ベルリンに見る 歴史のパラドックス | BOOTS STRAP 外国語と ゆかいな哲学の館

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ありふれた日常を考察する
<芦屋・三宮>

日本のお城は庶民と体制側とを隔てる大門があり、
そこから中は城主の域。外は庶民の域となる。
戦が始まると、お城に立てこもっての戦闘となる。
ヨーロッパの街は、城主側と庶民も含めて、ぐるりと市街地を守る城壁がある。
城主のみならず、庶民も含めた街全体で防御するようになっている。
その典型はフランスの南地域にあるカルカッソンヌ。
分厚い城壁の中に市民の暮らしがある。
パリも街全体を囲んでいる城壁があった。
今はその城壁は無くなっているが、今、大通りと呼ばれるところがかつての城壁。
城壁の所々にいくつかの門があり、深夜にはその門を閉ざしていた。
夜が明けると門を開けて外からの人も入ってくることができる。
サン・ドニ門はその一つ。
戦闘して勝利した将軍を迎え入れるのは「凱旋門」と呼ばれる門。
城門を内側から開けて、喜びをもって迎える。
かつての一番西のある凱旋門はカルーゼル門だった。
それはパリの西の外れに位置していた。
今の凱旋門はさらに西。街外れの位置にあるとも言える。
凱旋門は西の外れに作る。そんな発想があったようだ。
ベルリンの街も実際にはそのようになっている。
西の外れの凱旋門。それが「ブランデンブルク門」だった。
今は、外れどころか、東西合わせたベルリンのちょうど真ん中に位置している。
何で、外れではなく真ん中に位置するのか?
それはベルリンの発展とともに西に街域が広がってきて、
図らずも、真ん中に位置するところになってしまったということらしい。
実際にナポレオンは、ブランデンブルク門を通って凱旋将軍として入城している。

ブランデンブルク門

第2時世界大戦直後の風景はブランデンブルク門から東が旧市街。
西が新市街だった。そのため、東側には旧市街としての重厚な街並みが広がっている。
建物も西ベルリンに対して権威あるもののごとくに威風堂々とした建物の感がある。
かつての東ベルリンでも、特にロシア大使館の巨大さと重厚さが目につく。
ソ連時代に、占領側として威容を誇っていたことがこの建物から偲ばれる。
ヨーロッパの街並みは西側に位置したところは近代的なビルに建て替わったり、
重厚な建物がなくなってしまっていたりする。
東ベルリンのように、共産圏だったところは、あまり手を加えたり、
長い間、近代的なビルも建たなかったので、昔のまんま。
それが統一ドイツとなり、旧市街をリメイクしただけで
綺麗な重厚な街並みに変貌している。

東ベルリンの街並み

隣国のチェコなども、共産国の時代に何もしていないので、
ペイントを施すだけで、美しい街並みができている。
この東ベルリンも、西ベルリンと比べれば、
古き良き香りがする建物が多く残っており、街並みも見事。

ベルリン歌劇場など古き良き建物

共産国時代は、人を抑圧することに汲々とするばかりで発展に関して無策。
そんな時代が幸い(?)、 何もできなかったから綺麗な街並みが残った。

歴史はパラドックス映し出す鏡のよう...


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<了>