2020年07月07日

『石田三成の子供達!』のお話。

石田三成には、3人の男子と3人の女子の、全部で6人の子供がいました。
女女男男女男の順です。

長女・・・石田家家臣・山田勝重室、関が原後、勝重は家康側室・茶阿の甥であった縁で、茶阿の子・松平忠輝に仕える。忠輝改易後、山田勝重夫妻は津軽家へ。

次女・・・蒲生秀行の筆頭家老・岡重政室、子供・吉右衛門の娘・お振は、三代将軍・徳川家光の側室となり、家光最初の子・千代姫を生む。

長男(重家)・・・関が原の時、佐和山城に籠城、落城前夜、祖父・正継に説得されて三成建立の妙心寺寿聖院に行き剃髪。「幼い時に出家していたもので赦してほしい。」と妙心寺が嘘をついて助命嘆願。家康は嘘と気づいていましたが、助命します。重家は宋享禅師と称し、寿聖院3世となり、103歳まで存命。

次男(重成)・・・関が原後、津軽信建の勧めで津軽に逃亡、名を杉山源吾と変え、津軽藩士となる。

三女(辰子)・・・兄・重成とともに津軽に逃亡。後に、津軽2代藩主・信枚の室となり、3代藩主・信義を生む。

三男(佐吉)・・・佐和山落城時、伯父・正澄の家臣・津田清幽に伴われて脱出、高野山に入り僧になる。

こうしてみると、

徳川家康は、石田三成の子供達に対して極めて寛大な処置をとっています。

寛大というよりも、むしろ、『好意的』と言った方が適切かもしれません。

徳川家康のこういうところが、私が家康の大ファンである所以!

いしだみつなりーこども

・・・・・・。

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今日も、いい一日になりそうです。

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板垣 正弘

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