駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

本当に無罪だろうか

2019年09月20日 | 小考

      

 

 東電の旧経営陣に巨大な津波は予見できないと無罪が言い渡された。なんだかおかしい。いくつかの取り違えというかすり替えがあると感じた。

 まず、無罪とは言えないと思う。全く申し訳ないという気持ちがないのなら、形式的な無罪という絡繰りが通るかもしれない。しかし、全く申し訳ないという気持ちがないとは思えない。何らかの責任は感じているだろうと忖度する。とすれば、無罪はしっくりしない。一方で有罪とするのも難しい。懲役一年執行猶予三年とすれば、なぜと聞かれてうまく判決文が書けないので力不足の裁判長は無罪に逃げたようにも思われる。

 個人を責める気にならないという住民のコメントも紹介されているが、人を責めても元に戻らないという気持ちからだろうか。有罪というのは責めるのとは違うと思う。責任者には何らかの責任を取ってもらうということだ。そうしないと失われた故郷や資源は稀な事故に遭遇で終止符が打たれてしまう、原因が追及されず、又いつか同じ過ちが繰り返されてしまう。失敗に反省がなければ原因が究明されなければ、何の改善進歩も残らないだろう。不運に打ちのめされた人は浮かばれない。

 判決文を読んでいないし福島原発事故を調べている訳ではないので思い違いがあれば、容赦していただきたいが、福島原発の事故は津波だけで起きたわけではなく、冷却水を供給できていればメルトダウンには至らなかったと聞いている。総合病院には必ずある自家発電装置が専門の電力会社なのに万全の準備が出来ていなかったと聞いている。落ち度があったのは明らかで、それを千年に一度の津波という、自然災害にすり替えてしまっている。

 裁判長は無謬を求められては原発はできないなどという無理な比喩をしているらしい。科学技術に深い理解のない人に電力会社の事故判断や経営を任せるのは賢明とは思えない。ファイブナインが無理ならフォーナイン、それも難しければスリーナインと正直に対応して、スリーナインが出来たらフォーナインと改善してゆくのが科学で、無謬などと言い出したら何もできない。部屋に閉じこもって生きていることさえ無理だろう。

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2 コメント

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無罪? (osamu)
2019-09-21 08:53:46
ブログに書かれている通り、私も津波の予見にすりかえられしまって?の判断での有罪?無罪となっているように思います。該当者を有罪にすれば良いわかでは有りませんが、今回の教訓をその後の会社経営に活かしてもらいたいものです。東京電力の元社員らが、度々、津波対策の上申もしていたことが、レポートされており、その時の東京電力の幹部が取り上げてくれていれば、同じように今回の津波を受けた東北電力の女川発電所や日本原電の発電所のように助かった可能性が大であったはずで、日本国にとって、とても残念な出来事になってしまいました。この事にこれらの専門家がタブーのように触れないのは一老人として不思議に思っていますが、周囲の人々などに言わせますと、「原子力」の「原」の話をするだけで、変人とみなされるご時勢で「非難:変人」とみなされるようですので、このへんで終わっておきます。
コメント有り難うございます (arz2bee)
2019-09-21 13:51:14
 最近はゆっくり物事を考えず、異論排除現状肯定へ短絡する傾向のある人が目立つように思います。 
 自分が冷静で賢明などとは思っていませんが、できるだけ情報を集めあれこれ考えて、駅前から発信を続けたいと思っています。寛容で多様性を受け入れる社会を好む人が本当は少なくないと診ています。

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