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中国とインドの隆盛が引き起こす東西覇権の交代(世界の潮流)

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  (テスラ報道にみる中国政府の底力)  米電気自動車( EV )大手テスラが 5 月 25 日、中国版ツイッター 「微博( Weibo 、ウェイボー)」の公式アカウントで、以下のようなメッセージを発信した。 「データの現地保管を実現するため、我々は中国にデータセンターを設置しており、今後、中国国内のデータセンターを増やしていく計画だ。テスラが中国本土で販売した車両のデータは、全て中国国内で保管される」「 これは単純の受け取ればテスラの中国戦略の成功であり、短期的にみれば、テスラ社の売り上げ増につながる。その報道を受けてテスラ株は上昇した。これはテスラ投資家にとっては好ましい話であるだけでなく、一見米国の国益にかなっているように思える。しかし。こういった施策によってテスラは中国という消費地に縛られることになる。それを見計らって、中国政府はデータによって得られるノウハウに対し、テスラに相当厳しい態度で接してくるであろう。テスラの自動運転の改良については、中国政府の意向や判断が絡んでくるかもしれない。さらに、こういったノウハウがテスラの競合他社にわたる可能性も高い。これは中国製メーカーの実力の底上げにつながってくる。イーロンマスクがこの点について、どこまで危惧しているかはわからないが、その場しのぎでの対応なら、テスラは数年後に中国メーカによって大きなダメージを受けるのは間違いない。  しかし、テスラの行動は米国の株式相場の致命的な欠陥の派生にすぎない。時価総額が恐竜化したことに対する悲劇ともいえよう。となるとこれは視点を変えれば GAFAM 、そしては NVIDIA などについても同様のことが言える。これら銘柄は時価総額が巨大になりすぎて、それを維持するために中国市場を無視出来なくなった。そして、中国政府の意のままに操られて、程度差はあるが中国に技術移転を容認せざる得ない状況に追い込まて、しまいには力をつけた中国企業によって足を引っ張られていく。 (米中対立の限界)  米中対立に対して私たちは米国目線でしか情報をえる事ができない。それは視点を変えれば欧米側のプロパガンダと変わらない。しかし、西側が課する中国制裁のほとんどが中国から見れば穴だらけの何物でもない。実際、中国メーカーが先進国の技術をもったとしても先進国に中国製品が席巻することは難しい。

不動産投資の損益勘定2~投資対象としてのREIT (投資手法の研究)

  (REITと不動産投資の相違)  人口減少社会における不動産投資の考え方として、不動産投資というのは株式市場のような玉石混合の混じった市場でもあるにも関わらず、物件情報に透明性がないので、プロ的な要素を持った投資家が優位になりやすい。  同じ不動産投資でもREITは、比較的株式のように情報に対する透明性が高いだけでなく、投資信託としての社会的責任を負わされているので、投資家を欺いて多額な損を与えるような商品設計を行えば、そのこと自体が社会問題となり、金融庁は認可基準が厳しくするなどの法的整備を余儀なくさせられてしまう。  実際、REITが倒産して多額な損を被るような暴落はリーマンショックなコロナショックなどの特殊経済環境を除いて起きていない。 (メリットとデメリット)  そういった視点でREIT分析を試みると。 メリット1:大都市圏の優良物件が多い その理由として、 ①大都市圏の不動産は概して需要が高いため空室率が低い。②そして、需要の高さから流動性も高い。さらに③人口減社会といえども大都市圏内には世界各国の資金が流入することで地価上昇が見込めやすい。強いては、それが不動産価格上昇や賃料価格上昇を呼び込みやすい。 メリット2:投資商品としての代替 REIT物件のほとんどは、ビルの立地や建物の属性から選定しており、その観点から特に東京都心5区に集中しやすく、実際賃貸オフィスビルのうち約10%の床を所有していると言われている。また、新耐震基準・中小規模ビルの所有割合が相対的に高く。物件そのものが投資資産として活用できる。  このため、物件の価値が上昇した場合、①一部の物件売却により利益を確定することができる。また、②市場環境変化によるポートフォリオの再構築などの投資戦略の見直し、③有利子負債の圧縮なども比較的容易に行える環境を整えている。 デメリット:金利上昇に弱い   REITは、投資家から集めた資金だけでなく、レバレッジをかけるために銀行からの借入れなどを行っている。したがって、金利が上昇すると、その借入金の利息負担が増加するだけでなく、借入金の早期返却を求められたりすることも想定されるなどのREIT収益を減らす要因がある。 また、金利が上昇することで、REITと他の金融商品との間の利回りの差(スプレッド)が縮小し、投資家がより安定的な国債などの他の金融商品へと

Youtubeで成田祐輔&舘ひろしの対談を見て思ったこと

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  この番組をみるの初めて、新鋭の学者である成田祐輔と大物俳優の舘の対談は異色すぎて、 全くと言って非対称的な人物であるので、そんな二人の考えがどのように重なり合うのかちょっと興味をもってしまった。  残念ながら、成田 は舘の発言を理解出来なかったようである。例を上げると、舘は渡から「俳優は演技が上手くなりすぎてはいけない」と指導されたとのこと。これはまさに、俳優は演技の上手有無ではなく、存在感で勝負するものだということを示唆しており、確かに名優は演技というより、そのほとんど唯一無二の存在感で評価されている。そのオーラを獲得するために、そのために私生活を犠牲にして、破天荒な生き方に終始した名優も多かったと言っている。今の時代はそういった破天荒さを容認しない社会になっていることを嘆いている。  それを成田は一生懸命論理的に解釈しようとして議論がかみ合わなくせていたようだ。  成田氏は学者としては異色ではあるが、そこまでの境地には達成していないようで、逆に、アベノミクスのブレインを担った浜田宏一は、自身が世界的な経済学者であるにも関わらず、経済政策運営という点での自分は単なるブレインという小者に過ぎないことを認め、学問をという素地に程遠い安安倍総理という存在を尊敬していた。  一流学者が作る政策を世に広めるには俳優のようなオーラのある人の力が必要で。そのオーラという正体に学問的な境地も含め話し合えればよかったかと思ってしまった。  成田氏は、学問という領域をひたすら信仰していて、まだ浜田宏一の領域にまで達していないようだ。こういったところが、あの失言のような誤解を生んだ要因にもなったのであろう。そういった所についても本人は反省をしていないようだ。   

米国株投資銘柄の選定基準 (投資手法の研究)

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1.弱肉強食ともいうべき非情さ ここ40年間、ダウは右肩上がりを続けている。このため、米国株に投資をすれば無条件に儲かりそうなイメージを持たれやすいが、米国株は日本以上に企業業績と連動しており、米国市場が上昇相場であっても、企業の経営状態の思わしくなければ、非情なまでにその銘柄の株価を突き落としてしまう。実際のところ、上昇相場といえども長期的な右上がり銘柄はそれ程多くない。ましてや長期間にわたってインデックスを上回る値上がりをしている銘柄なんて殆どないに等しい。 2.銘柄分析 ①ファンダメンタル分析 株価が上昇しやすい銘柄は未来に輝くような期待値のある企業であり、投資家は無意識に企業における現在および数年後の企業業績を逆算している。こういった期待値は、①企業が販売する商品の将来性 ②増収増益を繰り返すことでの投資家からの安心感 などにより投資家からの高い評価を蓄積していくことで芽生えてくる。そういった期待を獲得した銘柄には投資家から多くの資金が流れ込んでくる。たとえ、決算が一時的に振るわなくても将来期待値が高い銘柄の株価は下がらない。一方、現状の業績が良くても未来の業績が尻すぼみになると判断される場合には低PERで放置される。このように株価は投資家の期待値という非定量的な信用具合の評価基準で上下に変動し、そのブレ幅は、PERは10倍以下から30倍後半まで約4倍近くに及ぶ。これだけの開きがあれば収益や財務分析などのファンダメンタル分析で株価を予想しても期待通りの株価など得られない。 ②IT業界が導いた超高収益ビジネスモデル 2010年中頃から、GAFAM等がIT分野で独占的なシェアを獲得したことで、製造業が到底太刀打ちできない高収益率ビジネスを大規模に展開できるようになり、それまで考えられなかったような時価総額をはじき出すようになった。さらに、コカ・コーラやマクドナルドなどもフランチャイズのような形式を取り入れて、低収益の事業分野を最大限に切り離して利益率の底上げをしながら株価の底上げを図っている。昨今の時価総額上位銘柄はこういった高収益ビジネスで独占的な地位を築いた企業に集中してしまっている。 ③根幹は「成長性」  株価は常に現況におけるすべての材料を織り込んでいる。現状のPERや高収益ビジネスだけ上昇軌道を単純に描けるものではない。市場が嫌うのは飽和であり成熟であ

日本株投資銘柄の選定基準(投資手法の研究)

 1.長期的な視点での日本株投資  90年代のバブル崩壊以降、日本のマーケットは下降トレンドを突き進んできた。その一方、アベノミクス以降は未曾有の金融緩和により日経は3万円を超えるまでに上昇しているが、未来軸で見た日本は悲観一色であることには変わりない。とはいえ、日本政府と日本銀行は、景気や株価が低迷すれば更なる金融緩和を打ってくること。日本の一部の優良企業がグローバル市場で収益をバランシング化できるようになったことで日本国又は一国の経済状況に依存しない経営スタイルを確立したことで、30年前なら膨大な赤字を垂れ流しそうな景気悪化局面でさえ好決算を維持できるほどに売上やコスト面で筋肉質な経営が出来るようになった。日本株投資においても世界は一つに集約され始めているのである。 2.社会民主主義である日本株投資の難しさ 日本の製造業には世界有数の技術力やシェアを保有している企業が無数にあるが、そういった優良といえる企業であっても、利益水準が低く株主還元を疎かにしていることが少なくない。 日本企業の経営者は、日本国民から社会的責任を強いられ、株主より、従業員の雇用や地域経済の安定性を求められてしまう。そのため、大抵の経営者は経営のプロに徹することなく労働者代表となってしまう。会社経営の構造も経営層と労働者層の境目が希薄なボトムアップスタイルが主流で、米国流のトップダウン式資本主義と一線を画している。会社として成長戦略を打ち出しても、それぞれの部署が自分たちの自己権益を守る部分最適に走ってしまう。人事においても後先を考えない猿山のボス猿争いのような配置を当たり前のように繰り返している。 ここでジャック・ウェルチを添えておく 「自分の地位を守るために嘘をついたり、昇格した同僚をうらやんだり、人になにかをさせるために無駄なルールをつくったりと、そういう「さもしい体裁を涼しく整える魂胆」が会社に政治を持ち込み、スローダウンさせ、やがて企業が死んでいく」  このことは日本株投資において、投資のプロに徹底できるオーナー系企業以外投資対象になりにくいことを示唆している。 3.日本株投資の選定基準 一般的に優秀なビジネスモデルの定義は、「①他社が真似できない特殊な技術や商品がある。②消費者からの圧倒的というべき信頼やブランド力を勝ち得ている。 ③シェアを独占しているため、他社が参入しても勝ち

投資環境でも世界が一つに集約

  日本経済における報道で例えば 「一部の自動車メーカーが工場を停止した影響で個人消費が振るわず、成長率は物価の変動を除いた実質でマイナスになると予想される」などおなじみのように経済状況が振るわない報道がされている。財務省が提供する国際収支報告においても経常収支は黒字を維持しているが、貿易は状態的に赤字が続いている。貿易立国の日本という立ち位置は消え去っていて,日本の国力低下を危惧する一方で、企業決 算においてはこのところ過去最高益の更新を繰り返している。  このことは、国内の景況感で企業業績を論じることが出来なくなっていることの表れである。 つまり、世間のニュースと企業業績は全く異なるベクトルで動いている。そうでなければ、トヨタの決算で売上45兆円、営業利益5兆円などというような結果を出すことは到底できない。このようにグローバル企業は、まさに国内景気ではなく、西欧、米国、中国、東南アジアなど世界市場と向き合って、それぞれにバランシングをかけながら売上調整を行っているに過ぎない。実際、トヨタの売上の 75% は海外売上である。  投資を考える上では人口減少が深刻な日本で活躍している企業に焦点を向けるのではなく、世界で優位なビジネスを展開し、海外売上の比率が高い企業に目を向けた方が長期的には確実な成果をもたらす可能性が高い。その最たる企業がコカ・コーラやP&G、そしてマクドナルド、そして GAFAM などの米国最強軍団企業群であろう。  リーマンショックやコロナ禍などの超金融緩和の副作用で、世界中でインフレが深刻化している。  こういった状況を恩恵として逆手にとっているのが、まさに優良で経営力の高いグローバル企業に他ならない。  今や投資家にとっては、一国の経済ニュースに頼るのではなく、世界は一つという視点で分析していくことが必要なのかもしれない。

平坦化する日本国民(雑感)

  日本は信じられない位に社会性民主主義に突入している。とはいえ、北欧に比べればまだまだとは言えなくもないが、「名家=金持ち」という構図は驚く程に崩壊している。これは世界中を見渡しても日本特有の現象である。 そんな日本も昭和 40 年以前までは戦前からの階級社会を引きずっていた。その頃の雰囲気はドラマを見ればある程度理解できる。金持ちと一般人の生活水準の差がすさまじく、まさに金持ちは大きな庭園が出来そうな大豪邸に住んで、その娘は深窓の令嬢と言わんばかりの生活をおくっていた。一方、街にはスラムを点在するだけでなく、一般人でさえ質素な家に住んでいた。高度成長期は こういった中下層階級の人々が 1 億総中流の政策の下に飛躍した時代であり、それが国全体に明るさにもなっていた。  しかし、バブル経済が終わる 90 年代頃になると、戦前からの名家は世代が代わりとともに思い相続税に耐えきれず本当の意味で一般市民に下野する。そうしているうちに旧大名家、旧財閥、旧華族などが軒を連ねる住宅街も都市開発という名のもとにどんどん消え去っていく。さらにそれが 2 代、 3 代と続いていくうちに、名家ではない国会議員や大企業役員等は一般人と同じようなマンションに住み、財力も一般人とさほど変わらなくなってくる。    韓流ドラマを筆頭にアジア諸国のドラマには、とんでもない金持ちと一般人の恋愛ものが多い。それは裏を返せばそれだけの格差社会であることの裏返しである。日本においては、そんなドラマは現実離れしてしまう。それは日本人の心の中にそこまでの格差は横たわっていないという暗黙の了解があるからである。    とはいえ、日本の街のはまだまだ豪邸が点在している。それは次の階級である地主、医者、ほどほどの規模企業経営者の家であることが多い。これもご子息に資産管理能力がなければ相続の度に資産を大きく目減りすることを繰り替えしてしまう。  戦後、田園調布や成城などの高級住宅地を電鉄会社は造成した。一時は栄華を極めたが、現在においては空き屋が目立っている。  この理由は、ご子息がこれら高級住宅を維持するだけの財力が乏しいことが理由あること。ベンチャー企業の経営者などの新鋭の富裕層はこういった高級住宅街を選ばずに都心のタワーマンションなどの億ションを好むようになったことで、郊外の高級住