高野山 | じゃからんだの気ままな旅 

高野山

民生委員OBの仲間と高野山へ出かけました。

OBの中に真言宗の住職Mさんがいて、彼の案内で出かけることにしたものです。

令和元年7月16日、車2台に分乗し、東名阪道から名阪国道へ向かいました。関のインターチェンジ出口で大渋滞。どうしたのかと思っていたら、関から伊賀まで事故のため通行止めとのこと。関のサービスエリアでどうやって行こうかと相談です。

というのも、名阪国道は山を切り開いて造った国道のため、迂回路がありません。カーナビで検索しても名阪国道しか出てきません。

 

関のサービスエリアで相談のうえ、まず、榊原温泉を目指し、そこから伊賀に向かうことにしました。関から伊賀までは通常20分ほどの距離ですが、1時間半ほどかかってどうにか元の国道に戻ることができました。

 

伊賀から再び名阪国道に戻り、天理を経て高野山まで向かいました。

 

高野山では、大門を眺めながら金堂へ到着。ここで、年中行事の大半が行われます。

 

金堂

 

 

本堂内を僧侶の方に案内いただき、見学しました。普段ではなかなかこうして内部まで案内いただくことはできませんが、Mさんのおかげでじっくり見学することができました。

 

中門 (中門は伽藍の正門です)

 

 

根本大塔 (伽藍の中心の塔で高さ約50メートルです)

 

 

大塔の鐘 (重量は約6トンあるそうです)

 

 

愛染堂

 

 

見学、お参りをしたあと、大師教会受戒堂で「お受戒」を受けました。

 

 

その後は女人堂へ。女人禁制の時代は女性はここまでしか入れなかったそうです。

 

 

この先は女人禁制。

 

 

女人堂の前に立つお竹地蔵。女人堂で横山たけさんが参籠しているとき、お地蔵さんが目の前に現れたことから地蔵の建立を思い立ったそうです。

 

 

今夜の宿は恵光院。高野山には寺が120ほどあり、そのうち約60ほどが宿坊を兼ねているそうです。

高野山が世界遺産に指定されてから、外国人の姿がとても多く見受けられるようになったということです。特に欧米系が多く、中国、韓国は少ないそうです。

欧米系の外国人は土産物には関心が薄く、また賽銭の習慣がないため、寺も

土産物屋さんも潤っておらず、苦しいようです。

今夜の宿坊もほとんどが欧米系のお客さんです。彼らは畳の部屋で日本人と同じように眠り、食事も箸を使って、日本の習慣を味わうそうです。

僧の方も英語の習得が必須のようです。

 

 

宿坊には初めて泊まりますが、民宿と特に変わったところはありません。ただ食事が精進料理といったところでしょうか。

この部屋に2名泊まります。ちょっと狭いですが、特に支障はありません。

 

 

 

翌日は金剛峰寺などを回り、奥の院へ出かける予定でしたが、私はちょっと体調を崩し、金剛峰寺はパス。皆が帰ってきてから、奥の院へ出かけました。

本来は約2キロの道のりを歩くのですが、私は近くまで車で送ってもらって、そこから数百メートルを歩きました。

 

 

 

多くのお墓がありますが、日蓮、親鸞、法然などの供養塔もあります。高野山は仏教の聖地でもあり、宗派を問わず、多くのお墓があります。ちょっと驚きです。

 

 

奥の院

 

 

このあと入口のお供所で、「生身供」という行事についてお聞きしました。お話をしてくださった僧侶の方が、この行事を毎日続けておられる方でした。

弘法大師が亡くなって1200年になりますが、弘法大師は今でも御廟で瞑想を続けられていると信じ、毎朝3時にお食事をつくり、それを嘗味(あじみ)地蔵で味見(毒見)をして、二人の僧が白木の箱に入れて、大師にお供えするというものです。弘法大師は今でもそこに生きておられるので、お食事をこうして毎日お運びしているということでした。

弘法大師が亡くなって1200年もの間、ずっと続けられてきたそうですが、今後、

56億7千万年続けなさいと大師が遺言されたということで気の遠くなるような話です。この長さからすれば、まだ始まったばかりです。

 

これで高野山の参拝を終え、帰路につきました。帰りは渋滞もなくスムーズに帰ることができました。

今回の旅行は、Mさんが年に何度も高野山に出入りしており、高野山に知り合いも多いということで、お世話になりながら、案内もつとめてもらい、とても有意義な巡礼となりました。

 

個人的には、知多四国88ケ所、美濃四国88ケ所、直伝弘法88ケ所と巡拝してきましたが、やっと高野山にお参りでき、結願成就できました。

 

 

 

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