池袋と新橋の事

池袋と新橋の事

池袋と新橋


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晴れて店長になる。

主任からの店舗内昇格なので、お客さんもよろこんでくれた。

このときに、前の店長が転勤が決まると移動するまでの残された仕事を、最後に片付けてくれた。
『鳥越が、店長任される前に、出禁候補は、おれがはなしをつけてやるから、いいお客を残すから、頑張れよ。』

と、言ってくれた。

店長を任される頃にはマナーのよい店にかわっていった。


この時に全面サポートしてくれたのが、女流プロの響プロ。

かなりたすけてもらったな。

とにかく自分には、理想がある。
でも、それを貫けば、合わないやつはやめるしかなくなる。

辞めたやつが、本当に必要なかった事を証明する責任と義務がうまれる。

さらに、売り上げと言う十字架を背負う。

しかし、
二十年の歴史をもつ店舗の、年間売り上げをぬりかえたのだった。


メンバーは、若いやつを中心にした。

ミスや実力の無さは若さと元気でカバーしろ

が、モットーだった。



そして私は、
本店の仕事を学べた。

広告、求人、業者関係など、
いろんなものを吸収した。



そして、
2005年の十二月に年間売り上げを更新し、独立の意思を社長につたえる。

翌一月を最後に私はチェーン店を去った。


そして、最後に
社長の家に挨拶にいった。尊敬する社長に…………



一代で、財を成す。


これは、誰もが一度は見る夢なんだと思う。


しかし、現実にそれを成し得た人にしかわからない景色が、あるのだと思う。


その景色を見ようとしなければ、また、努力をしなければ、到底そのひとのいうことなど、身に染みるわけはない。


社長と初めてあったのは、川口店に勤務していたころだった。


『おい、おまえこっちきて、座れ』

ダミ声で、よばれると、
たわいもない話し。

どこに住んでるんだ?

前職は、なんだ?

入ってどのくらいだ?

など。

最初は、気の良い親父かと思ったら、あーでもない、こーでもない、客仕事だからどーの、そもそも、根本的に駄目だとか。

長々しい説教から、始まるのだから、好きになるわけがない。


しかし、今になり思うが、かわいいからいうのだった。だが、小僧の俺にはわからなかった。

主任になると、毎日のように、電話がなる。
二時間は社長とはなす。
いや、
聞かされる。

正直だるいし、うざい。

たまに、嘘を言っては、電話を切った。
『社長、すいません。卓にはいることになりましたので、かけ直します。』

すると、
わかったから、頑張れよと、電話を切る。

しかし、このころから、社長が、俺にめをかけていることなど、知るよしもない。

なぜなら、内容は御小言なのだから。

本店勤務となると、状況はまたかわる。

店に社長と婦人が、毎日のようにくるのだから。

このころから、独立への色気や、出世への色気、はたまた、暖簾わけも、視野にいれ、考え方もがらりとかわっていた。

婦人には、おもしろい、明るく元気だなど、いたく可愛がってもらうことになる。やさしいかただった
社長を見る自分の見方もかわってきた。
なんと、魅力的な男なんだろうと。ケチだと、言われるが、それが、社員を守る男のすがたなんだと気づかされることになる
このころから、店長部長会議(幹部会議)にもでるのだが、真ん中には、社長。左に常務。右には一介の店長の俺
なんだ、この配置
他の店長たちの視線がつめたい。
社長は言う。
おまえには俺の横に座る義務がある。グループは社長常務部長店長主任従業員の、縦割りである
いかに、俺の座る位置がおかしいか、おわかりだろう
社員旅行に、いけば、
社長の運転手
社長と常務と相部屋。
布団をならべて、川の字の真ん中で寝た。
しかし、この旅行で、社長と、露天風呂にはいり、歴史を聞かされ、自分もやりたいと思う気持ちを抑えられなくなるのだった。
本店修行編のさいごにあった社長の家に行く前に
社員旅行で、二人で露天風呂にはいった時の話。
[s:4]『なあ、おまえはなんで、麻雀店で、はたらくんだ?』
[s:456]《えっ?なんとなくなんていえない。》
将来的に自分の店を持ちたいからです。
[s:4]『そうか。俺はなあ、だまされたというか、調子にのっちゃったんだよ。昔働いてたら、そこの客が麻雀屋をやれば、毎日行ってやるよなんて、みんながいうから、やればもうかるのかな?なんて簡単な気持ちだったよ。最初はみんな来てくれたけど、段々来なくなったり、金を借りて帰ってこないひとたちばかりだったよ。まあ、人間不信になったな。借金まみれで、親戚には愛想をつかされたしな。首をくくろうかとおもうこともあった。しかし、あることがきっかけで、転機が来たんだよな。』「なんかあったんですか?」『当時の店は、ハイレートで、マナーは悪いし、客層は、堅気(普通の人)が少なく、変な輩の集まりだった。そして風の噂で聞いた新宿のお店を覗きにいったんだよ。わらにもすがるきもちで。勉強にいったんだよ。そこは、別世界だったよ。サラリーマンばかり。みんなマナーがいい。これからの麻雀屋はこれだと、おもったんだよ。すぐに店にかえりルールをかえて、スジもんは全員おいだしたよ。まじでこれがたいへんだったね。ここからだよ。はじまりはね。時代もよかったのかな?すぐに店も増やせたよ、運もよかったのかな。でも、本当に大変だった。だから、いまは、新しく店を出して、みんなにのれんわけをしていきたいんだ。苦労をするのがわかってるから、すこしでもふたんをへらして独立させて、しあわせにしてあげたいんだ。おまえにも絶対にやるから、もう少し我慢しろよ。何事も、焦っちゃだめだからな。もう少しおまえは勉強しとけ。』

人に歴史あり
いろんな話を聞かされて
少しのぼせた。しかし、こういうはなしが、
好きだから、燃えてしまった俺がいた。社長の話を聞いて、ますます火がついた。

自分の店を持ちたい。
そして、いつか、肩を並べることを許される男でいたい
辞める気持ちがあることを担当の部長に伝える。
年間の売り上げ記録があるので年内は働くことに。
さらに正月はいそがしいので、一月末を最後にやめることになった。
何度も社長にも、引き留められて、常務も出て来る始末
まだ、早いんじゃないか?
なにも、あせらなくても、のれんわけをまてばいいだろ
そんな言葉をおおくかけてもらった。
しかし
店を増やしていくペースは下がる一方。
しかし、自分の豪邸は建てちゃう始末。
グループ展開より、自分のことがさきならば、諸先輩を差し置いて自分にのれんわけのチャンスがあるわけない。ならば、やはり、立ち上がるしかない。実際にやめることになり、
最後に社長のいえに挨拶にいくと、最後の話が、あった。家に行くと、お手伝いさんが、料理を振る舞ってくれた奥さんから
『ホントにやめちゃうの?さみしくなるね。また顔をだしなね、あの人は口では淋しいからきついことをいうかもしれないけど、本心はすごく心配しているのよ。わかってあげてね。』
などと声をかけられた
むろん、そんなことはいたいほどかんじた。
「社長お世話になりました。そろそろ失礼します。社長『すこしまってろ。上野に予定があるから、ついでだから乗っていけ。
と、言われた
社長『新車なんだからな。助手席に、家族以外はおまえがのるのがはじめてなんだからな。』
と、いわれた
当時のジャガーの最新モデルだったらしい
道中いろんな話を聞かされる。
中でも一番印象ぶかい話が、あった。社長からきいたのは、麻雀という業種がいかに、社会に認められにくいのかをきかされた。
正直おどろいた
チェーン店なら、
さほどの苦労もないようなきがするからだ。
独立当初なら、話はわかるが、これほど店舗をふやしても、いまだにくろうすることも多いのだと
自分も経験したが、
物件を貸したがらない。

というのか、麻雀店舗OKという物件が、めちゃめちゃすくないのだ。理由はいろいろあるんだけど。
場所や、物件に縛られる。
実際に、麻雀店というだけで、ローンがくめなかったりする品物もある
ある店舗をかりるときの苦労話。

駅前徒歩二分の好立地。

どうしてもかりたい社長は、すでに五店舗くらいある資料などを持ち込み実績などをアピールするも、ビルのオーナーは首を縦に振らない。
ビルのオーナーは、麻雀店の、ダーティーなイメージをマスコミ、麻雀映画などから、もろに影響をうけて、自分のビルが、暴力団の資金源になるのでは?
くらいのはなしをするそうだ。
ここのオーナーの説得に約半年。

ようやく貸してもらえるきっかけになったのが、
ビルの袖看板を下から上まで社長が、寄贈するかたちになり、そこまで、商売に熱心なんだと心を打たれかりることができ、最終的には社長が、払うはずの看板もビルのオーナーが、熱意に打たれ負担したらしい。麻雀店をやりたい。
麻雀を打つ人なら一度は思うはず。

麻雀に毎日かかわっていきたい。
しかし
全国チェーンの社長ですらこの苦労。
おれなんかは、人の三十倍がんばらねえとおいつける可能性すらみえないはず
麻雀を、
大衆娯楽の王様に、

全知全能の頭の格闘技の、最高峰の麻雀を
もっとみんなにたのしんでもらいたい苦労はつきないけど、
麻雀で、役満上がるときみたいな、手が震えるような興奮や、心臓の音が人に聞こえるかもと思うような胸の高なりは、
ほかじゃあじわえないから
この仕事が、すきなんだなオレ。

パチプロを続けていて、なぜか、生活に嫌気がさす日が増えてきた。

友人の牧田くんと、相談する。
『なんか、パチプロも下火じゃない。なんかドカーンと金を稼げる仕事ないかな?あっ、そういえば、きのう、トゥナイト[s:209]みた?すげえよな、ホストって。俺らにも出来るのかな?』

牧田「じゃあ、面接いっちゃう?だめなら、すぐやめようよ。」

『そうだね。いってみよう』

そうすると僕らは、まずは赤羽のホストクラブへいった。
ゆかいな○魔たち

って、店だった。

面接にいくと、ダサいおじさんが担当してくれた。

しかも、後ろでカラオケを歌っているのが、
No.1ホストらしい。

しかし、選曲がまずい。
ガンダーラ

を、大熱唱。

かなり、引いた。

『まじ、おわってる』

担当『いつからこれる?なんなら、体験入店すれば?』

『もう一度、考えてみます』


そのお店で働くことはなかった。





『やっぱり、本場にいきますか?メジャーリーグに、いってやりますか?』


牧田「そうだね。行くしかないね」


僕らは、愛本店など、いろいろと電話をかけまくった。


どこも、対応がきびしそう。


唯一、ゆるそうなお店があった。

クラブバレンタイン


一年くらいの新しいお店だ。


そこへ
面接へと出かけるのだった。





水商売編ですが、
気まぐれに書いていきます。


なんせ、書ける内容とそうでないのが、多い気がするんで。


反響しだいで
次をアップしますね
主任の一言で、まあ、バックレだけはしちゃいけないとおもっていたので、渋々残りの一週間を遅番で過ごすことにした。
この時期のこの店は少し変わっていて、先の主任がなぜ、独裁政権や猛威を振るっていたかというと、管轄の部長は、新店の町田へとかかりっぱなし。
店長は、なし
二人の主任で、運営するシステムをとっていた。

つまり、彼の理不尽政権を監視するひとすらいなかったのである。
とりあえず遅番にいく。
遅番は、お客がみんな笑顔で楽しく打っていた。
その輪の中心に、その男はいた。田中主任である。

くだらないギャグをいいながら、お客に小ばかにされながら、でも、抜群の距離感で、一線を引いている。
尊敬されている、空気すらかんじる。
早番の張り詰めた空気と全く違う。
『ここは、ほんとうに同じお店なのか?』
目を疑うが、正直この主任の人徳でお店がもっていりかんじすらした。
そして、空いているじかんに田中主任に声をかけてもらえるのだった。
『鳥越やめるんだってな。話は聞いてるよ。いやなことを全部いってみな。』
いまさら話してなんになるのか?
わからないまま、愚痴をこぼした

『そうか、わかった。おまえは正しいよ。だから、おまえがいやなことはしなくていい。麻雀も、自由に打て。俺と、はいるときは、特にきにするな。変な気を使わなくていい。自分がラスで、俺が三着なら、気にせず俺をラスにしろ。俺はまた違う卓で取り返すから心配すんな。自分の事だけ考えろ。』この言葉は俺を救った
現に口だけの理不尽野郎と、違って麻雀の腕もぴか一
俺はアウトを抜いてるから、負けてるようにみえるだけだよ。

なんて、いう奴らとは輝きがちがった。
麻雀に、迷いがなくなり、自暴自棄に打つ自分はいつのまにか消えていた。
勝ちまくるとはいかなかったが、楽しくやれた。
この仕事の魅力が、ここにある気がした。
『あ、あとな、仕事終わりは必ず俺に付き合えよ
「はい。」
何に付き合うのかといえば、獣王などである。

しかも、元手はすべて出してくれて勝ち分は折半
かなりのお小遣ももらった
一週間がたち、やっぱり続けてみようと思い、

まずは、理不尽大王を追い越し、出世の最短ルートを見つけてやろうと心に決めたのだった。
やがて、半年がたった
この半年でハンチャン回数は千二百を越えていた。僕には『ゲーム代負け』の、概念がなく、負けは負けと認めていたが、主任とパチンコなどをして貰える小遣いがなければ、けして普通に暮らせなかったとおもう。
当時は毎月十万円から二十万円近く負ける月ばかりだった。何故勝てないのか?あまり真剣に麻雀に向かえていなかった。
むしろ、回りの無能な先輩メンバーより、早く上に上がりたいと、出世のことばかりがあたまにあった
メンバーとして、邪魔が出来ない局面があるのはたしかだ
しかし、それでラスをきちんととるのも仕事なら、メンバーがここで、仕掛けたり、立直を打ってくるくらいだからと、回りのメンバーやお客さんからは、麻雀内容を問われることはなかった。
しかし、負け続ける現状に苛立ち、しかし、成す術がなく行き詰まっていたのも確かだ
やがて、グループには、二度の大掛かりな人事があり、悪代官は巣鴨に転勤に(彼は店長として、昇格人事。このグループは大丈夫なのか?と、不安になるが、やがて彼の悪事は暴かれ彼はやめていくことになった。)
田中主任は、辞めることに。
独立をするそうだ。
このころから、俺にも自分でやりたいきもちがすこし芽生えた時期だった。
『なあ、鳥越。俺は店をやるから、一緒に来ないか?気の会う仲間でなかよくやりたい。いまよりきっと楽だから。』
この言葉に一切の魅力は感じなかった
本気でやりたいから、おまえの力を貸してくれと言われていたら、喜んでついていっただろう。
しかし、仕事は、チームワークは大事だが、仲良しこよしは、なにもうまないとおもうからだ。
僕は誘いを断った
メンバー業を見下すやつがいる。
それもかまわないが、誇りをもって働いた
だって、この仕事が楽しいから
自分の店を持ち、いまだからおもうが、メンバー全員に誇りや希望を持たせてあげたら、もっと素晴らしい景色が見えるにちがいないとおもう。
人事により、新しい店長と部長が来た。
今思えば、この出会いがすべてを変えた。
新しい店長は前評判はわるく、とてもうまくやれるとは正直おもわなかった。
第一印象も背の低い、品川庄司の品川という感じだった。
しかし、いまでも尊敬しているし、このひとがいなければ、成り上がり計画は水の泡だったし、いまの感性を養うことはできなかった。
麻雀も、牌効率や、局面読み、デジタル思考など、新たにいろいろおそわった。麻雀にも、磨きがかかり給料プラス勝ち分で、生活がなりたつのも、一年たったくらいだった。店長は連盟のプロだった
俺の、当面の目標は、
転勤せずにスピード出世をする。
これに、設定し、精進することになる。
いつまでも下っ端じゃあしかたがない。
このダサイ蝶ネクタイから、普通のネクタイ組にはやくなりたかった。まずは、主任になることから。しかし、ここでネックなのが、先の先輩達だ。
年功序列のせいで少し遠回りをする。
しかし、揉め事はおこり、先輩が、運よくやめてチャンスは訪れた
俺は、人事に
恵まれいち早く主任になれた。しかし、大切なのは、嫌われないこと、敵をつくらないこと。だれよりもそつなくこなすことで、そのポジションを手に入れた。しかし、チェーン店はやり甲斐がやるような、ないような。でも、チェーン店にいたおかげで、独立の夢もみるのだった。上に好かれるか、嫌われるかで今後は変わる。自分を押し殺し、いい子を演じた面もあった。しかし、そう喜んでばかりもいられない。、立場をもらえば見えないものも見えて来た。
そう、ずさんな管理体制である。
当時の店長とよくぶつかり合いをした。
しかし、店長は受け止めてくれた。改革を受け入れてくれた『俺はおまえの噛ませ犬じゃないぞ。』
尊敬する、長州力の言葉である。いままで、悪知恵の働く先輩達にうまく利用され続けた体制から、すこぶるクリーンに、体制をかえていった
あしき習慣は、かわっていった
クリーンにするとそこにすむ悪い虫は自然といなくなる。若い従業員を使い、お店の空気を若返らせ、活気溢れるお店にした。売り上げは前年比平均約9~10%増。手腕は買われ、すぐに店長の話は来た。最初は巣鴨店。しかし、当時の部長はこういった。
『おまえにはまだはやいからことわった。』
まあ、有り難い判断である。
自分はまだまだ麻雀店をわかっていなかった。やがて、上野本店に、御呼びがかかる
ついに、店長を見据えた人事をいいわたされることになる。次回、野上激闘編上野の街はすさんでいた。
お店は荒れていたこんな麻雀店まだあるのか?
俺の戦いはつづく。アブアブを背に仲町通りに足を踏み入れる。都会でいて、どこか下町風情の残るこの街。

この街にきたのは、パチプロ時代に、新台まわりできたり、海外の方から、パチンコ券をかいにくるくらいだった。

この街のイメージは、そのくらいだった。

当の麻雀店だが、
下町気質のあふれる人が多くて、中には言葉遣いの荒い人が何人かはいた。

実際に、その道を極めようとしているかたなどと、なんどもお話あいをしました。
普通の方も、なぜか、われわれの職業を低く見ている人が多く、メンバーという仕事を、言い方はわるいが、小ばかにしているため、いうことは聞かず、呼び捨ては当たり前、などと、とても安心と信頼のチェーン店とはいえないものだった。

そもそも上野に来たのは、店長になるための研修も兼ねていた。

しかし、主任のまま移動したので店長に仕事を教わることになる。

この店長がすごい。

いまでも尊敬しているが、悪いものを悪いと言える人。
事なかれ主義の多い世の中で、この人ほど、盾となりお店を守ろうとするひともいないでしょう。

ある日若かりし僕が、チンピラ(本人いわく元プロボクサーらしい)と揉めたときに、二人で外に行き話をまとめたのだが、相手の粘り、脅しに屈する事なく、部下は守るという姿勢がすごくみえた
他の上司にトラブル相談しても、自分で解決しろなど、あまり、頼れるひとがいないなか、この人は別格だった。
四ヶ月がすぎたころ、店長辞令がおりた。
しかし、町田勤務だった。
町田をいいだしたのは社長。
あとでわかったのだが、社長の家から近いため、
社長婦人に気に入られた僕は、
そのために、呼ばれたらしい。
しかし、
家が遠くなるために断りました。
しかし、この店長が、町田を身代わりになり、上野に残ることになるのだった。

まあ、体感器をメインに新装開店を狙う毎日。
主戦場は、赤羽。当時、四部屋あるアパートの三人でチームを組むことになり、一人は今も大親友であり、このあと要望があれば書きますが
水商売ホスト編にて、かきますね。当時はスロットもモーニング全盛期。
朝一番よくモーニングを取りに行きました。
上野にもよくいったなあ。
外国のかたから、安くパチンコカードやテレホンカードをゆずってもらったかも?(まあ、この辺はオフレコでおねがいします。)
新宿にあるビックスペースというみせと、ポルシェで、よくうちました。
余談ですが、伝言ダイヤルにはまりまくり。
いくらつかったかわかりません。
ごめんなさい。ある日、モーニングを取りにいき、階段から足を踏み外し、成人式に松葉杖でいきました。しかも、ロン毛。うーん。
はずかしくておみせできません。
類は類を呼ぶ
パチンコでたべていけるようになり、いろんなひとと知り合いになる。同じく体感器をつかった軍団に巡り会う軍団に入れのお誘いがあったが断る。入らなくて正解だ。
ゴト師軍団もみつけた。店内であばれてるひともみたなぁ
まあ、十九の小僧が、毎月片手から両手、多いときには右足の指くらいの稼ぎをたたくのだから、まあ、馬鹿らしくて普通に働けない。
約三年パチンコで食べる日がつづきました。そんな生活もながくはつづかず、
僕等の人生をかえるきっかけになる
恩師 乱 一世さん
トゥナイト2
を、偶然にも僕等は見てしまうのであった。
パチンコ編    完
まったく、麻雀とは、関係ありません。
初恋。
とてつもなくせつない思い出。
今でも覚えている。あれは小学生になり、同じクラスの女の子に恋をした。とにかくカワイイ。子供の頃は、好き=結婚
だったなぁ
だから、付き合うとか、そんなんじゃなくただ好きというだけ。
お嫁さんにしたい。とか、子供が大きくなったら、パパのお嫁さんになる。って、いうようなレベルかな?まあ、とにかくその娘は、
かわいくて、優しくて、明るくて、脚が速くて、運動神経抜群で、頭がよくて、みんなから人気がある、そんな女の子でした。
結局片思いなんだけど、多分中学生になるくらいまで片思いしたなぁ。

まあ、子供の恋心だから、なにせ不器用。
好きだから、しゃべりたいし気に入られたい。
気を引きたい。
今思えば馬鹿だけど、
ちょっかいだしたり、意地悪してみたり、しまいには教科書隠したり。

その娘のお母さんすごい剣幕で乗り込んできたなぁ。
両方のおかあさんごめんなさい。

まあ、多分彼女にはきらわれてたとおもう。

同じくクラスには運動神経抜群の男の子がいて、多分彼女は彼が好きなのを薄々かんじてました。

ヤキモチをやくんだけどどうしようもないし、勝ち目はないしね。勝手にそう思い、モヤモヤしていた。
彼は校内マラソン大会六年連続優勝や、同じ町の剣道少年団でも、毎回優勝。
後に、彼がいたから、剣道がつよくなれた話はもう少し後で。

三年生くらいかな?
学級委員を決めるとき、彼女が委員長、僕が副委員長。
馬鹿な俺は、勝手に運命を感じてたっけな。
学級会が、楽しくてしかたなかった。
小さい頃の好きって気持ちのなかに、僕自身が、脚が速くもなく、勉強も苦手だから、コンプレックスを埋めるように、この子と結婚したら、いいなぁなんて考えてました
四年になり、剣道ももちろん毎回一回戦負け。センスのかけらもない。

しかし、彼女の弟が入団してきた。


春の大会で、いつものように、お母さんが作ってくれるお弁当を、負けたらどこでたべるか友達とはなしていた。

薄暗い体育館の入口がまばゆい光りに包まれた。

『なんだ?』

そう、彼女は弟の応援に来ていた。

毎回一回戦で負ける俺には、家族の応援などない。
みな、勝ち負けより心身鍛練の為に剣道をやっているのだからと、勝ち負けに家族が、あれこれいうことなどなかった。
しかし、

単細胞な、純粋な少年は、
『彼女が見てる。負けられない。』
初めて人に頑張っている所を見てほしいと思った。
絶対勝ちたい。
負けられない戦いが、そこにある。

そのきもちを竹刀に込め勝ち進む。
やみくもながら、勝ち続けるが、三回戦、準々決勝、もう疲れすぎて何がなんだかわからない。
準決勝。
もう、竹刀を振る力など、両手には残されていなかった。初めて人に勝ち、嘘に聞こえるかもしれないが、三位になれた。
試合後周りを見渡すが彼女の姿はなかった。
剣道もおもしろい。
優勝はもちろん、先程の彼でした。
頑張れば、彼にかてるのかも?と、ここから少年は努力を覚えるのだった。
彼に勝てる日がくれば彼女がぐっと近付く気がして。
しかし、彼はやめていき、彼に勝つことはなかった。時はたち、
中学生の卒業間近に、彼女と、昔話のように当時の事を、笑って話し合ったことがある。



『昔は、すごいいじめてくれたよね?もしかして気が合ったからじゃないの?』
の問いに、ぶっちゃけちゃえとばかりに、終わった恋物語だからとばかりに、胸の内を伝えた。
俺「うん。そうなんだ。好きだったんだけど、どうしたらいいかわからずに意地悪していた。ごめん。」
『そうだよね。なんか薄々は感じてたよ。でもね、昔はいやだったけど、気にしてないよ。』
それ以上の言葉はいらなかった。卒業式が終わり彼女は、第二ボタンをもらいにきた。
初恋編    完



水商売で何年か働いたが(多分五年半くらい)やめてプラプラしていた。毎日パチンコや、麻雀。なにをしていいのか?
俺は何をすべきなのか?
全く答えはみつからなかった。
三ヶ月ほどプラプラしていたとおもう。働くにも、自分に合う仕事すら、
わからなかった
自問自答の日々。
『俺は、これでいいのか?』
やりたいように生きて、結果何も残ってはいない。

自分に夢中になれるものなどなかった。
ただ、毎日自責の念に押し潰されそうになる。

『仕事をしなければ。』
考えた末に出した結果は、パチンコ屋の店員か、
麻雀屋のメンバーだった。
怠け癖があるせいで、
パチンコ屋の店員は、立ちっぱなしで大変そうだから、やめよう。と、思い麻雀屋のメンバーになることに決める。


しかし、二ヶ月くらいの腰掛けのつもりでいた。
すぐにやめよう。
嫌な事があったり、
辛い事があればすぐにやめよう。
そんなきもちだった。近代麻雀を買いに行き、いくつかの候補を選ぶ。
『どうせなら1番大きい所にいこう。』
と、某全国チェーンの池袋店に(いまはもうない。Zooになってるとおもう。)
面接にいくのだった。しかし、さすがはチェーン店。
転勤はあるし、こちらのかるいきもちなど見透かされてるようだった。
即採用だったが、断りの電話を入れた。
当時赤羽にすんでいたせいもあり、
川口に、二番目に大きいチェーン店があり、面接にいくのだった。
まずは面接。

履歴書も書いた。
しかし、自分で店をやっているのに、こんなことをいうのも変だが、そのスジのかたが、経営していたらどうしよう。と、不安になり、履歴書に嘘を書く事も考えたが、人生のリスタートを嘘からはじめたくはなく、正直にすべてを書きこんだ。
京浜東北に乗り込み川口駅に着く。
はじめておりたその駅からはそごうが見え、
隣のビルに黄色い看板があり、その店にむかった。
『いらっしゃいませー』元気な声がこだまする。

「あの、面接に来ました、鳥越です。」
『こちらへどうぞ。』
元気のよい若い店員が迎えてくれた。
後に彼はオープン当初のTMCメンバーとなり、働いてくれた。いまでも感謝している。
関西訛りだと思う(後に広島弁と、判明。)
担当者が、きた
あれこれ説明を聞く。
なぜか、主任も加わりおおがかりになる。
すごい熱のいれようで、ぜひ働いてほしいと、説得される。
こちらのわがままも受け入れてくれ、転勤もなし
話はまとまり、
『じゃあ明日から来れるかな?』
「はい、よろしくお願いします。」
ついに、メンバーと、なるのであった。当時、母にそのことをつたえると、三ヶ月働いたら帰ってこいといわれ、年貢の納め時(もう、死語ですよね(-.-;))と、腹をくくり、目標金額を三ヶ月で百二十万円と、こころにきめて、仕事に臨むのであった
※メンバーの月給が、三十万×三ヶ月。毎月麻雀で、少なくても十万は勝ちたいので、百二十万とした、大馬鹿者の話である。ちなみにかれは、一日一万円~二万円は勝つつもりでいたのだから、実に愉快な話である。
まずは挨拶や声だしから。
蝶ネクタイをし、ネズミ色とブルーの合いの子みたいなシャツを来てフロアーにでる。
『新しく入店しました。鳥越です。よろしくお願いします。』
三日間は立ち番といって、いわゆるアウトのストック貯めの期間。
その間に、仕事や口上をおぼえる。
買い出しをして、昼飯をつくるのも仕事なら、駅前にティッシュを配りに行くのも仕事。
基本的に初日は立ちっぱなし
足が疲れた俺は、明日おきれなかったら、辞めようと心に決めたが、なぜか、疲れで目が覚めた。
二日目も三日目も同様に仕事をする。
優しい言葉をかけてくれた人たちもいた。
まあ、なかなか良さそうなので、しばらくいてもいいかなとおもうのであった。しかし、事件はおきる。さあ、今日から麻雀デビュー。三日間の憂さをはらすべく、前日から興奮ぎみ
『明日は初日だから、ちょい勝ちくらいに押さえておこう。』
すべからく甘い考えのおとこであった。

店に着くと、メンバーの心得をおさらいする。
俺が言われたいくつかの制約(まぁ、きまりごとですよ)を、ならべると
一、東場の安い仕掛けは禁止。三ハン以下はもちろんだめ。千点あがりなどできない。
一、メンバーの親を蹴るな。メンバーを飛ばす時はトップになること
一、メンバー及びお客の一発を消したら、絶対におりるな
一、オーラス、トップになる以外は、お客、メンバーの着順を変えるな。
一、八千点以下になったら邪魔をせずにおりろ。
一、オーラスは必ずひとつでも順位のあがる麻雀を打つ事。リーチの時点で確定していないリーチはかけられない。
むろん、一発期待や、裏ドラ期待、ハイテイ期待などもだめ
一、主任をラスにするあがり。(麻雀で、負けると一日機嫌がわるいので、みんながご機嫌とりのためにしていた)
まあ、あれもだめ。
これもだめ。
何じゃこりゃ?
そのグループの名誉のためにいうが、その主任が、独裁をおこなっていたためであり、他の店舗では、ここまでひどいものはなかった。
しかし、何せ負けん気だけは人一倍。
屁でもない決まりだ。
俺は俺のやり方を貫いてやる。
ようは勝ちゃいいんだ。
客や主任の機嫌なんてしるか。
笑顔で負け、笑顔で勝った。客の評判もよかった。
真面目で無口な男を演じきることで、麻雀店ではたらくことを乗り切ろうというのが、博打場で生き抜く策と、胸にきめて打つのだった。
一週間で、四万円浮きくらいの成績だった。
だれもなにもいわなかった。
ほれ見ろ、誰も何も言えないじゃないか。
何がメンバーのきまりだかしらないが、まあ、チョロイ仕事だな、

付け上がる俺に、魔の手が、忍び寄るのであった。すると、
まもなく主任によびだされる。
『おい、鳥越。だまってみてたけどなんなんだ、おまえの麻雀は?客を減らす気か?今日からは厳しく言ってくからきをつけろよ』はぁ?なにいってんだ?このやろー。ここからは、いびりに近い仕打ちが繰り返される
俺があがると舌打ち。点棒やチップをなげる。
仕事中はずっと不機嫌。
飯は誰よりも後。
あげくに打ちっぱなしで食えないこともある。

麻雀できにいらなければ店の中で公開説教。

そのくせ、人とラス争いをしてれば、よろこんで千点をあがりにいくようなくそやろー
メンバーしばりを自分は守らない。
同卓のダンラスの先輩メンバーに、オーラス意味無しのゴーニーをアガラスでやられ、二着に落とされたりする始末。
頭にきて、
『なんすか、いまの?まじでむかつくんですよ、そーゆーのは。なんの意味があるんすか?』
と、いえば
「いや、ついロンていっちゃって。気をつけるよ。ワリィ、ワリィ。」
カチン
『ふざけんなよ』
と、つっかかれば、主任がきて、
「おまえ、先輩になんてくちをきくんだあやまれ。嫌なら辞めてもかまわないぞ。」
完全なアウェー戦。
しかも、他の従業員はアウトを抜き捲くり、俺は正直入金。(アウトを抜くとは、給料を前借りしつづけるようなもの)
あげく、俺は入店最初の月に二十日そこそこで、二百五十回を超えた。
自分達はポケットに金をいれ、パチンコや飲み代や競馬代に、フィリピンパブにイレ込む始末。
『俺らは負けてるからワリィな。一番手で、たのむわ』はぁ?負けてると、打たなくてすむ。むしろ負けてない俺は休憩なしの打ちっぱなし。
ふざけんなこいつら。まじやめよう。くだらなすぎる。少し俺も気持ちが腐った。メンバーと同卓するときは、自分も共倒れでもかまわないから、足を引きずりまくってやった。しばらくして給料日がちかくなり
やめる意志を伝えた。しかし、当時の部長(現大宮のお店の部長)に、仕事ぶりを気に入られていたため、俺と先にいた若手の彼はやめさせるなと言われていた主任は、
必死に俺を引き留めた。
『俺はあんたと働きたくない。辞めたいからやめるだけだ。』
すると主任は「まあ、考え直してくれ。なあ、俺といるのが嫌なら遅番にいき、気分転換してくれないか?」
まあ、あんたの顔見ないならと、遅番にいくのだった。
しかし麻雀人生で、ターニングポイントに差し掛かるのだった。