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しばしば自分に訪れる、斎藤一人さんブーム。

果たしてもう何周目なんだろう。


you tubeにアップされているような一人さんのお話は殆ど聞いていると思いますが、最近は気になった話をランダムに聞いてみたりしています。



以前聞いたお話に、

『威張っちゃいけない。ナメられちゃいけない。その事を自分の脳にちゃんと入れておかないといけないよ』

そんなようなお話がありました。

一人さんの所に来るような人って人をいじめるような人はいないんだけど、良い人で真面目で優しくて逆にいじめられてしまうような人が多いんだそうです。

そういう人は親から人に迷惑をかけちゃいけないとかって言われて育っていたりして、「人にナメられちゃいけない」ってことが頭に入っていないんだって。

だから威張っちゃいけないけど、ナメられちゃいけないんだよ。
それをちゃんと自分で頭にインプットしなきゃいけないんだって。


それをふと思い出したんです。


昨日、職場に本社の部長さんがやってきました。

支配人と一緒に話を聞いたんですが、その時に感じました。


目上の人とか、立場の上の人とか、大人数の中にいるとか、そんな場では自分の正直な気持ちを自分で押し殺してしまって、タテマエ的なことばかりしか言えなくなってしまう。

本当は現場で働いている自分の正直な言い分とか要望とかもあるのに、上の言い分に合わせてしまう。

自分の言い分なんて、どうせ通るはずはないとか、そんなのは自分が弱いからだとか、自分がダメだからとか、そんな風に思って本音の言い分を押し殺してしまう。


自分の為に少し具体的に書くと、

会社が規定として設定している1日の施術人数があって、1人20分で21人という枠があります。

それに満たなかったりすると、何かにつけて、どうなっているのか、どう改善するのかと施設に対して突っついてきたりするんです。

だけど、現場の私からすれば沢山の言いたいことがあるんです。

その1日の人数はあくまでも机上の数字であって、現実にはとても無理という感じがします。

部屋に行ってもレクレーションに連れて行かれていない場合も多いし、人によっては毎回トイレに行ってそれだけで何分も時間がかかる人もいる。

いつも探しものをしていて、ベッドに横になってもらうまでに何分もかかる人もいる。

色々と話をしてきて聞いているとつい長くなってしまう人もいるし、自分だって水分補給したりトイレに行ったりする時間も必要だし、上手く息抜きをしなければ精神的にも肉体的にも自分が参ってしまう。

食事の時間の1時間近く前から食堂に誘いにくるから、実際には食事の前の2枠くらいは仕事が出来ない。

そんなこんなと考えると、これだけの人数をこなすのなんてぜ〜ったい無理!!って反発したくなります。

それでも色々と工夫したりして、施術する人数を稼いできました。


会社の要求だって分かるし、利益を出すためには仕方がないとも思うところもあります。

だけど、本当はこっちにも言い分は沢山あるし、不満だって沢山あるんです。

それを少しでも伝えたり、何かの提案をしたりすることが出来ず、自分の本音を殺して上に合わせることしか出来ない自分に落胆してしまいました。




で、今日突然思い出したのが「ナメられちゃいけない」って言葉。

私は施術をしていてつい時間が長くなってしまうところがあります。

改めて考えてみれば、施術時間が長引けばそれだけ施術人数が稼げなくなるし、自分自身の一息つく時間とか余裕とかも削られてしまいます。

でもそれをずっと、20分(実際はもっと短いですが)という規定の時間があまりに短かすぎるからいけないんだって決めつけていました。

実際にその時間内でやってみないくせに、こんな短い時間では十分な施術は出来ないし、利用者さんを満足させることもとても出来ない、と頭ごなしに否定していました。



だけど、よくよく観てみると、そこに自分の弱さがありました。


「相手の気分を害するのではないか」

「相手を不満に思わせるかもしれない」

「文句を言われるかもしれない」

「落胆されるかもしれない」

「嫌な顔をされるかもしれない」


そんな風に相手の顔色を伺って、嫌われるのを恐れるが故に、時間内に終わらせるのを躊躇って、そのためらいとか覚悟のなさが、ダラダラと終わるのを先送りしてしまっていたんだっていうことに気がつきました。

だけど、必ずしも短いから不満だとは限らないし、ダラダラと少しばかり長くやっていたって満足させられるものでもありません。

前の職場のマッサージの店で指名客をバンバンとっているスタッフさんがいますが、その人は時間内に少し短いくらいできっちり終わらせます。

私はつい少しオーバーしてしまうことが多いですけど、それは私の気持ちの弱さ、覚悟の弱さなんだって思います。

そして、自分にとってちょっと緊張するような「怖い相手」だと余計にそうなっていることに気づきました。


なんだかんだと無理を突きつける会社のせいにしていたけど、結局のところ会社に直接文句を言えないのも、時間内に終われないのも、自分の弱さに他ならないんだって気づきました。



相手を思いやったり、親切に接したりする優しさも必要だし、自分の立場から相手を見下すように威張ってはいけないけど、だからと言って相手にナメられちゃいけないんだと。


こいつは何を言っても怒らないし、言い返してこないから、どうだっていいんだ、みたいに思われるようではいけないんだ。




偉い立場の相手とかだと、やっぱり何か緊張感がある。

だけど、そうではない大人しそうな相手にはそういうものがない。



優しいとか親切に振る舞うとかいうことは大事なことなんだけど、ただ優しいだけで、人畜無害で、ナメられるようではいけないんだ。


眼光が鋭いとか声が大きいとか、毅然とした態度を感じるとか、ちゃんと自分の意見をいうとか、ナメられないような人には、何となくその人から感じるものってあるけれど、一人さんが伝えようとしているのはそういうことなんだろうって思います。



自分なりの表現で言い換えれば、

人に優しい人間である為には、人にへつらう必要はない。

だから堂々としていていいし、なめるなよという殺気を放っていてもいい。

ナメられない為には相手に嫌われたり批判されたりする可能性があって、その嫌な気持ちとか痛みとかを受けてでも、ナメられないことの方を選ぶんだという覚悟を持っていなくてはいけない。


弱いふりをしていれば、相手を怯えさせたりしないし、傷つけないかも知れないけど、それで相手にナメられてたら自分が幸せになれない。

大事なのは人への親切な態度であって、弱い振りは必要ない。


相手にとって良いと思うことを、頑張って精一杯やる。
それが本当の優しさなんだ。

相手からの拒絶や否定を恐れる心から、無言で利益を相手に垂れ流してはいけない。

無言で安売りしちゃいけない。時間をオーバーするのは安売りするのと同じだ。

それは優しさではなく恐れであり弱さだ。

その弱さが自分自身の幸せを迫害し、傷つけ、不利益をもたらす。

黙って値引いたって相手には分からないし、相手に喜ばれないし、感謝もされない。


自分の中にある恐れに屈しない勇気と覚悟が、ナメられない強さなんだ。