突然の訃報が5日月曜後のお昼過ぎに入りました。
少し調子が悪いことは知っていましたが、こんなに突然早いお別れが来るとは・・・
彼とは1997年にマイクロバスの席が隣になった時に、初めてきちんと話す機会が出来て、少し印象と違うのではと感じていましたが、その翌年に突然青年会議所の専務理事の打診を受け、とても驚いたことをいまでも印象深く残っています。
私も思い込みがあり、いつでもやめるつもりで女房役を引き受けましたが、それから長い付き合いが続きました。
2009年に、日光市のために一緒に市議選に出ようと誘われ、翌年の市議選挙に出馬をして、今年で市会議員は11年務めております。
出会ったころから彼の夢を聞き、時には意見を求められ、市議時代には共に活動をして、2期目を迎えるころは、彼は市長選挙に挑戦をし思い届かず破れてしまいましたが、4年間の苦しい浪人生活を過ごし再挑戦の結果僅差の勝利を得て市長に就任しました。
就任後は周りが健康を心配するほど精力的に執務に取り組み、市の大きな課題を公表して、その課題に取り組んでいる最中に、病に侵されてしまいました。
年末年始の集まりで、運動不足も重なりダイエットをするんだと聞き、目標体重まで落ちたんだけど、食欲がないんだというので、念のために検査を受けたほうがと伝えた結果、難しい病気が判明してしまいました。
公務をこなしながら一生懸命治療に取り組み、その効果も出ていたのですが残念であります。
マニフェストづくりにも参加させていただいて、当選後は随時意見を交換し、日光市の将来について語り合ったのですが、道半ばになったことはとても心残りだと思います。
これから通夜祭に向かい、明日は葬場祭に出席をさせていただきますが、彼を思い出すたびに涙があふれてきます。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。









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