『マツコとバブル時代』という特番?があり、たまたま見てみました。
https://tver.jp/episode/72074731
番組の趣旨としては、バブル時代がいかに荒唐無稽、無茶苦茶なものだったかということの紹介です。超豪華なディスコホール、2LDKで17億円のマンション、数億円の値段が続出したゴルフ場会員券などなど、バブルの逸話が様々に出てきました。
いやー、なかなか面白い企画でしたよ。結局は最後まで見てしまった。笑
ただ、いちいち気になったのが(※番組への批判というわけではありません)、「うたかたの夢」「砂上の楼閣」「こんなことは今後、永久に無い」というような表現が頻繁に出てくることです。
もちろん、そもそも番組の趣旨として「すげえなあ」と思わせるためのものではあるのですが、あの時代の再来について可能か不可能かでいえば、
可 能
なのです。間違いなく。
そこで気になるのは「あんな時代がもう一度来たらそれこそ借金まみれで日本は終わる」という話なのでしょうが、別に終わりゃしません。
もちろん私だって、あの狂乱の時代がもう一度来てほしいとは思いません。一万円以上の距離じゃないとタクシーに乗車拒否されるなんて話も聞いたことがありますが(笑)、物事には「程度」というものがあります。しかし、あれに少し近い小規模な景気の過熱は必要なのではないか。自信を付けるためにも。
これだけ経済が立ち遅れたからには、成長率4~5%くらいの「ちょっと負荷がかかり過ぎ」な状況が数年くらい続いてもいいと思いますよ。
まことにしつこいのですが、重ねて申し上げます。
何らかの物事が実現可能なのか不可能なのかを決めるのは、カネの有無ではありません。
国民にそれだけの能力があるかどうか
という、その一点です。
「豪華絢爛な娯楽施設」でいけば、日本国民は、例えば人工降雪機による屋内型スキー場を建設できるのかどうか。それだけのカネがあるかどうか、ではありません。そんな施設を造れるのかどうかです。
もちろん資本主義ですから、借金できるのか、返済のアテはあるのか、ということも必要ですが、第一には技術的に可能かどうかが最重要です。そして、国内に十分なカネが回り、国民が豊かで将来に不安が無ければ、屋内型スキー場を建設しても元が取れると判断されることはあり得ます。別に夢物語ではなく。(屋内型スキー場を造れと言っているわけではない。例えばの話ですよ。)
我々は「バブルの負債」とやらを、直接的意味での金銭で返済しているのではありません。あの経験を受けて「もうコリゴリだ」となり、蹴飛ばされたイヌ状態になって首を引っ込めていることが最大の負債なのです。
考えてもみてください。1980年代の日本人はそんなに「優秀」だったのですか。2020年の日本人は「無能」なのですか。違うって。単にいまは我が社の将来・自分自身や家族の将来を守るために、手を引っ込めているというだけのことです。
デフレスパイラルという言葉がありますが、多くの人が同時に手を引っ込めると、多くの人の所得が減ります。これはいつも言うように算数の問題なので、必ずそうなります。すると「もっと手を引っ込める」ことになり、さらに多くの人の所得が減ります。以下同文です。
この状況を打破できるのは、外的要因を除けば政府のカネだけです。民間の知恵だの、イノベーション創出だの、選択と集中だの、インバウンドだの、そんな有象無象の政策ではありません。極端なことを言えば、ただ政府が国民に無理難題を押し付け、黙ってカネを出せば済む話なのです。「困難な場所にトンネルを掘れ」でもいいし、「世界中の科学者のための大規模施設を造れ」でもいい。地震・洪水対策のための夢のような技術開発でもいい。インフラのメンテにかかる人数を半分に減らせる技術の開発でもいい。行政から余計なことを言われなくても、民間はカネさえあれば技術の粋を結集して必死でやります。いや、もちろん研究は失敗するかもしれませんよ。で、だから何よ。必ず成功する研究なんてこの世にあるんですか。
政府がつぎ込んだカネは全てGDP(=総所得)となって跳ね返ってくるし、また完成した成果自体が国民を豊かにします。
そして、最後に残ったものは何ですか。政府の借金ですねえ。で、だから何なんですか。一体それがどうしたってのか、全くもって、心の底から、一切、理解できません。クソどうでもいいことです。我々国民は「幸せでしかない」のだから。
経済とは、政府が黒字になった時に成功するのではなく、国民が「幸せでしかない」状態を作り出したときに、成功したと言えるのです。
バブルは将来の蓄えを食い潰し、その後、全てが弾けて霧散した…と理解するのは誤りです。消滅したのは将来の蓄えではなく、ひとえに我々の自信と「それにともなう」消費や投資、すなわちGDPです。
バブル後にGDP(所得)が減ったのは、バブル当時の借金の返済を今しているから、ではありません。自信を失い、多くの人が慎重になって手を引っ込めたことと、また、根底から誤った貨幣観をもって政府までもが民間と一緒になって手を引っ込めたことが原因です。
1980年代のバブルをもう一度、とは言いません。
ただし、あれに近い状態が可能か不可能かと言われれば、もちろん可能なのです。
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