「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

時の移り変わりを想う・・・

2018年09月21日 | 護衛艦いせ
もんのすごく久しぶりの更新です。


それでも、訪れてくださっている方がいらっしゃることに、感謝しかありません。


前項で、「今後の更新はFacebookで」と告知し、しばらくはそうしておりましたが、実は…


この5月に、スマホの機種変更をした時に、Facebookにログインできなくなってしまいまして…


以後、4カ月、音沙汰なしの状態でございました。


もし、楽しみにしてくださっていた方がいらしたなら、大変申し訳ございません。


もともとも、facebook自体、やめようかと考えていたのではありますが、突然、更新が止まった状態になってしまったのは不本意でした…。


だからと言って、ブログを更新する意思はなかったのですが、久しぶりに重い腰を上げたのには理由があります。





実は、先月、護衛艦「いせ」の元艦長でいらした梅崎時彦1等海佐が退官されました。(だから「元」1佐なんだけど…)


このブログの過去記事を読んでいただくと、お分かりになると思いますが、護衛艦「いせ」は私の運命を変えてくれた、


唯一無二の艦であり、そうなったきっかけが、他ならぬ、梅崎艦長(とあえて書きます)でした。


5年前(5年前なんだ)に、初めて目にした、海上自衛隊の艦艇が護衛艦「いせ」であり、


その「いせ」を唐津に連れてきてくださったのが、当時の梅崎艦長だったのです。







梅崎1佐が「いせ」の艦長でなければ、私は「いせ」と出会うことはなく、その後の私の活動もなかったことを考えると、


全ての原点が、この方と自分が同郷であったという奇跡、


この時期に、たまたま地元でフリーペーパーの編集者として働いていた奇跡(ほんの数カ月前まで東京で働いていた)


当時の梅崎1佐が、たまたま「いせ」の艦長をされていたという奇跡(「いせ」は普通、唐津に入港するような艦じゃないの…)


艦長が、「いせ」で故郷に入港することを許されたという奇跡(そもそもこれが一番の奇跡。めったにない)


(※なお、「いせ」じゃないと海自ファンになっていなかったのか?と思う人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。

 梅崎元1佐は、その前にも、護衛艦「いかづち」で帰郷されたこともある方で、仮に、これが海上自衛隊とのファーストコンタクトが

 「いかづち」であっても、同様に海上自衛隊に恋に落ちていたことは疑いありません。その時は、「いかづち」が私の運命の艦になっていました)



等々、いくつかの奇跡が重なったことを考えると、今回の、梅崎元艦長の退官は、感慨深いとか残念とかという言葉では言い表せません。


今の私の原点…いや、起点を作ってくださった方なのだから…。


そんな梅崎艦長は、いつも、にこやかで楽しい笑顔で暖かく接してくださっていたので、その印象が強かったのですが、


初めて「いせ」の体験航海にお邪魔した時に、艦橋での「艦長」としての顔を初めて見た時は、あまりの空気の違いに驚きました。


その顔は、まさに1艦を預かるという責任を背負った、漢のそれでした。


あの顔を、私は一生忘れることはありません。







海上自衛隊に恋に落ちて5年…たくさんの艦長にお会いしてきましたが、その方々が、続々と自衛隊を「卒業」されていかれます。


さみしい気持ちもありますが、逆に、知り合った当時は初任幹部だった方が、1尉になり、〇〇長になっていたりするとうれしいし、


当時、船務長だった方が1艦を預かる艦長になられたことが分かると、お祝いしたい気持ちでいっぱいになります。


時の流れはさみしさもありますが、次の世代への受け継がれていくものなので、これからの海上自衛隊を楽しみにしていきたいです。


私の人生を豊かにしてくれて、私に全ての幸せを与えてくれる起点となってくださった、


梅崎艦長の第二の人生がさらに充実した実りあるものとなられることを、心よりお祈りしております。








~重要告知~


記事内で「いせ」は普通、唐津に来ない、と書きましたが、

5年ぶりに唐津に入港いたします


いやぁ、驚きました(笑)


護衛艦「いせ」一般公開


9月23日(日)0900 ~ 1600 佐賀県唐津市 妙見ふ頭


ぜひぜひ、足を運ばれてくださいね



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