パームスプリングス・ロープウェイの頂上「山駅」を出ると、建物に沿って「デザート・ビュー・テラス」がありました。
がこのタイミングで粉雪が降り始め、下界は一気にホワイトアウト、、
↑ギリ「デザートビュー(砂漠の眺め)」の一瞬です。
さて。
ロープウェイでおののいたらお腹すいたんでとにかくなんか食べようっと!!
こちら、Peaks Restaurant (山頂レストラン)でございます。
おお・・なんか豪華。
で ですね・・
トラム内で交わされる人々の言葉ですでに感じていたのですが
そしてトラムを降りテラスに出てくる人々をテーブル席前のガラス壁から見ていて確認したのですが
ここにやってくるのはアメリカ人より外国人。
(中国系、インド系、ラテンアメリカ系。そしてヨーロッパ人はアメリカ白人と見た目が違う)。
で、そういうおおぜいの中国系に私やリスキチは紛れ込んでしまう(汗)けれど
ボブは地元でレア目立ち、という逆転現象が(笑)。
そんなグルメタイムの後、駅ビル(というのだろうか)を通り抜け裏口を出ると
目の前に雪の森が広がっていた。
正しくは目の前、というより下へ、ぐるぐるぐるぐるコンクリートの道を降りていったさきなんですが
ここがMount San Jacinto State Park (サンヤシント山 州立公園)の森だ。
(左がわたくし、右がりすきち)
つかさっむー!!
↑帽子を忘れナマ頭で歩いてたらあまりの寒さに耐えられなくなり、まふらーを頭にかぶって白ずきんババ登場です・・
つうか私のスマホもボブのスマホもこの超低温にいきなり冬眠(こんなん初めて)。よって上の写真よりボブの一眼レフカメラ画像を借りてお送りします。
雪に喜び森かけまわるリス一匹。
ソリ(レンタル)遊びをする人もたくさんいました。
そんな人々の歓声も雪の森は吸い取り・・
てか正直凍りそうな白ずきんババ。
↑ずきんババ、森の色に同化?擬態?(爆)
森へ降りるときはあまり感じませんでしたが、駅ビルへ戻る長い登り坂では空気の薄さを実感し
(あれー?吸っても吸っても酸素がなーい)
ちょと怯えた。
さてこのMountain Station「山駅」ビル。ギフトショップ、団体用?待合室、ミニ博物館や宴会場もあります。
私たちはシアターでこのロープウェイ建設のドキュメンタリービデオを見ました。
それによると
1935年、若い電気技師のフランシス君が新聞社の知り合いと一緒にここら砂漠を訪れた際、
「ああもうクソあっつ(暑)ー!! えっでもあの山の頂上見て? 雪かぶってるじゃん」
・・・あそこへ行けたら涼しいのになあー・・
そう・・すいーといっきにロープウェイなんかでぇー・・
と夢見る目に。それがすべての始まり。
やがてその「夢」は「計画」となりましたが、資金繰りやお役所への申請などで紆余曲折・・
第二次世界大戦の勃発でも計画は延期された。
だが、フランシス君が夢見た光景は死ななかった。
1945年、州でトラム(ロープウェイ)法案が可決され、土地所有者が敷地を寄付し、資金集めにも協力。
朝鮮戦争でまた計画は遅れたけれど、1961年、ついに始動!!
この工事は”世界8番目の驚異”と呼ばれ、5基のタワーのうち陸から行けるのは一番下の一基のみなため
あとの4基と頂上駅をつくるのに、ヘリコプターが2万3000回飛んで作業員や資材を運んだ。
こうして1963年、フランシス君の夢はじつに28年後、ついに完成!!
フランシスおじさんとなった彼は、何度もなんどもこのロープウェイを楽しんだそうです。
やがて古くなったロープウェイは1998年に改修工事を始め、2000年には世界最大の回転トラムカーが営業を開始しました。
・・と、いうことです。
えー、ちなみにこのトラムウェイというかロープウェイ。
世界最古の設計は、現クロアチアの聖職者さんが16世紀末か17世紀始めにしたもの。
実際に建設された最古は、1644年に現ポーランドにて、馬が引いた。ワイヤーロープ以前の時代です。
(ウィキペディアより)
他にも検索してみると世界には想像を絶するロープウェイがいろいろとあり、ロープウェイマニア略して綱男や綱子さんにはたまらない聖地巡礼となるのではないでしょうか!!
でもわたくし個人としましてはここの下りロープウェイでタワーを過ぎるたび
ふわっ・・どすん!
とちょい落下する恐怖にリスキチのふとももにすがりつき「きょわー!」「キョワイヨー!!」
と小さく叫びつづけたことでした。
↑後ろで中国人のおじいさんがそのたびフフフフフと笑ってた。
↑ちなみにこのかたが景色を見られるようにしゃがんでいた(からリスキチの足にすがりついた)窓際のわたくしだった。
↑ついでに上りの時も後ろにアジア系男の子がいたのでやっぱりしゃがんで「見える?」と聞いたら「うん!」と喜んでくれたので足はしびれたけどよかったよかったヨなのだった。