新元号「令和」、理想と現実のプチ違和感 | ルフィンのJUMP☆ステーション

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きょうは元号発表、30年ぶりという歴史的な日だった。

僕はこの日のため休みを取ってTVで発表の瞬間を待ちわびた…が、号外をもらいに外に出かけたほうがよかったかしら。

 

ところで、「令和」(れいわ)。

石破元自民党幹事長や社民党の党首などが批判しているけど、ここはまず喜んでおいたほうがいいのだろうか。

中国の古典に左右されなかったというのは史上初とのことだが、いいと思う。

漢字の意味は、十分持っているのだし。

「令」の使い方がどうのとさっそくあの国からクレームが入ったが、共産主義のクズに言われる筋合いはない。

 

ただどうしても僕には残念に思うことがあるのだが、それは前々回の元号「昭和」との類似だ。

「昭和」「平成」「令和」と並ぶことになるが、似たもの同士が並ぶ対比効果で印象が薄れてしまわないか。

何とももったいない。

温存して、次の次くらいで使ってほしかった。

まあ、識者たちがそういうセンスを持っていなかったということなのだろう。

 

あとは、相変わらずの首相のノーテンキぶりだ。

談話「「一人一人の日本人があすへの希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる。
そうした日本でありたいとの願いを込め」
ではそういう社会のために、これまで国は努力してきたか?

 

過労死の問題は毎度あるのだから、「働き方改革」法案などはそもそも民主党(当時)から政権を奪取した時点ですぐ取り組まなければならないだろう。

彼が言う「美しい国」なら、その種の問題は本来あってはならないだろう。

 

令月のもと和するとのことだが、では働き盛りのサラリーマンが、慣例の花見以外で花を愛でてゆったりと楽しむ生活の余裕はあるか?
どうだろうか。

それもないままいくら美辞麗句で国民の繁栄を願っても、偽善と空虚以外いったい何があるだろう。

 

国民も国民だ。

新元号を平和と想像したり、きょうから早速元号が変わると想像していたり…

俗用の熟語が使われる訳ないだろう。

愚かしすぎるし、無知すぎる。

(あと、これは自分もそうだが)「令」という漢字にめでたいという意味があるとは知らなかった。

この点、教養をもっと磨いておかなければならないと思った。

まあそんなことだから、政府に安易に支配される対象になってしまうのだ。

 

命令されて強要される平和。

もちろん偶然だと思うが、僕にはそんな裏の政権の意図も感じてしまう。

ともあれ、裏社会の統治計画にとってはこれ以上の熟語はないだろう。

結果的に、彼らへの大きなプレゼントではある。

 

令和は平成をしのぐ災害や戦争の時代になると僕は予告する。

それは何も深い意味はない、人間とは有史以来内面はまったく成長しない生き物だからだ。

さてでは、僕はこの先誰と和したらいいのだろうか?