壱百陸拾玖(百六十九) | タイトルのないミステリー

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「どうかしました?」

「あ、いえ。同じ名前の子を知っていたので。そう言えばあの子も今、五年生だわ」

「へえ~、そうなんですか。同じ子だったら凄い偶然ですね。その子、谷原花音ちゃんって言うんですけど」

「谷原…花音」

鳴海は驚きを隠せない顔をする。

「え?まさか、本当に?」

寧々も驚いて聞き返すと鳴海は頷く。こんな偶然があるんだと改めて思う。

「須藤さんと花音ちゃんはどういう知り合いなんですか?親戚の子とか?」

「あ、いえ、そうじゃないわ。えっと、同級生の、高校の同級生の姪っ子になるのよ」

鳴海は少し言葉を選ぶようにしてそう答えた。

「そうなんですか。あ、じゃ、一緒にいらっしゃった花音ちゃんの親とは特に知り合いっていう事も無いという事ですか?」

「あ、ええ。そうね、面識は無いわ」

「あの子、ちょっと変わっていますよね」

「変わっているって?」

「何て言うのかな、はきはきしていて可愛い子なんですけど。なんか、独特の雰囲気持っているって言うか、見た目は小柄で年より幼く見えるんですけど、喋るとなんか大人びているっていう感じ」

「ああ、そうね。そうかも知れないわ」

「でも、お母さんがなんか凄い心配性みたいで。大事にされている、って感じでしたけど」

「ああ、そう」

寧々の言葉に鳴海は心なしかホッとしたような顔をした。

「でもなんか、不思議。全然繋がりない感じなのにこんな風にお互いに知っている人がいるなんて」

「ええ…本当にそうね」

鳴海はしみじみとした口調で同意した。

「人の繋がりって本当に不思議だなって感じる事、沢山あるわ。この歳になっても驚く事がいっぱい」

「須藤さんって母の同級生なんですよね。じゃ、今三十六歳ですか」

「ええ、そうよ。何だか自覚無いんだけどね。年を取るのってあっという間。朱音と一緒に高校に通っていた頃の事つい昨日のように思うのに、もう二十年近く前の事になってしまっているんだから」

「二十年後かあ、その頃、私何しているかな。結婚しているかなあ、あんまりぴんと来ないけど」

「将来の希望とかは?」

「全然、何にも考えていないです。須藤さんはあったんですか?」

「私は、政治家になるって言っていたのよ。日本を変えるんだって。やっぱり若かったのね」

そう答え乍ら鳴海は苦笑する。

「そうなんですか、何か、凄い。でも実際はお医者様になったんですね」

「実は両方ともなりたい職業だったの。じゃあ、医者やりながら政治家もありかなって、安易に考えて先ずは医療の道に入ったのだけれど、そんな簡単な物じゃなかったようだわ」

「そうなんですか。あ、じゃ、母は何かなりたい職業とか言っていましたか?」

「朱音はね、裁判官になりたいって言っていたわ」

「裁判官」

初めて聞いた。母はそんな夢を持っていたのか。それが夢を断念して結婚した。それは寧々が生まれた事と関係あるのだろうか、寧々が生まれたのは母が十九歳の時だ。高校を卒業した時には既に身籠っていた事になる。関係ないとは言えないだろうと思う。寧々の脳裏にまた山下岳の顔が浮かぶ。母があんな男と関係を持ったなんてどうしても信じられない。そう思うとあの男の言葉は口から出まかせだとしか思えない。でも寧々は今の父の子ではない事も確かだ。そう思うとおのずと導き出される答えは一つしかないように思う。

「何だか、長居してしまったわね」

鳴海の言葉で寧々は我に返る。

「あ、いえ。うちは全然大丈夫ですよ」

「もっとゆっくりしたいけど、もうそろそろ帰らなくっちゃ」

「そうですか。須藤さんのところのお子さんって、幾つなんですか?」

「今年三歳になるの。まだまだ手が掛かるばっかり」

そう言って鳴海は目を細める様にする。お母さんの顔だと寧々は感じる。寧々はそのまま鳴海をマンションのエントランス迄見送った。あんな風に二十年経っても友を思う気持ちというのは変わらないものなのだろうか。寧々にはそういう友はいるのだろうかと思う。ふと、和の顔が浮かんだが、和とそんな風な友達になれるかどうかはまるで分らない。和はまだ寧々に対してどこか壁を作っているように感じる。それに寧々も本当は和が山下から何か聞いていないかを探る為に近付いたのだ。その為に明星に転校までした。母と鳴海の様に自然に出会って、自然に仲良くなったのとは違う。部屋に戻った寧々は空になったコーヒーカップを片付けながら母の事を思う。

(裁判官…)

母はどうして裁判官になりたかったのだろう。正義感が強かったのだろうか。勉強も学年トップの成績になるまで頑張ったと鳴海が言っていた。そんなに頑張ったのにその夢を断念して進学を諦め結婚という道を選んだのは寧々を産む為だったのだろうとしか思えない。夢より何より、お腹の子が大事だと思ったのだろうか。それが愛する人の子だったのならそれもあるかも知れない。もしそうであったならどれ程救われるか。でもあの山下と母が愛し合うなんて全く考えられない。では山下以外の誰かだったのだろうか、山下は勝手に母に想いを寄せて振られた腹いせにあんな事を言ったのではないか、そんな風にも思える。だから母を亡き者にしたのではないか、でもそれならあの時、寧々の事も殺した筈だ。でも彼はそうはしなかった。それは彼の言葉が真実であるという事の証明のような気がしてしまう。

(違う…!)

寧々は思わず頭を振る。

(違う!違う、違う!)

それだけはどうしても認めたくない。なのに寧々はどうして何かを知っているかも知れない和に近付いているのだろう。誰にも知られたくない秘密なのに。近付いたりしたら和に秘密を知られるかもしれないのに。それでも真実を知りたいという思いを消す事も出来ない。真実は限りなく辛い事かも知れないのに。心はどうしてこんなに矛盾しているのだろうと思う。

 和は何かを隠している。それは山下が何をしたか知っているという事なのではないかと思ってしまう。言わないのは彼が和のナクナッタ母親と関係のあった男だからなのではないか。それとも他に何かがあるのだろうか。やはり真実を知りたい。思いは堂々巡りだ。

(それにしても…)

今日、寧々は上手く振舞えただろうかと思う。鳴海は寧々の出生の秘密をまさか知っているわけではあるまい。鳴海は高校を出てから母とは交流が絶えていたと言っていた。母が誰の子を身籠ったのかはきっと聞いていない筈だ。それとも知っていて寧々に会いに来たのだろうか。父の事も聞いていた。何だか意味深に思えた。寧々は極力普通に振舞った。母の事件の事を聞かれた時は流石に少し動揺したが上手く乗り切った筈だと思う。でも相手は心療内科医だ。寧々の微妙な心の機微を見抜いたりしていないだろうか。そういう事には誰よりも長けている職業だ。油断ならない、そんな風に考えていつもいつも身構えてしまう。この地獄は永遠に続くのだろうか、母が死んでから寧々はずっと抜け出せない蟻地獄の中にいるようだと思う。いつかは何の憂いも無い日が来るのだろうか。そんな日は永久に来ないように思える。父と母が愛し合って出来た子供であったなら、そんな事を考えて唇を噛む。

 

 

    

<壱百質拾(百七十)へ続く>