一月五日。

 朝目が覚めると、ベッドの傍らにおかしな物体が鎮座していた。

 そいつは胴体が茄子で、ヘタの部分に鷹の頭、胴体から翼、背中にはまるで亀の甲羅のように、富士山ぽい山が乗っかっている。足は四本で、肌色。……よく見たら、折った割り箸だった。ここだけなんかチープだ。

「…………よし、夢だ」

「夢ちがーう!」

 一人完結して布団を被った私は、盛大なるツッコミを受ける羽目になった。

 謎の物体が、喋ってる。

「よし、夢だ」

 現実逃避モードに入った私は、布団を頭まで手繰り寄せる。布越しに、ばっさばっさと何かが押し当てられる感覚。あ、そう言えば翼だったわね、手のトコ。

「縁起モンのわしを無視するなんて酷いわ嬢ちゃん!」

「夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ」

 呪文のように繰り返しながら、早く目が覚めろ自分と叱咤する。でも、こういう時は絶対に目が覚めないのは、お約束として知っている。

 縁起物って言ってるし、どうせ起きられないし、ちょっとだけ……と、私は布団から顔を出してみる。

 目の前に、鷹の顔。若干小柄なポニー並みの大きさがあるから、迫力もひとしお。

「……私に何か用?」

 相手をして貰ったのがよほど嬉しいのか、鷹の瞳がぱあっと輝く。せめて胴体が茄子じゃなかったら、もうちょっと格好よく見えるんだけどね……。

「よう訊いてくれた! 嬢ちゃん、どの夢が欲しい?」

 はい? 思わず、口がぽかりと開く。

 訊いたのに訊き返されちゃった。

「どの夢が欲しいって……」

 おかしな物体は、翼を使って自慢げに自分の胸(と思われる茄子の胴体)を叩いた。

「初夢というたらわしやろ。ホントは選べへんけどな。嬢ちゃんわしを認識してくれたけん、トクベツに選ばしたるわ!」

「初夢?」

 上半身を起こした私は、謎の物体に向けて首を傾げる。それを見た謎の物体が、大げさすぎる程に体を仰け反らせる。茄子の体なのに、よくしなる事。……なんて、感心している場合じゃない。

 相手も不思議そうに首を傾げる。さすがは鳥としか言えない角度だ。

「初夢は初夢やん。おしょーがつ迎えて最初に見る夢や。あ、十二月三十一日から元日に見る夢は初夢言わんのよ。初夢っつーのは元日から二日か、二日から三日にかけて見る夢の事指してん」

 うん、それは何となく知っている。私がツッコミたいのはそこじゃない。

「今日、一月五日だよ」

 部屋を、静寂が包んだ。

「うそやん!」

 謎の物体の悲痛な叫び。でも、私は今日が一月五日だっていう事を、最初に豪語している。

「ウソじゃないよ。携帯見る?」

 私はのそのそとベッドから起き出して、机の上に置かれた携帯(正確にはスマホ。呼び名は名残)を手に取った。画面を起動して、謎の物体さんに見せてあげる。

 間違いなく記されている、一月五日の文字。

 謎の物体は血走った目で画面を凝視した後、がっくりと肩(と思わしき茄子の胴体)を下げた。

「やってもうた……寝過ごしや。きっとアレや。去年珍しくサンタの野郎からプレゼント貰ったんがアカンかったんや。なーんかきな臭いと思ってたんや。わしの仕事を妨害して、自分の株アゲアゲの為やったんやな」

 見る限り純和風っぽいけど、サンタさんと交流あるんだ。

 交流内容が良く分からないけど。

「というか、あなたは何なの?」

 事の始まりから気になって仕方なかったせいで、私はついうっかり謎の物体を慰める事を忘れ、質問してしまった。

「わしな、ふじたかび言うんよ」

「……ふじたかび?」

「今の子ぉは知らんのか? “一富士二鷹三なすび”言うやろ」

 ああ、そこから取ったんだ……私が言うのも難だけど、安直。

「わしの仕事は、初夢に出て皆をはっぴーにする事やねん。『ああ、今年もええ年になんなー』って思って貰うこっちゃねん。毎年この時期しか思い出して貰えへんくらいわしの株サゲサゲなんに、事もあろうに寝過ごすとかどういうこっちゃ!」

 翼をばさばさして暴れるふじたかび。えーと。正直ちょっと迷惑。遂にはベッドに頭伏して泣き出す始末。

 ……えーと、どうしようかな。

「見たげよっか? 夢」

 うっかり口走った私の声に素早く反応して、がばりと頭を上げるふじたかび。ああ、引っかかっちゃったかなと思いつつも、この場をやり過ごすにはこうするしかない。

「すまんなーわしめっちゃ助かるわー」

 何だか嵌められた感満載の笑みを向けられ、ちょっと後悔が頭の隅を過ぎった頃には、私の視界は暗転していた。



「うわぁ!」

 視界が戻った時に私の目の前に広がっていたのは、どこまでも続く雲の絨毯だった。遠くの方で富士山をバックに、黒い影が数羽旋回しているのが見える。きっとあれが鷹だ。

「嬢ちゃん良い子さかいに、トクベツ大放出サービスで全部見せたるで!」

 となりで自慢げにふんぞり返るふじたかび。

「全部? 茄子は?」

 素朴な私の疑問に、ふじたかびは翼でちょいちょいと自分を示す。

「あんた茄子だったの!?」

 今年最初の衝撃が、私を襲う。私の反応に満足したのか、ふじたかびが嬉しそうに嘴を鳴らす。

「いつもはちら見せだけなんだけどなぁ。今日は嬢ちゃんの心意気に感謝して全身見せたるで。じっくり見たってやー」

 ……要するに、普段は胴体しか見せないけど今日は全身見せてくれるって事ね。でもね、あなたみたいな謎の物体は凝視したくないわ、正直。面と向かっては言えないけど。

 私は苦笑して、ふじたかびの心配りをさり気なくスルーした。見栄えのいい景色へと視線を移す。

 どうやら、マチュピチュ並みに高い所にいるみたい。富士山も上の方がよく見えるし、下は雲の絨毯だし、鷹は飛んでるし。日本にこんなトコあるのかな? あ、夢だから細かいシチュエーションを突っ込んじゃダメね。素直に綺麗な景色を楽しまないと。

 ……うん、確かにこんだけ絶景を見せられたら、一年良い事ありそうな気がする。

「嬢ちゃん、嬢ちゃん」

 景色に見惚れていた私は、隣からふじたかびに突かれて我に返った。

「ん? 何?」

 目を向けると、ふじたかびはしきりに自分の背中を翼で示してる。

「わし今さいっこーに気分ええねん。出血大サービスしたる」

「サービス?」

「この空、飛びたないか?」

 確かに、これだけ広くて壮大な空を飛べたら気持ち良いでしょうけど……。

「ふじたかびに、乗るの?」

「そや。こう見えてわし鷹やねん」

 鷲なんだか鷹なんだかややこしいけど。っていうか、あんた茄子じゃなかったの? 大体、あんたの背中真ん中に富士山乗ってるから、座り難そうなんだけど。

「さ、さ」

 胸中を素直に語る事が出来ず、私はふじたかびに勧められるまま、茄子の胴体に跨った。

 ……うん、富士山を背もたれにするとなかなか乗り易い。でも富士山って背もたれにして良いものなのかなぁ?

「よっしゃ! いくで!」

 ふじたかびは鼻息荒く翼を羽ばたかせると、雲の絨毯目掛けて駆けだした。割り箸の四足が、器用に二つに折れて走っている。見れば見る程不思議生物全開だ。

「とうっ!」

「あわわ」

 夢の中なのに、一瞬胃が浮く感覚があった。思わずふじたかびの首に縋る。

「うわ……あ」

 眼下に広がる雲の絨毯。どこまでも続く青空を悠々と飛ぶ鷹たち。

 ついでに、私が椅子にしている茄子(の胴体)。

 うん、初夢にはならなかったけど、なかなかに縁起の良さそうな夢じゃない?

 なんて思った瞬間。

 唐突にがくん、と下がる高度。

 頭を過ぎる嫌な予感。

「嬢ちゃん……こう言ったらアレやねんけど、ちと重いな」

「ちょっと! 女の子相手にそういう台詞は禁止!」

 確かにお正月でお餅とか結構食べたけど! 体重計に乗るの怖いなとは思ったけど! 言われるとそれなりに傷つくから止めて!

 なんて思っている間にも、どんどん下がっていく高度。雲の絨毯がさっきより凄く近い。これ、追突したら……ううん、貫通したらどうなっちゃうんだろう。

 ふじたかびはしきりと翼を動かしていたけど、それが唐突にぴたりと止まった。

「あかん。もうダメや」

「いゃーーーーーーっ!!」

 落下する体。ふじたかびから離れて空中をくるくる舞いながら落ちていく。

 夢だから良い。夢だと分かっているから良い。

 でも、これじゃ縁起悪すぎだよ~。

 落ちていくうちに私は気を失って、またも視界が暗転した。



 どさっ、という音と共に、床に転がる。

「いったたたた……」

 体に纏わりついた毛布から逃れようともがく。毛布は見事に絡まっていて、外すのにも一苦労。

「咲? 大丈夫か」

「今何時?」

 訊かれた事に答えず、逆に質問する。相手は気を悪くする様子もなく答えた。

「朝の七時ちょっと過ぎだな」

「今日、何日?」

「今日は一月五日だが……本当に大丈夫か?」

「リアル夢オチだーっ!」

 毛布を完全に剥ぎ取り、私は叫んだ。

「……りある?」

 床に落ちた毛布を畳み直していた私は、背後から聞こえてくる声に目を向けた。

 机の上にちょこんと座る市松人形。外見は女の子なんだけど、声も中身も男性。名前は市松さん。私がこの間拾ってきた、物の怪の人形だ。

 市松さんは、カタカナ言葉に弱い。

「現実的って事。この場合は、ホントに夢オチだったって意味」

 「もーホント大変だったんだからねー」と言いながら、私は机の上に置かれた紙とペンを取り出し、今しがた夢で見た謎の物体を描く。

「頭は鷹でさー、胴体が茄子で背中に富士山乗っけてるの。あり得ないわよね~」

「ああ、おやっさんに会ったのか」

 市松さんの口からさらりと出た言葉に、私は硬直する。

「……え、あれ、ホントにいるの?」

「良かったなー咲ー。おやっさんは縁起が良いからな」

「良くない! 初夢じゃないし空から落っこちるし。挙句私の事『重い』とか言ってくれちゃって! 折角付き合ってあげたのに」

「まぁまぁ。そう怒るな」

「むぅ~」

 市松さんののほほんとした声音に、私は反論が出来なくなる。怒ってる方がバカみたいだ。

「咲は絵が上手だな」

「上手くないよ。これくらい小さな子供だって描けるもん」

 如何せん既存のものの組み合わせだし、そうでなくても落書きみたいな顔してたし。

「俺は上手いと思うぞ。咲、この絵、俺が見える所に飾ってくれ」

「……はいはい」

 適当に描いたものでも、褒められれば嬉しいもんだ。

 私は照れ隠しに微笑んで、ふじたかびを描いたメモを市松さんの傍に置いた。





 終。







「付物神と藤の花」目次へ