「戦後左翼思想」批判入門(3)-了- | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

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自虐史観を乗り越えて、「日本」のソ連化を阻止しよう!

自己規律と自己制御の権利と義務を放棄して自己の身体、生命の処遇を他人の意思にゆだねることは、尊重されるべき個人としての資格を失うことを意味します。個人としての責任と義務を放棄する「左翼全体主義」を自己批判することなく、この考え方に無理やり「個人の尊厳」という考えを接ぎ木したらどうなるか、「個人」ではないもの、すなわち自己規律・自己制御の主体ではないものに「尊厳」を認めてしまうことになります。
 
自分で自分をコントロールする習慣を持たず、他人の言いなりになってきた人間、あるいは「人を尊重するということはその人のために自分を殺すことだ」と教えられてきた人間がそのまま偽の「個人」として「尊厳」を与えられてしまうとしたら、それは子ども染みた我儘を放任する結果になるのは必然です。
 
偽「個人」たちは、他者からの懲罰やら暴力による以外に、内省的に自分を抑えるすべを知らないし、「俺を尊重するってことは、お前が俺の犠牲になるってことだろう」と考えるでしょう。
 
外圧や暴力に支配されることなく自分の理性で自分を制御するように努力すること、そのような各自の努力を互いに尊重すること、つまり他人の自己制御の努力を妨害しないだけでなく、自分の自己制御の努力を放棄しないこと、これがまず称揚されるべき規範であり、これに反する「左翼全体主義」(滅私奉公)は、間違った思想として徹底的に批判されるべきなのです。
 
さて、僕は前々稿で「自己を肯定できない人間は他者を肯定・尊重できません」と書きました。これは僕の勝手な思いを書いたものではなく、教育心理学等で科学的に明らかにされている事柄なのです。
 
Self-esteem自己有用感(これはかなり意訳ですが、単なるナルシシズムや自己愛との区別のためにこの訳語を用いる人も少なくないそうです)がキーワードです。この自己有用感が確立していない人は、他人の価値も認められず、簡単に人を傷つけてしまう傾向などが強いといいます。
 
自己有用感の確立のためには、他人による存在承認が不可欠だそうです。「君がいてくれるだけで私は嬉しい」「あなたは私にとって他の人には代えられない存在意義のある人だ」という他者からの承認によって自己有用感は確立していきます。
 
しかし、こうした他者からの承認は、実際に他者に貢献し信頼を勝ち取る中でしか、受け取ることのできないものです。たいていの親はわが子に無条件にこのような承認を与えますが、それだけでは不十分で、親以外の他者からの承認が決定的に重要なようです。無条件の承認ではなくてやはり《個人》としての資格における承認、自己規律と他者への貢献による存在意義の承認が重要なわけです。
 
このように、「個人の尊厳を守りすぎたから、自己中心主義的な人間が増えた」わけではなく、むしろ《個人》の尊厳を口先では守ると言いながら実際にはないがしろにしてきたから、「個人主義」の表看板のもとに「サヨク私民主義」を実践してきたから、自己中心主義的な人間が増えたのです。
 
そしてこの「サヨク私民主義」は、他ならぬ「左翼全体主義」(「愛国心」と「集団意識」)の鬼子としてこの世に生まれてきたものなのです。
 
したがって、「サヨク私民主義」を根絶するには、まずその生みの親である「左翼全体主義」(「愛国心」と「集団意識」)を批判・克服しなくてはならないのです。
 
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「ゾウの檻」、囚われていたのは…本当に巨大な像でした。
 

 

the pillows - No Self Control (Live)