『世の宝』・・・(第87回)

 自ら決断を下すとき ⑨

 平成30年5月掲載

 

 

 明智左馬之助光春が、堀監物に城を完全に包囲され、今はこれまでと観念したとき、場内にあった数々の秘蔵の名器を城外におろし出し、「あたら灰となすに忍びぬ品々、貴公の手を経て世にお戻しいたしたい。お受けとりあれや」といったことは、『太閤記』にもある有名な話である。

 

  

 「それがしの思う所、かかる重器は、命あって持つべき人が持つ間こそその人の物なれ、決して私人の物でなく、天下の物、世の宝と信じ申す。人一代に持つ間は短く、名器名宝の命は世にかけて長くあれかしと祈るのでござる。これが火中に滅するは国の損失。武門の者の心なき業と後の世に嘆ぜらるるも口惜しと、かくはお託し申す次第」

 

 

 私心にとらわれることなく、いまわの際まで公の立場に立って判断し、処置を誤らなかったこの光春の態度には、長い歴史に培われた日本人本来の真価がうかがえると思う。

 

 

 世の宝は何も秘蔵の名器だけではない。おたがいに与えられている日々の仕事は、これすべて世の宝である。世の宝と観じて、私心にとらわれることない働きをすすめてゆくために、光春のふるまいを今日もなお、大いに範としたいものである。

 


 松下幸之助

 




人気ブログランキング

 



 


 

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村