三四郎が死んだのは、わたしのせい。
そう気がついたのは、三年もあとの、わたしが二十歳の時でした。
夜中、ふとんの中で、わたしは突然、そのことに気がついたのです。
あの夜、顔に冷たい水をかけられた時の三四郎の、あの呆然として、そしてしょげた顔・・・。
あのあと、冷たい風に吹きつけられながら、あのまま呆然と立ちつくしている三四郎の悲しい姿が、目に浮かびました。
あの、暗い、寒い、長いながい夜のあいだ、ずっと。
わたしが、あたたかいお風呂にはいり、ぬくぬくとふとんの中で寝ている間、三四郎はどんな気もちでいたでしょう。
わたしのつめたさをぶつけられた顔は、頭は、からだは、こころは冷え、すべてが凍えた。
それで、三四郎の具合は急激に悪くなったのにちがいありません。
そして、朝になってもまだわたしは、わざと三四郎を無視して学校へ出かけてしまった。
三四郎は、それからひとりで死ぬまでの間、どんな気もちで、どんな苦しみとつらさのなかで過ごしたのでしょう。
わたしはふとんの上に座って、心臓が苦しくなるくらい泣きました。
三年も経った後で、やっと、三四郎のかなしさと自分のしたことのおそろしさ、すまなさに泣いたのです。