、二~三日おきにホテルを変えて繰り返していました。父から何度か留守番電話が来ていました。そして、「これ以上戻らないなら、警察に届けないといけない」とあった時に、子供たちには迷惑をかけれないなと思い、実家へ行き、父に乗せて行ってもらい、家に戻りました。玄関を開けると、「パパ!」と二人の子供が喜んで抱き付いてきました。涙が溢れました。家に上がり、テーブルを挟み妻と話しました。離婚届が置いてありました。妻とは次に飲んだら無条件で離婚との約束をしていたので、すぐに判子を押しました。1時間位、妻には泣きながら言われました。黙って聞いていました。聞かれたことで何回かは話したかも知れませんが、ほぼ黙って聞いていた感じです。情はある妻なので、すぐには許してくれなくとも、話次第では離婚しないで済んだかも知れません。子供に対しては多分ですが、妻もそんなに悪くない、むしろ好かれているパパだったりして、ある意味、それで私の病気の回復にも頑張ってくれてもいたから。それから、実家に行き、2日位してから、入院予約をしていたので、親戚のおじ、おばに付き添われ病院へ行きました。家を出る前、子供たちがついてこようとしましたが、「パパ、入院しなきゃならないから」と話し、寂しそうな顔で見送られました。実家に戻り、自分の部屋にいました。家には酒はないので、夜中に隣の家に酒売ってくれませんかと話し、何か察したのか解りませんが、ウィスキーを一本、お金はいらないよと貰いました。おじに病院へ送って貰う時の車の中でも、そのウィスキーとお茶を混ぜて、お茶のペットボトルで飲んでいました。病院へついて、歩いて玄関の前で気を失いました。気が付いたら、病院の保護質のベッドで拘束されながら、点滴されていました。目を覚ましてから、ちょっとして、主治医がきて、入院の説明を受け、閉鎖病棟へ移されました。約3ヶ月入院してから、今、住んでいるアパートでの断酒生活がまた、始まり今に至っています。


今の生活に入る前の体験談を少し書きました。13年前、飲む時は飲みたい気持ちでなく、逃げたい死にたいでした。その前、7年ちょっと断酒していました。笑われると思いますが、約20年間、飲酒欲求がありません。その前は飲酒欲求の塊だったかなと思います。アルコール依存症と診断されてから、その飲酒欲求の塊も、ちょっとずつ変わりました。それは、ずっと更新していませんが、体験談で話していきたいと思います。


今年も何回か父のウニやなまこ取りで沖に行きました。12月も三度ほどありました。冬場の沖は寒くて嫌ですが(^-^;(笑)いつか記憶にないほど、久しぶりにタコも取ったり。また、初めて父はアワビを取ることをチャレンジしたり。数個取れました。アワビ取りに使う新しい道具を作ったり、父は生涯漁師なんだなと、改めて尊敬しています。自分自身、考えさせられたことでした。心配していた中国の輸入禁止の影響はありませんでした。実入りの関係からか、ウニの値段はあまり良くなかったのですが、なまこは高値の時は昨年より二千円ほど高いキロ四千円したこともありました。父が以前勤めていた定置網漁業では、11月から今、現在も大漁みたいです。ニュースで見かけた人もいると思いますが、イワシが陸に上がって大量に死んでいて、その処分に苦慮しているところは、同じ函館でも、実家から30キロと町です。今の大漁はそのいわしと、サバ、ブリ、イカと取れているみたいです。大漁続きで少しずつ価格は下がってきてはいるみたいですが、例年より価格は良く、特にイカは不漁もあり、最高価格だったりと聞いています。一度、父の気遣いでイカ刺し作って貰いましたが、コリコリして、とても美味しく頂きました。また、ウニ、なまこ、アワビ、タコは友達などにお裾分けしたら、とても喜んでいました。


更新していなかった間、例年と違った出来事もありましたが、今年も残り半月、断酒生活は継続出来て、新年を迎えられるかな。年内、何回かは投稿するようにしたいなと思っています。そうそう5年使っていたスマホがバッテリーがヤバそうなので、買い換えしました。それは投稿出来なかったひとつの言い訳にしときます。ちょっと長くなったので、まとまりが全くありませんが、今日はこれで終わります。



一日断酒継続しましょうね(*^^*)