現在の妻は普通に暮らしています。

明るく元気です。

 

傍から見ていて、自分がうつ病だったことを忘れかけているというか

意識している様子はもうありません。

 

徐々に忘れていってもらうのが一番だと思います。

いつまでも自分のメンタルを意識しなくてはならないのは

煩わしくてめんどくさいでしょう。

 

何かがあるたびにブロック解除だの

メンタルを学んで意識続けなくてはならないのは

本当に幸せになれるんでしょうか?

 

結局は自分自身のメンタルに囚われてるじゃない。と感じるので

そういう煩わしい治し方にはならないほうがいいと思うんですよね。

 

うちの妻が良かったのは

自分のペースを崩さなかったことだと思います。

 

何も考えられない。どうしたらいいのかもわからない。

 

そんな状態から回復傾向になってくると

自分自身で段々と考えられるようになったり見えるようになって、

経験から学んだことからどうやって自分が良くなっていくかを

意識して取り組みはじめると思うのですが、

 

日々平穏に暮らすために自分で決めた自分自身のペースを

崩さなかったのが良かったかなと思います。

 

 

お義母さんの介助で通院の付き添い等が定期的にありますが、

今では余裕を持ってお義母さんと付き合えているように思います。

 

最初の頃はわりと正そうという感じがあって

自分の思いがなかなかお義母さんに伝わらないというジレンマに

苛立ちというか自分から疲弊していく状況を作ってしまっているように見えましたが、

最近はなんとなく向き合い方がつかめてきたようで

特に普通にお義母さんのところへ行けているようです。

 

コツの部分でいえば、

わりとうつ病のサポートと共通している部分はあるなと思いました。

(自称専門家が言うサポートとは内容はまったく異なります。)

 

そういうところでは自分自身でサポートを経験しておいて良かったと思います。

 

『介助が必要であっても、なるべくお義母さん自身で

最低限の身の回りのことは自分自身で出来るように。』

 

そうやって、親にはちゃんとしていて欲しいって気持ちもあると思うのだけれど

相手にとっても自分自身にとってもあまり焦りすぎてはいけないのだと思います。

 

状況と状態とタイミングを見ながら、今は何が必要で何が必要でないか。

 

気持ちばかりが前走りしないように、

相手の速度にこちらから合わせてあげることや、

何が必要か判断出来ることも大事になるのではないでしょうかね。

 

よく忘れがちなのは、

 

自分自身も何かをしている毎日や暮らしがある人であって

それプラスαで何かをしなければいけない立場であるということ。

だから出来ることもあれば出来ないことがあるのも当然。

 

自分の体は1個しかないので、

2個も3個も必要になることはやれるわけないんです。