“終戦の日”の付近には多くの報道機関等により、大戦関連の報道等が毎年繰り返されます。
その中の少なからずに「日本悪者論」が蔓延しております。
本日は歴史を客観的に俯瞰し、公正を第一として冷静に振り返ります。
◆強者が本気で仕掛ける戦争は避けようがない
当時のアジア、アフリカは殆ど欧米諸国の植民地です。
善悪は別として紛う事なき弱肉強食の時代です。
弱者や失策をした者は、「食われた」のです。
更なる東方征服と南下を目指すソ連(現ロシア)と、20世紀の西部開拓を目指す米国に挟まれた極東は、まさに草刈場でした。
特に、中国大陸を巡ってのせめぎ合いは熾烈を極めました。
ここで戦後の大きな誤解の一つに、日本の中国侵略という論調があります。
北清事変の結果として一部欧米諸国とともに、我が国は中国了承の上に駐留軍を展開することとなりました。
このことは先の大戦後の我が国への米軍駐留と同じで、何ら瑕疵はありません。
しかしながら、現在の台湾政府の始祖である国民党や中国国内軍事勢力の共産軍は、対日敵対行為を躊躇しませんでした。
仮に、現在、自衛隊が駐日米軍に攻撃した場合、米軍はためらわず応戦することでしょう。
要する日中事変とは、こういうことなのです。
ただし、満州国設立を巡り、「疑問手」、「悪手」を打ったことは残念なことでした。
満州は満族の聖地であり、漢族には無縁の地です。
満族が「民族自決」の下、国家を起こすことに何ら瑕疵はありません。
このことは当時の国際連盟による調査団も、満州国の建設には異を唱えておりません。
一つ大きな「疑問手」は、日本の指導層が「碁頭」ではなく「将棋頭」だったことです。
もちろんこれは比喩であって、将棋が悪いということではありません。
一言で言えば、「敵の取り分」を計れと言うことです。
一例を挙げれば、満鉄を日米共同開発としたならば、その後の日米開戦は避けられないとしても、対ソ脅威は激減したことでしょう。
◆米国の本気の圧力には、どうすればよかったか
米英蘭の石油の禁輸等の経済封鎖は、決定的な引き金でした。
ここで米国によるハルノートは、即時受諾にしても、時間稼ぎの引き延ばしにしても、石油資源等の枯渇を招くだけです。
残念ながら後の大慶油田は発見出来ず、英蘭開戦は避けられません。
その時点でグアムとフィリピンの米軍から先に対日開戦を実行すれば、やむを得ず日米開戦となります。
その時我が国は、陸海軍共同の対艦、対潜作戦を磨き上げ、陸海軍双方の航空基地勢力下での戦いに徹するべきでした。
南方航路や満州航路沿いに陸海軍双方で航空基地を築機き、海空両面で哨戒を厳とすれば、航路の安全度は格段に上がります。
当時、米国の強大な戦艦や空母を持ってしても、陸海軍双方の陸上航空基地勢力下では、単なる標的に過ぎません。
艦砲は陸砲に勝てず、艦艇は航空機に負けるのです。
厳重な哨戒の下、日本陸海軍基地航空隊と空母艦載機の飽和攻撃により米国艦隊は20世紀のバルチック艦隊となった事でしょう。
山本五十六という大局観に欠ける愚将の、真珠湾攻撃という博打が全てを壊しました。
日本海軍は、陸上航空基地勢力下での海路防衛と国土防衛という本来任務を忘れ、インド洋や真珠湾で勢力を浪費しました。
◆特攻を愚とする論調
終戦間際の「特攻」は、好ましくないことは当然です。
しかしながら、当時の敵だった「白人」は、歴然とした人種差別を実行しておりました。
当時の白人にとって、有色人種は平等の存在ではなかったのです。
このことは戦前、国際連盟で我が国による人種平等の提案を葬ったことでもうかがえます。
米国では1960年代前半での人種差別禁止運動で、初めて表向きは差別を禁止されたのでした。
ましてや1940年代では、日本人捕虜の生存率は悲惨なものでした。
捕虜の生存率や、米英蘭によるフィリピン、インド、インドネシア等の現地人の扱いを見れば、敗戦後の扱いは凄惨を極めると予想されたのです。
特攻を外道として講和を図るにしても、米国が日本の徹底した無力化を最終目標とする場合は儚い望みです。
なお、戦後の米国占領下での対日政策は穏健だったとの主張もありますが、これはひとえに戦後冷戦下での“ソビエト共産帝国”の影響緩和のための対日懐柔策のためです。
戦後の冷戦は、大きな歴史的意義があります。
冷戦は、戦勝連合国による敗戦枢軸国への搾取を緩和させました。
その一方で、望外の結果として、日本が提唱した植民地解放を進めることとなりました。
これは、独立国の多くが非西側非同盟諸国化したことでもうかがえます。
◆植民地解放と大東亜共栄圏
仮定として、モンゴル帝国が欧州全域を制覇し、20世紀まで存続したとします。
欧州の一国が「大欧州共栄圏」を提唱し、モンゴル帝国と戦うと考えてください。
今日の世界の基準では、「大欧州共栄圏」は欧州諸国の当然の権利と見なされる事でしょう。
現在の欧州共同体(EC)は、欧州版大東亜共栄圏です。
大東亜共栄圏は、時期が早過ぎました。
また、植民地解放は、日本の実力が未熟に過ぎたのでした。
なお、植民地解放を唱えた以上その「責任」として、残留日本兵による建国側現地軍参加は、大きな意味があります。
一部ではあるものの、建国に寄与したことは「植民地解放」の名分の一助となりました。
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