永田町の中から見た政治家の今と昔 | 猫の遠ぼえ『次の世代に残したい日本』

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自民党本部に40年近く務めた田村重信さんの『秘録・自民党政務調査会 16人の総理に仕えた男の真実の告白』を読んだ。ジャーナリストや評論家、あるいは政治家自身の回顧録とは違う視点が新鮮で、いま読んでいる本を横において読みかけたら一気に読み終えてしまった。

秘録・自民党政務調査会 16人の総理に仕えた男の真実の告白 単行本 – 2019/6/17田村 重信 (著)



福田赳夫総理から現在の安倍総理までの総理全員の他、安倍晋太郎、野中広務、浜田幸一、加藤紘一、山崎拓、中川一郎、与謝野馨、谷垣貞一、といった大物議員の他、現政権を支える二階俊博、菅義偉、世耕弘成、佐藤正久各氏が登場する。

また、小泉進次郎、杉田水脈といった若手にも言及しているが、自民党が野党に転落したときにあぶりだされた裏切り者として小沢一郎、石破茂、柿沢弘治、津島雄二各氏の名前もでてくる。


一方、筆者が関わった他党の議員(社会党の岩垂寿喜男、野坂浩賢)も登場する。
そして、読み終えて特に印象深いのが、自民党以外の政党に属する政治家についても公平に評価していることだ。

例えば、ネットの評価ではダメ総理の一人とされる細川総理についても、総理としての能力に疑問符をつける一方、「自民党の提言を真剣に聞き、受け入れた」ことを評価している。

話がそれるが、筆者は細川総理の爆発的な人気の理由は見た目の良さと話し上手なところがテレビ向けだったからで、いまなら小泉進次郎がその代表だと指摘している。

話を戻す。

共産党を除く野党八党派の連立政権には政策決定の仕組みがなかった

だから、細川総理は野党自民党の橋本龍太郎政調会長と筆者がまとめた政策提言を受け、しかもそのいくつかを実現させたというのだ。その姿勢を評価して、筆者は次のように書いている。


 そうして実現した政策はいくつかある。例えば建築物の容積率の見直しと規制緩和は、その一つである。
 細川内閣と自民党は、政党としてやるべきことをやったに過ぎない。自民党が与党のときも、歴代内閣は野党からの提言を受け付けてきたし、それは現在も同様だ
 ただ、二〇〇九年から三年三カ月にわたって政権を担った民主党だけは別だ。政策提言を受け付けてくれなかったし、何より鳩山由紀夫総理や菅直人総理は、私たちに会ってさえくれなかった


引用の主旨から外れるが、民主党政権が出てきたのでもう少し続ける。


 この点は、野田政権下で官房長官を務めた藤村修氏が改善してくれたが、鳩山由紀夫と菅直人に提言することなど、まったく不可能だった。安保法制を国会で議論していた二〇一五年、当時の民主党の議員は「自民党感じ悪いよね」などというプラカードを掲げていたが、私に言わせれば、民主党のほうが、ずっと感じ悪かった本当にひどい政権だった。


本当にひどい政権だったと言いながらも野田政権下でそれが多少改善されたこともにも触れているのが筆者のスタンスだ。

政治は白か黒かで単純に割り切れるものではなく、人もまた善か悪かどちらかにはっきり分けたりできないということだろう。

それはさておき、政権が短命に終わったのは細川氏自身のスキャンダルが直接の原因だが、この寄せ集め政権には日本のかじ取りをするような仕組みも、それをつくり上げるような人材もいなかった。

このような体制のままでは、誰が総理であっても長続きは難しい

そういう意味で、田村さんは自民党が政権に復帰した自社さ政権の村山富市総理もかなり評価している。

村山氏と言えば必ず批判される阪神大震災時の対応でも、彼自身の自衛隊に対する考え方の問題ではなく、兵庫、大阪、京都が革新自治体だったことが影響したとかばっている

防衛政策でも現実的な政策を取りたい村山氏の足を社会党が引っ張ったというのである。

筆者は自民党が野党の時のほうが自分の出番が有ってやりがいを感じたと振り返っているように、自分が関わった政策に耳を傾けてくれた総理の評価が高いのかもしれない

筆者がもっと短命に終わるとみていたこの政権が一年半も続いたのは、同じ連立政権の細川内閣では不完全だった政策決定の仕組みを作ったことだという。

そして、この仕組みを作ったのが自民党の加藤紘一氏、社会党の関山信之氏、先がけの菅直人氏の3人だという。

筆者はこのころの菅直人氏についても、次のように非常にいい印象を持っていたようだ。


 当時の菅直人は切れ者でハンサム、とにかく格好が良かった。野党のときに批判ばかりいっていた後の菅とは、まったくの別人だった。

 また、菅が加藤や関山と違うと思ったのは、庶民的であり、サラリーマンのように感じられた点だ。市民運動から政治家になったからだろう。会議で他の二人の話を聞き、そのあと適格な意見を述べていく姿は、上司をおだてながらも自分の意思を通す優秀な部下、という趣だった。
 たとえば防衛政策に関して加藤が意見する。「この政策をまとめたいのだ」と。すると菅は無理だとはいわない。「素晴らしいご意見だと思います。ただ、こういう政策も」…と、加藤を持ち上げつつも自分の意見をいう。だから、意見が食い違ったとしても、場の雰囲気が悪くなることはなかった。
 事実として、あの場に菅がいなければ、三党の議論は進まなかったといえる。



私は菅氏のこのようなやり方にはその後の悪評価の理由の一つである狡さを感じる。
しかし、政治家ならこのような狡さも必要ではあるだろう。
しかも、それを既存の政治家にはないスマートさでカバーしていた。

筆者は当時の菅氏を「自分の置かれた状況に応じてきちんと仕事をこなすタイプ」と評したうえで、「自民党の議員にたとえるなら、外務大臣の河野太郎に近い」とまで述べている。
河野ファン(私も)は絶対に認めたくないだろうが、当時を知る筆者がそういうのである。

しかし、その後の菅氏への評価、特に総理としての評価は非常に厳しい。
筆者はそんな菅氏の魅力は自社さの連立解消から、民主党が政権を獲るまでの十数年で失せてしまったという。

一人の人を近くから、しかも長く見てきたからこその人物評だ。

そして、その原因を「野党というポジションで政府の批判ばかりしていたから」と指摘する。
菅氏が人相が悪くなり、官僚たちに嫌われ、「史上最低の総理」といわれるまでになった背景には「批判ばかりの人生を送ってきた」ことがあるというのである。

そしてこれは、安倍総理を「父(晋太郎)より決断力がある」「父から誠実なところを受け継いでいる」「総理としての魅力はバランス感覚」と評価する一方、若いころの晋三氏を「存在感の薄い秘書」と見ていたのとは対照的である。
議員になっても幹事長や官房長官になる人材とは思わず、まさか総理大臣にまでなるとは思わなかったという。

 

議員になってからの安倍晋三氏はリベラル色がやや強い自民党の主流から離れたところで活動していた。
いまで言えば「日本の尊厳と国益を護る会」みたいな活動を中川昭一氏などと活発にやっていて、党の政策に直接関わっている田村氏とは接点が少なかったのだろう。
 

安倍総理とのエピソードには晋太郎氏の時ほどの近さは感じられないのには、そんなことが影響しているのかもしれない。
安倍晋三という政治家は永田町の自民党本部の中枢から少し離れたところで活発に活動し、政界の波にもまれ、挫折を乗り越えることで憲政史上最長が視野に入る政権を担うまでに成長したのである。

政治家に利害の調整はつきものであり、白と黒、一かゼロではっきり割り切れるものではない。しかし、私たちは政治家を善か悪か、敵か味方かで分けたくなる。だから、報道も評論も敵をバッサリ切り捨て、味方を必要以上に持ち上げる。

その方が読者に受けるからだ。

この本はそこが違う。これまで読んだ政界の内幕話とは視点が違うのである。
民主党政権や誰かをバッサリやってもらって溜飲を下げたい人には物足りないかもしれないが、なじみの薄い永田町の雰囲気を感じ取りたい人にはおすすめだ。

(以上)
 

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